フェイスブックの内幕を、元社員が赤裸々に語る傑作ノンフィクション『サルたちの狂宴』ハイライトシーン試し読み
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個人情報の不正流出やフェイクニュース問題で揺れるフェイスブック。世界20億人超の利用者数を誇る巨大IT企業を実際に動かしているのはどんな人たちなのか? そして、高収益を上げる秘密とは? その一端を明かしてくれるのが、米国で大きな話題となった、本書『サルたちの狂宴』(原題Chaos Monkeys)です。著者は、シリコンバレーで自らのスタートアップを立ち上げたのちに、フェイスブックでプロダクトマネジャーを務め、それらインサイダーとしての見聞を、本書で余すところなく語っています。さっそく、「上巻 シリコンバレー修業篇」の冒頭より、フェイスブック本社での会議の模様を覗いてみましょう。
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プロローグ 分かれ道の園で
天地創造の場に私がいたなら、世界をもう少し秩序ある場にするために有益なヒントを進言したのだが。
──カスティーリャ王「賢王」アルフォンソ一〇世の言
2012年4月13日、金曜
フェイスブックの最高司令部が陣取るエリアは、とくに何の特徴もないデスクが並ぶ一帯だった。目印になるのは、マーク・ザッカーバーグの右腕の一人、サム・レッシンのスポーツ道具が積んであることくらいだ。フェイスブックの広大なキャンパスに立つ一六号館ビルはL字型で、同じような机の列が低い生け垣のごとく見わたすかぎり並んでいる。内装は、シリコンバレーのIT企業では標準装備といっていいスタイルだった。床は毛足の長いオフィス用カーペット、天井は換気用のダクトと難燃性素材でおおったスチールの梁がむき出しになっていて、自前の不思議なアート作品が飾ってある。社員がレゴで作った立派な壁画と、社内の印刷所で大量にプリントした、どことなくジョージ・オーウェルの『一九八四年』を思わせるようなポスターを貼りめぐらせた壁だ。
一六号館のまさに頂点といえるのが、「アクアリウム」と呼ばれるガラス張りの部屋だ。いわば王の謁見室であり、ザックが社員と直接話をするため、いつでもオープンになっている場所だった。メインの中庭に突き出た形になっていて、ランチに向かう社員が通りがかりに目をやれば、かの有名な自分たちのリーダーの姿を見ることができる。ガラス窓は防弾加工がされているといううわさだった。アクアリウムのドアの外は間に合わせで作ったロビーになっていて、カウチが並び、ラウンジのテーブルにありそうなセンスのいいビジュアル本の類いが置いてあった。だが、途切れることなくこの部屋へやってくるザックに仕える社員たちは、それには目もくれず、プレゼンやデモンストレーションを控えて最後の修正に余念がない。すぐそばにはミニキッチンがあり、キャンパス内に無数にあるほかのキッチンと同様、レモンライム味のゲータレードがたくさんストックされている。ザックのオフィシャルドリンクだ。
フェイスブックのキャンパスでは位置関係は必然で、ザックと物理的にどれくらい近いかがその人物の重要度を示す指標になった。L字型フロアのまわりには、社内の五つのビジネスユニットのトップだけが使える会議室が並んでいた。当時、ザックの近くにデスクを構えていたのは次の面々だ。輝くスター最高執行責任者(COO)のシェリル・サンドバーグ。ニュースフィードのしくみを作った、エンジニアリング・ディレクターの「ボズ」ことアンドリュー・ボズワース。最高技術責任者(CTO)のマイク・シュレーファー。この日の午後、僕が中庭から入っていくと、三人の姿は見えなかった。
