息詰まる戦闘描写! 「ブラックホーク・ダウン」&「ローン・サバイバー」の衝撃! 最新刊『レッド・プラトーン 14時間の死闘』の「訳者あとがき」を特別公開。
アフガニスタン戦争史上、米軍が遭遇したもっとも苛酷な戦闘のひとつといわれる「カームデーシュの戦い」(2009年10月3日)。その「地獄の戦場」を生き延び、オバマ大統領から米軍人最高の栄誉である名誉勲章を受けた退役軍人自らが、戦闘の全貌を余すところなく語る戦記ノンフィクション『レッド・プラトーン 14時間の死闘』(クリントン・ロメシャ著、伏見威蕃・訳)を刊行致しました。英語版の原書は《ニューヨーク・タイムズ》ベストセラーリストに長期ランクインしたほか、現在、ソニー・ピクチャーズでの映画化が進行中です。刊行を記念して、翻訳者の伏見威蕃氏による「訳者あとがき」を特別公開します。
訳者あとがき
本書『レッド・プラトーン 14時間の死闘』は、名高いCOP(戦闘前哨)キーティングの戦いの渦中にあったクリントン・ロメシャ二等軍曹がみずから著した力作で、発売とともに《ニューヨーク・タイムズ》のベストセラー・リスト(ハードカヴァー・ノンフィクション部門)の一一位に登場し(二〇一六年五月二二日)、翌週の九位をトップに、数カ月のあいだベスト二〇にとどまりつづけた。マーク・ボウデン著『ブラックホーク・ダウン』(早川書房刊)やマーカス・ラトレル著『アフガン、たった一人の生還』(亜紀書房刊)の読者にはぜひ薦めたいと評にある。
二〇〇九年一〇月三日に発生し、現地の地名からカームデーシュの戦いと呼ばれることもあるこの戦闘では、孤絶した地域にある戦闘前哨キーティングの米兵五〇人余が三〇〇人以上ものタリバンの大部隊に包囲され、全滅の危機に瀕した。タリバンは周到な準備によって、キーティングの弱点を把握しており、キーティングを迫撃砲で支援する役目を担っていた監視哨フリッチーを同時攻撃して、米軍の連携を阻んだ。おりしも撤退の準備が進められ、防御が不備だったことも、米兵たちには不利に働いた。
キーティングの主な防御手段は、機関銃やMk19自動擲弾銃を備えた、即製戦闘車(ガン・トラック)と呼ばれる装甲強化型ハンヴィー(高軌道多目的装輪車)四台、監視塔、迫撃砲掩体壕だった。当然ながら、タリバンはそれらと前哨の電源の発電機を狙撃銃やアサルト・ライフルなどの小火器、RPG(ロケット推進擲弾)、無反動砲で集中的に攻撃した。
攻撃は米兵の大半がまだ眠っていた午前六時前に開始され、緒戦は防御側にとってきわめて不利だったが、キーティングの米軍部隊は、航空支援を受けながら一四時間の死闘に耐え抜いた。米軍側の最終的な戦死者は八人、負傷者は二二人だった。タリバン側は約一五〇人が死亡したと推定されている。
ブラックナイト中隊の中隊長として前哨を指揮していたストーニー・ポーティス大尉が他出していたため、レッド小隊(プラトーン)の小隊長アンドルー・バンダーマン中尉が指揮官代行として指揮所に詰めることになった。そこで、レッド小隊の二個セクション(セクションは小隊と分隊の中間の単位)のうち、Aセクションのリーダーをつとめていた著者、ロメシャ二等軍曹が、現場で采配をふるった。
ロメシャは、兵力の配置、武器弾薬の供給、各陣地での戦術を調整するとともに、兵士たちの所在や安否にも気を配らなければならなかった。ロメシャが敵弾を顧みずに戦況を見定めて、反撃を組織したことが、キーティングを壊滅から救ったと、のちに高く評価された。
本書がベストセラーになったのは、当日は凄絶な戦闘の渦中にありながら、後日、全貌を緻密に組み立てて克明に描いたロメシャの筆力に負うところが大きいが、本書が出版される前から、キーティングの戦いはさまざまなメディアに取りあげられていた。そういった報道によって、真実を知りたいという関心が高まっていたことも、ベストセラーになる下地になったにちがいない。
