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主人公の刑事ポーが最悪の窮地に!? 『ブラックサマーの殺人』本篇より緊迫の冒頭部分試し読みを公開!

10月19日発売の刑事〈ワシントン・ポー〉シリーズ『ブラックサマーの殺人』本篇より、衝撃的な展開の冒頭部を試し読みとして公開します!

『ブラックサマーの殺人』冒頭部試し読み


 フランス南部にズアオホオジロという鳴き声の美しい鳥が棲息している。
 体長六インチ、体重は一オンスにも満たない。灰色の頭部に淡黄色の喉、そして腹は美しい橙色をしている。太くて短いピンク色のくちばしに、ガラスでできた粒コショウのようなつやつやの目。短い単音をつらねた鳴き声を耳にすれば、誰でも思わず頬がゆるむ。
 目をみはるほど愛らしい鳥だ。
 ズアオホオジロを目にすれば、たいていの人はペットにしたいと思う。
 ただし、例外はいる。
 それを見て愛らしいという気持ちがわかない者もいる。
 べつの感情を抱く者たちが。
というのも、ズアオホオジロのもうひとつ特筆すべき点が、世界でも一、二を争うほどの残酷な料理の主材料だからだ。その料理をつくるには、鳴き声の美しい小さな鳥を殺すだけでなく、激しい苦痛をあたえなくてはならず……。

 そのシェフは一カ月前に二羽購入した。銃で仕留めると食材として使えなくなるので、金を払って網で捕獲してもらった。引き受けた男は一羽につき百ユーロを請求した。法外な金額だが、逮捕された場合の罰金はそれをはるかにうわまわる。
 シェフはそれを自宅に持って帰り、古代ローマの宴席で腕を振るった料理人と同じ方法で太らせた。目をくりぬいたのだ。二羽のズアオホオジロの昼は夜に変わった。
 夜に餌をあたえられた。
 一カ月のあいだ、二羽は雑穀、ブドウ、イチジクをむさぼり食った。体の大きさが四倍になった。太って食べごろになった。
 王にふさわしいひと皿。
 あるいは、旧友にふさわしいひと皿。
 連絡が入ると、シェフはみずから二羽を連れ、イギリス海峡を渡った。
 ドーヴァーで下船したのち、車でひと晩走り、カンブリア州にある〈バラス&スロー〉という名のレストランにたどり着いた。