ユーザーに近い部門と違い、僕がいた広告チームは汗でぬれた下着みたいな扱いで、少し離れた隣の建物に遠ざけられていた。これはしばらくすると変わり、広告チームはのちにザックやシェリルのデスクに近い重要な場所に陣取るようになる。だがそれはまだだいぶ先の話で、僕が呼ばれるシニアマネジメントレベルのミーティングには、外へ出て中庭を横切って出向かなければいけなかった。
キャンパス内のシャンゼリゼともいえる中心地には、「HACK」の文字が見える。中庭のコンクリートスラブに埋め込まれた文字は、ひとつがゆうに三〇メートルを超える。グーグルマップで上空からの写真を見たときにわかるよう描かれたメッセージは、フェイスブック社員にとっての最高指令だといっていい。
この日の僕のミッションは、ザックとのミーティングだった。場所はシェリルの会議室だ。シェリルの会議室は「いい知らせ限定の部屋(オンリー・グッド・ニュース)」と呼ばれていたが、なぜなのかは結局僕にはわからずじまいだった。幹部役員のデスクが集まるあたりに積まれたスポーツ道具の山をよけて進み、ガラス張りの会議室に入った。白い長テーブルのまわりに高価なアーロンチェアが並び、片方の壁にフラットパネルスクリーン、もう片方にホワイトボードがかかっている。トップの二人を除けば、出席者のほとんどがすでに席についていた。
広告部門のプロダクトマネジメント統括役で僕の上司でもあるゴクル・ラジャラムが前かがみに座り、いつものように小刻みに身体を揺らして、落ち着かない様子をしている。常に手放さない電話から一〇億分の一秒だけ目を上げ、僕に視線を向けた。ゴクルの横に座るブライアン・ボランドは、坊主刈りのはげかけた頭をし、大学時代はレスリングをやっていたのだろうと思わせるタイプだ。居心地のよい会社員生活につかっているうち、年とともに身体の厚みが増していた。ボランドは広告チームでプロダクトマーケティングを率いている。チームの仕事はうわべだけ磨いた梱包で広告プロダクトを何重にも包んで、セールスにまわすこと。セールスはそれを広告主に押しつける。
離れた場所に座って電話の画面を見つめているのはグレッグ・バドロス。グーグル出身でサーチと広告の両部門を率いているが、両方に所属しているというよりは、どちらにも存在感がないと言ったほうが近い。広告部門でエンジニアリングマネジャーを務めるマーク・ラブキンは広告チームの中でも古参で、社内の地位の面でも立ち位置の面でも僕にいちばん近い人物だった。僕がフェイスブックに来てすぐのころから一緒に組んで仕事をしてきた彼は、ウラジーミル・プーチンから冷酷な悪魔っぽさを抜き取ったような顔立ちをしている。エリオット・シュレージはいつもの定位置、テーブルの右端についていた。シュレージには高尚な響きのあいまいな役職名がついていたが、いわばあらゆる件におけるシェリルの相談役だった。五〇代の彼はボタンダウンシャツにいわゆるビジネスカジュアルのパンツ姿で、フリースにジーンズというIT企業スタイルの社員の中では浮いていた。格式ある東海岸の法律事務所にいるシニア弁護士にでも間違われそうな雰囲気だったが、実際の経歴はまさにそのとおりで、グーグルを経てシェリル勢力圏へやってきていた。
僕はシェリルの腹心たちとは反対側の端にあたる席につき、会社支給のMacBookプロを開いて、落ち着かない気持ちでミーティング用の原稿に目を走らせる。今日の議題は、僕が思い描く新しい三つの広告ターゲティングのアイデアをザックにプレゼンすることだった。大きな収益につながる(はずの)戦略だ。
シェリルのエグゼクティブ・アシスタントとして全権を手にするカミール・ハートが部屋を行ったり来たりしたあと、ラップトップのキーボードをたたき、会議の参加メンバーを駆り集める。
「フィッシャーはまだ?」シェリルがそう言いながら入ってきて、端の席につく。
エリオット・シュレージとデイヴィッド・フィッシャーの二人がいなければ、どんなミーティングも始まらない。どちらもシェリルがグーグルから引き抜いてきた。カミールがフィッシャーを探しに走る。
