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著者ジョージ・ダイソンが語る『アナロジア AIの次に来るもの』の裏側(服部桂)

ジョージ・ダイソン氏の新著『アナロジア AIの次に来るもの』が、早くも「ポストAI時代の予言書」として話題になっています。この本にいち早く注目した監訳者でジャーナリストの服部桂氏が、ダイソン氏にこの本を書いたいきさつや裏話などをお聞きしました。

著者ジョージ・ダイソン氏

ダイソンさんは昔から、カヤックビルダーとして日本でも知られており、11年間には『チューリングの大聖堂』を出して注目されましたね。

私はアメリカでは、もっぱらツリーハウスで暮らしている自然活動家として知られているんですが、最初にライフワークにしてるカヤック作りについて書いた『バイダルカ』(Baidarka,1986)を出版し、テクノロジーやデジタル世界については『Darwin Among the Machine』(1997)や『Project Orion』(2002)、邦訳された『チューリングの大聖堂』(Turing’s Cathedral,2012)などの本も出しています。

現在はジェフ・ベゾスの宇宙ベンチャーBlue Originの歴史担当の客員研究員をしていますが、もともと16歳で学校からドロップアウトして以降、組織というもので働いた経験はないフリーランスです。

『チューリングの大聖堂』で、プリンストン高等研究所とENIAC開発の秘話を書いて注目されましたが、本書はその続編ということですか?

そうですね。デジタル・コンピューターについてはすでに書いたので、テクノロジー全体についてこれからの動向に目を向けると、次のステップとして必然的にアナログ・コンピューターに目が向いたのです。アナログの話だけを直接掘り下げても面白くないので、私自身の経験や北アメリカの植民地化にも注目し、ちょっと脱線してクジラのコミュニケーションや真空管の発明などにも触れて、テクノロジーがいかに進化して今後どちらに向かうのかについても光を当ててみました。

コンピューターの始祖として、ずっと昔の哲学者ライプニッツの話が出てきますね。

17世紀中頃に生まれたライプニッツ以前にも、パスカルのように機械式の計算機を手掛けた人はいましたが、彼こそが論理の展開を1と0という二進数を表現するトークンを動かすことで行う、デジタル方式の計算機を提唱した最初の人と言えるでしょう。そして彼は二進数による計算は自分の発明ではなく、中国から学んだことにもきちんと言及して敬意を表しています。

ライプニッツはアナログ方式のコンピューターは考えていなかったんですか?

彼はデジタル方式に入れ込んでいましたが、デジタル的な離散的な数えられるものと、アナログ的なそうでない数えられない無限という二つが存在する「連続体の迷宮」にも大いに興味を持っていました。その考えはその後の19世紀の数学者ゲオルグ・カント―ルに引き継がれて、無限にはこの二種類しかないとする「連続体仮説」に結実しました。

この仮説は直感的には正しく思えるものの、彼の本の最後に記されたままで、いまだに証明はされていません。デジタル・コンピューターは数えられる無限を相手にしていますが、実際には数えられないアナログ世界との間で動いている存在だと思います。

デジタル方式とアナログ方式の違いとはなんだと思われますか?

これらの方式の違いは、コンピューターを作っている部品や素材とは関係なく、アナログ・コンピューターをシリコン素子や光ファイバーで作ることもできるし、デジタル・コンピューターを紙テープやアナログな真空管で作ることもできます。

本質的な違いは、デジタル方式では厳密に定義された論理手順をコード化したアルゴリズムを使っていることで、アナログ方式ではそれを使っていないということだけです。

その複雑さは、デジタル方式はコード化された論理の中にありますが、アナログ方式では接続されたネットワークの相互関係の中にあり、それはそこにあるノード間の相対的なパルスの振動周波数や他の指標による重みづけで決まります。

デジタル方式では数が使われていますが、アナログ方式では情報の地図がその役割を果たします。デジタル方式では一時点で一つの事象しか起きませんが、アナログ方式ではすべてが同時に起きるという違いもあります。

ライプニッツをその後の時代に継承した人として注目すべき人はいますか?

