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【大好評発売中!】中国歴史サスペンス超大作 馬伯庸『両京十五日』特別試し読み!

発売後すぐに話題となったハヤカワ・ミステリ(ポケミス)2000番記念作品『両京十五日Ⅰ 凶兆』(馬伯庸/齊藤正高、泊功訳)。
15世紀の中国・明を舞台に、南京から北京までの皇太子一行の冒険を描くいまだかつてない壮大な歴史サスペンス大作の序章~第一章を特別公開!
翻訳ミステリ史に刻まれた新たな傑作をぜひ体験してみてください!


 今夜の金陵きんりょうまちはどこかちがう。

 秦淮しんわい河の柳がザワザワと細い枝をふるわせていると、雨花台うかだいの色とりどりの石がぶつかりあい、こすれて、小刻みな悲鳴をあげる。同じ頃、城北にひろがる後湖こうこの黒々とした水面になぜか一つ、まるいさざなみがたつと、城壁と欽天きんてんざんの端にそっと打ちよせた。欽天山の頂きに建つ北極閣では、北極星のように万世不動のはずだった鋳銅ちゅうどうこん天儀が四隅の鉄鎖をジャラジャラとふるわせる。

 うす暗い月明りのもと、金陵内外の美しい光景は一つまた一つと烽火のろし台となり、次々と不吉な兆候を伝えていく。鶏鳴けいめい寺、清涼陟せいりょうちょく寺、大報恩寺、そして朝天宮(朝廷の儀礼を学ぶ場所)の鐘が見えざる巨大な手にゆり動かされ、く人もなく鳴りだす。鐘の音はせくように鳴り乱れ、瞬く間にまちじゅうに響きわたった。

 住民が寝ぼけまなこもあけぬ間に、大地がいきなりふるえだす。

 仏の説法には大地も六つの相に震えたそうだ──すなわちどうゆうしんげき。この六つの相があろうことか一度に爆発した。まるでていてつを打った数千頭の暴れ馬がまち疾駆しっくするように、たちまち鍾山しょうざんは震え、秦淮は流れを乱す。長安街の両側に並ぶ役所、西水関の鈔庫しょうこ(紙幣倉庫)や民家、皇城の三大殿や龍江提挙司の造船所、しゅう宝門の甕城おうじょう(城門を囲む要塞)や大報恩寺の境内けいだいに建てていた琉璃るり塔、すべてがこの激しくぎょしえぬ力の前にガタガタと震える。

 大明だいみん随一の壮麗な巨城はこの時、地にひれ伏した囚人のように、こうべを垂れて天威の杖刑じょうけいを受けていた。地鳴りのなか、奉天殿にすえられた金メッキの水時計が轟音とともに倒れた。その浮きが永遠にとまったのは、大明だいみん洪熙こうき元年(一四二五年)、五月十八日(丁亥ていがい)、(午前〇時ごろ)であった。

第一章

 チロチロ……チロチロ……

 艶やかな蟋蟀こおろぎがヒゲをゆらして軽くんだ音をたてる。高く盛りあがった頭に、赤味を帯びたヒゲと真っ黒なアゴ、ひと眼で勇将だとわかる。それは細長い舷壁はぎつけの上をはい、意気揚々と周囲を見回していた。

 この山形の壁は長さ五じょう(一丈は十尺、一尺は三十二センチメートル、ここは十六メートル)、蟋蟀こおろぎにはまちがいなく大きいが、巨大な楼船では船尾右側の一角にすぎない。船の全長はゆうに三十丈もあり、黒と紅のうるしでぬられ、底は鋭く上は広い。太い柱に幅広の帆をはった姿は三保太監鄭和ていわが西洋下りに使った宝船ほうせん(全長一二五メートル、あるいは全長五〇メートル等、諸説がある)を思わせる。

 だが、本物の宝船は二本の帆柱の間に平屋があるだけなのに、この船ときたら同じ位置に四階の望楼ぼうろうがそそり建ち、みごとな彫刻と彩色がほどこしてあった。屋根は母屋おもや造り、軒先はそりかえり、鱗のように並んだ瓦が陽光をうけてキラキラと輝いている。造りは本物の宝船よりずっと立派だが、ちょっと海に出ればたちまちなみに揉まれ、半日ももたずにあっけなく転覆するだろう。

 幸いなことに、今この船は海上になく、頭を西にむけて長江に浮かんでいた。長江のささやかな波はこの莫迦ばかに大きな船をゆらしはしない。だから、この小さな蟋蟀も暢気のんきに壁の上をはっていられ、だだっ広い長江にむけて悠長につづみを聞かせていられる。

 ふいに金糸を編んだ小さな網が天から降ってきて、しっかりとかぶさった。網の一角がそっと持ちあがる。びっくりした蟋蟀は思いきり跳ねたが、とうに待ちかまえてあった紫砂し さ鼓缶こかん(茶色の筒形陶器)にとびこんだ。

「はは、やった!」

 朱瞻基しゅせんきはすばやく蓋をしめ、銅銭の穴のような息抜き穴を指でなでると、ニコニコと笑って甲板から立ち上がった。

 この蟋蟀こおろぎには〝賽子龍さいしりゅう”(『三国志』の趙雲に匹敵するの意)という立派な名がある。朱瞻基しゅせんきが旅の途中にじっくり調教してきた気に入りだ。この賽子龍、〝身は曹操の陣にあれど心は漢にあり”と、自分を大将軍関羽かんうと勘違いしたかどうかは知らぬが、先刻ふいに罐から逃げだした。朱瞻基しゅせんきは大船の上をずいぶん探しまわって、こうしてやっと陣営に連れもどしたのだ。喜びのあまり、朱瞻基しゅせんきは左手に鼓罐こかんを載せたまま、右手の指をそろえて役者の手ぶりをまね、口からは台詞せりふがついて出た。

「三軍に伝えよ。わしはける趙雲をもとむ。死せる子龍(趙雲)は要らぬのじゃ」

 決め台詞の語尾を気持ちよく伸ばしていると、つけ襟と貼裏ティエリ(交領長袖の長衣で下部は車襞)をまとった老宦官かんがんけつまろびつ駆けよってきて、声を震わせて大声で叫ぶ。

千歳爺せんさいや……千歳爺、船べりに近こうございます。長江の河面は風強く、ゆれでもして水に落ちれば、わたくしめ、万死するともつぐなえませぬ」

 ははっと朱瞻基しゅせんきは笑いとばす。

大伴じい、お前はほんとうに見識がないな。この二千料(料は体積の単位など諸説ある。一説に一料は約〇・五立方メートル)の宝船が長江の水ごときでゆれるものか」そう言うと、鼓罐を高く挙げた。「見よ! 賽子龍が陣にもどった」