大半のメンバーが黙ってスマートフォンやラップトップをいじっていた。ボランドとシェリルが、このあと僕が発表するスライドを見ながら小声で話し合っている。シェリルにはすでにプロダクトについて説明してあり、ザックの気を最大限引けるように中身の手直しもしてあった。ザックを交えて広告に関するミーティングをするときは、いつも事前に内容を少し練り、かみ砕いて提示する必要があった。理由は簡単だ。当時のザックは広告をあまり重視していなかったからで、広告がらみのミーティングはほかとくらべると義務的に出ている面があったように思う。僕がフェイスブックの広告部門にいた一年のあいだ、細かな点まで管理することで知られるザックを僕の部署で見かけたのは一度だけだ。それも、一日一万歩を歩く日課を達成するため、社内を歩き回っていて通りがかったというだけだった。ユーザーサイドの製品を手がけるプロダクトマネジャー陣が、ザックは自分が気にかけているプランについてはこちらが疲れるほど関心を示してくる、とこぼしていたのとは対照的だった。
今日のミーティングの事前ミーティングで、シェリルは僕たちのプランをザックにどう説明すればいちばんいいのか、それとなくいろいろなヒントをくれた。ボスを知り尽くしているのだ。強大な力を持つ、一筋縄ではいかない男たちの窓口であり門番であり案内人の役割をみごとに果たしているのがシェリルだった。その役割は手ごわいラリー・サマーズ財務長官の参謀長のときもあれば、ザックの決定事項を実行するCOOのときもあった。フェイスブックという複雑な組織を取り巻く気まぐれで扱いにくい政治事情をうまく操る力と、ザックに代わってメッセージを発する力を発揮して、フェイスブックの広告部門を動かしているのは名実ともにシェリルだった。フェイスブックがこれからどう収益化(マ ネタイズ)をはかるべきかという議論が対立し熱を帯びていくにつれ、こうしたミーティングは「シェリル最高裁判所」の様相を呈していった。ぶつかり合う意見や見解に対し、解決に向けたなんらかの希望の光を投げかける場だ。
フィッシャーが会議室へ入ってくる。細身の体型、さっぱりと決めた服装、社内一髪形の整った男。もともと財務部門でシェリルの部下だったフィッシャーは、《USニューズ&ワールド・レポート》のジャーナリストとしてキャリアをスタートしたのち、フェイスブックの中核を担うメンバーの多くがそうであるように、グーグルに在籍していた。フェイスブックではセールスとオペレーションのバイスプレジデントとして、シェリルのもとでセールス部門全体を率いている。僕がいた当時、フィッシャーが会社としての決まり文句といかにもMBAが好みそうな言い回し以外の言葉を発するのは聞いたことがない(彼はスタンフォード大学経営大学院の二〇〇二年卒業生である。もちろん)。
すでに顔をそろえているメンバーにあいさつしながら、テーブルの上座近いシェリルの左、シュレージの向かいの席につく。エグゼクティブ・アシスタントの任務を終えたカミールは満足し、社内の持ち場へと去っていった。
そしてザックがスマートフォンを見つめながら音もなく会議室へ入ってきた。シュレージの右の空いた席に座る。ようやくミーティングが始められる。
まずシェリルが口火を切る。「マーク、あなたも知ってるとおり、広告についていくつか新しい構想を考えてるの」
なかなか控えめに言ったものだ。