 テーブルについているふたりは対照的などというレベルではなかった。
 ひとりはハイカラーの上等なスーツを着ていた。東洋的なデザインだった。シャツは真っ白で糊がきいており、カフスは純金製だ。見るからに教養がありそうで落ち着きはらって見える。彼が愛想のいい笑みを向ければ、世界じゅうのどんなレストランも雰囲気がぐっと明るくなる。
 もうひとりは泥だらけのジーンズにぐっしょり濡れたジャケットという恰好だった。ブーツからしたたる泥水がレストランの床にひろがっている。まるでハリエニシダの茂みを逆向きに引きずられたようなありさまだった。ゆらめくキャンドルの淡い光のなかでさえ、彼がそわそわと落ち着きがないのがよくわかる。悲壮感すらただよわせている。
 ウェイターがふたりのテーブルに近づき、ローストするのに使った銅鍋ごと鳥料理を置いた。
「きっとお気に召してもらえると思う」スーツの男は言った。「鳴き声の美しいズアオホオジロという鳥だ。ジェガド・シェフみずからパリから持ってきたもので、彼女がその鳥を生きたままブランデーで溺れさせてから、まだ十五分もたっておらず……」
 会食相手は鳥料理をじっと見つめた。大きさはつま先程度、脂肪がじゅうじゅういっている。彼は顔をあげた。「溺れさせるとはどういう意味だ?」「そうすると肺にブランデーが入る」
「野蛮だ」
 スーツの男はほほえんだ。フランスで仕事をしていたときに、さんざん言われたのだろう。「われわれ人間はロブスターを生きたまま熱湯に投入する。生きたカニのつめをもぎ取る。フォアグラを得るためにガチョウに無理やり食べさせもする。われわれが動物を口にするには、動物を苦しませなくてはならない、ちがうかな?」
「ならば、法に反していると言い換える」ジーンズの男が反論した。
「わたしもきみも法の問題を抱えている。きみのほうがわたしよりも深刻だと思うが? きみがその鳥を食べようが食べまいが、わたしにはどうでもいいことだ。しかし、食べると決めたなら、わたしのやり方をまねするよう勧める。香りを逃がさないと同時に、食べる姿を神に見咎められることもない」
 スーツの男は糊のきいた血のように赤いナプキンを頭からすっぽりかぶり、鳥を口に入れた。鳥の頭だけが外に出ている。男がかぶりつくと、頭は皿にぽとりと落ちた。
 ズアオホオジロは舌をやけどしそうなほど熱かった。男は一分ほど舌の上で転がし、少しでも冷まそうと小さく息を吹きかけていた。美味なる脂肪が溶けて喉を伝い落ちた。
 男はしみじみとため息を漏らした。こんなふうに食事をするのは六年ぶりだ。鳥をかみ砕く。脂肪、内臓、骨、血が口のなかいっぱいにひろがった。肉の甘みとはらわたの苦みが絶妙だ。口蓋を覆う脂肪のたまらないうまさ。鋭い骨が歯茎に刺さり、自分の血が肉に味をつける。
 天にものぼるほどのおいしさだった。
 そして最後に、男の歯がズアオホオジロの肺を貫通する。極上のアルマニャックが口のなかにあふれる。
 ジーンズの男は自分の前に置かれた鳥には手をつけなかった。スーツの男の顔は見えない──いまもナプキンに覆われている──が、骨をかみ砕く音と満足のため息は聞こえている。
 スーツの男は十五分かけて鳴き声の美しい鳥を食べ終えた。かぶっていたナプキンから顔を出し、顎に垂れた血をぬぐって、客にほほえんだ。
 濡れたジーンズの男がなにか言い、スーツの男は黙って聞いていた。スーツの男がいくらかなりともいやな顔をしたのは、これがはじめてだ。落ち着きはらった顔をほんの一瞬、不安がよぎった。
「興味深い話ではある」スーツの男は言った。「しかし、残念ながら、話はこれで終わりだ。べつの連中がやってきたようなのでね」
 濡れたジーンズの男は振り向いた。仕事用のありきたりなスーツを着た男がドアのところに立っていた。その隣に制服警官がひかえている。
「あと少しだったな」スーツの男はかぶりを振り、警察官たちを呼び寄せた。
 私服刑事がテーブルに近づいた。「ご同行願えますか?」
 ジーンズの男はあちこちに目を向けながら、出口を探した。ウェイターもシェフも厨房にいるから、逃げようとしたところで道をふさがれるだけだろう。
 制服警官が警棒を長くのばした。
「ばかなまねはしないように」私服刑事が言った。
「いまさら言ったところで遅い」ジーンズの男は怒鳴った。中身が半分ほど入ったワインボトルの首を握り、棍棒のように体の前でかまえた。まだぐっしょりしているシャツの前を、ボトルの中身が流れ落ちる。
 膠着状態になった。
 スーツの男はあいかわらず笑みを浮かべたまま、なりゆきを見守っている。
「説明させてくれ!」ジーンズの男は声をうわずらせた。
「説明なら明日いくらでもできます」私服刑事が言った。
 制服警官が男の左に移動した。
 厨房のドアがあいた。ウェイターが出てきた。牡蠣がのった大皿を手にしている。ウェイターは目の前の光景に驚き、金属の皿を落としてしまった。角氷と牡蠣が石敷の床に散らばった。
 それで一瞬、注意がそれた。制服警官が下を、私服刑事が上をねらった。警棒が男の膝裏にあたり、私服刑事のパンチが顎をまともにとらえた。
 ジーンズの男は倒れこんだ。制服警官がその背中を膝で押さえ、顔を石敷の床に押しつけながら手錠をかけた。
「ワシントン・ポー」私服刑事が言った。「あなたを殺人容疑で逮捕する。あなたには黙秘する権利があるが、質問に答えなければ、のちに法廷で不利に働く場合がある。発言はすべて証拠として取り扱われる」

主人公の刑事ワシントン・ポーにいったいなにがあったのか!? そしてこれからどうなってしまうのか!? 物語はこの第一章から十四日前、数十年に一度の暴風雨が近付く夏のイギリス・カンブリア州へと遡る……ここから先の展開は、10月19日発売の本篇をお読みください!!

〇あらすじ

かつて刑事ポーによって一人の男が刑務所送りにされた――カリスマシェフとして名声を誇ったジャレド・キートン。彼は娘のエリザベスを殺した罪に問われたのだ。だが六年後のいま、その娘が生きて姿を現した! キートンは無実なのか? あらゆる証拠が冤罪を示し、ポーは「冤罪を仕立てあげたのではないか」と窮地に立たされる。さらにエリザベスがまたも姿を消し……。最大のピンチのなか、ポーを助けるべく、分析官ティリー・ブラッドショーが立ち上がる! 強烈な展開が読者を驚倒させる、英国ミステリ・シリーズの第二作。

〇著者紹介

M・W・クレイヴン
イギリス・カンブリア州出身の作家。軍隊、保護観察官の職を経て2015年に作家デビュー。2018年に発表した『ストーンサークルの殺人』で、英国推理作家協会賞最優秀長篇賞ゴールド・ダガーを受賞した。

【書誌情報】

■タイトル:ブラックサマーの殺人
■著訳者:M・W・クレイヴン/東野さやか訳 
■定価:1,320 円 ■発売日:2021年10月19日 ■ISBN: 9784151842528
■レーベル:ハヤカワ・ミステリ文庫
※書影等はAmazonにリンクしています。

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