サックス先生最後の著作『意識の川をゆく』に寄せて――担当編集者より
2015年に惜しまれつつ亡くなった、脳神経科医にして希代のエッセイスト、オリヴァー・サックスのおそらく本当に最後の著作、『意識の川をゆく』がこの8月に、本邦でも翻訳刊行されます。担当編集者が一足先に内容(とちょっとした裏話)を紹介します。
オリヴァー・サックスは『妻を帽子とまちがえた男』などの、脳神経系の障害を病む患者とのかかわりを興味深く、温かく文章にした医学エッセイの作者として著名な脳神経科医です。サックス先生と呼ばれ親しまれた彼ががんで亡くなったのは、2015年夏のことでした。
2016年に刊行された『サックス先生、最後の言葉』というタイトルの小さな本は、「珠玉の」と言うか、先生の「最後の挨拶」である晩年のエッセイを4篇収めたものでしたが、従来の医学・科学エッセイに親しんだかたには、食い足りないところがあったかもしれません。ですが今回の本は違います。サックス先生が初出媒体に寄稿した医学/科学エッセイが、本人によってセレクトされ、推敲されたうえで1冊に編み上げられていて、晩年の先生の関心のありかであったらしい生物学を柱にした考察が、脳科学の新知見や、脳神経科の患者たちの症例、そして先生自身の症例をちりばめながら、注を細かにはさんだいつものスタイルで語られていきます。
邦訳版の編集作業を進めながら、「ああ、先生が還ってきた」と感じたのが、じつはこの豊富な「脚注」の存在でした。自伝のなかの記述で知りましたが、先生には脚注マニアとでも言いたい嗜好があり、編集者の手をずいぶん焼かせたらしいです(『レナードの朝』の原書初版は鬼の編集者に削られたせいで脚注が12しかないのだそう)。左足などを骨折しての入院中に『左足をとりもどすまで』になる本のゲラを病室に持ち込んで、その本の版元の社長に「オリヴァー、あなたは脚注のためならなんでもやるんですね」とあきれられた、『道程』に収められたエピソードも思い出されました。
必要に迫られて本書におさめられたエッセイの、初出記事からゲラPDF、刊本へと(原書の)編集作業のすすんでいく過程を追ったことがあるのですが、脚注が本文に組みこまれたり、削られたり足されたりしていました。すべてが先生の操作ではなく、秘書的な存在で本書の編纂にもあたった、サックスエッセイではおなじみのケイト・エドガー氏や編集者の仕事も多いのでしょうが、ふだんはわずらわしいと思うこんな事態にぶつかっても、今回はなぜかほほえましく思えました。
本書のひとつの柱になっているのが、進化論/生物学の話題です。これについては、本書巻末に収録された養老孟司氏の解説をご覧いただきたいのですが、養老氏の、「サックスはなぜ植物学者としてのダーウィンを語ろうとしたのか。その最大の動機は彼が生物学史を自分流に書きたかったからではないか、と私は感じる」という指摘はおもしろく、大いに膝を打つものでもありました。
『道程』に続き本書でも、ジェラルド・エーデルマンという生物学者が唱えた、ニューロンのニューロン群が自然選択のように選択される「神経ダーウィニズム」が紹介されています。先生が生物学に関心をふかめていったのはそのほかにも、進化生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドらとのテレビ番組での共演もきっかけになっているのではないかと思いますが、「起源」をたずねる視線はこの本に通底するものではないでしょうか。その意味で興味深いのがフロイトについての章(「別の道──神経学者フロイト」)なんですが、このフロイトに関連して、おもしろい「偶然の一致」を見つけたように思います。
サックス先生の『幻覚の脳科学』という文庫本に収められている解説で、精神科医の春日武彦氏は「なぜ彼は精神科医ではなく脳神経科医になったのか、という疑問」を呈しておられます。この解説を読んだときに、専門が近しいだけにというべきか、おもしろい視点だなと感心した覚えがあります。ひるがえって本書でサックス先生がフロイトを取り上げた時期というのが、フロイトがちょうど、「ウィーン総合病院の病棟で過ごし、冷静な観察者と臨床神経科医としてのスキルを磨いた」ころで、神経科医から精神科医に転じる時期なのです。春日氏とサックス氏、隣接領域の専門家だからそんなことがあってもおかしくないのでしょうが、同じような目の付け方をされているな、と興味深く思いました。これも本書で初めて知りましたが、じつは神経科医になるさらに前のフロイトは解剖学者で、ヤツメウナギに関する重要な発見を行なっていました。本書のテーマはあちこちで絡み合って、思わぬところで顔を出すようです。
私がサックス先生の本とかかわるのは、少なくとも新刊としてはこれが最後になるかもしれないと思うと、一読者だったころとは違う感慨があります。サックスを初めて担当した『音楽嗜好症』以降、何冊もおつきあいいただいている翻訳者、大田直子氏の繊細かつロバストな訳文のサックス本を、できればまだまだつくらせていただきたいのですが……
大田氏と言えば忘れられないことがあります。怪談・幻想文学についての評論書やアンソロジーも多い東雅夫氏が編集顧問を務める『幽』という怪談専門誌に、大田氏がサックスの『幻覚の脳科学』(正確には旧題の『見てしまう人びと』)を紹介する記事を寄稿されていること(2016年12月15日発売の第26号)です。あの雑誌に載るなんてすごいな、と思ったことを覚えています。「本書と怪談はかけ離れているのではなく、幻覚という現象をはさんで対極にあると言えるかもしれない。一方はそれを科学の力で分析し、もう一方は想像力で膨らませる。どちらも人間の精神機能のすばらしい産物である」というのがその記事の1節ですが、この両端に架け橋を掛けられたのもサックス先生の力量あってこそ。先生は亡くなってもその著作は不滅です。
オリヴァー・サックス『意識の川をゆく』(大田直子訳、本体価格2100円)は、早川書房より8月21日発売。