数カ月前、フェイスブックは新規株式公開の意向を発表し、そのときが間近に迫っていた。まさに投資家の精査に会社がさらされようというとき、売り上げの伸び率は低くなり、売り上げ自体が頭打ちになっていた。これまで会社が語ってきた、ソーシャルメディアマーケティングは新たな希望の星だというストーリーは、広告主にとっては過去の再来だった。広告主の多くが、それまでフェイスブックにこれだけ費やしてきたのにあまり成果が上がっていないと公に疑問を口にしはじめていた。構想に一年かけた大規模な広告プロダクト「オープングラフ」と、それにともなう収益化をねらった「スポンサー記事」の二つは、市場的には完全な失敗だった。上層部は広告チームを呼び出し、なかなか伸びない収益を短期間で盛り返せる策を出すよう告げた。これがフェイスブックらしいところで、新しい構想を生み出すのは会社の上層部ではなく、下の層にいる社員なのだ。それはちょっとしたすぐれた案を思いつくエンジニアの誰かだったり、何人かをうまくその気にさせて自分の構想を形にさせる、口のうまいプロダクトマネジャー(というのはこれを書いている不肖僕なのだが)だったりする。
この日話し合うのは、それぞれまったく違う三つのプロダクト案だった。一つ目はフェイスブックの「いいね!」ボタン(社内でいうところの「ソーシャルプラグイン」)を使い、趣味から仕事までユーザーのあらゆる閲覧行動をすくいあげる構想だった。
インターネットの世界に詳しくない人のために、ここで少し解説しておこう。ブラウザでウェブページを読み込むとき、スクリーン上で見ているもの(と、目にすることのない多くのもの)は、入力したサイトのアドレス「.com」の会社そのものが提供しているわけではない。現代のウェブの世界では、さまざまな要素がさまざまなところから来ている。読み込んだ要素はすべて、好むと好まざるとにかかわらず、その人のブラウザに保存され、クッキーという形でデータを読み込めるようになる。
フェイスブックの「いいね!」や「シェア」機能が広く使われているのは、アメリカのようにウェブ市場が成熟した社会ではフェイスブックがウェブの半分を占めている状態であることを意味する。ザッポスのサイトで靴を買っても、《ニューヨーク・タイムズ》のサイトで記事を読んでも、人がウェブを閲覧すればフェイスブックはすべて把握できる。町中に設置されて人や車の動きを記録する防犯カメラみたいなものだ。フェイスブックの利用規約ではこれまで、受け取ったデータを営利目的で利用することは禁じてきた。しかし今回の提案は、みずから課してきたこの制限を取り払う方向に転じようとするものだった。力に物をいわせるような不穏な印象を与えかねない案だが、実際のところデータの価値がどれほどあるのかは未知数で、うまくいくと保証されていたわけではない。
僕自身、フェイスブックが保有するデータの価値については理解しているほうだった。一年前、僕は広告ターゲティングを手がける初のプロダクトマネジャーとしてフェイスブックに迎えられた。違法でないかぎりあらゆる手段を使ってフェイスブックのユーザーデータを現金に換えるのが使命だ。この任務は見かけよりもだいぶ難しいことがわかってきていた。数カ月かけて、僕はターゲティングチームと一緒に投稿からチェックインの記録、シェアされたリンク、友達、「いいね!」まで、ユーザーのありとあらゆるデータを試しては取り込み、ターゲットの設定とフェイスブックの広告が効果を上げるかを調べた。だが、ほぼ例外なく、どのデータも数字に表れるだけの収益増加にはつながらなかった。結局、うまみのあるユーザーデータの宝庫かと思われたフェイスブックだが、実際は商業的に役に立つデータはまったくない、という悲しい結論にたどりついたのだった。ソーシャルプラグインのデータも、すみずみにまで普及した不穏な性格のデータでありながら、同じように落胆する結果になるかもしれない。