「はいはい、ひっとらえて連れ帰るのは結構なことですとも」老宦官はそそくさと歩みより、満面にみを浮かべた。「すぐに彩楼さいろうにお戻りを。東宮とうぐう師傅しふ(東宮は皇太子、師傅は先生の意)の方々よりいくどにもわたる催促なのです。どうぞ御支度をなさるようにと」

 それを聞いて朱瞻基しゅせんきは眉間にしわをよせた。「あの者らは何をいておる?」

 老宦官は言い聞かせる。「まもなく南京に着きまする。百官勢ぞろいで埠頭にて御待ち申しあげておるのです。さあ、御支度をなさりませ」太子の顔色が暗く沈んでいくのを見て、老宦官はあわてて慰めた。「殿下、すこしの辛抱でございます。南京城に入ってしまえば思う存分遊べます」

 朱瞻基しゅせんきが長江の波打つ水面をながめているうちに、その顔から先刻の笑いがゆっくりと消えていく。

「南京に着けば、なおさら気ままに出歩く時間もなくなるであろう……残るこの数時辰じしん(時辰は現在の二時間、一日は十二時辰)、もう少し楽しませてはくれぬか」

 その口ぶりはあわれをさそい、老宦官も思わず同情を禁じえなかったが、考えを改めてストンとひざまずいた。

「このたび、南京に参りますのは大明だいみん社稷しゃしょく《国家》に関わることにございます。殿下は身に皇命こうめいを帯びておられます。そのような我儘わがままはなりませぬ!」

 それを見て、朱瞻基しゅせんきは苦笑して首をふると、もう何も言わなかった。老宦官の言うことはすこしも間違ってはいない。だが、まさにその通りなのだから憂悶が倍にもなる。

 この皇命は朱瞻基しゅせんきの祖父、永楽えいらく帝から説き起こさねばならない。

 永楽十九年、永楽帝は大明の京城けいじょう(首都)を金陵きんりょうから北平ほくへいうつし、この時から二つの国都ができた──正都北京(北平)と留都りゅうと南京(金陵)である。三年後、永楽帝が崩御ほうぎょして、びょう号が太宗たいそうに定まると、順調に太子の朱高熾しゅこうしが即位して、翌年〝洪熙《こうき》”と改元された。

 洪熙こうき帝はずっと国都を南京に遷そうとしていたが、事業の規模が大きく、国論は終始定まらなかった。洪熙こうき元年四月十日、天子はふいに詔書しょうしょを下す。皇太子朱瞻基しゅせんきをして留都に南下せしめて監国かんこくとし、かの地を守らしめるとともに軍民を慰撫いぶする、と。この詔書が出るや、朝野は急に騒がしくなった。それは陛下がついに再度の遷都を決心したことを示す、きわめてはっきりした信号だと誰にも分かったからだ。

 今回の太子南下は遷都の露払いでなければならず、決して簡単な務めではない。

 かつて永楽帝が北平に遷都した後も南京には朝廷の枠組みが残してあった。六部りくぶ(吏、戸、礼、兵、刑、工からなる官署)、都察院とさついん(監察機関)、通政司、五軍都督ととく府(前後中左右の軍の統率機関の総称)などの官署は一応そろっていて、体制も北平と変わりない。天下の税は大半が江南から徴収されるが、その地方には実力者や豪族の利害がからみあい、局面は複雑をきわめる。髪を一本引き抜けば全身が動くように、この地が乱れれば天下が震撼する。

 二十七歳の太子は一人で政治を行うのは初めてだった。今回の事は小さく言えば、天子が太子の資質を試みるのであり、大きく言えば、大明だい みん百年の盛衰に関わる節目だ。天下の人々はみな眼をぬぐって、果たして太子が留都を掌握できるのかを見きわめようとしている。老宦官の思いもここに及んで、覚悟の忠告のふりなどして見せたのだ。

 朱瞻基しゅせんきは遊び好きだが、事の軽重はわきまえていた。太子は蟋蟀の罐につぶやく。

「子龍よ、お前は自分を閉じこめる一寸四方の地を嫌うが、わたしとて何が違う? まあ、よかろう、お前と知り合ってわずかだが、わが片割れだけでも気ままに生きよ……」

 そう言って太子は蓋を開けようとしたが、周囲を見ると茫々ぼうぼうたる川霧のほかに何もなく、蟋蟀が放たれたところで行く場所などあろうはずもない。

「どうだ、そこを脱けだしたところで何ができる? 外もまた十重二十重とえはたえかごにすぎぬ。脱けだすことなどできようか?」──そう言っていると、突然、北の岸から三発、軽い破裂音がした。

 パン! パン! パン!

 びくっと朱瞻基しゅせんきの手が震え、あやうく蟋蟀の罐は甲板に落ちそうになった。やや苛立って太子がふり返ると、空には黄褐色の花火が三つ、しだいにほころんで風に散らされ、消えていくところだった。花火の下は風になびく真っ白な葦原、打ち上げた者は見あたらない。沿岸の民家で嫁娶よめとりでもあるのか?

 音は船から数里(一里は一八〇〇尺で約五八〇メートル)も離れているから気にするほどのものではなかった。朱瞻基しゅせんきは迷ったすえ、やはり蟋蟀を放してやらぬことにして、罐を手に載せたままイライラと老宦官の後について彩楼さいろうに戻った。

 二人は知らぬが、帆柱の上では頭にあやぎぬを巻いた黒衣の船夫も三発の花火を見ていた。

 この男、肌は浅黒く、顔立ちも普通の船夫と何ら異なるところはない。片手を横さおにかけ、もう一方の手を眼の上で日よけにして、無表情で空を見ている。花火が消えてしまうと、男は索具さくぐを引きよせて器用に帆柱を滑って甲板に降りた。

 似たような船夫は百人近くもいて、甲板のあちこちで操船をしていた。彩楼に近づきすぎなければ衛兵たちも一々注意を向けない。立ち働く男たちにまぎれ、この船夫は彩楼からの視線を慎重に避けると、まっすぐに船首右舷の甲板に近づいていく。

 そこには小さな鉄の取手があった。男がかがみこんでそっと持ちあげると、四角い入り口があらわれ、一本二列の梯子はしごが下に伸びていた。船夫は両手で梯子をつかむと、ゆっくりと船腹へ降りていく。

 この船は形こそ宝船にならっているが、万事享楽第一で作られている。だから船腹は巨大で、甲板から船底まで四層に分かれていた。甲板のすぐ下は厨房と宴会に使う食器を納める倉庫、二層めは船夫が休む寝棚と漕ぎ口、三層めは資材と食料の大倉庫、底層には底荷の石塊を数百も積みこんであって船を安定させている。

