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映画『オッペンハイマー』原案の傑作ノンフィクションが文庫化!(本文試し読み公開)

「原爆の父」と呼ばれた天才物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの生涯を丹念に描くことで、人類にとって国家とは、科学とは、平和とは何かを問う、全米で絶賛された傑作評伝がついに文庫化。映画監督クリストファー・ノーランも名著と賞賛する本書『オッペンハイマー(上・中・下、三巻組)』(カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン、河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳、早川書房)は、日本での映画公開に先駆け2024年1月22日発売です(電子書籍も同時発売)。
この記事では本書(上巻)より「序章」を特別に試し読み公開します。1940年代に原子爆弾の開発に大きく関与したオッペンハイマーは、50年代に入ると一転して政府やFBIから厳しい監視を受ける立場に。時代の寵児だった天才科学者を人生の暗転期に導いた原因は――

『オッペンハイマー』(上巻 異才)カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン、河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫(早川書房)
『オッペンハイマー』上巻(早川書房)
『オッペンハイマー』(中巻 原爆)カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン、河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫(早川書房)
『オッペンハイマー』中巻(早川書房)
『オッペンハイマー』(下巻 贖罪)カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン、河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫(早川書房)
『オッペンハイマー』下巻(早川書房)

『オッペンハイマー』序文

1953年のクリスマスを4日後にひかえた日、ロバート・オッペンハイマーのキャリア、評価、はては自負心までも含めた人生が突如コントロールを失った。

「いったい何が起こっているのか理解できない」。ワシントンにある顧問弁護士の家に向かう車の窓から外を見つめながら、彼は心の中で叫んでいた。それから数時間のうちにオッペンハイマーは、弁護士のところで運命的な決断に直面しなければならなかった。

政府に対するアドバイザーとしての地位を、辞さなければならないだろうか? それとも、その日の午後、原子力委員会(AEC)のルイス・ストローズ委員長から突然手渡された書簡にあった数々の嫌疑を晴らすべきか?

その書簡には、彼の身元の再検討と新しい政策方針に基づいた結果、オッペンハイマーは国家安全保障上の危険人物と宣言されることになった旨が述べられていた。その根拠として、延々34項目の嫌疑が掲げられていた。いわく、「貴殿は1940年に中国人友好協会のスポンサーであった」というばかげたものから、「貴殿は1949年秋以来、水素爆弾の開発に強く反対してきた」という政治的なものまで含んでいる。

奇妙なことに、広島と長崎に原子爆弾が投下されて以来ずっと、オッペンハイマーは暗く不吉な何かが彼を待ち伏せているという、漠然とした予感が頭から離れなかった。その数年前、1940年代終わり近く、最も尊敬され最も称賛される科学者として、また時代の政策へのアドバイザーとして、オッペンハイマーがまさに偶像的地位を獲得して《タイム》や《ライフ》誌の表紙まで飾っていたころ、オッペンハイマーはヘンリー・ジェームズの短編小説『ジャングルの野獣』を読んだ。

「何か大変珍しくて奇妙なものが待ち受けている。とても大きくて、恐ろしい何かが遅かれ早かれ起きるのだ」という強迫観念と、自己中心主義の苦しみを主題にしたこの小説を読んで、オッペンハイマーは完全に立ちすくんでしまった。その実体が何であるかは別として、いずれ自分を「圧倒する」であろうことを彼は知っていた。

反共主義の流れが戦後のアメリカで勢いを増すにつれて、「その野獣」が自分の後をつけていることを、オッペンハイマーはますます感じるようになる。赤狩りを仕事にする議会調査委員会に喚問され、FBIは彼の自宅とオフィスの電話に盗聴器を仕掛け、政治的な過去に関する中傷的な話や政府方針が新聞に流れると、彼はますます追い詰められた気持ちになった。

バークレーでの1930年代の左翼的活動に加えて、戦後は空軍の核兵器による大量戦略爆撃計画(オッペンハイマーはこれを大量虐殺と呼んだ)に反対したことが、FBIのJ・エドガー・フーバー長官やルイス・ストローズを始めとする、多くの政府実力者の怒りをかった。

