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【GWは三体三昧!】『三体』、ネトフリで見るか? テンセントで見るか? 実写ドラマを徹底比較する!(著・加藤よしき)

第二部『三体Ⅱ 黒暗森林』文庫版も発売し、ますます盛り上がる『三体』界隈! GWを利用して実写ドラマをイッキ見しよう! とお考えのかたも多いはず。そこで迷うのが、「テンセント版とネトフリ版、どっちがおすすめ?」ということ。SFマガジン2024年6月号(大好評発売中!)に掲載されています、加藤よしきさん(@DAITOTETSUGEN)による『三体』実写ドラマレビューを再録します。

『三体』ドラマ比較レビュー

加藤よしき

*本稿は『三体』テンセント版、Netflix版のネタバレを含みます。

 2024年3月21日、世界的配信プラットフォームNetflixで『三体』実写ドラマの配信が始まった。しかし、これ以前にも同作は実写ドラマ化されている。それが2023年に中国で制作・放送されたテンセント版だ。

 Netflix版とテンセント版は、同じ原作を映像化していながら、印象がまったく異なる作品に仕上がっている。原作へのアプローチも、実際に観終わったあとの感覚も、そして魅力も欠点も、まるで違うのだ。

 まず私の結論から言うと、気軽に『三体』の世界を楽しむならNetflix版、じっくり楽しむならテンセント版がオススメである。これは単純に時間的な問題だ。Netflix版は50分×8話なのに対し、テンセント版は50分×30話もあるので、サクっと観ることができるのはNetflix版になる(中国ドラマは全50~100話がザラなので、30話でも短い方だが)。

 ただしNetflix版はかなり大胆なアレンジが入っている。原作に忠実なのは断然テンセント版だ。ところが、ではテンセント版が完全に原作通りかと言うと、それはそれで問題があって……まさに一長一短である。

 打ち上げ花火ならぬ「『三体』、ネトフリで見るか? テンセントで見るか?」。この問題は非常に難しい。というわけで、この記事では両者を比較しつつ、その魅力と違いを分析していく。少しでも読者の参考になれば幸いだ。

 まずテンセント版について。こちらの大筋は原作の一巻に沿っている。科学者の怪死事件が起こる中で、ナノテクノロジーの専門家・汪淼(ワン・ミャオ)が謎のカウントダウンに悩まされ、男前な刑事・史強(シー・チアン)と出会う。二人は科学者怪死事件の謎を追い、やがて文化大革命の時代に壮絶な体験をした科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)と、途方もない「ある目的」のために宇宙に強力な電波を放つ実験を行っていた紅岸基地の謎、そして今なお蠢く巨大な陰謀に辿り着く。

 テンセント版は原作に忠実であることが基本方針で、時間もたっぷり使い、原作通り物理学や天文学の専門用語が容赦なく飛び交う。もちろんキャラクターも同様だ。特に汪淼と史強のバディ感を強調してくれているのが嬉しい。さらに史強の兄貴(兄貴と呼びたくなる男なんですよ)がカッコいいのである。物理の知識はゼロながらも、常に軽口を叩き、どこか抜けているが、ガッツと正義の心を持ち、無茶なことも平気でやってのける(そして子どもに優しい)。ファンの想像通り、あるいはそれ以上の史強がここにいる。物語終盤、とんでもないことをした史強と汪淼のやり取りは感動的だ。そして史強がカッコいいからこそ、原作一巻の感動的な終わり方の完全再現もばっちりハマっている。

 他にもキャラクターで言うと、原作ではあまり……というか、ほとんど出番がなかったに等しい、史強の部下の徐冰冰(シュー・ビンビン)が、アニメの世界から飛び出してきたような異様にカッコいい女捜査官キャラに仕上がっていて、史強と共に大活躍するのはナイスアレンジ! 史強と徐冰冰のコミカルなやり取りは、見ていて微笑ましい。

 劇中に登場するVRゲーム「三体」のビジュアルも面白い。実写の俳優に似せた3Dキャラで描かれ、仮想空間としての虚構性が強調されていて、ただ普通の人間が異世界っぽい世界に入るだけのNetflix版よりも、こっちの方がずっと好みだった。

 このように原作の雰囲気を大切にしているテンセント版だが、一方で欠点もある。前述の通り三十話もあり、さらに専門用語が飛び交うので、単純に「長い」「難しい」と感じる人も多いはずだ。実際、私も「この人たちは何を言っているんだ?」と完全に置いて行かれたところが多々あった。

