ヴェトナム戦争の悪夢の根源をアメリカ国内から暴き出す──ジョン・ハート最新作『帰らざる故郷』吉野仁氏による解説
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ヴェトナム戦争の悪夢の根源をアメリカ国内から暴き出す──ジョン・ハート最新作『帰らざる故郷』吉野仁氏による解説

アメリカでもっとも権威のあるミステリージャンルの賞、エドガー賞の最優秀長篇賞を連続受賞したミステリの巨匠、ジョン・ハートの新作『帰らざる故郷』(原題:The Unwilling)が刊行されました!『暗殺者グレイマン』シリーズのマーク・グリーニーや、『発火点』のC・J・ボックスが賛辞を寄せている期待の新作です。

ヴェトナム戦争時のアメリカを舞台に、壊れゆく家族と姿を描いた傑作長篇。ここでは、本作に収録されているミステリ評論家の吉野仁氏の解説を再録します。

帰らざる故郷_帯

『帰らざる故郷』ジョン・ハート/東野さやか
ハヤカワ・ミステリ/ポケット判/506ページ
解説:吉野仁
装幀:水戸部功

解説

吉野仁(ミステリ評論家)  

『帰らざる故郷』は、『川は静かに流れ』『ラスト・チャイルド』の2作がエドガー賞最優秀長篇賞に輝いたアメリカの作家ジョン・ハートによる長篇小説の第7作だ。
 かつて作者は『川は静かに流れ』の冒頭に掲げた「謝辞」で、自分の小説はスリラーもしくはミステリの範疇にはいるのだろうが、同時に「家族をめぐる物語」でもあると述べていた。さらに「家庭崩壊は豊かな文学を生む土壌である」と。本作『帰らざる故郷』もまさしく崩壊した家族の物語である。そればかりか、故郷を離れた男が何年ぶりかで街に戻ってきたとき新たな事件が起こる、という冒頭からの展開は『川は静かに流れ』とまったく同じだ。もちろん単なる繰り返しではなく、この『帰らざる故郷』では家族の物語を軸に、新たなテーマが取り入れられた犯罪スリラーとなっている。ひとつは、少年が大人になる通過儀礼の物語であり、もうひとつは、ヴェトナム戦争の悲劇である。この小説は、戦争が泥沼化していった時代のアメリカ南部、1972年ごろのノース・カロライナ州シャーロットにある人口50万の小さな市を舞台にしている。

 ジェイソンが戻ってきた。それを知らされたウィリアム・フレンチ刑事は、さっそく家に戻ったところ、妻ガブリエルはすでにその噂を耳にしていた。もともとフレンチ家には三人の息子がいた。ふたごのロバートとジェイソン、そして「ギビー」と呼ばれるいちばん下の弟ギブソンだ。だが、ロバートはヴェトナム戦争で戦死し、すでにこの世にいなかった。ジェイソンはいわば兄の仇をうつためにヴェトナムへ3期従軍したものの、不名誉除隊処分となったばかりか、帰還したのちもドラッグに溺れ、罪を犯して刑務所に入っていたのだ。
 ちょうどそのとき、ギビーは街の南がわにある石切場の崖のうえにいた。真下はビーチになっており、崖から水面までの距離は130フィート(約40メートル)。そこはデヴィルズ・レッジと呼ばれ、5年前にギビーの兄ロバートが見事に崖からのダイブを成功させた場所だった。ギビーも2年前から試みようとしていたが、飛び込む勇気がもてないまま、卒業まで残り2週間をむかえていた。またギビーはチアリーダーの一員で学園祭の女王である女子学生ベッキー・コリンズに熱をあげていたものの、恋が成就する気配はなかった。そこへ現れたのがもうひとりの兄ジェイソンだ。
 物語は、残虐な殺人事件の発生をきっかけに意外で複雑な展開を見せていく。ジェイソンをめぐる一連の出来事の裏にどんな秘密が隠されているのか。そしてギビーにどんな運命が待ち受けているのか。
 読み手にとり、最初から最後までもっとも分かりやすく共感をいだく登場人物はギビーだろう。末っ子というだけでなく、兄たちの事件が影響して親からは過保護に育てられており、18歳になったばかりだが、いまだ少年のような男の子だ。本人も大人になりきれずにいる自分をもどかしく思っている。だが、卒業を間近にひかえ、徴兵が目前に迫っていた。崖からのダイブとは、一人前の成人となるための通過儀礼にほかならない。川などに入り身を沈めたり、頭に水をかけたりするイニシエーションの儀式は、多くの宗教で見られるものである。もともと生と死をくぐりぬけ再生することで人生のつぎの段階に入る行為で、洗礼などの儀式はそれを象徴化しているという。ギビーは、まさに死を賭けたクリフダイビングをやりとげることで大人になろうともがいていたのだ。そして恋人と結ばれることや親から独立すること、軍隊にはいることも同じ枠内にある問題だった。いずれ自分も兄たちと同じようにヴェトナムの戦場へ行かなくてはならない。しかしジェイソンの帰郷がギビーの運命を変えていった。