その晩、マークス夫妻、ハーバートとアンのジョージタウンの自宅で、彼は自分の選択肢について熟考した。ハーバートは彼の弁護士というだけでなく、最も親しい友人の一人でもあった。そして、妻のアン・ウィルソン・マークスは、かつてロスアラモスで彼の秘書を務めたことがある。その夜のオッペンハイマーの「精神状態はほとんど絶望的」なように、アンには見えた。多分、辞職あるいは説得両様の意見があったと思うが、それでも多くの議論を交わした後でオッペンハイマーは、どんな不利な状況でも、嫌疑と戦わずに済ますわけにはいかないと結論した。

そこで、ハーバートに手引きを受けて、ロバートは提出する手紙の下書きを書いた。彼はストローズが辞職勧告したことに触れ、「親愛なる委員長閣下 閣下は、わたくしが原子力委員会の顧問としての契約解除を願い出ることが、考えうる代替案の中で最も望ましく、これによって嫌疑の明示的な検討を避けられると述べられました」。自分は、この選択肢について真摯(しんし)に考慮した、とオッペンハイマーは述べた。

しかし、「現下の状況においては」、と彼は続ける。「辞任という選択は、わたくしが12年ほど続けてきた政府への奉仕を続けることが不適切であるという見解を受け入れ、同意することを意味いたします。これはできません。もし私が適材でないというのであれば、これまでの国への奉仕や、プリンストン高等研究所長としての勤務、また再々にわたり行ってきた、科学とわが国のための発言は、できなかったはずであります」

夜も更けたころ、ロバートは疲れきって、元気がなかった。酒を少し飲んでから、2階の客用ベッドルームに引き上げた。数分後、ハーバート夫妻と、ロバートに付き添ってワシントンまで来ていた妻のキティは、「ものが壊れるすごい音」を聞いた。先を争って2階に駆け上がると、ベッドルームは空っぽで、バスルームのドアは閉まっていた。「開けようとしたけど、駄目だった」、アンは言う。「そして、ロバートの返答もなかった」

バスルームの床に倒れ、意識を失ったロバートの体がドアをブロックしていたのだ。彼らは少しずつドアをこじ開け、ぐったりしている体を一方に押しやった。意識が戻ったとき、「彼は、もぐもぐ口を動かしていた」と、アンは回想する。彼が言うには、キティが常用している処方睡眠薬を一錠飲んだという。「眠らせないように」。医者が電話で注意した。そこで、医者が到着するまでの一時間近く、ロバートを行ったり来たり歩かせ、なだめながらコーヒーを口に運んだ。

ロバートの内面の「獣」はついに姿を現した。その「獣」とは、公共に奉仕した彼のキャリアに終止符を打つと同時に、皮肉にも彼の名声を高め、彼の神話を守るための試練であった。ニューヨークからニューメキシコのロスアラモスへ、無名から名声へ、ロバートがたどってきた道は、20世紀における科学、社会正義、戦争、そして冷戦の、苦闘と勝利へと導く道でもあった。その並外れた知性、両親、倫理文化学園の教師たち、それと若き日の経験が彼の旅を導いた。

専門的に見ると彼の成長は、1920年代に量子物理学を学んだドイツで始まった。彼は量子物理学を愛し、これに転向したのだった。1930年代にはカリフォルニア大学バークレー校を、アメリカ合衆国で最も傑出した量子物理学の研究センターに育てながら、国内では大恐慌が、国外ではファシズムの台頭が起き、ロバートはその影響の大きさに驚いていた。仲間の多くは共産党員やそのシンパであり、その努力の目標は経済的、人種的正義の実現であった。この時代は、彼の人生でも最高の時代であった。

それから10年後、ロバートにかん口令を敷こうとしたという事実は、われわれが広言する民主主義の原則というものが、いかにもろいバランスの上に立っているか、いかに注意深く守らねばならないかを示す警鐘でもある。

オッペンハイマーが1954年に耐え忍んだ苦しみと屈辱は、マッカーシズムの吹き荒れた時代には、決して珍しいことではなかった。しかし被告としては彼ほどの大物は他に見当たらなかった。彼はアメリカのプロメテウス、「原子爆弾の父」であった。戦時下において祖国のために、太陽の恐るべき火を自然からもぎ取る取り組みの先頭に立ったのだ。その後、彼は賢明にもその危険性について語り、そして、うまくいけばその潜在的利点を利用できると語った。そして、ほとんど絶望的ではあったが、軍が採用し学術界の戦略家が推進していた核戦争を批判した。

