【祝】ノーベル賞受賞!! 世紀の大発見の舞台裏を明かす『重力波は歌う』より、訳者あとがきを公開!
2016年2月11日、重力波研究をかねてから支援していたアメリカの国立科学財団(NSF)のお膝元、首都ワシントンで記者会見が開かれ、前年の9月14日に同国の重力波観測施設LIGOで重力波が検出されていたことが発表された。その存在が間接的にしか証明されていなかった重力波が直接観測され、一般相対性理論の正しさがまたも実証されたのだ。翌日には一般紙の一面を飾ったこのニュースをご記憶の方も多いと思う。今回の検出を、NHK・Eテレの《サイエンスZERO》はそのわずか10日後の放送で早々に取り上げ、《日経サイエンス》誌は翌月発売の号でさっそく詳しく報じた。こうした解説の多くで、そして本書の副題でも、重力波はアインシュタイン“最後の宿題”と紹介されている。
LIGOハンフォード観測所
Courtesy Caltech/MIT/LIGO Laboratory
一般相対性理論によれば、質量をもつ物体があると、その周りの時空が歪ゆがむ。その物体が動けば、時空の歪みも変動する。この変動が波のように伝わっていくのが重力波(gravitational wave)と呼ばれる現象だ(日本語で“重力波”は流体力学用語でもあり、当然ながら違う意味で用いられている。英語表記はgravity wave)。質量があれば空間が歪むので、重力波は私たちがちょっと動いただけでも生じるはずだが、あまりに微弱で検出など到底望めず、以前から天体現象に目が向けられていた。超新星爆発、連星中性子星の合体、ブラックホールの合体などが起これば、途方もなく大きな重力波が出るというわけである。だが、そうした場合でも地球に届く波はきわめて弱く、検出には気が遠くなるような精度の装置が必要となり、その実現は長いこと技術的にほぼ不可能とされていた。それどころか、重力波が本当に存在するのかどうか、物理学者のあいだで意見が分かれていた時期さえあった。そんな流れが1970年前後に大きく変わり、研究者人生を重力波の検出に懸ける科学者が現れ始め、検出器が改良されて性能が向上し、ビッグサイエンスとなって検出の現実味が増して、今回の初検出に至ったわけである。本書は、重力波の「研究をつづった年代記であるとともに、実験を目指した果敢で壮大な艱難辛苦の営みへの賛辞、愚者の野心に捧げる敬意の証でもある」。
LIGOリヴィングストン観測所
Courtesy Caltech/MIT/LIGO Laboratory
著者であるジャンナ・レヴィン先生は、コロンビア大学バーナードカレッジの物理学・天文学科の教授で、小説 A Madman Dreams of Turing Machines(狂人はチューリングマシンの夢を見る)や一般向け科学書 How the Universe Got Its Spots: Diary of a Finite Time in a Finite Space(宇宙が今に至るまで──有限の空間における有限の時間についての日記)という著書をお持ちの作家でもある。ご専門はブラックホール、ビッグバン、余剰次元、ダークエネルギーなどで、重力波を取り上げた2011年のTEDトークをご存じの方もいるかもしれない。そんなレヴィン先生が、ご自身の知識に加えて、LIGOの関連施設を何度も訪れて得た知見を盛り込み、LIGOの当事者・関係者の録音資料での発言や直接話を聞いたときの発言をそのままふんだんに引用している本書は、読み進むうちに重力波と今回の初検出までの道のりについての理解が深まるとともに、携わる科学者や関係者の顔がよく見える仕上がりになっている。
本書ではまず、LIGOの立役者と言える、ワイス先生、ソーン先生、ドレーヴァー先生が大きく取り上げられる。ときに波瀾万丈の人生を送ってきた、生い立ちも性格もまったく異なるこの三人が、やがて出会ってトロイカを組むことになる。雑音解析や実用化検討を通じて検出の実現にめどを付けていたワイス先生、重力波研究を理論面から牽引していたソーン先生、そして「巧みなアイデアと際立った実験能力」をもってカルテクでプロトタイプを稼動させていたドレーヴァー先生からなるこのトロイカ体制は、実は誕生前からうまくかみ合ってなく、その顛末が当人らの発言を直接たっぷり引きながら描かれている。ドレーヴァー先生と言えば、重力波の存在はある連星パルサーの観測をもとに間接的に証明されていたのだが、このパルサーという天体の第一発見者だった女性天文学者の学部時代の指導教官がたまたまドレーヴァー先生、というのもすごい巡り合わせである。
