迷いを断つためのストア哲学_帯付

イチローも語った、「コントロールできない」物事に悩む無意味さ 『迷いを断つためのストア哲学』訳者あとがき


イチロー選手は昨日の引退会見のなかで「生き様で伝えたこと、伝わっていたら嬉しいと思うこと」を問われ、次のように答えました。

人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤(はかり)は自分のなかにある。それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく

野球人生を通じてこの美学を貫いてきたイチロー選手。2001年、メジャーデビューした際に首位打者争いについて語った言葉も印象的です(児玉光雄『天才・イチロー 逆境を超える「言葉」』参照)。

見ている人が楽しむのは勝手ですが、相手がからむことに関してコントロールすることは不可能。自分で管理することのできないものを意識することはないですね

イチロー選手のこうした言葉に納得したりハッとさせられたりする方は多いのではないでしょうか。

そんな皆さんにぜひ知っていただきたい「哲学」があります。「コントロールできるものとできないものを切り分けよ」という教えを古代ギリシャ・ローマ時代にずばり説いた、人生哲学の元祖「ストア哲学」です。

4月3日に早川書房より発売する『迷いを断つためのストア哲学』(マッシモ・ピリウーチ/月沢李歌子訳)は、そうしたストア哲学のエッセンスと、それを現代の人生訓としてどのように転用できるかを知るのにうってつけの1冊。刊行に先立ち、月沢李歌子氏による「訳者あとがき」を公開します。

『迷いを断つためのストア哲学』訳者あとがき

ニューヨーク・ヤンキースで活躍した松井秀喜氏は、マスコミの報道が気になるかどうかを聞かれて「自分にはコントロールできないことだから気にならない」と答えたそうです。また、イチロー選手も打率争いをしているときに「ほかの打者の成績は自分では制御できない。意識していない」という発言をしています。自分がコントロールできるものとできないものを区別し、コントロールできないものについては考えず、コントロールできるものに注力するという姿勢は、本書『迷いを断つためのストア哲学』(原題はHow to Be a Stoic: Using Ancient Philosophy to Live a Modern Life )で紹介したストア哲学の重要な考え方のひとつです。

 ストア哲学は紀元前三世紀に、キティオンのゼノンを学祖として始まりました。アテネの中 心にあるストア・ポイキレ(彩色柱廊)に集まり、ゼノンの説教を聞き、誰もが参加をして意見を交わしたことから、ストア派と呼ばれるようになったそうです。ストア派の哲学者としてよく知られている人物に、ローマ皇帝ネロに仕え、最後には自害を命じられたと言われるセネカ、本書の案内役であり、『語録』『提要』を残したエピクテトス、第一六代ローマ皇帝であり、『自省録』を著した賢帝マルクス・アウレリウスなどがいます。

ストア哲学は、アメリカでは人生訓の古典として広く親しまれているようです。本書でも紹 介されていますが、ビル・クリントン元アメリカ大統領は愛読書として、マヤ・アンジェロウの自伝『歌え、翔べない鳥たちよ』とともに、アウレリウス帝の『自省録』を挙げています。また、リーダーシップやレジリエンス(立ち直る力)といったテーマに興味がある読者のみなさんには、ジェームズ・ストックデールの名前はなじみがあるかもしれません。ストックデールは、ベトナム戦争当時、ハノイ・ヒルトンと呼ばれた北ベトナムの捕虜収容所に囚われながらも、敵に屈することなく生還を果たしました。戦場に赴く前にまさにエピクテトスの『提要』と『語録』を読み、北ベトナム上空で撃墜されたときは、これから「エピクテトスの世界に入る」ことを自分に言い聞かせたそうです。 

ストア哲学が人の心をとらえるのは、実践的な哲学だからでしょう。すでに述べたコントロ ールできるもの、できないものという考え方は、わたしたちの日常に広く用いることができるはずです。たとえば受験生。試験に受かるかどうかはいろいろな要因に影響されます。自分の苦手なところが出題されたら、急病になったら、寝坊をしたら、電車が止まったら……と不安な気持ちに襲われることもあるかもしれません。でも、これらはコントロールできないことです。コントロールできるのは苦手を克服する、試験日が近づいたら体調を整える、前日は早く寝る、電車が止まった場合の代替手段を考えておくなどです。それらに注力するしかありません。営業で、明日、客先に売り込みに行く会社員は、買ってもらえなかったらどうしよう、と不安になるかもしれません。けれど、それはコントロールできないことです。コントロールできるのは、プレゼンの資料を準備し、客からの質問を予想して答えを考えておき、約束の時間に遅れないことです。それ以外のことは悩んでもしかたありません。