 一層を下るごとに空間は狭まり、光は弱くなる。男は船底を目指して降りていった。周囲はもはや暗闇で、湿ったカビと朽ちた木材、むせかえるような石灰の臭いが満ちていた。近くに人影はない。大修理でもなければ、こんな気味の悪い場所に長居する者などいない。

 そこは十数の閉ざされた部屋に仕切られていた。その一つ一つが獣のねぐらのようにうす暗く、大きな石塊が伏しているのがやっと見えた。船夫は方向を見定めると、右側三番目の部屋に入っていった。暗闇の中、どこからか怪しいきしみが聞こえ、おまけに何やら低い呟きも聞こえてくる。それは何かの祈祷きとうのようだった。

 線香一本が燃えつきるほどの時間(三十分ほど)がすぎ、船夫は足取りも軽く仕切り部屋から出てきた。そして、もう一度甲板の上に戻ると、忙しく働く船夫たちにまぎれこむ。この男が持ち場を離れたことを見とがめた者はいない。

 ちょうどその時、風見役が気配を見てとり、ただちに合図をした。船夫たちがすばやく帆の向きを変え、吹きつける風を帆の正面でうけとめる。船尾の舵取りがいくらか速度も上がったかと感じると、「ヨーホー、ヘイ」、「ヨーホー、ヘイ」という掛け声がわきあがり、漕ぎ手たちも速度をあげ、大船は一路南京にむけてひた走る。

 同じ掛け声が南京城でも響いていた。

「ヨーホー、ヘイ!」

 十数本の腕が同時に引きしまって太い梁を持ちあげた。梁の下には瓦礫がれきと家具の破片が散乱し、中央に血だらけの死体が横たわっていた。頭と半身が潰れ、血と脳漿しょうが飛び散って固まり、眼をそむけたくなるようなドロドロの汚泥となっていた。

 周囲から口々にいたむ声がした。昨晩、突然襲った地震で家屋が倒壊し、屋根から外れた梁が斜めにすべり落ちて、寝台でぐっすり眠っていた不運な男に命中したのだ。

 呉不平ごふへいはこの惨状を見つめ、しかめ面で黙りこんでいる。

 この家は南京城太平門の御賜廊ぎょしろうに位置し、一帯の官舎は洪武年間(一三六八年~一三九八年)に都察院が建てたものだ。死者は丸襟の青いほう(錦で作った長い着物)を着て、胸の刺繍は七品の獬豸かいち(不正を角で突くという伝説の獣)だから、誰が見ても監察御史ぎょしであることは明らかだ。

 昨晩の地震で多くの家屋が倒壊した。工部こうぶの大工だけでは手が回らないので、応天府(南京の地方政府)は緊急に三班差役さえきを動員し、災害の救援にあたらせていた。呉不平ごふへい総捕頭そう ほとうだから各所を巡回して火事場泥棒ににらみを利かせていたが、ここで御史が死んだと聞いて駆けつけてきた。

 呉不平ごふへいは六十二歳、いつも丸襟の黒い公服を着て、平頂巾をかぶり、腰帯に鉄尺《てっしゃく》(三叉の十手)と錫牌すずはいをはさみ、どっしりとした雰囲気をただよわせて歩く。応天府の皂隷そうれい(警護)・民壮みんそう(警備)・快班かいはん(刑事)の三班をたばね、これまで何度も難事件を解決してきた。北方の生まれではあるが、南京で知らぬ者などいない。役所では〝頭児かしら”と呼ばれ、江湖(法外民の世界)では〝鉄獅子てつしし”と恐れられ、庶民は本名が大好きだった──〝不平ある所、不平無しあり”というわけだ(呉と無は同音。呉不平は〝不平無し”の意)。

 近所の住人に訊ねたところ、監察御史は郭芝閔かくしびんという名で揚州府泰州の人、南京広東道の監察御史として単身赴任しており、親類は同行していない。気の毒なかく御史は引っ越してきたばかりなのに、昨夜の地震で無残な死に方をしたことになる。

 事故であることは明々白々、捜査するまでもない。中庭の死体はとりあえず動かせないが、呉不平ごふへいは下役たちに庭で廃墟の片づけをさせていた。

 五月の陽気にはすでにいくらかムッとする暑さがあった。若い下役が白帯の先で汗をぬぐい、低い声で不平をもらす。

頭児かしら老天爺ろうてんや(天のこと)はまだ気がすまないんですかね。オレたちの金陵きんりょうはいったい何べんゆれるんです?」

 永楽えいらく帝が遷都してから、南京の人々には口に出さぬ怨みがあり、日頃から自分たちの京城みやこを〝南京”ではなく、〝金陵”と呼んでいた。この質問に呉不平ごふへいは答えなかったが、周囲の同僚がわっと議論をはじめた。

 もちろん、昨晩の地震が最初ではない。今年になって、何かじゃにでも憑かれたように南京は何度も地震に見舞われた。そのたびに家屋が広範囲にわたって倒壊し、官府かんふは忙殺され、上も下も不安におののいている。

 十三、四回だと言う者もあれば、十七、八回だろうと言う者もいた。最後に年寄りの下役が首をふって自慢げに言った。

「オレの兄弟が工部で書記をしているんだが、あそこにゃ、ちゃんと記録があってよ。先月、金陵あたりが何べんゆれたと思う? 五回だ。三月は? 何と十九回! その前の二月も五回! 昨晩のあれを合わせたら春節からこっち、たっぷり三十回もゆれているんだぜ!」

 三十回!

 常識をこえた数に一同が絶句し、廃墟に沈黙が下りた。誰かが一言つぶやく。

「オレたちの金陵がこんなにゆれたことがあったか? まさか真龍が動いたんじゃ?」

 これに答えようとする者はいなかった。洪熙こうきに改元されて最初の年、それも正月を過ぎたばかりなのに、南京では地震がうちつづき、ちまたに大逆不道の噂がささやかれていた。今の皇帝は真の天命を受けた天子ではなく、帝位を盗んでいる。だから真龍の怒りをかったんだ。真龍が怒って動きだせば、ちょっと身動きするだけで地震にもなるはずでは?

