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祝・ラファティ・ルネサンス! ラファティ・ラブ・エッセイ再録②――坂永雄一「ラファティとコミックについて」

待望のR・A・ラファティベスト短篇集《ラファティ・ベスト・コレクション》第一巻の『町かどの穴』が刊行されました。ラファティを愛するラファティアンなあなたも、ラファティのことよく知らないけどなんだかおもしろそう! なあなたも、どなたでも手に取りやすい短篇集になっております。
ここではSFマガジン2021年12月号に掲載されました、《ラファティ・ベスト・コレクション》刊行によせてお書きいただいたエッセイを再録します。第二弾は熱烈なラファティアンとして知られるSF作家、坂永雄一さんによるエッセイです。

ラファティとコミック 坂永雄一

  ラファティのSFは不気味で不可解である。そして面白い。過去、日本ではユーモアSF、ほら話、笑い話と宣伝されてきたが、実際のところその作風は多岐にわたる。エイリアンや科学者の新発明で騒動がおきる古典的SFあり、おそるべき怪物や恐怖の予感が忍び寄るホラーあり、センチメンタルな詩情漂うおとぎ話もある。《ラファティ・ベスト・コレクション》編者の牧眞司によれば第一巻は「アヤシイ篇」ということで、それぞれのテイストはことなれど何かしらの恐怖と怪奇の要素をもった作品が目白押しである。

 私自身、SFを読み始めた頃に、日本で一番メジャーな短篇集『九百人のお祖母さん』を手にとったときから、あふれるユーモアや機知、奇抜なアイデアを楽しみながらも、ホラーやサスペンス的短篇に怖がらされてきた。そして、科学的だと思いこんでいたSFに忍び込んだ、哲学的・宗教的洞察の仄めかしに直面し、大いに困惑させられてきた。ファンが多く、今回のベスト・コレクションでもタイトルに採用された「町かどの穴」などその最たるもの。帰宅した主人公が怪物と化して妻を食べだす、と思いきやそれは勘違いで、食べられていたわけではなく愛の営みで、などと言いながら話は展開し、最後は主人公が怪物と化した妻に食べられてオチる。昔からファンも多い作品であるが、正直に言おう、第一印象からずっと不気味で恐ろしい一作だ。

 もちろん、恐怖と喜劇は表裏一体である。ラファティによれば、見慣れた日常に新鮮さを取り戻すのがホラーの効能であるそうだ。笑いもそうである。あるいはこれは中世的なカーニバル文化、悪や恐怖、権威や聖なるものを格下げしてエネルギッシュな喜劇に転じさせる大衆文化の伝統を汲んでいるとも言えるかもしれない。だが、子供の気持ちで素直にそれを読み、想像力を働かせるならば、食人も殺人も怪物も、それはそれは生々しく純粋な恐怖として描かれることだろう。実際、私にとってはそうであった。世慣れた物語の消化の仕方を学ぶまで、私にとってラファティはユーモアSFの名手であると同時に、一級の怪談作家でもあった。

 ところで、かくいうラファティ本人の想像力のなかでキャラクターたちはどう思い描かれていたのだろう? 最近の私は、何となく漫画(新聞漫画、カートゥーン、アメコミ)のようなビジュアルだったのではないかと想像している。漫画(コミック)の語源が喜劇であり、さらに遡ると酒盛り(コーモス)であるから、というだけではない。ラファティは読書家で、衒学趣味だが、漫画、コミックも読んでいたと思しいのだ。

 彼の小説で、漫画(新聞漫画やアメコミ)が重要なモチーフとして登場する例を二つあげてみたい。アウストラロピテクスの生き残りの少年アウストロと、彼を取り巻く奇人たちの連作短篇シリーズがある(このシチュエーションがすでに連載漫画めいている)。アウストロの趣味は漫画描きで、その漫画はある種の予言というか魔術のように作用する。シリーズの一作「行間からはみ出すものを読め」では物置部屋に溜め込まれた大量のガラクタの山に、世界から消えたパラレルで多重な歴史が圧縮されて隠されていると示唆される。物置には新聞漫画やアメコミのコレクションの山もある。アウストロはその漫画にインスパイアされて、自分も石板に漫画を描きはじめる。そしてアウストロ自身、登場人物の一人が子供時代に書いていた漫画のキャラクターにそっくりだと評される。とはいえ、それはアウストロだけではない。ラファティの小説に登場するキャラクターは、特に短篇小説では、強くカリカチュアされた姿で登場する。カーニバルの仮装のように。人形劇のパペットのように。非リアリズムの現代絵画のように。あるいは漫画のように。

 もう一つ印象的な、漫画についての言及。「断崖が笑った」は、戦時中にマレー諸島の語り部から聞いた「海賊とその妻の愛憎劇」の物語が、別の夜に聞いた兵士の身の上話と混ざり合う趣向である(ちなみに米軍に通訳として出入りする現地人語り部の存在は、作家自身の太平洋戦争中の経験から素材を採っているようである)。ここで、語り部が物語を伝授してくれる理由というのが、アメコミを譲る代価なのだ。千年同じネタを使ってきた世襲伝統の語り部が、近年になって仕入れた新しいネタ、古い伝統の物語とミックスすればたくさんシリーズを作れるネタ、それこそが米兵の持ち込んだアメコミなのである。これは皮肉なジョークや韜晦ではなく、彼の物語づくりの一面を率直に語っている、そんな気がしてならない。古代からの口承・伝承、そして中世の民衆文化。その延長線上に置かれた、現代の民衆文化としての漫画。それは、けばけばしい表紙でラファティを惹きつけたパルプ雑誌のSF小説もまた同じだろう。ラファティは現代のリアリズム文芸やポストモダン文芸よりも伝統的な「物語」を重視する。そして、SF小説も、実はなにも新しいものではない、後者の一形態であると喝破する。古くからの魔法の物語を、新しい仮面で演じているのだ、と(このあたりはエッセイ「世界が終わった翌日」や、『翼の贈りもの』の訳者解説に詳しい)。であれば当然、漫画もまた現代の「民話」足り得るのではないか。

