悲劇喜劇2018年9月号表紙

悪女を知りつくしたフランス文学者が語る「タカラヅカの魅惑」(悲劇喜劇9月号)


早川書房の演劇雑誌「悲劇喜劇」9月号(8月7日発売)では、宝塚歌劇団を大特集。創立100周年を過ぎて、歌舞伎とならぶ日本独自のパフォーミング・アーツになりつつある宝塚歌劇の魅力に迫ります。
『最強の女』『悪女入門』など、ファム・ファタルに関する著作多数のフランス文学者、鹿島茂が語るタカラヅカの魔力とは?エッセイを全文公開!

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騙されたと思って、一度、観てみたら?  鹿島茂(フランス文学)

 宝塚歌劇団を創った小林一三の伝記を書くことになったので、これはなんとしてもタカラヅカを見ておく必要があるだろうと思い立って、本拠地である宝塚大劇場に雪組公演『星逢一夜』と『ラ エスメラルダ』を真夏の最中に見に行ったのが三年前の八月のこと。東京宝塚劇場ではなく、わざわざ東京から宝塚大劇場まで足を運んだのは、前任校である共立女子大の演劇コースの先生から「タカラヅカを観るんだったら、宝塚大劇場じゃなきゃダメだよ。駅から大劇場まで歩いて《前味》を味わう必要があるからね」と言われていたので、タカラヅカ初体験とあらば、これはなんとしても宝塚大劇場でなければいけないと思いこんだのである。
 しかし、その割にタカラヅカ初体験が遅れたのは、やはり強い偏見が働いていたからとしかいいようがない。そう、タカラヅカへの偏見はかくも強かったのである。
 ではタカラヅカへの偏見とはいったいなんであったのか? 基本的にはジェンダーの問題であった。女が、しかも、一種独特の(つまりタカラヅカ・メイクを施した)女がオーバー・アクトで男を演じるミュージカルを見ておもしろいのだろうかという、男ならだれしもが感じる疑問があったのだ。
 では、タカラヅカ初体験はどうだったのかというと、もっと早く観ていればよかった、人生がもっと楽しくなったのに、というものだった。いや、ほんと、タカラヅカは楽しいですよ。男にとっても。しからば、なにゆえにタカラヅカは楽しいのか?
 それはタカラヅカが等比級数的なジェンダー変容の世界だからである。タカラヅカにおいて、男役は四倍、いや八倍くらい男になる。同じように、女役も二倍女になるが、現実に女であるという制約があるからこれが限度だ。女役は等差級数なのだ。対するに、男役は、現実に男ではないがゆえに、タカラヅカが要求するスーパー男に容易に変身できる。二倍、四倍アタリマエ、優れた男役なら八倍、十六倍にだって変容できるのだ。タカラヅカとは、この男役の等比級数的倍率変容を楽しむ超越的幻想世界にほかならない。
 とはいえ、誤解が生じるといけないのであらかじめここでひとこと断っておくと、倍率変容のもとになるアーキタイプの男役というのもまた現実の男とは関係がない。たとえ、一倍の男役(具体的にいったら女子校の文化祭で『ベルサイユのばら』のオスカルを演じる女子生徒)であっても、それは男が思い浮かべる男ではない。あくまで女が考える男、しいて言えば、十分に理想化された男なのであって現実の男とはまったく無縁である。というよりも一倍の男役でさえも幻想空間に属する男であることが肝要なのだ。なぜなら、幻想の男になっていないと倍率変容ができないからである。倍率変容は、男役は幻想の男であるという約束(より正確には契約といったほうがいい)が成り立って初めて発動される仕組みになっているのだ。
 この意味で、タカラヅカのポスターというのは、ある種の契約書のようなものである。契約書の第一条に「〈あなた〉は、ここがジェンダー的幻想空間であることを認めることとする」と書かれている暗黙の契約書なのである。タカラヅカの男役のメイクと衣装は「ここは幻想世界ですから、その点を理解しない人は近づかないでください」というメッセージにほかならない。
 だから、この契約書に同意できないと感じる人はいつまでたっても押印を拒否することになる。女が演じる男を見て、どこがおもしろいんだと感じるような人には、契約にハンは押せない。つまりタカラヅカには入れないのである。
 だが、男であっても、なにかのきっかけでタカラヅカの暗黙の契約書の言わんとするところを理解した私のようなものには、タカラヅカはその絢爛たる倍率変容の幻想世界の扉を開いてくれる。
 ただし、その変容がどれくらいの倍率になるかは、それぞれ組のトップスターの力量と演目、そして作・演出にかかっている。
 幸いなことに、私が最初に見た雪組の『星逢一夜』は作・演出が上田久美子さんという大物新人で冴えていたばかりか、トップスターの早霧せいなさんがまことに素晴らしく、一気に倍率十六倍の世界に遊ぶことができた。
 私がタカラヅカはおもしろいと言い張ったおかげか、契約書になかなか同意できなかったうちの奥さんもいまではタカラヅカの魅力に取りつかれ、全公演を観たいというほどになっている。
 もちろん、幻想契約が無理な人もいる。だが、偏見なくタカラヅカを観たら、うん、おもしろいじゃないか、と契約に踏み切る人は少なくないような気がする。というわけで、結論はこうなるようだ。
 騙されたと思って、一度、観てみたら? (悲劇喜劇9月号より


鹿島茂(かしま・しげる)フランス文学。明治大学国際日本学部教授。1949年神奈川県生まれ。91年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、00年『パリ風俗』で読売文学賞を受賞。近著に『ドーダの人、小林秀雄』『ドーダの人、森鷗外』『神田神保町書肆街考』『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』など。

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