 この謡言ようげんを誰が言いだしたか? そんなことは誰にも分からない。いずれにしろ民は怪力乱神を好むから噂が一人歩きして、ここの下役ですら公然と議論している。

「おい、その真龍も頭が悪いな。北平をほっといて、オレたちの金陵ばかりしごきやがる」

「ここが京城みやこになれば、こんなごたごたなんか起こらねえ!」

「そりゃちがう。オレの見るところじゃ、場所が悪いんじゃなくて……」

「野郎ども! どいつもこいつもそんなに首が痒いか? さっさと働かねえか!」

 呉不平ごふへいが一喝すると、危うい話題を口にしていたことが怖くなり、下役たちは無駄口を叩くのをやめて仕事に没頭した。

 呉不平ごふへいが周囲を見て、考えに沈んでいると、ふいに酒のにおいが漂ってきた。門のほうを見ると悠々と入ってきた人物が眼に入った。痩せて背が高く、細い眉に突き出た鼻、白いおもては読書人風だが、足取りはふらふらして両眼はぼんやりと定まらず、顔つきにはしまりがない。

親父おやじ、来たよ」

 そう言って、この人物は大きく欠伸あくびをした。強烈な酒くささは襟もとについた染みから漂ってくる。ひと眼で大酒を飲んで宿酔《ふつかよい》がぬけていないと判る。呉不平ごふへいは眉を跳ねあげ「ああ」と苦々しく返事をした。

「父上は朝ごはんを召し上がっていないのと妹のやつが言って、焼きたての炊餅おやきを持たせてくれたんだが……」若い男はふところをさぐり、何かに気づいて頭を打つ。「あ、忘れてきちまった」

「かまわん、腹なぞへっていない」と呉不平ごふへいは答えた。

 瓦礫の片づけに精を出している下役たちは軽蔑の色を隠しもしない。

 これも金陵の話題の一つと言っていい。捕頭と言えば泣く子も黙る男だ。街の悪タレだろうが、南京の外にひろがる南直隷なんちょくれい(南京の直轄地江蘇省・安徽省)の強盗だろうが、その名を恐れぬ者などいない。知府ちふ(知事)のオヤジでさえ丁寧に茶を出すこの大物おおものが家族には恵まれず、でき損ないのせがれを育て上げちまった。

 捕頭は妻に先立たれ、息子が一人、娘が一人いる。娘の呉玉露ごぎょくろは今年十五歳、息子の呉定縁ごていえんは今年二十七歳だ。この呉定縁ごていえん、性格はひねくれ、だらしない生活が板について、今まで嫁の来手きてもない。人の噂では何でも癲癇てんかん持ちらしく、時々発作を起こす。一日中、親父から金をせびって飲んだくれ、妓楼ぎろうを冷やかしているので、みなかげでは〝ひごさお”と呼んでいる──竹ひごは細くて軟らかい。船を支える長竿にしようにも使える場所などない。虎から犬が生まれるとは何とも気の毒な話だ。

 応天府は呉不平ごふへいの面子を立て、呉定縁ごていえん快班かいはんに採用して捕吏ほりの列に加えていた。しかし、この薄鈍うすのろは日頃から顔も見せないくせに、俸禄ほうろくだけはちゃっかりもらっている。今日も全員出動の厳命があったはずだが、きっと家で酔いつぶれていたにちがいない。

 呉不平ごふへいも自分の息子がどれほど〝徳行”に優れているかを知っているから、手ぶりで中庭に行けと命じて待機させた。そこにはまだ立派な棺桶には入っていない死体のほかに人はいない。死者の不運が息子に取り憑いたところで、生者の前で恥をさらすよりましだ。

 呉定縁ごていえんも嫌とは言わず、だらだらと中庭に入って行った。ほどなくして嘔吐おうとの音が聞こえ、酸っぱい臭いが漂ってきた。外で働いていた下役たちは顔を見あわせ、あの莫迦が死体にゲロを吐き、さらなる惨状にした光景を思い浮かべた。

 そうこうしていると、連絡役が一人、あわただしく路地から駆けこんできた。

捕頭、府からの知らせです。太子の船がそと秦淮しん わいに入ったそうです」

「ああ」と一言、呉不平ごふへいはすぐに全員を呼び集めた。中庭にむかって怒鳴るのも忘れない。

定縁ていえん、こっちに来い! 点呼だ」しばらくして呉定縁ご ていえんがのろのろと出てきて、ほかの者から離れ、折れた柱のそばにだらだらともたれかかった。

 呉不平ごふへいは周囲に集まった一人ひとりを見て、落ち着いた声で言った。

「手のかかる野郎ども、次のお役目だ。旗竿をみがけよ。太子到着についちゃ、守備もん(役所)のオヤジ連中が厳命を下した。名簿に役目が書いてあるから何がなんでも持ち場を守って、東水関から宮城きゅうじょうまで蚊一匹通しちゃならねえ」

 またお役目だと聞いて、手下から口々に不満が出た。呉不平ごふへいはそれを冷笑する。

「怠けたいならそれもいい。あとで三千里は流されるから道々ゆっくり行け!」

 ピシャリと手下が黙ったのを見て、呉不平ごふへい麻紙あさがみをひろげて持ち場の手配をはじめた。はじめに呼んだのは自分の息子だった。

呉定縁ごていえん、東水関の扇骨台せんこつだいに行け」

 この指示を聞いて手下たちは一斉に唸った。

 東水関は南京城東南にある唯一の閘門こうもん(水位を調節する堰)埠頭で、南北の商人が集まる繁華の地だ。太子の船は長江から外秦淮に入り、東水関に停泊して、南京百官が埠頭で入城を出迎える。

 この扇骨台は秦淮東岸に隣接し、東水関とは河を隔てて向かいにあった。名こそ風雅だが、じつは禿げあがった小高い丘にすぎず、付近に扇子を作る家があったからこんな名がついているだけだ。あそこはをさえぎる草木に乏しいから昼時に張り番をすれば暑さがこたえる。持ち場のうちじゃ、のハズレくじだ。

 呉不平ごふへいが自分の息子を最悪の場所に割りふったのだから、あとの配置がどうであれ、手下たちは何も言えない。呉定縁ごていえんは集まりの後ろで酒くさいゲップをしただけで、何食わぬ顔をしていた。

 手配が終わると下役たちは自分の持ち場に散っていき、わずかの間にすっかりいなくなった。呉不平ごふへいはやさしい眼で息子を見た。

定縁ていえん、地震で大変だが、この役目からは逃げられん。しばらく我慢しろ」

「地震が怖くて城隍じょうこう(土地神)を祭るなら、人が多くても役には立たねえよな? 幽霊の兵隊でもつけてやらねえと」

 呉定縁ごていえんは肩をすくめて皮肉を言い、それを呉不平ごふへいが真顔で咎めようとする。そこに呉定縁ごていえんが勢いよく詰めよって声を低めた。

「あの郭御史かくぎょし、梁に潰されて死んだわけじゃねえ」

 それを聞いて、呉不平ごふへいは一瞬唖然あぜんとした。呉定縁ごていえんは続ける。

「昨夜の地震は深夜の子時、官服を着て寝る奴なんていねえ」

 この指摘で呉不平ごふへいもはっと悟った。死者のあの身なり、刺繍つきの青いほうは公務の時に着る服、帰宅すれば脱がねばならない。御用の官服を着て寝台に上がるなど、もってのほかだ。呉定縁ごていえんはさらに続ける。