あとの二つの案は、法的にはともかく、ビジネスの点から見るとさらに思い切った戦略で、この陰鬱たる認識を反映させたものだった。フェイスブックの広告体験を、完全にフェイスブックの外で集めたデータと結びつける計画だ。これまでフェイスブック上に現れる広告は、すべてフェイスブック内のデータだけをもとに展開していたのだが、この案ではウェブの閲覧履歴やネット上の購買履歴、さらにはネット上ではない実店舗での買いものまで、「外部」のデータを活用する。それまで、フェイスブックは長年「壁に囲まれた庭」で、広告主は自分たちがもつデータをフェイスブック上では使えなかったし、逆にフェイスブック上のデータを外で使うこともできなかった。データの面でいえば、フェイスブックはインターネット界の生態系から切り離された孤島か何かで、独自に運営しているようなものだった。二つのメカニズムを使って──一つは既存の広告システムの大枠の範囲内で、もう一つはさらに高度化した形で──この間にある隔たりを埋めようというのが趣旨だ。二つの案は抽象的なレベルでは同じだった。が、実装レベルとビジネスレベルではかなり異なり、広告マーケットに対してまったく違うアプローチが必要になる。
ザックとシェリルはパワーポイントのスライドを画面に映すプレゼンを嫌ったので、僕が用意したスライドを誰かがプリントしてホッチキスでとめ、きれいな資料にしてくれていた。ボランドがこれまでの議論の流れと論点を検討しやすいように箇条書きでまとめたものが最初のページにある。みんなが目を通したのはこの部分だけだ。僕が書いたデータフロー図や外部とのインテグレーションポイントといったテクニカルな概略は、おそらく、完全に無視されているのだろう。シェリルは技術的な点には興味を示さなかったし、ザックもテクニカルな話をじっくり読むような忍耐は持ち合わせていなかった。僕自身フェイスブックで何度となく見てきたし、企業でも政府でもあらゆる組織でも同じだと思うのだが、上層部が下す、大勢の人を動かし巨額の売り上げを左右するような大きな決定というのは、結局次の要素で決まる。すなわち、直観的な感覚、そこにいたるまでに受け継がれた政治的な影響力、そして多忙かせっかちか無関心な(あるいはその全部があてはまる)相手を納得させられるメッセージを発信する力、である。
要点をまとめた一枚目のスライドを、ボランドが大ざっぱに説明した。プライバシー問題は大丈夫なのか、法的に引っかからないかといった、みんなが膨大な時間を費やして議論を尽くした話は全部すっ飛ばしてある。広告の話でザックがすでにうとうとしているとすれば、個人情報保護との兼ね合いの話などしても爆睡してアーロンチェアから転げ落ちるだけだろう。ザックの承認が下りれば、法的になんとかなるよう、あとは僕らが動くだけだ。
「つまり、プラグインデータを使えばもっと現金が入ってくると考えていいのかな?」ザックが聞いた。
ボランドとゴクルが僕を見た。今いるメンバーの中で、立場的にはいちばん下だが誰よりも情報を持っている人間──そう、それがプロダクトマネジャーだ──に、何か言うよう促す合図だった。【*】
僕の脳は年季の入った冬場のトラックみたいな反応をした。エンジンをかけようとしても、むなしく止まってしまう。
「ええと、場合によりますけど……というのも、マネタイゼーションにはたくさんの要素が関わってきます。これまできちんとした比較対照試験はしていなくて、それは法的に微妙だからなんですが、でもある意味、ほかにないユニークなデータだとはいえるかもしれません。もちろん、データの点で『いいね!』ボタンが本当にいいのかという問題はありますし、それが──」
「質問の答えだけ言ってくれるかな?」ザックがさえぎった。
恐怖が集中を生む。
「あまり大きな変化にはならないと思います。最近の実績を考えると」僕はきっぱり言った。
沈黙が流れ、ザックの次の言葉をみんなが待つ。
「やってもいいけど、『いいね!』ボタンは使わないように」これがザックの答えだった。
言葉が会議室の中を浸透していく。
「つまりリターゲティングはいいけど、ソーシャルプラグインを使うのはだめということね」シェリルが繰り返した。確認というより、ザックへの問いかけだった。【†】
「そうだ」
この件についてザックが発言したのはこれだけだった。