ライプニッツの考えを継承した人は山ほどいて、すべて列挙することは難しいでしょうが、その中で一人だけ選ぶとしたら、サイバネティクス理論を提唱したノーバート・ウィーナーだと思います。

彼は1932年に書いた「ライプニッツに還る」という論文で、ライプニッツの「モナド」(単子)の考えと、当時興隆しつつあった量子力学の類似について論じています。そして1934年には「量子力学 ホールデンとライプニッツ」という科学哲学雑誌の記事で、「魂は複雑な物質分子によって構成されるとする物質主義と、物質分子を魂の原始的要素と考える神秘主義の間に本質的な違いはないと考える」と述べています。

ウィーナーはライプニッツの思想を自分の考えの中に取り入れて、それがその後にクロード・シャノンやフォン・ノイマンやジュリアン・ビゲローといった有数の情報科学者を介して、現在の情報理論やコンピューター理論へとつながっていったのです。

本書ではコンピューター科学者のカーバー・ミードがアナログ・コンピューティングを擁護する発言をしていたと紹介されていますが、彼以外にアナログ派はいたのでしょうか?

生物学者の間ではアナログが当然の事として受け止められていましたが、他のテクノロジー関係者の間では無視されてきて、アナログ方式の計算についての進展はほとんどなかったというのが現状でしょう。

コンピューター科学者の間では、アナログ・コンピューターは基本的にデジタルよりずっと強固でエネルギー効率が良いことは知られていますが、デジタル分野での発展が早すぎてそちらに引っ張られて、アナログに注目する人がほとんどいないのが現状です。

私の父のフリーマン・ダイソンは1979年にすでに物理学の雑誌に「終わりなき時間:開かれた宇宙の物理学と生物学」という題で、生命と知性は無限に進化し、情報はデジタル形式ではなくアナログ形式でしか継承されないという論を展開していました。

現在はAI全盛時代でChatGPTなどが注目されており、アナログ・コンピューターがそれらを上回る可能性を持つと考える人はいないと思われますが。

現在はアナログ方式のコンピューターの幕明け期で、ほんの少しずつ進展が始まったばかりだと考えています。

大局的にトップダウン方向から見ると、デジタル方式のネットワークが、以前に真空管が電子の流れを扱っていたように、その中を流れるビットをどんどんと連続的に扱うようになっています。また元のテクノロジーから見たボトムアップ方向からは、カーバー・ミードが予言したように、アナログ方式の半導体が開発されて普及が始まっているのが現状でしょう。

デジタル方式のコンピューターでは原理的に、あるアルゴリズムに同じ質問をすれば同じ回答が返ってくるというのが原則です。しかしChatGPTでは同じ質問をしても違う答えが返ってくる場合があります。そこで一般の人々はその非論理的な動きに興奮して、何か大変な事が起きていると感じているのではないでしょうか。

実際に使われているのはデジタル・コンピューターですが、それらはほとんど天文学的な量のデータの相互の重みづけがされた大規模言語モデルを使っていて、実際は連続関数を使って相対的な頻度を計算して答えを導いているので、それは厳密な意味で定義された論理とは言えません。

大規模言語モデルはいわゆる言語の地図とも言えるものであり、いろいろなAIは、その地図を辿って有用な目的地までデジタル方式のアルゴリズムでナビゲーションをしているだけです。こうした地図はまだ市販の画像処理用チップGPUでシミュレーションされただけのものですが、いずれこうした(言語ばかりかイメージやありとあらゆる事象を重みづけする)巨大なモデル専用のアナログチップが利用されるようになり、徐々に浸透していき現行のシステムに代わっていくと思います。

それは1970年代や80年代に、安価なデジタル方式のプロセッサーが開発されることで、より多くのプログラムが書かれるようになり、それがさらにより強力なプロセッサー開発を後押しすることになった動きと同じ動きでしょう。

それがどのような結果をもたらすか、その良し悪しはわれわれのやり方次第だと考えられます。ともかく今と同じ状態ではない、新しい世界がやってくることだけは間違いないでしょう。

日本以外でもこの本は出版されるのですか?