「たまたま見たことがあるんだけど、生きている者が圧死すると血気がまだ動いているから傷口まわりに充血がある。だが、あの割れた頭には充血が見あたらねえ。だから……」

 呉不平ごふへいが後を続けた。「……死後に寝かされたということか?」

「後は任せるぜ。張り番に行く」呉定縁ごていえんはにっと笑い、立ち去ろうとして歩きだしたが、すぐにふり返った。「扇骨台までの道すがら杏花楼きょうかろうを通るんだ。あそこじゃ近ごろ無錫むしゃく蕩口とうこうちんから焼酒しょうしゅ(蒸留酒)を仕入れたんだ」

 みなまで言わせず、呉不平ごふへいは腰の袋から束ねた宝鈔ほうしょう(紙幣)を十貫ばかり取りだし、複雑な表情で息子にわたそうとした。だが、呉定縁ごていえんは受け取らない。「あそこじゃ現物の銀しか受け取らねえ」呉不平ごふへいが銀の小粒をいくつか取りだすと、呉定縁ごていえんは遠慮のそぶりもなくふところに押しこんで悠々と歩きだした。

「すこしは酒をひかえろ。気血をやぶる」と呉不平ごふへいが怒鳴る。

 呉定縁ごていえんはふり返りもせず、右の拳を握って腕を伸ばした。心配無用の合図だ。鉄獅子は息子の後ろ姿を見送ると、首をふって長々と嘆息した。その心に何を心配しているのか。


     ***


「傘をたため!」

 力強い声が東水関の埠頭に響きわたった。その瞬間、繻子しゅすふち取ったの大傘が数十、一糸乱れずにたたまれ、毒々しい日光が色あざやかな朱と紫の間に射しこんだ。

 埠頭に立つ最前列はわずかに二人、その一人はじょうじょう伯の李隆りりゅうで、青で縁取った赤羅の衣裳をつけ、七梁冠(梁は冠の耳、七梁は侯伯を指す)をかぶっている。〝傘をたため!”の一声はこの人物の口から発せられたものだ。その隣に立つのが、言わずと知れた三保太監鄭和ていわ。同じ装束だが、猩々緋しょうじょうひ羽織はおりが多い。この二人はともに永楽朝の老臣であり、現在も南京守備と南京守備太監の地位にあって留都の両巨頭だった。

 二人の背後には十数列にわたって南京高官が並んでいる。雉尾しび金蝉きんせんをつけた冠、雲鳳うんほうの刺繍ににしきくみひも(高官の装飾)、見わたすかぎり黄、緑、赤、紫などの貴色ばかりで眼もくらむほどだ。その外側に大旗、旌旗せいき黄扇こうせん(長柄つきの扇)、金瓜きんか(儀礼用の武器、先がウリ型)などからなる儀仗ぎじょう、それに護衛、楽団、舞団、車馬に御者など、内に三層、外に三層、ぐるりと周囲を取り囲んでいる。さすがの東水関も足の踏み場もないほどだ。

 南京官界の大半がこの場に集まっていた。日頃は一歩外に出れば先触れが大声で道をあけさせ、民の通行をさえぎる高官たちが、この時ばかりは肩と肩を並べてずらりと整列し、身につけた朝服がどれほど暑苦しくても身動き一つしない。壮大な雅楽ががくのなか、全員が直立不動で息をひそめ、近づいてくる船影をじっと見つめている。

 巨大な帆を張って、宝船はまさに飛ぶように埠頭に近づいてくる。

 太子は彩楼の窓から両岸のつつみを見ることができた。堤の高さはそろえてあり、その上には一列の楊柳が植わっている。植えっぱなしの柳は街路のものほど世話をされてはいないが、濃密に茂って、ほとんど隙間なく城壁の下までつづいている。まるで秦淮をふちどる緑の刺繍糸だ。

 長江に程近いそと秦淮しん わいはやや構図に欠けるとはいえ、野趣やしゅがなくもない。これが城内のうち秦淮しんわいともなれば、十里もつづく歌楼や舞台、よいの頃にはかいの音に提灯ちょうちんの影、いっそう風光秀麗と言われる。寒さ厳しく味気ない京城けいじょうと比べれば、まるで仙境だった。

 だが、残念ながら朱瞻基しゅせんきに風景をながめる余裕などない。

 昨晩、また地震があったと知らされたばかりだった。

 これまで留都に地震など起こらなかったが、父皇ふこうの即位以来──とくに遷都せんとの議が起こってから──つづけざまに三十回も地震があった。いつも東宮師傅しふから瑞祥ずいしょうや災異が人の行為と関係するという天人感応てんじんかんのうを教えられている。その説によれば非常識の極致とも言える連続地震は、父皇ふこうの顔を三十回も引っ叩いているも同じだ。

 とくに昨晩の地震は太子が南京に到着する前夜に起こった。これは何を暗示している? まさか父子の徳が帝位にふさわしくないと老天爺ろうてんやが糾弾しているのか?

 じつはとうに答えを見つけていた。ただの偶然にすぎない、くよくよ悩む必要などない。しかし、船が秦淮深くに入ると、柳を植えた堤に点々と民家が現れ、まるで色彩を塗った絵に墨をたらしたように、その三分の一は倒壊して瓦礫となっていた。この墨が眼に入るたびに朱瞻基しゅせんきの心にたきぎを一本くべる。

 朱瞻基しゅせんきは落ち着きのない性格のせいか、陰日向で〝人君らしからぬ”と批評された。こんな無形の圧力が蓄積すると、喉に魚の骨が刺さったように感じて、そんな時は虫を闘わせて気をまぎらわすしかない。南京に到着するまでにもう一度地震が来るとは予想外で、老天爺が自分も叱責しているかのように思い、憂悶はまたいくらか重くなった。

「千歳爺、もうすぐ着きまする。わたくしめが御手伝い致しますので、曳撒えいさん(交領長袖の長衣で下部は側面に襞がある)を御脱ぎになってほうべん(飾りつきの冠)に御召おめしかえください」

 そう言って、老宦官は満面に笑みをたたえた。背後に侍女が二人ひかえていて、一人は蟠龍ばんりゅうほう、もう一人は翼善よくぜんの冠を捧げ持っている。それを無視して朱瞻基しゅせんきは蟋蟀の罐を懐にかかえ、ぼうっと外を見ていた。

 恐る恐る老宦官が催促をする。その途端、だしぬけに朱瞻基しゅせんきの怒りがみなぎり、鼓罐こかんを思い切り床に叩きつけると、「バン!」という音とともにそれは粉々に砕けた。侍女たちが叫び声をあげ、手にした衣冠をあやうく取り落としそうになる。