「文明は常に、倫理を人間生活の基本と見なしてきた。分別を備えたゲーム理論の場以外で、人類の絶滅可能性などを論ずることはできなかった。その文明を、今われわれはどのように扱おうとしているのか?」

1940年代後半、米国とソビエトの関係が悪化するにつれて、核兵器に対する厳しい疑問を提起したいとするオッペンハイマーの永年の願望は、ワシントンの国家安全保障関係者を大いに悩ませた。1953年に共和党が政権に復帰すると、たとえばルイス・ストローズのような、大掛かりな核報復の擁護(ようご)論者が、ワシントンで勢力を持つようになった。ストローズとその一派は、自分らの政策に確実に立ち向かってくると恐れていた、ある一人の男を沈黙させようと決心したのだった。

政治観と専門的な判断、これこそオッペンハイマーの生命であり価値であったが、反対派は1954年にこれを攻撃するにあたって、彼の野心と不安定さ、知能の高さとナイーブさ、決意と恐いもの知らず、禁欲主義と狼狽(ろうばい)といった、内面的性格の多くを暴いた。AECの「個人に関する保安聴聞委員会」の1000ページ以上におよぶ分厚い印刷物「J・ロバート・オッペンハイマーに関する件」の中で、多くのことが明らかにされている。

だがこの聴聞会資料を見ると、この複雑な人物が若いころから自分の周りに構築してきた「感性のヨロイ」を、反対派がいかに破れなかったかが明らかに読み取れる。このヨロイは、20世紀初頭ニューヨークのアッパー・ウエストサイドで過ごした幼少期から、1967年の死に至るまで彼について回った。そのため、アメリカのプロメテウスはそのヨロイの下で、謎に満ちた個性を展開したのである。本書は、人間の公的な活動やポリシーの決定は(オッペンハイマーの場合は彼の学問も含めて)、その人の生涯にわたる個人的経験によって導かれる、という信念に基づいて調査され、書かれたきわめて個人的な伝記である。

完成までに四半世紀を要した本書(原題『アメリカン・プロメテウス』)は、国内外の古文書館や個人コレクションから収集した膨大な記録に基づいている。オッペンハイマーが集めた文書で米国議会図書館が所蔵しているもの、および、四半世紀を超す調査の過程で集まった、何千ページものFBI記録からも引用している。公的生活を送った人物で、これほど詳細な調査の対象になった人はほとんどいない。そして読者は、FBI記録装置によって捕捉され文書化された、彼の言葉を「聞く」だろう。

しかしそれでも、文書化された記録は人間の一生の真実について、その一部しか伝えることはできないので、100人近いオッペンハイマーの友人、親戚、同僚にインタビューも試みた。1970年代と1980年代にインタビューした多くの方々は、すでに亡くなっている。しかし、彼らが語った物語から、核時代にわれわれを導き、われわれが未だに苦しんでいるように、核戦争の危険を排除する道を見つけようと苦しみ、しかし敗れた注目すべき人物について、微妙な違いのある人物像が出来上がった。

オッペンハイマーの物語は、人間としてのわれわれのアイデンティティが、核に関連する文化と密接につながっていることも、改めて思い起こさせる。「われわれは1945年以来、心の中に爆弾を抱えている」と、E・L・ドクトロウは述べている。「それは最初われわれの兵器であった。それから外交になり、そして今は経済である。これほど恐ろしく強力なものが、40年たってわれわれのアイデンティティをつくり上げていないと、どうして考えられるか? 敵に対抗して造った大きな怪物は、われわれの文化、爆弾文化である。そのロジックも、信仰も、そして展望も」

オッペンハイマーは、彼が解き放った核がもたらす脅威を封じ込めることによって、その爆弾文化からわれわれを遠ざけようと果敢に努力した。その最たる手柄は、原子力エネルギーの国際管理計画であった。それはアチソン・リリエンソール報告書として知られている(しかし実は、オッペンハイマーが考えたもので、大部分彼が原稿を書いている)。これは今でも、核時代の理性を論じるただ一つのモデルである。

