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2月16日発売『あのこは美人』(フランシス・チャ/北田絵里子訳)の訳者あとがきを特別公開!

早川書房では、2月16日水曜日に、現代韓国を舞台にルッキズムや生い立ち、経済格差の呪縛に苦しむ女性を描いた小説『あのこは美人』(フランシス・チャ/北田絵里子訳)を発売いたします。本日は、特別に翻訳家の北田絵里子氏による「訳者あとがき」を公開いたします。

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訳者あとがき

 韓国系アメリカ人、フランシス・チャのデビュー長篇小説『あのこは美人』If I Had Your Faceの全訳をお届けする。現代のソウルに生きる、若い韓国人女性四人の日常と生い立ちから、美容整形、階級差、女性蔑視、学歴主義、貧困といった韓国の世相を切りとった作品である。

 まず、ソウルの繁華街にある同じ賃貸アパートで暮らす、四人の語り手をご紹介したい。
 アラは二十代前半の美容師。中学時代からの親友でネイリストのスジンと部屋をシェアしている。郷里にいたころのある事件以来、発話ができなくなり、筆談でコミュニケーションをとっているが、それゆえの仕事のしづらさに悩まされる毎日だ。K‐POPの人気ボーイズグループの推しメンバーを心の糧にしていて、そのファンダムの一員でもある。
 向かいの部屋に住む同い年のキュリは、アラのヘアサロンの常連客で、ルームサロン──ビジネスマンやその商談相手を酒とカラオケでもてなす個室形態のクラブ──に勤めている。美容整形で手に入れた美貌を武器に、業界でも選りすぐりの美女が揃った高級店でエースの地位を得た。シニカルな現実主義者だが、プライベートな関係もある得意客の婚約話を知って、思いのほか動揺する。ルームサロン嬢への転身をもくろむスジンは、キュリに倣って大がかりな整形手術に踏みきろうとしている。
 ミホは、奨学金を受給してニューヨークの芸術大学へ進み、卒業後に帰国した新進アーティスト。孤児院で一緒に育った同い年のスジンの紹介で同アパートに入居し、キュリのルームメイトになった。いまは、忘れがたいひとりの女性をモチーフにした現代アートの創作に没頭している。留学先で出会った韓国の財閥の御曹司と付き合っているが、キャリア面での援助はかたくなに拒んでいる。
 アラたちのすぐ下の階で夫と暮らすウォナは、三十代前半の会社員。子供のころ冷酷な祖母に虐げられていた影響で自己肯定感がきわめて低く、見たところ自由を謳歌している上階の四人をまぶしく眺めている。何度も流産したすえの妊娠を維持することが目下の切なる願いだが、夫婦ふたりでもすでに家計は苦しく、女性が見くだされる職場に絶望してもいる。
 そして、語り手ではないスジンも、周りに少なからぬ影響を及ぼしていて、物語の終盤で隠された一面を見せてくれる。

 境遇はばらばらに見える彼女たちには、みなソウルではなく地方都市の生まれで、韓国の超競争社会において有利になるものを何も持たずに人生を歩みだしたという共通点がある。
 どの人物のエピソードにも、貧困と富裕の対比が大なり小なり描かれている。物惜しみの激しい祖母の家に預けられていた子供時代のウォナは、米国で安楽に暮らしている親戚に羨望を抱く。アラは美容師として細々と自活してはいるものの、郊外に続々と建設されるマンション群を眺めながら、自分には一生縁がないだろうと考える。ニューヨークへ渡ったミホは、奨学生の自分とは世界がちがいすぎる、リッチな韓国人留学生たちの派手な暮らしぶりに圧倒される(ただそこには、享楽的に生きる彼らが抱えた虚無も見え隠れしているのだが)。そしてキュリは、早くから冷静に将来を見据え、高収入を得るための足がかりとして、つらいダウンタイムをともなう美容整形を繰り返してきた。
 昨今では、女性のおよそ三人にひとりが三十歳までになんらかの整形手術を受けると言われる韓国。美しさの基準と美容に対する意識が信じがたいほど高く、容姿に気を配ること、メイクを含め、身なりを整えて人と接することが求められる文化もある。加えて、高学歴化が進み、名門大学卒でも就職の困難な世のなかでは、学力や縁故に恵まれていなかった場合、整形手術で飛び抜けた容姿を得るのも、チャンスをつかむためのひとつの手立てになる。こうした背景を知っていても、キュリやスジンが人生を賭けて選んだその手段はあまりに極端だと言えるのか。強い意志をもって美を追求する人はどれだけ自信を培えるものか。美しい顔さえ手に入ればうまく生きていけるといった考えが、いかに危ういか。ここで言う〝美しさ〟は、人それぞれが求める別の何かにも置換しうる。著者が探究を試みたこのテーマには、普遍性も見てとれそうだ。また、キュリとは対照的に、生まれもった美貌にまるで無関心だったミホは、ある転機に立ったとき、外見を磨くことをポジティヴにとらえはじめる。美容、ひいては美容業界に関しても、批判に寄った書き方はせず、一面的でない見方とリアルな実態を示そうとする著者の姿勢がうかがえる。
 著者はまた、四人それぞれが持つ意外性をうまくストーリーにちりばめていて、読者をまったく飽きさせない。哀感に満ちた心のつぶやきからは想像もつかない行動に出るアラに驚かされたかと思えば、考え方が辛辣で言葉もきついキュリが実のところ人一倍情にもろいこともわかってくる。残りページが少なくなるころには、憎めない彼女たちとの別れが名残惜しくなっているはずだ。女性にとってひどく生きづらい世界が描かれているにもかかわらず、読み終えて印象に残るのは、ひとりひとりが底力を見せる瞬間や、気概をもって前へ踏み出す姿であることも付け加えておきたい。