 自由を取りもどした蟋蟀は床でヒゲを揺らしていたが、状況をよく分かっていないようだ。老宦官がすぐに跪いて、丸々と太った指でつかまえようとするが、これに驚いた蟋蟀は猛然とひと跳び、窓の格子こうしをすりぬけて彩楼から飛びだしていった。

 朱瞻基しゅせんき呆気あっけにとられ、顔をくもらせて外に出ていこうとする。老宦官があわてて袖をとらえる。

「どちらに行かれるのです?」

賽子龍さいしりゅうをつれもどしに行く!」

 老宦官は驚いた。

「ですが、もう東水関に着きまする」

「ゆえに、すぐに探さねばならん! 船が土にふれれば逃げてしまう!」

「では、わたくしめが利口な僕童ぼくどうを遣わしましょう」

 老宦官はまだはばもうとしていた。朱瞻基しゅせんきはイライラと脚を踏みならす。

「下らぬことを言いおるイヌブタめ、この薄鈍うすのろ、お前など信じられぬ!」

「百官が勢ぞろいして御出迎えですのに、たかが蟋蟀ごとき……」

 その一言で朱瞻基しゅせんきの心に名状しがたい炎が燃えあがり、眼が凶暴な色を帯びた。

「あの者共を少し待たせるくらいがどうした? わたしが南京につかねば何もできぬわけではあるまい!」老宦官はこの怒りに驚いて、びくっと体を震わせると、もう阻もうとしなかった。それを太子は鼻で笑うと、袖を払って部屋を飛びだしていく。

 この時、東宮師傅しふはみな儀式の点検に余念がなく、彩楼の上で起こった一幕を知るよしもなかった。あらい息づかいで太子は階段を降り、忙しく立ち働く船夫たちの間をすりぬけ、彩楼に近い甲板まで来た。

 そこは窓から飛びだした賽子龍さいしりゅうが一番居そうな場所だった。朱瞻基しゅせんきはまず深く息を吸い、胸に燃える怒りの炎を押さえつけると、腰を曲げて熱心に探しはじめた。まるで賽子龍さいしりゅうが見つかりさえすれば心の安定を取り戻せるとでも思っているように。しばらく周辺を探してみて、蟋蟀が乾燥した場所を好むと思い出した。ここの湿気はひどい。きっと船尾の方に跳ねていったにちがいない。前回逃げ出した時と同じだ。

 しょうけい(金属と石の打楽器)を打ち鳴らす雅楽が がくの音が聞こえてきた。朱瞻基しゅせんきが腰を伸ばすと、もう埠頭の上空に翩々へんぺんとはためく五色の旌旗せいきと鱗のように並んだ傘がぼんやりと見えた。

 ゆっくりと宝船は帆綱を巻き取り、舷側に並んだ八十対のかいで低速に抑えつつ最後の望水楼を通過した。それを見て、物見台にいる見張りが飛龍旗を振り、宝船が間もなく到着することを告げる。

 のこされた時間は少ない。太子は唇をかむと後には引けぬ覚悟で船尾へ走った。

 時を同じくして袴の裾をまくり上げた裸足が一つ、宝船内部の梯子はし ごを踏んでいた。分厚いたこが横木にあたり、ほとんど音もしない。もう一方の足がすぐに下の段を踏むが、爪先つまさきをかけただけで足の裏は大半を空中に残している。これは船夫たちが緊急時に使う梯子の踏みかただ。通常よりもだいぶ速い。

 両足が交互に降りて音もなく梯子を下る。頭にあやぎぬを巻いた船夫は、ふたたび船底の部屋の前に立っていた。

 船底は依然として迫ってくるような漆黒だが、外の喧騒が壁を通してかすかに聞こえ、船が東水関に接近したことを知らせていた。船夫は中腰になり、ふところから火折子かせきし(携帯用火種)の竹筒を取り出して、栓をぬいて短く息を吹き込むと、たちまち小さな炎がゆらめいた。船底の湿った空気がその微光を滲ませ、船夫の影が壁にゆらめく。まるで禍々しい魂魄こんぱくが墓石の隙間からぬけ出てきたようだ。

 この光で、きちんと積みあげた大石の底荷が見えた。その巨体は仕切り部屋のほとんどを占め、底荷の上には濡れて黒ずんだ藁が隙間なくかぶせてあった。

 外の喧騒がさらに大きくなり、船夫は火折子を持ったまま、ゆっくりと歩いてゆく。そして、腕が伸びて、さっと藁の一部を取りのけた……


     ***


 ふくべの栓をひねり、呉定縁ごていえんは口に酒を流しこんだ。辛口の液体が胃袋に入ると、ブルブルと全身に震えが走る。

 太陽がやけに毒々しい。湿気が水面から細かなすじとなって立ちのぼり、河原から扇骨台まで充満している。坂の上はまるで巨大な蒸籠せいろだ。張り番についていると、灼熱に焼かれた牛毛のような細い針がころもを突きやぶり、肌をチクチクと刺すような感じがした。新しい酒でもなければやっていられない。

 酒は問題を解決しないが、少なくとも問題を考える者を遅鈍ちどんにすることはできる。これは呉定縁ごていえんの経験から言えることだった。

 しょうけいで奏でられる雅楽が、かすかに河面から聞こえてくる。ふと、呉定縁ごていえんふくべを置き、眼の前の光景に見入った。ちょうど黒と紅の巨船が扇骨台を荘厳に通過していくところだった。

 なんと巨大な船だ。その莫迦げた図体ずうたいは河面のほとんど半分を占め、舷側げんそくは高々とそびえ、二本の帆柱は競うようにそそり立っている。まるで愚公ぐこうが山を移すのを知った天帝が夸娥こが氏の子に太行山たいこうさんを背負わせたようだ。(『列子』湯問)

 この大山が崩れてきて、自分を粉微塵みじんに砕いてしまうように思い、呉定縁ごていえんは無意識に数歩退いた。船を見あげると、船尾に人影が見えた。四つん這いで何かを探している。

 一瞬、二人の視線が合った。その時、まるで細い針をこめかみに刺しこまれたように呉定縁ごていえんの頭に痛みが走った。

 どういう事情か分からないが、人影は何かをつかまえて走り去っていったようだ。船はゆっくりと扇骨台を離れて埠頭へ向かう。呉定縁ごていえんは頭皮をもみ、ふくべをひねって酒をふくんだ。