トルコと韓国での契約がありましたが、出版に漕ぎつけたのは日本が最初なので楽しみにしています。

家族の方々はこの本についてどう言われていますか?

コンピューターや社会に詳しい姉のエスター・ダイソンは、この本にいろいろな人の話が出ているので良い評価をしてくれました。理論物理学者の父フリーマン・ダイソンは、死の直前に本の草稿は読んでくれて満足してくれていました。

父の死後に英王立協会に父の科学的業績を回顧する話を寄稿したのですが、彼が50年前に作っていたランダム・マトリックス理論が、当時はまるで何の評価も得られなかったのに、それが現在の複雑で解きほぐせないアナログなニューラル・ネットワークの解析に応用できることに気付いて驚きました。もし彼がまだ生きていたら、この本の話にすぐ飛びついて私を助けてくれたと思うのですが残念です。

日本の読者にはこの本をどのように読んでほしいですか?

1978年にケネス・ブラウワーが私の活動を取材して『宇宙船とカヌー』を書いたときには、アメリカでは当時の環境問題などへの関心の高まりもあって、それが自然とテクノロジーの対決、また父と子の確執のように受け取られてしまいました。

しかしその本が日本で出版されると、それは父と子がそれぞれ違う方法で自然とテクノロジーを追求する話だと受け取ってもらえました。もし日本の読者が同じように感じてくれるなら、この本はアナログとデジタルの対決の話ではなく、プログラマーの書いたアルゴリズムばかりか、自然の用いる連続した機能がついには一緒になって世界を支配していくと提言しているものと受け取ってほしいと思います。

この本の主張は現在のデジタル世界に生きている人には、ネイティブ・アメリカンがかつて、過ぎ去った過去の復活を望んだ「ゴースト・ダンス」のようなとんでもない話に思えるかもしれませんが、歴史はきっと彼らが間違っていたことを証明してくれると思います。

『アナロジア AIの次に来るもの』早川書房

著者紹介:ジョージ・ダイソン George Dyson
1953年生まれ。アメリカの科学史家。16歳で家出し、カナダのブリティッシュ・コロンビア州沿岸の森林に移り住む。地上30メートルのツリーハウスで暮らしながら、アラスカ先住民であるアリュート族のカヤック「バイダルカ」の復元に情熱を注ぐ。のち、科学史家に転身。著書に『チューリングの大聖堂』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫、第49回日本翻訳出版文化賞受賞)、『バイダルカ』、Darwin among the Machines、Project Orionなど。父は世界的な物理学者のフリーマン・ダイソン、姉は投資家でIT業界のオピニオンリーダーであるエスター・ダイソン。

監訳者紹介:服部 桂
1951年生まれ。早稲田大学理工学部で修士取得後、1978年に朝日新聞社に入社。84年にAT&T通信ベンチャーに出向。87年から89年まで、MITメディアラボ客員研究員。科学部記者や雑誌編集者を経て2016年に定年退職。関西大学客員教授。早稲田大学、女子美術大学、大阪市立大学などで非常勤講師。 著書に『人工生命の世界』『マクルーハンはメッセージ』『VR原論』他。訳書に『デジタル・マクルーハン』『ヴィクトリア朝時代のインターネット』『チューリング情報時代のパイオニア』『テクニウム』『<インターネット>の次に来るもの』など多数。

▷本書の内容が気になった方はこちら

▶この記事で紹介した本

『アナロジア AIの次に来るもの』
著:ジョージ・ダイソン
監訳:服部 桂
翻訳:橋本大也
出版社:早川書房
発売日:2023年5月20日
税込価格:3,300円

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