失意の探偵が、起死回生の勝負に打ってでる――。原尞氏推薦。ウォルター・モズリイ『流れは、いつか海へと』の魅力とは。
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アメリカの探偵小説界の巨匠、ウォルター・モズリイ。本年度のアメリカ探偵作家クラブ賞の最優秀長篇賞に輝いた『流れは、いつか海へと』はクラシックな探偵小説であり、胸が熱くなるひとりの人間の物語だ。
「これが、人生を描くということだ」――そう原尞氏も推薦コメントを寄せている本書の魅力とは? 田村義進氏による訳者あとがきを公開する。
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1991年、『ブルー・ドレスの女』(早川書房)でアメリカ私立探偵作家クラブ賞と英国推理作家協会賞をダブル受賞し、鮮烈なデビューを果たした作家が、28年の歳月を経て、2019年、本書『流れは、いつか海へと』でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞を受賞し、ふたたびアメリカの推理小説界をざわつかせることになった。
『ブルー・ドレスの女』の主人公は、残業を拒否して解雇され、マイホームのローンを払えなくなった冴えない元機械工であったが、ヘタレ度では本書の主人公も負けていない。いとも簡単にハニー・トラップにひっかかってレイプ犯扱いされ、妻に見捨てられ、警察を馘になった情けない男だ。 舞台は1948年のロサンゼルスから、本作では現代のニューヨークに移っている。
主人公の名前はジョー・キング・オリヴァー。父親が蔑称になりにくいと思ってつけたとも、ルイ・アームストロングの師として知られるコルネット奏者にちなんでつけたともいわれている。黒人。十数年前まではニューヨーク市警の刑事として鳴らしていたが、いまは細々と私立探偵業を営んでいる。
キャリアもプライドも失い、失意と傷心のうちに漫然と日を重ねているだけの暮らし。そんななかで、ただひとつの慰めであり、希望であり、生きがいが、一人娘のエイジア゠デニスだ。まだ高校生だが、アシスタントとして、学校がひけてからオフィスに来て、父親の仕事を手伝っている。
オフィスはブルックリンのモンタギュー通り(シャーロック・ホームズが私立探偵業を開始した通りの名前でもある)にある。いつものようにそこの窓から通りをぼんやり眺めながら、十数年前の苦々しい出来事のことを考えていたとき、ひとりの女性から手紙が届き、その直後に別のもうひとりの女性から仕事の依頼があった。
手紙の差出人は、十数年前にハニー・トラップを仕掛け、その後消息を絶っていた女性だった。
仕事の依頼人は、人権派の弁護士事務所に勤務する若い女性で、警官を殺して死刑を宣告された黒人男性の無実を証明してもらいたいとのことだった。その男はA・フリー・マンと名乗る、地域の急進的な活動家で、依頼人は面会を重ねるうちに心を寄せるようになったらしい。
このふたつの事案に、直接的なつながりはないが、共通点はある。どちらも裏に卑劣な陰謀が張りめぐらされているように思えることだ。行く手には権力という大きな壁が立ちふさがっている。身の破滅を覚悟して前へ突き進むのか、これまでどおり世を倦み、自分の殻に閉じこもりつづけるのか。
敵は圧倒的に強い。だが、味方になってくれる者も、少ないが、いる。公私にわたって世話を焼き、面倒を見てくれる親友の刑事、グラッドストーン。いつでも無償で性的サービスを提供してくれる元娼婦。悪魔を意味する名前を持つ凶悪犯で、いまは時計職人のメルカルト・フロスト。90歳を超えても矍鑠とし、乙女のような恋をする祖母。世界中に銀山を持ち、功なり名とげてもなお山師かたぎが抜けない大富豪……
主人公が調査の過程で出くわす者はめまいがするほど多い。巨大都市ニューヨークの片隅でうごめく、いかがわしさ満載の男や女。そして、法の両側で跋扈する有象無象の悪党ども……
数多くの登場人物、盛りだくさんなサブプロットやエピソード。そして、ノワールの色濃い、だがどこかオプティミスティックなストーリー。
道を踏みはずし、陋巷に朽ちかけていた中年男は、起死回生の勝負に打ってでる。元警察官としてのプライドをかけ、失われた名誉を取りもどすために。
みずからの人生を破滅に導いた罠と、A・フリー・マンの冤罪事件。そのふたつをメイン・テーマとするストーリーは、河がいくつもの細流れを集めて海に向かうように、大勢のひとの怒りや悲しみを呑みこみながら、最初はゆっくり、次第に速度をあげながら、大方の読者の予想を裏切るであろう結末に向けて進んでいく。
流れは、いつか海へ。