 その辛味も喉にひろがらぬうちに、艶美にして壮麗な情景が眼に入った。

 仏教の〝刹那”によって、この瞬間を分割するなら、呉定縁ごていえんが見た場面は次のようになる。

 第一の刹那、宝船の喫水線中段の壁が外に向かって湾曲した。船腹は息を吹きこんだように膨れ、ミシミシという悲鳴とともにゆがんで、引きしぼった弓のようになった。

 第二の刹那、板材の湾曲が限界に達し、磁器の表面にできるひびのように無数の小さな亀裂が走り、たちまち船腹全体に広がっていく。構造を固定している折れ釘、ヘラ釘、かすがいなどが圧力を受けきれずに次々に飛びだしてくる。

 第三の刹那、束縛を失った力が船内から急速にあふれだし、深紅の力が際立ってくる。それは伝説にいう燧人すいじん氏の心血、祝融しゅくゆう神器じんぎ閼伯あっぱくの憤怒(いずれも火神)、すなわち灼熱無比の火炎だ。この力は漕ぎ口から噴出して右舷四十対の櫂は秩序を失った。その一部は猛然と前を向き、一部は高々と跳ねあがり、のこりは慣性にしたがって後ろを向く。

 第四の刹那、船腹は完全に裂けた。それでも火炎の怒気をおさめるには十分でない。狂暴な火炎が船底から起ちあがって天をく。これによって竜骨りゅうこつ中軸、翼梁よくりょう中舷ちゅうげんが撃砕された。帆柱も傾き、櫂も折れる。中央部が限界まで持ちあがり、船首と船尾が同時に沈みこむ。まるで朱色の巨大な手が強引に船をへし折ろうとしているようだ。

 第五の刹那、宝船が中央から裂けて前後に分断された。華麗な彩楼は突如、よって立つ基礎を失い、まず後ろに傾いたが、沈みこむ前半部に引きずられて戻ってきた。こうしてゆれ動く間に火炎がよじのぼってきて、木造の彩楼は燃えあがる松明たいまつとなり、焼け焦げた人影がバラバラと落ちてくる。

 第五の刹那が過ぎさると、岸に立っていた呉定縁ごていえんは一陣の強風を鼻先に感じた。瞳孔が急速に収縮し、極度の緊迫感が気落ちしていた表情を吹き飛ばした。

 その一瞬で呉定縁ごていえんは真っ白な痴呆ちほう状態になり、全世界がり固まったように感じた。ただ眼の前の艶麗にして残虐な炎だけが舞踏をやめない。それは鋭い長矛ながほこのように頭蓋をつらぬき、時ならぬ癲癇てんかんの発作が襲ってきた。

 呉定縁ごていえん痙攣けいれんしながら背後に反りかえった。そこに強烈無比な衝撃波がすさまじい速さで襲ってきて、体を思いっきり地面に叩きつける。腰にさげたふくべがポンという音とともに破裂し、半分残っていた酒はこぼれ、砂地にすばやく吸いこまれる。

 それは名状しがたい奇怪な絵だった。体の麻痺まひした男が一人、まるで妖怪にたたられたように黄褐色の河岸で四肢を舞わせ、白眼をいている。その傍らを流れる大河では黒と紅の巨船がもうもうと燃えあがり、紺碧の水にゆっくりと呑まれていく。

 痙攣はしばらく続いたが、ゆっくりと収まってきた。呉定縁ごていえんが砂地で身を起こすと、口角からよだれがダラダラと流れ、全身は汗でぐっしょりと濡れていた。癲癇の発作がおさまると、恐るべき光景が再び脳裏に浮かんだ。

 太子の宝船が……爆発した?

 ここに考えが及ぶと、涎をふこうともせず、必死に起ち上がった。視力と聴力はまだ完全には回復していないが、硝煙しょうえんの臭いが鼻をついた。その刺激が直接に結論をみちびく。

 火薬が爆発したのか?

 五つの刹那に宝船を破壊できる手段といえば、地震をのぞけば船倉に保管してある大量の火薬によるしかない。以前、南京で柏川はくせんきょうの外にあった火薬庫が爆発し、数里内の家屋がなぎ倒された。あの現場のにおいと全く同じだ。

 だが、あれは太子の乗っている宝船、それほど大量の火薬を積んでいるものだろうか?

 視力がゆっくりと回復してきて、眼の前にひろがる光景は再び鮮明になった。秦淮の河面にはまだ両断された船首と船尾が残っている。二つとも高く跳ねあがって水面との角度が大きくなり、直立に近づいていく。間もなく水中に完全に消えるだろう。中央部と彩楼は一歩先に水底に沈んでいた。大量の衣服、帆布はんぷ、いくつにもへし折れた帆柱が水面に浮き、河面をほとんど覆いつくしている。

 誰もいない。

 これほどの規模の爆発、助かった者などいるはずもない。

 耳鳴りが収まるにつれて音が聞こえてきた。埠頭から聞こえていた雅楽はやみ、かすかに泣き叫ぶ声が聞こえてきた。爆発は東水関にも及んだらしい。あそこは宝船から近く、人も密集していたはず、恐怖の光景は扇骨台より十倍も凄まじかっただろう。

 こんな凄絶な大事件に直面して、だらしない態度だった呉定縁ごていえんも心の底から震撼し、茫然としていた。ぼんやりと河面を見回すと、はるか遠くの水面に黒い点が見えた。必死にもがいているようだ。

 呉定縁ごていえんはやや躊躇ちゅうちょしたが、それでも音をたてて河に飛びこむ。水は慣れたものだ。何度か抜き手を切り、黒い点の近くに泳ぎつく。溺れている者はまともに助けようとしてはならない。付近に浮かんでいた板切れを引きよせ、相手がじのぼるのを確認して一方の端を引いて岸に泳いだ。

 のめりこむように二人は岸にあがり、呉定縁ごていえんは身をよじって、幸運な奴をながめた。

 若い男で、顔は真っ黒、髪は半分以上焼け、衣服も焦げ跡だらけ、やっとボロボロの短い曳撒えいさんだとわかる。この男は岸に着くや否や、這いつくばって死ぬほど嘔吐し、鼻を刺すような酸っぱいにおいを発する反吐へどを山ほど吐きだした。

 息を整え、開口一番、呉定縁ごていえんは男の身分を問いただした。だが、この若い男は口を開いても〝あ、あ”という音を出すだけだ。どうやら爆発で声帯が麻痺してしまったらしい。手ぬぐいを出して河の水で湿らせ、顔をふいてやった。そうしてふいていると突然、こめかみに刺すような痛みが走り、意識が遠のきそうになる。

 あやうくまた癲癇の発作を起こすところだった。

 呉定縁ごていえんは眉間にしわをよせ、もう一度この男の顔をよく観察した。四角い顔、まっすぐな鼻、それに恐怖に見開いた眼……その顔を見ていると、また頭痛が襲ってくる……一体どうした? 見た覚えなどない顔なのに……

 いや、見たことがある!