《ニューヨーカー》(二〇一〇年二月五日号)で、同誌のスタッフ・ライターのエイミー・デイヴィッドソン・ソーキンは、COPキーティングが、米軍のアフガニスタンにおける反政府活動制圧ドクトリンにとって、無用の存在であっただけではなく、すり鉢の底のような地形に置かれ、戦術的に脆弱であったことを指摘する軍の報告書を引用している。また、前年の《ワシントン・ポスト》の報道も引用し、ハミド・カルザイ大統領が固執した作戦のために、前哨にまわされるべき資源が不足していたことも問題視している。この事情は本文でも述べられているが、キーティングの戦いが起きる前から、問題の多い軍事施設であったことがわかる。戦闘後、兵士たちの勇敢さを軍は称えたが、なぜ兵士たちはキーティングにいなければならなかったのか、という根本的な理由は語られていない、とソーキンは結んでいる。
そもそも、軍事用語でいう「前哨」とは、本隊の休止・集結・宿営に際して、敵部隊の奇襲を防ぐために、やや離れた場所に置かれる警戒部隊のことだ。しかし、こういった僻地の拠点を使って、敵の行動を阻止するというのが、当時の米軍のアフガニスタンにおける反政府活動制圧ドクトリンだった。キーティングは、ヘリコプターがなければどこへも移動できない拠点なので、その点でも存在意義が疑われると、著者も遠まわしに指摘している。
傭兵の情報誌《ソルジャー・オブ・フォーチュン》(インターネット版、二〇一三年一一月号)は、ロメシャとともに名誉勲章を受章したブルー小隊のタイ・カーター四等特技下士官(その後二等軍曹に昇級)に焦点を絞った記事を載せている。一度の戦闘で名誉勲章がふたりにあたえられるのは、五〇年来はじめてのことだと、その記事の筆者ハロルド・ハチソンは述べている。カーターはレッド小隊のラーソン三等軍曹(銀星章を受章)とともに、敵弾の降り注ぐなか、重傷を負ったメイス四等特技下士官を救いあげて救護所へ運んだ。名誉勲章授与にあたっては、その勇敢な行動にくわえ、ラーソンとともに正確な射撃で前哨の南を堅守したことが評価されている。カーターが戦いのさなかに成長してゆくようすが、本書に描かれている。カーターは二〇一二年五月にふたたびアフガニスタンに出征し、現時点では第7歩兵師団に所属している。
著者クリントン・ロメシャの略歴は、カバーにもあるが、もうすこし詳しく述べよう。ロメシャは一九八一年八月一七日に、カリフォルニア州で軍人の多い家系に生まれ、一九九九年に米陸軍に入営し、初等訓練にくわえてさまざまな訓練を受けた。
まずM1エイブラムズ戦車の乗員資格を得て、第1歩兵師団第2旅団第63機甲連隊第1大隊B中隊の戦車砲手としてドイツに配置された。この期間にコソボに出征した。つづいて、第2歩兵師団第72機甲連隊第2大隊A中隊の砲手兼副車長として、韓国で勤務した。つぎに、志願してイラクの自由作戦に参加したあと、コロラド州フォート・カーソンに転任になり、第4歩兵師団第4旅団戦闘団第61騎兵連隊第3偵察大隊B中隊レッド小隊のセクション・リーダーに任命された。そして、部隊とともにイラクにふたたび出征した。本書に述べられているように、ロメシャの部隊はいったん帰国して陣容を整え直し、二〇〇九年五月、不朽の自由作戦に参加するために、アフガニスタンに派遣された。ロメシャは、二〇〇九年一〇月のキーティングの戦いを経て、二〇一一年に除隊、ノースダコタ州で石油産業の職を得た。そうやって民間人として過ごすうちに、陸軍の緻密な事後調査によってキーティングの戦いでの功労を認められ、二〇一三年二月一一日に、オバマ大統領により名誉勲章を叙勲された。ほかにも青銅章と名誉負傷章など、数々の褒章を受けている。
ちなみに、名誉勲章は軍人の受ける最高位の勲章であり、大統領から直接授与される。前述の《ソルジャー・オブ・フォーチュン》の記事にあるように、一度の戦闘でおなじ部隊に所属する兵士が二名同時に受章するのは、きわめてまれなことだ。しかも、ベトナム戦争終結後、生存者の叙勲は二〇一〇年まで行なわれなかった。イラク戦争での受章者四人はすべて死後叙勲だった。アフガニスタン戦争での受章者は現時点で一四人で、死後叙勲が三人含まれている。『ブラックホーク・ダウン』に描かれているソマリアのモガディシュの戦闘で死亡したランディ・シュガート一等軍曹とゲイリー・ゴードン曹長も、一九九三年一〇月に死後叙勲を受けている。デルタ・フォース隊員のシュガートとゴードンは、墜落したブラックホーク・ヘリコプターの搭乗員を救援するために果敢にも敵地に降下し、戦死した。
