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1話5分で読めるSFショートショート 試し読み! 草上仁『5分間SF』(ハヤカワ文庫JA)

あっと驚く結末が、じわりと心に余韻を残す、すこしふしぎなお話が盛りだくさん。いつでもどこでも楽しめるSFショートショート、草上仁『5分間SF』(ハヤカワ文庫JA)。その中の一篇「半身の魚」の試し読みを公開! あなたはこのお話のオチ、想像できますか? 


■半身の魚

この池の魚は尽きることがない。ただし、勝手に取るなよ。

 喉が渇いていた。
 腹も減っていた。
 二日の間、惑星サザーンの砂漠を歩いてきて、水と糧食(りょうしょく)は既に尽きていた。そもそもこんないかれた星に来たかったわけではない。たまたま、乗っていた客船が遭難し、脱出ポッドが手近の惑星として選んだだけだ。狭苦しいポッドに潜り込んで、電話機ほどの大きさの簡易管制ディスプレイを見るまで、わたしはそんな星が存在することさえ知らなかった。
 脱出ポッドは一応の役割を果たし、わたしを生きたまま地表に送り届けたが、接地したのは不毛の砂漠の真ん中だった。
 賞賛すべき忍耐力をもって二日歩き通したわたしは切実に水を求めていて、ようやくそれを見つけた。
 差し渡し十メートルほどの小さな池。木陰すらないから、オアシスとも言えない。ただの、砂漠の真ん中の水たまりだ。
 それでも、水は水だった。わたしは、岸に腹ばいになり、池の水を両手ですくい取って、渇ききった喉に流し込んだ。水は冷たく、やや腐ったような匂いがしたが、気にならなかった。
 両掌で四杯飲んで落ち着いた時、ようやく男に気づいた。
 五十代と見える男は、池畔に腰を下ろしていた。身長と同じくらいの長さの竿(さお)を伸ばし、池に釣り糸を垂れている。
「どうも」
 と、わたしは言った。
「どうも」
 と、男は礼儀正しく答えた。そして質問した。
「腹、減ってるか?」
「ああ」
 と、わたしは答えた。男は、無言で頷いて、竿を少し動かした。すると、糸が水の中にぐっと引き込まれ、竿がしなった。
 男は立ち上がって竿を上げた。わずか三メートルほどの糸の先で、掌二つ分ほどの大きさの銀色の魚が躍っていた。
 男は魚を引き寄せると、腰のケースからナイフを抜いた。池の岸にある平たい岩をまな板代わりにして、手早く両身をさばき、残った頭と骨は池に投げ捨てた。
「ほら」
 男は、生のままの魚の半身を差し出した。
「藻(も)を食って育った魚だ。生のままで食える」
 わたしには、疑う余裕はなかった。寄生虫を心配する余裕も。ただそのまま口に入れ、むさぼり食った。奇妙なことに、うまかった。微かに青臭く、キャベツの風味があり、ところどころ、焼いたパンのような歯ごたえがする。
 男は、自分も半身をかじりながら言った。
「完全食品だ。脂肪もタンパク質も、ビタミンも炭水化物も入ってる。おそらく、先住民のバイオテクの産物だな」
「そうなのか?」
「そうなんだ」
 男は、両手をいい加減にはたいた。
「心配することはない」
 男は言った。
「おれは一度に半身で十分だし、この池の魚は、尽きることがない。ただし、勝手には取るな。ここは、わたしが管理している。わたしの名前はピネルだ。あんたは?」
「ジョーブだ。よろしく、ピネル」
「よろしく、ジョーブ」
 わたしたちは、握手を交わした。ピネルは、わたしを彼の掘立小屋に案内し、わたしに予備の簡易テントと毛布を貸してくれた。わたしはテントを広げて、サンドアンカーで固定した。するともう、することがなくなった。わたしは、テントの中に毛布を敷いて、横になった。
 疲れと安堵(あんど)から、眠りはすぐに訪れた。
 