本書ではまた、重力波の研究に大転換をもたらした科学者ジョセフ・ウェーバーの生い立ちと研究生活、そして晩年が詳しく紹介されている。研究者のあいだで、その観測方法と得られたデータに対しては否定的な見解が大半のようだが、2月11日の記者会見には本書にも登場する天文学者の奥様が招待されており、ウェーバーがLIGOチームから重力波研究の先駆者として大変な敬意を払われている存在だとわかる。
ウェーバーのおかげで研究の流れが変わり、やがて三人が力を合わせることになっても、物事はなかなか進まなかった。予算の獲得が危ぶまれたこともあったし、内輪でいろいろ問題が起こった時期もあった。ワイス先生が「あなたの本にまで書かなくてもよいのではないでしょうか」と言うほどの状況もあったのである。ちなみに、この「悪しき一幕」がつづられた13章は、一つの展開を当事者の食い違う証言を交えてたどっており、章題を「藪の中」としている。原書の章題はRashomonで、アメリカでは芥川龍之介の短篇小説「藪の中」と「羅生門」を原作とした黒澤映画『羅生門』がアカデミー賞を受賞するなどして評価も知名度も高く、同一の事柄が複数の人から矛盾する解釈で語られることを指すRashomon effect(羅生門効果)という言葉まであるようだ。
LIGOハンフォード観測所の内部
Courtesy Caltech/MIT/LIGO Laboratory
検出器そのものについても、大規模化したからこその苦労がいろいろある。たとえば、プロトタイプからは想像もつかない原因でパイプに穴が開いたり、雑音源をなかなか特定できなかったり、プロトタイプとは違って担当者の神業では装置の安定動作を保てなくなったりしている。ワイス先生が観測所の建物から「頭に血を上らせて飛び出してきて、たいそうな勢いで悪態をついた」こともあるほど複雑化しているのである。施設の中や現場の雰囲気の描写には、レヴィン先生の元々の人脈や、先生がインタビューをきっかけに得た知己が存分に活かされている。なにしろ、無塵衣を着ないと入れない区画に案内されたり、ログへのアクセスが許されたり、装置の部分稼動に立ち会ったり、ポスドク中心の飲み会に誘われたりしている。公式発表の二カ月前に初検出について知らされていたほどだ。おかげで、初検出のときも含めて装置の様子や現場の雰囲気を臨場感たっぷりに垣間見ることができるし、携わる科学者たちの心情を生き生きと感じ取ることができる。
鏡の懸架装置
Courtesy Caltech/MIT/LIGO Laboratory
さあ、これからの展開が楽しみとなった。人間は最初、星を肉眼で眺めるだけだった。それが、望遠鏡で観測できるようになり、写真に撮影できるようになり、可視光以外の電磁波が観測可能になり、デジタルで撮影できるようになり、さらには宇宙からの観測が実現され、と新技術が登場するたび新たな展望が開け、新しい事実が次々と浮かび上がってきた。そして今回、光(電磁波)ではなく重力波での観測結果が得られた。これは“重力波天文学”の幕開けと言えよう。光が通り抜けられないところでも重力波は伝わってくるので、これまで想像だにされていなかった事象が観測されるかもしれないし、宇宙誕生直後の重力波、いわゆる“原始重力波”が直接観測される日も来るかもしれない。本書でも紹介されているが、重力波観測のコミュニティーは日本のKAGRA(かぐら)を含めた世界各地の観測所を結ぶネットワークの構築を進めている。光学的な観測と重力波の観測とを連携させる“マルチメッセンジャー天文学”にも注目だ。今後の成果に大いに期待したい。
2017年8月
一日も早い復旧と復興を祈りつつ
訳者を代表して 松井信彦
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『重力波は歌う――アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』(ジャンナ・レヴィン著、田沢恭子・松井信彦訳、本体780円+税、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は、早川書房より好評発売中です。