原題は“Down the River Unto the Sea”。直訳すれば、”河を下って海へ”だが、これと似たような言葉に“Sell Down the River”というのがある。裏切る、見捨てる、欺くといった意味の成句だ。昔、ミシシッピ上流域の農場主が、下流のニューオーリンズにはもっと楽な仕事があると偽って、不要になった奴隷を売りとばしていたことが語源らしい。もうひとつは、“Across the River and into the Trees”。これは南北戦争の南軍司令官ロバート・リー将軍が戦闘のさなかにしばしば口にしたとされる言葉で、全力を尽くして目前の困難を乗り越えると、そのあとには川岸に木立の陰の安息が待っているという思いを表白したものだという。なお、ヘミングウェイの作品にも同タイトルの小説(『河を渡つて木立の中へ』)がある。
次に本書の献辞にも触れておこう。そこには3つのファーストネームが掲げられている。マルコムとメドガーとマーティンーーおそらくだが、それはマルコムX、メドガー・エヴァース、マーティン・ルーサー・キングの3人と思われる。いずれも人種差別と闘い、公民権運動を指導し、30代の終わり、志なかばにして凶弾に斃れたブラザーたちだ。
作家がその闘いに支持と共感を表明する人物はもうひとりいる。作中のA・フリー・マンのモデルになった人物だ。これは作家本人も認めているところで、名前はムミア・アブ゠ジャマールという。かつてブラックパンサーの活動家だったジャーナリストで、1981年、警察官を殺害したとして逮捕され、死刑判決を受けた。しかしながら、その根拠となった証言や証拠はでっちあげられたものである可能性が高く、裁判も露骨に人種差別的で杜撰きわまりないものだった。そのために抗議運動が全米各地で展開され、おかげで死刑はなんとか破棄されるに至ったが、有罪判決自体は維持されたため、身柄はいまなお獄中にある。
もちろん、権力に反旗をひるがえして、不当に投獄されたり、殺害されたりした者は、ほかにも大勢いる。丸腰の一般市民が、黒人というだけで、警察から難癖をつけられたり、暴行を受けたり、撃ち殺されたりする例もあとを絶たない。
本書の主人公ジョー・キング・オリヴァーは、白人の客しかいない場末のバーで、彼らの敵意に満ちた視線を背中に感じながら、ひとりごちる――アメリカは変わりつつある。強風のなかを進むカタツムリの速度で。だが、その軟体動物が目的地にたどり着くまでは、ポケットに四五口径を忍ばせ、たえずあらゆる方向に目を配っていなければならない。
そして、彼は強風のなかを突き進む。高い壁に向かって。不正に膝を屈さず、失われたみずからの尊厳を回復するために。たとえその行く手にどのような困難が待ちかまえていようと。敵がどんな大きな力を有していようと。
最後に著者ウォルター・モズリイについて一言。
1952年1月生まれ。母はユダヤ系のロシア移民、父はアフリカ系アメリカ人。生誕地はロサンゼルス、黒人が住民の99パーセントを占めるワッツ地区。
そのワッツ地区で、人種差別への怒りから大暴動が発生したのは、1965年の暑い夏の日のことだ。同地区のメインストリートに数千とも数万ともいわれる黒人たちが集まり、白人の車を襲い、商店を略奪し、鎮圧に乗りだした警官隊と激しく衝突。最終的に死者34名、負傷者1032名、逮捕者約4000名を出した。
当時、モズリイは12歳。暴動の現場をもっとも荒れた地域で目撃している。
そして、後年(2015年)、インタビューに答えてその事件のことを次のように語っている。「人々は五百年の抑圧に耐えられなくなっていた。そこに暴動が起きた。それは五日間でアメリカを根本から変えた。まったく驚くべきことだ……たしかにコミュニティは傷ついた。だが、焼きうちにあった店はすべて白人が所有していたものだ。彼らはアメリカ全土に大きな変化をもたらす道を切り開いた。そのとき失われたものがなんであれ、われわれはもっと多くのものを得たと信じている」
そして激動の60年代後半。ワッツの衝撃は全国に広まり、公民権運動やヴェトナム反戦運動の高まりとなり、闘いの舞台にブラックパンサーを登場させ、同時にアメリカの既存の価値観を根底から覆すカウンター・カルチャーを花開かせた。ヒッピー、ドラッグ、セックス革命、ウッドストック、その黒人版であるワッツタックス……
若き日のモズリイも髪を長くのばし、カリフォルニアのサンタクルーズで時代の空気を胸いっぱいに吸い、ヨーロッパをさまよい歩いていたという。
その後、ヴァーモント州のゴダード大学教養学部に入学、ジョンストン州立大学で政治学の博士号を取得。
1981年にはニューヨークへ居を移し、モービル・オイルで働きながら、ハーレムのシティ・カレッジでライティング・コースを受講。そのとき、そこで講師をしていたアイルランドの小説家エドナ・オブライエンから、”あなたは黒人で、ユダヤ人で、貧しい家庭で育った。それはあなたの財産なのよ”というエールを送られたという。
小説を書きはじめたのは34歳のときで、それから三十数年、ほぼ毎日書きつづけ、現在までにミステリやSF、ヤングアダルト、ノンフィクションなど多岐にわたるジャンルで40以上の著作がある。
『流れは、いつか海へと』
ウォルター・モズリイ
田村義進訳
ハヤカワ・ミステリ