 しかし最大の問題は、随所に「大人の事情」や「配慮」が見える点だろう。特筆すべきは原作の重要な要素である文化大革命の扱いだ。ドラマの中では文革についての直接的な言及が最低限に絞られている。この要素が薄れたことで、人生を狂わせられた葉文潔の行動の動機が弱くなり、キャラクターが薄くなっている。それによって、原作の持っていた文革から現代へと連なる一種の歴史小説/大河ロマン的な魅力が大きく減退しているのは否めない。さらに悪役も「地球環境最高! 地球を汚す人類は死ね!」という環境テロリストとして描かれているのだが……そのイメージを強くしようとするあまり、実際の汚れた川や傷ついた動物たちの映像が何度もインサートされる。意図はわかりやすいが、免許の更新で見る教育ビデオみたいになっており、説教臭さを覚える人もいるだろう。

 他にも挙げられるのが原作ファンにはお馴染みの「古筝作戦(こそうさく せん)」だ。これはある驚くべき方法でパナマ運河を進む巨大タンカーを破壊する作戦なのだが、ここで主人公の汪淼は道徳的な問題に直面する。この件で使われるのは、汪淼が研究してきたナノテクノロジーだ。ただし標的になるタンカーには陰謀とは無関係な、無実の人間も乗っている。汪淼は自分の技術が使われることに苦悩する。原作ではあえて深く言及・描写していないが、古筝作戦を映像化するなら、船と一緒にエラいことになる人間を見せないわけにはいかない。そこでテンセント版が出した答えとは……「大丈夫! むしろ船内には殺人鬼や極悪人がいっぱい乗っているから、ヤっちゃった方がイイよ!」。非常に力強い説明である。さらに先述の環境テロと同じダメ押し手法も炸裂。タンカーの中では殺人鬼が人を殺して高いところから吊るし、「ナイフが肉を切り裂く感覚はたまんねぇぜ! ヒャヒャヒャ!」と『北斗の拳』のモヒカンみたいな行動に出るシーンがインサートされる(一応、何故こんな殺人鬼ばっかり乗せているかは説明されます)。ここまでお膳立てされると、こちらも凄腕中国軍人が極悪外国人傭兵軍団を千切っては投げ、千切っては投げる名作アクション映画『戦狼/ウルフ・オブ・ウォー』(2017年)的な気持ちになって、「じゃあ遠慮なくタンカーごと大変なことになってくれ」と、安心して古筝作戦を楽しめるが……。制作者側の主人公らを絶対的な正義・善の側にしたいという意図が透けすぎているのも事実だ。テンセント版はこういった配慮が随所に感じられ、それは一種の言い訳がましさにも見えてしまう。

 対して、Netflix版はこの部分に関して真逆のスタンスを取っている。つまり主人公たちを完全な「善」としないのだ。

 Netflix版は良くも悪くも野心的だ。何しろ原作の一~三巻の要素をまとめたうえで、再構築し、イチから物語を紡ごうとしているのだから。大筋は一巻に沿っているが、キャラや要素は『三体』一~三巻の全体から持ってきている。そして舞台は中国からロンドンへ。主要登場人物も五人のオックスフォード大学の卒業生と、イギリスの秘密組織の人物になっている。汪淼や史強に相当する人物は出てくるが、そこにバディ感は無い。と言うより、そもそも史強に当たるキャラの存在感が非常に薄く……史強ファンとしては非常に寂しいところである。「汪淼と史強のバディもの」を期待すれば、確実に落胆するだろう。

 その代わり、Netflix版は葉文潔の物語に気合いを入れている。物語が若き彼女が見つめる文化大革命の真っ最中から幕を開けるのは、彼女の話をするという宣言だろう。葉文潔は父を革命に燃える若者たちに勢いで撲殺され、雪深い山奥に送られて労働に従事することに。そこで思わぬ恋をするが、その相手に裏切られて刑務所へ。やがて紅岸基地へ流れついた彼女だが、再び酷い目に遭って、遂に人類全体への復讐に走る。私がNetflix版で感心したのは、これらを短い尺で鮮烈に描ききっていることだ。そして極めつけは……。劇中、紅岸基地で試行錯誤を繰り返していた葉文潔は、「地球から太陽に電波を送れば、宇宙空間で電波が届く範囲を格段に広げられる」というアイディアを思いつく。しかし上層部はこの案を「太陽とは毛沢東のこと。太陽を撃つとは何事か」と、極めて非科学的な理屈でこれを一蹴。文革で科学を否定されて父を殺され、恋人に裏切られ、今再び理不尽極まりない思想で科学を踏みにじられた。人類に絶望した葉文潔は、独断で太陽に電波を放つ。ここで狙撃銃のスコープのように太陽に照準を合わせる姿は、文革に翻弄された一人の人間が太陽(毛沢東)を撃つという並々ならぬ気迫に満ちた名シーンだ。こういった直接的な表現はテンセント版にはなかった(と言うか、恐らく表現的にできない)。葉文潔というキャラクターの孤独で壮大な戦いを描く大河ロマンとしては、Netflix版の方がテンセント版より強靭であり、原作に忠実とも言える。