二つの提案のうちどちらでいくのかはまだ決まっていなかった。この一年後、同じ会議室で、ほぼ同じメンバーがそろって、ようやく答えが出た。フェイスブックでは何かを決定しようと決めるだけでも嫌になるほどの時間がかかる。そうしてようやく決定したとき、僕はフェイスブックを追われ、その決定がこの先フェイスブックがどう収益を上げていくかを変えることになるのだった。
だがこの金曜午後の時点では、僕は内心わくわくしていた。二カ月かけて練った構想が通ったのだ。
視線を向けると、ゴクルはわずかにうなずいてみせた。シェリルが次の議題に移る。シェリルが広告チームとザックを交えて開く週に一度のミーティングでは、プロダクトレビューに割く時間は一五分に限られている。短いやり取りをしている間にほかのプロダクトマネジャーがつぎつぎと会議室へ入ってきて、順番を待っていた。僕はできるだけ目立たないように、スプリングの利いたアーロンチェアを離れ、会議室を出た。仕事を進めよというゴーサインを手にしたのだ。
【*】フェイスブックは規模のわりに比較的フラットな組織だった。当時、広告チームにはおおまかに分けて三つの階層があった。最上層がシニアマネジメントレベルで、嵐のようにつぎつぎ押し寄せるミーティングに追われつつ、合間にメール処理をこなし、ザックやシェリルとほかのメンバーとの間に入ってマネジメントをするのが仕事だ。ゴクルやボランド、バドロスをはじめ、この日会議に出ていた大半のメンバーがこれにあたる。真ん中の層がプロダクトチームとエンジニアリングチームで、たいていエンジニアリングのフロアにいて、人やプロダクトのハッキングにいそしんでいる。ここに属するのが僕と、そのほか実際にプロダクトを構築するメンバーだ。そして最後がセールスとオペレーションのチーム。人数は少なく、本社キャンパスの中でもあまり人の来ない建物と、同じくあまり人の来ない世界各地のオフィスに陣取っている。世間に対して「フェイスブックの顔」として出てくるケースも多く、「フェイスブックEMEA(欧州・中東・アフリカ)地域担当副社長」のような華々しい役職を名乗りながらも、いちばん下の層にあたり、世に出るプロダクトには影響力がなく、もっぱら見せるために存在するといってよかった。
【†】リターゲティングとはネット広告の用語で、ウェブの閲覧履歴に応じて個々のユーザーに合わせた広告を表示する手法を指す。簡単にいえば、ある人がさっきアマゾンなどオンラインショップのサイトで見た商品の広告を表示する、という、監視されているような気にさせるやりかただ。このミーティングがあった当時は、その人がすでに見た商品の広告を単純に再度表示するよりは進化したターゲティングがされていたが、リターゲティングという語は、ある人がサイトBやCやDですでにとった行動に(さらにはネット上ではない実店舗での行動に)もとづいて、サイトAでの行動を促すことを意味する。自分が提案したすばらしいターゲティングツールを、これから実際に作っていく。フェイスブックとそれ以外の世界という、ネット上の二つの巨大なデータの流れを組み合わせて、大きな変革を起こすのだ。
(プロローグ おわり)
〔著者紹介〕アントニオ・ガルシア・マルティネス Antonio Garcia Martinez
アメリカのIT起業家、作家。カリフォルニア大学大学院(バークレー校)の博士課程で物理学を専攻。ウォール街のゴールドマン・サックスでストラテジストとして働き、2008年の金融危機を機にシリコンバレーへ。ウェブ広告のベンチャー企業アドグロックを仲間と立ち上げ、その後ツイッター社に売却。フェイスブック(FB)に転じてプロダクトマネジャーを務めたのちに退職。シリコンバレーでの起業経験とFB社での日々を赤裸々につづった本書は《ニューヨーク・タイムズ》のベストセラーリストに登場し、大きな話題を呼ぶ。ツイッター社のアドバイザーをへて、現在はワシントン州のオーカス島を拠点に、サンフランシスコ湾に浮かべたヨットの船上で暮らす。
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