 著者のフランシス・チャは、米国ミネソタ州に生まれ、テキサス州、香港への転居を経て、韓国で中学~高校生活を送った。米国の名門アイビーリーグ校のひとつ、ダートマス大学で英文学を修め、さらにコロンビア大学の芸術大学院で文芸創作を専攻、芸術学修士号を取得する。ソウルのサムスン経済研究所で機関誌の副編集長を務めたのち、CNNインターナショナルのソウル支局と香港支局に赴任し、編集記者として世界各地のトラベル特集を手がけたほか、ニュース報道では韓国の大型旅客船セウォル号沈没事故の取材にもあたった。これまでに《アトランティック》誌、《Vマガジン》誌、《WWD》誌、《ビリーバー》誌、《聯合(れんごう)ニュース》通信社などに寄稿しており、梨花(イファ)女子大学校でメディア研究講座を、コロンビア大学と延世(ヨンセ)大学校で文芸創作講座を受け持った。現在は夫とふたりの娘とともにニューヨークで暮らし、夏期はソウルで過ごしている。
 本書『あのこは美人』が米国で出版されたのは、二〇二〇年四月のこと。同年二月の第九十二回アカデミー賞でポン・ジュノ監督の映画《パラサイト 半地下の家族》が最多四部門で受賞を果たし、韓国カルチャーにぐっと注目が集まっていたなか、女性視点で現代韓国を活写した──しかも韓国語からの翻訳作品ではなく英語で書かれた──この小説も、英米でたちまち話題を呼んだ。多くの新聞・雑誌が書評や著者インタビューを掲載したばかりでなく、《ニューヨーク・ポスト》紙、《タイム》誌、《エスクァイア》誌、《イン・スタイル》誌、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)、英国放送協会(BBC)、オンライン・マガジン《バサル》が、本書を二〇二〇年の年間ベストブックの一冊に選出した。
 作中の女性たちには、先述のプロフィールからは見えない、著者自身のいくつかの顔も反映されている。父の看病のために休学していたつらい一時期、K-POPグループのBIGBANGにのめりこんでいた経験をアラに、敬愛してやまない母をときに重く感じてしまう気持ちをキュリに、韓国の地方都市から米国の大学へ進んでまごついた体験をミホに、妊娠中に襲われた不安をウォナに投影したという。見応えのある密着型ドキュメンタリーを思わせる本作の吸引力は、実感をもとに肉づけされた人物と、取材力を活かした克明な場面描写が生み出しているのだろう。
 チャは多大な影響を受けた文学作品として、エィミ・タンの『ジョイ・ラック・クラブ』(一九八九年。邦訳は小沢瑞穂訳/角川書店/一九九〇年)を挙げている。アジア人を主要キャラクターにして英語で書かれたその小説に感嘆し、自分もいつか英語で韓国人の物語を書いてもいいのだ、と目を開かされたそうだ。本作がくだんの名作と同じく、四人の女性が順に語る形式になっているのは、特に意識したわけではなく偶然(もともと五人いた語り手を最終的にひとり削ってこのようになった)らしい。とはいえ、本作のアラ、キュリ、ミホ、スジンには、日々遠慮のないやりとりをしながらも互いを深く気遣っている、『ジョイ・ラック・クラブ』のたくましい中国系移民女性たちと重なるところがたしかにある。まさしく女性どうしの絆(シスターフッド)で結ばれたソウルの彼女たちは、持ち寄りの手作り中華ならぬ深夜デリバリーのフライドチキンを囲んで、あすへの英気を養うのだ。
 チャは現在、本作から削った養子のキャラクターを主人公に据えた長篇第二作を執筆中とのこと。米国のボストンと韓国を舞台にした、文芸ホラー調の小説となるようだ。世界文学の〝新たな声〟を引きつづきお届けしていけることを願いつつ、刊行を楽しみに待ちたい。

 二〇二二年一月


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