そう考えると人生のほとんどはコントロールできないことになり、ものや人に執着するな、 という教えにつながります。家族や愛する人にも執着していけません。いくら大事にしていても永遠には一緒にいられないからです。こちらの気持ちが伝わらず、相手のほうから離れていくこともあるでしょう。それはコントロールできないことです。また、セネカが「わたしたちは日一日と死んでいる」と述べているように、いつかは死という別れがやってきます。子育て中のお父さんやお母さんは、愛するわが子を抱きしめながら、いつかその子と別れる日が来ることをつねに思い出せば、その子の一生を支配しようとしたり、子どもが成長して独立したのちに空の巣症候群に陥ったりすることもないでしょう。そのかわり、今、一緒にいられる瞬間をこの上なく大切に思えるはずです。

ものに対する執着について、セネカにはこんな言葉があります。「そんなものはすべて直ち に捨ててしまえ! 君が賢いなら、いや賢くなろうとしているならそうせよ。全速力で、全力 を出して、正しい心の持ちように達しようと努めよ。君がそうするのを妨げる何かがあったら、直ちに離れよ、離れられなければ、それを断ち切れ……君が精神を自由にしたいなら、貧乏になるか、貧乏の真似をしなければいけないんだ」(中野孝次『セネカ   現代人への手紙』岩波 書店)つまり、ものを所有すれば、ものに束縛されるのです。これは多くの人の支持を得ている「断捨離」の考え方や、今では活動の舞台をアメリカに移して片づけの魔法を広く伝授しているコンマリ、すなわち近藤麻理恵さんの姿勢にも通じています。そもそもストア哲学は、美徳をもっとも重んじているため、それ以外のものを「無関係」と呼びます。美徳を得るための助けになるものは「好ましい無関係」、助けにならないものは「好ましくない無関係」です。執着しない、という考え方はこうした呼び方にも表れているように思われます。

ストア哲学は英語でストイック( stoic )。「冷静な」とか「克己的な」などという意味もあ り、日本語では「禁欲主義」とも訳されます。そのため、ストア哲学というと、どんなことがあっても感情を表に出さず、歯を食いしばっていることのように誤解されがちです。興味深いことに、メジャーリーグでプレーしていた頃の松井選手は、ネット上の記事などでは「ストイック」という形容詞で描かれています。これはどんな状況にあっても松井選手が淡々とトレーニングを続けていることや、表情をあまり変えずに冷静でいるように見えることを述べているものです。確かに自制や平静(アタラクシア)を保つことは、ストア哲学の重要な要素です。松井選手がストア哲学を実践していたのかどうかはともかく、どんな環境にあっても自分がコントロールできることだけに注力していた姿勢が「ストイック」と形容されたのでしょう。ただし、ストア哲学は無味乾燥な人生を送ることを勧めているのではありません。それどころか、もっと楽しく、もっと幸せに生きるための実践的な知恵を説いているのです。

本書の著者マッシモ・ピリウーチはローマの出身で、イタリアのフェラーラ大学で遺伝学、 アメリカのコネチカット大学で生物学、テネシー大学で哲学の博士号を取得しています。本書で述べている通り、人生を一度立ち止まって考えたときに、ストア哲学を生きるための哲学として選びました。なかでもエピクテトスが好きで、本書もエピクテトスとしばしば対話をする形で進めながら、ストア哲学を「行動」「欲求」「受容」の三つの原則に分類して説明しています。また、ストア哲学をいかに人生に取り入れるかを本書の最後に一二項目にまとめています。実践を旨とするストア哲学を紹介する書にふさわしいと言えるでしょう。さらに、ストア派だけでなく、ソクラテスの哲学、プラトンのアカデメイア派、アリストテレスのペリパトス派、キュレネ派、エピクロス派、キュニコス派などのヘレニズム哲学の他の学派についてもわかりやすく紹介されていて、ストア哲学に対する理解を深める助けになっています。

時代は哲学を必要としています。アルフレッド・アドラーの思想を解説した『嫌われる勇気』は大ベストセラーになりましたし、NHKの「100分de名著」や紹介される哲学書も好評のようです。フェイクニュースやポストトゥルースに翻弄されることが多いこんにち、どんな環境にあっても自分をしっかりと持ち続けるために、哲学が求められるのでしょう。そうした時代において、厳しい環境をより良く生きるために生まれたストア哲学が大きな助けになるのは間違いありません。

マッシモ・ピリウーチ『迷いを断つためのストア哲学』(月沢李歌子訳、本体2,000円+税)は早川書房より4月3日発売予定です。