 さらにNetflix版は、物語が進むにつれて、遂に原作すらあえて踏み込まなかった場所へ突入していく。決定的なのが前述した古筝作戦だ。

 テンセント版の古筝作戦は、様々なエクスキューズをつけつつ、全世界中の人間が一致団結して作成成功に向かう姿を見せて、物語のクライマックスに相応しい大破壊のカタルシスを見せた。そんな古筝作戦をNetflix版は血沸き肉躍るスペクタクルに……なんとビックリ、しなかったのである。「悪党しか乗っていないから派手にブチかまそうぜ!」というテンセント版に対し、Netflix版は「無実の人どころか、子どもまで乗っていますよ」という底意地の悪い設定を用意。必然的に、Netflix版の汪淼に相当する人物は古筝作戦に苦悩し、その凄惨な結果に自問自答することになる。ちなみに、テンセント版は死体を出来る限り映さないよう残酷表現を排しているが、Netflix版は冒頭から目をえぐりとられた死体を映すなど、残酷表現にも力が入っている。すでに原作に触れている読者なら、ここまで読んだだけでもNetflix版の古筝作戦の現場がどんな地獄絵図になるか想像がつくだろう。当然だが陰惨すぎてエンターテインメントのカタルシスは存在しない。しかし、このアプローチによって、作品の持つ道徳的な問いかけとジレンマは格段に深まっている。『三体』では次々と奇想天外なアイディアが登場するが、Netflix版は、それらを実行する人間の精神に深く迫っていくのだ。ある登場人物が口にする「(科学のために倫理を疎(おろそ)かにした末に)ヒロシマがあった」という発言は強烈である。人間ドラマとして、群像劇として、Netflix版は非常に強い。

 とは言えこちらも問題点がある。主人公たちがオックスフォード卒の今どきの若者なのは評価をわける点だろう(大麻も吸いまくり)。このオックスフォードの仲間内での人間ドラマは、原作の登場人物を上手く再解釈しているので、「原作のアレをここに持ってきたのね」と元ネタ探し的に楽しめるが、ややウェットな仕上がりで、確実に好き嫌いがわかれるだろう。物理学や天文学の用語を必要最小限に絞っている点も大きな違いである。原作やテンセント版にあった、聞き慣れない専門用語が乱れ飛ぶことで生じる謎のグルーヴ感は存在しない。良くも悪くも、誰でも楽しめる作品になっているが……恨みがましく繰り返すけれど、やはり史強の兄貴の存在が弱い点は致命的だ。

 以上のように、テンセント版とNetflix版、両者は異なる思想で『三体』と向き合っている。原作は同じだが、まったく別物だ。

 では「『三体』じゃないのか?」と聞かれたら、答えは「違う。どっちも『三体』だ」となるから凄い話である。これは原作の強烈な個性の証でもある。異なるドラマを見比べたことで、私自身も改めて原作の凄まじさを思い知った。やはり驚異の小説だが、二作とも魅力的な実写版になっているのは、原作の力だけではない。原作に真剣に向き合った制作者たちの努力の賜物だ。格闘技で喩えると、テンセント版はいくつかの制約の中で、上手く間合いを取って堅実に試合を進めるボクシング。Netflix版は制限の少ない総合格闘技で、原作の首根っこを掴んで殴り合った高山vsドン・フライ戦だろう。ファイトスタイルが違うだけで、どちらも確かに『三体』だ。予定は未定と言うけれど、テンセント版とNetflix版、両方の続篇制作を期待したい。

*テンセント版は5/2現在、WOWOWオンデマンド、Hulu、FODプレミアム、U-NEXTで視聴可能です。

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