 突然の痛みで呉定縁ごていえんは気がついた。宝船が扇骨台を通過した時、見上げた船にこの顔が見えた。二人は眼が合って、こいつはすぐに船尾に姿を消した。船尾は爆発の影響が最もおそい。水中に吹き飛ばされて九死に一生を得たのだろう。

 頭が少しずつはっきりしてくると、呉定縁ごていえんはさらに観察した。

 こいつの曳撒えいさん州(浙江省)のあや織りだから、船夫のたぐいではなく、護衛や僕童ぼくどうでもない。船での地位は低くないはず。宝船が埠頭に到着するという時、道理から言えば誰もが船の前方で太子の下船に備えていたはず。それがなぜ人気ひと けの少ない船尾にいた? しかも爆発の直前に?

 まさか……逃げようとしていたのか?

 そう言えば、さっき板切れにじのぼった時も左手と右腕を使っていた。右手は今もしっかり握って、拳をひらきもしない。右腕を引っぱってみたが、男は何かしわがれた叫びを発して、見せようともしない。呉定縁ごていえんは鉄尺をぬき、男の肘にこつんと一撃を加えてやった。みじめな声をあげ、五指がゆるんで、一匹の蟋蟀がてのひらから砂地に跳びだした。

 あっけにとられて呉定縁ごていえんは一歩退いた。その時、靴底でぷちっという音がして、蟋蟀だった液体が四方に飛び散った。うお! と男は悲鳴をあげ、どこからそんな力が湧いたのか、怒りにまかせて突っかかってきた。呉定縁ごていえんは憎らし気に片足を跳ねあげ、鳩尾みぞおちに蹴りをいれて土に転がした。そして、腰に下げた牛筋ぎゅうきんの紐を取りだすと、てきぱきと男の両腕を後ろ手に縛りあげた。

 男は必死に抵抗した。その表情は憤怒の極みだった。たぶんめちゃくちゃに騒ぐだろう。呉定縁ごていえんはついでに麻核まかく(クルミ大の麻のさね)を取りだし、男の口に押しこんだ。これでもう、うーうーといううめきしか聞こえなくなった。男の顔をもう一度よく見ると、やはり頭痛がする。呉定縁ごていえんふくべを入れておいた布袋を腰からはずし、縫い目を解いて遠慮なく男の頭にかぶせた。

 もう顔が見えないから頭痛もしない。

 こうして面倒をひとつ解決すると、呉定縁ごていえん秦淮しん わいの対岸をながめた。埠頭では大勢が走りまわり、泣き叫ぶ声は天をふるわせている。大量の旗が東に倒れ、西に傾き、まったく鍋で煮えるかゆのような大混乱だ。南京官員が埠頭に勢ぞろいし、儀式の人員や楽団、護衛や見物の庶民まで集まっていたのだ。その群衆が至近距離で爆発を受けたのだから負傷者や死者もきっと相当な数にのぼるはずだった。

 埠頭でさえこの状態なら、船にいた太子や東宮とうぐう付きの者はとうに粉微塵こなみじんとなっているにちがいない。

 呉定縁ごていえんの表情が険しくなる。これは明朝みんちょうはじまって以来の大惨事だ。これから南京、南直隷、そして朝廷がどれほど震撼するか、想像にあまりある。呉定縁ごていえんは男を見下ろした。こいつは唯一の生き残りだ。この第一級事件を調べる唯一の手掛かりかも知れねえ。

 当面の仕事はこの犯人をできるだけ早く親父のところに連行することだ。応天府総捕頭の呉不平ごふへいは遅かれ早かれ事件を調べることになる。はやく犯人を送り届ければ、それだけ事件の解決も早い。早く事件を解決すれば褒美も多いというわけだ。

 そう考えて呉定縁ごていえんは男を引き起こし、扇骨台の下に突き飛ばしながら歩きだした。男は抵抗したが、呉定縁ごていえんすねを蹴りまくるので、よろめきながら歩くしかない。

 扇骨台を下り、押したり突き飛ばしたりしながら、二人は岸に沿ってまっすぐ北へ歩いた。だが、半里も行かぬうちに呉定縁ごていえんは紐を強く引いて、歩みを停めた。正面から兵が二人歩いてくる。一人は背が高く、一人は低い。青ふち小袍しょうほうの下に鎖帷子くさりか たびらを着こんでいる。腰には雁翎がんれいとう(先端が反っている刀)を白い平紐でさげ、留守左衛の旗兵きへい(南京守備兵、衛は五千六百人の兵の集団)のように見えた。

 今度の太子入城では各署の守備担当が犬の歯のように入り組んでいるから、ここに旗兵が現れても不思議ではない。だが、呉定縁ごていえんの心には疑惑がひろがっていた。大爆発があったばかりなのに二人は狼狽ろうばいするどころか、周囲で何かを探しているようだ。

 二人もこちらに気づき、停まれと鋭く命じた。呉定縁ごていえん錫牌すずはいを見せる。

「応天府快班かいはんの御用だ」

 背の高い方がたじろいだが、すぐに笑顔を見せてきょうしゅをした。

鉄獅子てつししの公子と御見受けするが?」

 背の低い方がそれを聞いて、眼にかすかな軽侮けいぶの色を浮かべた。〝ひごさお”のあだを聞いたことがあるようだ。

 呉定縁ごていえんの声と表情に動揺はない。一礼を返して言う。

「犯人を護送して役所に帰る。同行はできねえ。許してくれ」

 話しこみたくはなかったが、二人はゆっくりと歩みよってきた。背の高い方が言う。

「先ほど何か爆発音が聞こえましてね。公子はそちらから来られた。ちょっとオレたちにも犯人を見せてくれませんか?」

 相手はそう言いながら、呉定縁ごていえんの左にすり寄ってきた。背の低い相棒が犯人の頭にかぶせた袋をぎ取ろうとする。その瞬間、呉定縁ごていえんの鋭い眼光が閃き、ひそかに握っていた鉄尺が袋にかけた手首を打つ。

 これは警告でもあり、探りでもある。

 もし手柄を横取りする気なら、鉄尺が面倒な相手だと思い知らせてやる。もし……呉定縁ごていえんは仮定を続けることはできなかった。雪のように輝く白刃はくじんが左から肋《あばら》を刺しに来たからだ。

――続く

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【書誌情報】

タイトル:両京十五日 Ⅰ・Ⅱ
著者:馬 伯庸
訳者:齊藤正高・泊 功
ハヤカワ・ミステリ

『両京十五日Ⅰ 凶兆篇』 2024年2月16日発売 本体価格:2.300円 ISBN:9784-15-002000-2
『両京十五日Ⅱ 天命篇』 2024年3月上旬発売 本体予価:2,200円
ISBN:9784-15-002001-9