しかし国内外の冷戦政治は、この計画の運命を狂わせ、その後半世紀にわたりアメリカおよび他のますます多くの国々が、核爆弾を保有し続けた。冷戦の終了とともに、核による絶滅の危機は去ったように見える。しかし、もう一つの皮肉なねじれ現象によって、21世紀における核戦争と核テロリズムの脅威は、おそらく以前にも増して差し迫ったものになっている。

「原爆は、直ちにアメリカを理不尽な攻撃に曝されやすくする、無差別な恐怖の武器である」核時代の夜明けに「原爆の父」がわれわれに警告したことを思い出すのは、9・11以後のわれわれにとって意味あることだろう。

1946年のある上院秘密委員会において、「3人または4人の男が爆弾(原爆)をニューヨークに密かに持ち込み、全市を吹き飛ばすことは可能か」と尋ねられたオッペンハイマーは、ずばり、「もちろん持ち込みは可能です、またニューヨークを破壊することも可能でしょう」と答えている。飛び上がった上院議員の関連質問、「街のどこかに隠された原爆を見つけるには、どんな道具を使うのか?」に対してオッペンハイマーは次のように皮肉った。「ネジ回しです(箱やスーツケースを開けるために)」。核テロリズムに対するただ一つの防御策は、核兵器の排除であった。

オッペンハイマーの警告は無視され、そして最終的に彼は沈黙させられた。ゼウスから火を盗んで人類に与えた、あの反抗的なギリシャの神プロメテウスのように、オッペンハイマーはわれわれに原子の火を与えた。だが、彼がそれを制御しようとしたとき、われわれにその恐るべき危険性を気づかせようとしたとき、いわばゼウスのような政府当局が怒りで立ち上がり、彼を罰したのだ。ウォード・エバンズ(原子力委員会の聴取委員会で反対意見を述べたメンバー)は次のように書いている。
「オッペンハイマーの身分保証取消は、わが国旗についた汚点であった」


⇒この続きは是非本書でご覧ください(電子書籍も同時発売)。

『オッペンハイマー』文庫発売は1月22日

■著者略歴

カイ・バード/Kai Bird
1951年生まれ。歴史家・ジャーナリスト。スミソニアン航空宇宙博物館での原爆展中止の是非を問う Hiroshima's Shadow の編著者。他の著作に、CIA史に残る重要な工作員の生涯を描いた The Good Spy: The Life and Death of Robert Ames や、カーター大統領の画期的な伝記 The Outlier: The Unfinished Presidency of Jimmy Carter など。ニューヨーク市立大学大学院レオン・レヴィ伝記センター事務局長。アメリカ歴史家協会会員。

マーティン・J・シャーウィン/Martin J. Sherwin
1937年生まれ。タフツ大学(マサチューセッツ州)歴史学教授など歴任。広島・長崎への原爆投下に至る米国核政策をテーマにした『破滅への道程』で米歴史本賞受賞。他の著作に『キューバ・ミサイル危機』など。2021年没

■訳者略歴

河邉俊彦(かわなべ・としひこ)
1933 年静岡県生まれ。一橋大学社会学部卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、三菱自動車工業株式会社勤務の後、《日経サイエンス》の記事をはじめ、経済・法律・文化など多方面の翻訳を手がける。

■監訳者略歴

山崎詩郎(やまざき・しろう)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。東京工業大学理学院物理学系助教。著書『独楽の科学』『実験で探ろう!光のひみつ』、監修書『ノーラン・ヴァリエーションズ クリストファー・ノーランの映画術』、映画『TENET テネット』字幕科学監修など。

■書誌概要

『オッペンハイマー(上中下巻)』
原題:American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer
著者:カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン
訳者:河邉俊彦
監訳:山崎詩郎
出版社:早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
発売日:2024年1月22日(電子書籍も同時発売)
本体価格:各巻1,280円(税抜)
※本書は2007年8月にPHP研究所より刊行された単行本『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』に新たな監訳・解説を付して改題・文庫化したものです。

■映画『オッペンハイマー』概要

(2024年日本公開予定)
原題:Oppenheimer
監督、脚本:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローヴェン、クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネ
ット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー他
原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン 『オッペンハイマー 』(2006 年ピュリッツァー賞受賞/ハヤカワ⽂庫、2024 年1 ⽉刊⾏予定)
2023 年/アメリカ
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
© Universal Pictures. All Rights Reserved.

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