 これまでヴェトナム戦争の悲惨な出来事や米軍がおこなった残虐な行為は、取材や証言をあつめたノンフィクイションをはじめ、小説や映画の題材としても数多く扱われてきた。なかでもヴェトナム帰還兵を主人公にした作品としてデイヴィッド・マレル『一人だけの軍隊』(映画「ランボー」原作)や映画「タクシードライバー」などが知られており、いずれもヴェトナムの戦場ではなく、アメリカ国内を舞台としたものだった。そうした物語に多くみられるのは、帰還兵たちが負った心的外傷後ストレス障害(PTSD)の問題を扱っていることだ。帰還した兵士はいつまでも心の病を抱えつづけ、自殺するものも少なくないという。数年前に翻訳され、話題となった本にデイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』があり、これはイラクやアフガニスタンに派遣された米軍帰還兵に関するノンフィクションだが、この問題が表面化していったのは、ヴェトナム戦争以降のことだろう。また、同じく数年前に翻訳されたニック・タース『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』では、ヴェトナム戦争において非戦闘員まで無差別に殺したソンミ村虐殺事件のような出来事は決して例外的な行為ではなく、むしろ「動く者はすべて殺せ」という命令のもとになされた軍事作戦の一部にすぎないという衝撃的な実態が明かされていた。

 作者のジョン・ハートは、1965年生まれである。ヴェトナム戦争が続いていた時代、テレビニュース、新聞や雑誌の報道。もしくは本や映画のフィクションなどを通じてその様子を見聞きしていたかもしれないが、本作に登場するギビーよりもさらに幼く、まだ10代にもならない子供の頃のことだ。長じて、戦争にまつわるさまざまな事件とその背景を知ったのだろう。本作の「謝辞」では、ヒュー・トンプソン・ジュニアの物語を読んだことが執筆のアイデアになったと記してある。ソンミ村虐殺事件を阻止しようとしたヘリコプター・パイロットに関するノンフィクションだ。それが人物造形のヒントになったという。そして、ヴェトナム戦争で起こった出来事をもとにしていながら、ヴェトナムではなく当時の南部アメリカを舞台に選んだのは、おそらく戦争の悪夢を生み出した根源をアメリカ国内から暴き出そうとしたのではないだろうか。

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ジョン・ハート/🄫Ashley Cox Photography

 作者は『ラスト・チャイルド』以降、たとえば『終わりなき道』では女性刑事を主人公にするといった新たな試みをするなど、家族や故郷の物語を軸としながらも、新境地に挑戦しているかに見える。ジョン・ハートがつぎにどのような題材にとりくむのか注目していきたい。(2021年3月)

※ジョン・ハート/東野さやか訳『帰らざる故郷』解説より一部編集のうえ抜粋

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