 目が覚めると、また腹が減っていた。
 わたしは、テントから出た。まだ夜明け前で、あたりは薄暗く、頼りない陽光の細い帯が、地平線を縁取(ふちど)っているだけだった。
 わたしは、ピネルの小屋に近づいて、様子を窺(うかが)った。
 微かな寝息が聞こえた。
 腹が減っているというだけの理由でピネルを起こすのは気が引けた。こちらは単なる闖入者(ちんにゅうしゃ)、招かれざる居候(いそうろう)なのだ。
 小屋の壁に、釣り竿が立てかけてあった。
 わたしは、昨日のピネルの言葉を思い出した。
「勝手には取るな。ここは、わたしが管理している」
 わたしには、彼の言葉を疑うつもりはなかった。彼が池を管理していると言うのなら、それは真実なのだ。
 しかし、腹が減っていた。
 わたしは、もう一つのピネルの台詞を思い出した。
「この池の魚は、尽きることがない」
 それならばと、わたしは思案を巡らせた。一匹ぐらい、もらってもかまわないのではないか? バイオテクの魚だ。砂漠にふんだんにある陽光を、藻が効率的に栄養素に変換する。それを摂取して、魚は効率的に繁殖する。そういう仕組みなのだろう。一種の生物工場だ。
 やはり、管理者を起こして、許可を得るべきか? しかし、夜はまだ明けきっていない。自分の都合で揺り起こすのは、管理者に対して失礼ではないか?
 わたしは、竿に手を伸ばした。
 わたしは、釣りが得意ではない。だから、ピネルのように上手に釣り上げられるとは限らない。だとすれば、釣り糸を垂れるぐらい、してみてもいいのではないか。
 釣れなければ、全く何の問題もないのだ。管理者に無断で食料資源に手をつけることにはならない。
 わたしは、池畔に戻った。
 糸の先には、毛ばりのようなものがついていた。餌(えさ)をつける必要はないらしい。
 わたしは腰を下ろし、少しためらってから、竿を振った。毛ばりが、微かな音を立てて、水面に落ちた。
 しばらくの間、何も起こらなかった。
 池の水面には、波紋も立たない。
 数分経ってから、わたしは、昨日のピネルの動作を思い出し、竿を軽くしゃくるように振ってみた。
 次の瞬間、当たりが来た。
 わたしは、不器用に竿を上げた。手元に、銀色の魚が飛び込んで来た。
 昨日のものより、少し痩せているようだったが、それで十分だった。魚の口から針を外すと、わたしはさばくこともせずに魚の腹にかぶりついた。
 うろこはなくて、皮は柔らかかった。昨日と同じ味がした。頭と背骨以外、全て食べられた。
 わたしは、満足して、魚の残骸を岸に投げ捨てた。
 それからテントに戻って、寝なおすことにした。
 
 ピネルがわたしを起こしたのは、日が高くなってからだった。
 彼は、怒るのではなく、悲しそうな顔をしていた。
「大変なことをしてくれたな」
 と、彼は言い、頭を振って歩き出した。悄然とした歩きぶりだった。わたしは慌てて、彼の後に従った。
 彼は、池畔にしゃがみ、わたしが捨てた魚の頭と骨をじっと見つめた。そいつは、砂漠の陽光に焼かれて、既に干(ひ)からびていた。
 ピネルは、繰り返した。
「大変なことをしてくれた。勝手にとるなと言ったのに」
 わたしは、弁解するように言った。
「池の魚が尽きることはないと言ったじゃないか」
「昨日まではな」
 と、ピネルが言った。
「だが、今日、尽きた。こいつは死んじまった」
「まさか……」
 ピネルは、頭を振った。
「バイオテクの魚だ。頭と骨を池に戻せば、一日で元通り再生する。だが、こんなふうに干からびて死んじまったら、もう再生することはない」
 わたしは、答えられなかった。
 ただ一尾だけの、尽きることのない魚。だからピネルは、一度に半身で充分だと言ったのだ。半身ずつ分け合えば、飢えることなく二人で生きていけると。
 ピネルは、地を叩いて頭を抱えた。
 わたしも、その動作をなぞった。尽きることのない魚。恐るべき勘違いだった。
 バイオテクであろうとなかろうと、一種だけの場合、「魚」という言葉には複数形がない。
 そのせいで、これから二人は殺し合うことになるのだ。食うために。生きるために。

(了)


草上仁『5分間SF』(ハヤカワ文庫JA)本体価格640円+税

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