 ラファティの小説は「言葉」が優位だ。姿の見えない語り部が読者=聞き手に向かって語りかける。造語や言葉遊びが飛び交い、語源学と駄洒落が並列される。誰も彼もが長広舌で持論を垂れ流す。『第四の館』の序章で次々登場する超能力者たちの姿を、マティスやクレーに例えるような、かえって想像力を混乱させるような「ビジュアル的」表現もある。作品世界という虚構に没頭しきらず、どこかで常に言葉であることが意識されている。しかし同時に、鮮烈で胸打つような映像喚起力もある。このスイッチングに妙味がある。例えば「レインバード」では天才発明家の驚天動地の事績の数々を、立板に水、滔々と弁じた後で、山上の鷹狩りの雄大な風景を描くシーンを挟む。明言せずして、天才発明家が見過ごしてきた人生の豊かさを示唆する。

 ラファティの書斎は、壁にもドアにも一面に、新聞や雑誌から切り抜いたイラストや写真、絵画の複製が貼り付けられていた。その中には当然、漫画絵の人物やアメコミヒーローもあった。部屋一面のこうしたコラージュを眺めながら、古典と神話、聖書とパルプフィクションを混ぜ合わせた、コミカルでグロテスクな舞台に映像を当てはめていたのかもしれない。もっとも上記の如きはすべて空想でしかない。どこかのインタビューでそのものずばりについて回答されているのかも。

 余談の余談であるが、キッチュさ・非人間的なコミカルさとはまた違った意味で、『第四の館』は漫画的だと思っている。世界を支配する古代人の陰謀を追う主人公は、また別のオカルト的超人集団のテレパシーネットワークに取り込まれ、あちこちで同時進行するキャラクターたちと相互交流する。この叙述は、是非ともコマの配列そのものをネットワーク化した漫画として、めくるめく感覚まで描き出してほしい。

 さて、脳内ビジュアルが多少コミカルになったところで、ラファティの不気味さ、不可解さは健在である。二十世紀以降の社会思想に疑いの目を向け、宗教的人間ゆえに、科学の用語でSF的ストーリーを語っていてもどこか(いわゆる)形而上学的な真理や信仰の存在感が漂っている。しかしシニカルで晦渋なわけではなく、今、この世界に生きることの素晴らしさに対して目を閉じて、共有された幻想でしかない「常識」に埋没して生きる虚しさを、繰り返し、本当に何度でも熱を込めて語る作家でもある(例えば先述の「レインバード」。あるいは「他人の目」の常識的なチャールズと、怪物的世界を生きるヴァレリーもそうだろう)。

 そしてまた、ベスト・コレクション第二巻が「カワイイ篇」と予告されているとおり、キュートなキャラクターや留保なしに愉快なストーリー、すばらしい詩情や切実なエモさに満ちた短篇も得意な作家でもある。

 これらのパラドックス的な作風の幅については、牧眞司、井上央や柳下毅一郎といった名うてのラファティ読者が、それぞれのラファティ論において言及している通りだ。そしてそれこそがラファティの素晴らしいところであると思う。私の幸運は、SFを読み始めた頃にこうした不気味さと不可解さに直面しながらも、そこでラファティという作家を敬遠する方向にいかず、むしろ繰り返し読むようになったことだろう。再読するたびに謎は解けるどころか深まり、もう一度再読する。私が小説を精読することの楽しさを学んだのも、彼の小説が初めてだった。もちろん、いまだに腑に落ちないことばかりだ。愉快な面も不可解な面も合わせて楽しんでいただきたい。

ラファティ・ベスト・コレクション1 町かどの穴
R・A・ラファティ/牧眞司=編/伊藤典夫・浅倉久志・他=訳
装幀:川名潤
定価1540円(税込)/ハヤカワ文庫SF
町かどにあいた大きな穴のせいでもうひとりの自分が多数発生してしまう事件の顛末を描く「町かどの穴」、惑星調査隊が直面したあらゆるものを盗む天才エイリアン“どろぼう熊”をめぐる悪夢「どろぼう熊の惑星」、考古学者たちがいつも“つづく”で終わる奇妙な絵文字が刻まれた石の謎に取り憑かれる「つぎの岩につづく」など、伝説の作家ラファティによる不思議で奇妙な物語全19篇を精選したベスト・オブ・ベスト第一弾。
【収録作品】
町かどの穴/どろぼう熊の惑星/山上の蛙/秘密の鰐について/クロコダイルとアリゲーターよ、クレム/世界の蝶番はうめく/今年の新人/いなかった男/テキサス州ソドムとゴモラ/夢/苺ヶ丘/カブリート/その町の名は?/われらかくシャルルマーニュを悩ませり/他人の目/その曲しか吹けない/完全無欠な貴橄欖石/〈偉大な日〉明ける/つぎの岩につづく

『ラファティ・ベスト・コレクション2 ファニーフィンガーズ』は12月刊行予定です。コチラもお楽しみに!

本エッセイが収録されているSFマガジンはこちら▼


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