制高点という言葉がある。孫子『兵法』の「軍は高きを好んで低きを悪(にく)み」という言葉のとおり、軍隊は高いところに陣を敷くほうが有利で、高地を制することが勝利に結びつくという考えかたで、軍事ではひとつの常識になっている。そういう見方からすれば、谷底にあって四方を「制高点」に囲まれた戦闘前哨キーティングが、いかに不利であるかがわかる。そのほかにも、ヘリコプター用の降着地帯の位置など、ずさんな設計がいくつも重なっていた。
ただ、キーティングにとってさいわいだったのは、前哨内に突入する主な経路が、九十九折り(スイッチバックス)とダッレコシュターズ川に架かる橋の二カ所しかなかったことだった。いずれも攻撃側からすれば隘路で、狙い撃たれる危険が大きい。そこがいわば日本の城の虎口(こぐち)の役目を果たしていた。それでもタリバン部隊が危険を冒して一斉に突撃してきたら、結果はまったくちがっていただろう。
また、米軍の航空支援の層の厚さもキーティングを救った。なにしろ、AH‐1アパッチ攻撃ヘリコプター、A‐10サンダーボルト近接航空支援機、F‐15Eストライクイーグル戦闘爆撃機、AC‐130スペクター対地攻撃機にくわえて、北朝鮮情勢で最近話題になっているB‐1ランサー戦略爆撃機まで投入されたのだ。
B‐1のような巨大な爆撃機が、小さな戦術拠点を護る空爆を行なうことができるのは、精密誘導できる〝賢い(スマート)〟爆弾を搭載しているからだ。なかでも有効だったのは、JDAM(ジェイダム=統合直接攻撃弾薬)と呼ばれる精密誘導爆弾キット付きの爆弾二〇発だった。JDAMは汎用通常爆弾や戦術子弾散布弾の尾部に組み込むことができる、慣性誘導・GPS測位・方向制御ユニットで、飛行経路を微調整できる小さな操縦機構を備え、弾着の誤差がきわめて小さい。
戦闘前哨キーティングに配置されたブラックナイト中隊は、レッド、ブルー、ホワイトの三個小隊と本部小隊という編成だった。三個小隊のうち一個は交替で監視哨フリッチーに配置される。攻撃された時点では、レッドとブルーの二個小隊と、本部小隊がキーティングを護っていた。
小隊は将校が指揮する部隊としては最小単位で、小隊長は中尉もしくは少尉、部隊の性質によって大きく異なるが、一〇人ないし五〇人前後から成っている。レッド小隊の場合は一六人が通常の兵員だった。以前はこの下の部隊は分隊だったが、いまはセクションという単位が存在する。いわば二分の一小隊で、ロメシャのような二等軍曹が指揮する。小隊は小隊長である少尉もしくは中尉を除けば、全員が下士官と兵卒なので、上下関係をあまり気にせずにまとまりやすい集団だといえる。
そして、その頂点に立つのは軍曹たちだ。どんな組織にもいえることだが、現場での仕事を牛耳っているのは軍曹クラスだ。だからといって、将校は軍曹のいうことをすべて鵜呑みにしてはいけないと、ロメシャは的を射た警告を述べている。軍曹の考えには、幅広い戦略が欠けていることが多いからだ。とにかく、ロメシャと小隊長のバンダーマンは、いい関係を築くことができた。キーティングの兵士たちが多数生き延びられたのは、ふたりの信頼関係によるところが大きかっただろう。
スタンリー・マクリスタル退役米陸軍大将は、本書によせた賛辞で、「仮にクリントン・ロメシャが、キーティングの兵士を一律に冷徹な戦士として描いていたなら、彼らの勲功は輝かしい印象をあたえたはずだ。しかし、ロメシャは、アメリカが多様であるように、兵士それぞれに個性があるという現実を書き表わしている。だからこそ、彼らの勇気は真に胸に迫るのだ」と述べている。本文中の写真もおおいに助けになるが、ロメシャはレッド小隊の兵士ひとりひとりの外見、性格、習癖、ものの考えかたを、丁寧に描いていて、それも本書の大きな魅力のひとつになっている。陳腐ないいかたかもしれないが、過酷な環境で寝食をともにし、生死を懸けて戦った仲間でなければわからないような深奥に迫っている。
『レッド・プラトーン 14時間の死闘』は、キーティングの戦いの真実をあますところなく描いた記録文学(ドキュメンタリー)として、不朽の地位を占めるはずだ。ソニー・ピクチャーズが映画化権を得て、プロデューサーも決定したという情報もある。実現に期待したい。
二〇一七年九月
【全国書店にて好評発売中】
『レッド・プラトーン 14時間の死闘』
クリントン・ロメシャ著
伏見 威蕃・訳
ISBN:9784152097163
価格:2,700 円(税込)