
これが、電脳アクションの最新進化形。木村浪漫『イエロー・ジャケット/アイスクリーム』冒頭パートを特別試し読み!
2096年の有機都市・東京を舞台に、組織犯罪集団“アサヒナ・ファミリー”と巨大ゲーム・コングロマリットがぶつかる、新鋭・木村浪漫のデビュー長篇『イエロー・ジャケット/アイスクリーム』の冒頭部分を試し読み特別公開します。まさに2020年代のサイバーパンク×壮絶ゲームアクションを体感してください。
〈ストーリー〉
西暦2096年、ニューヨーク。実の家族による組織犯罪集団"アサヒナ・ファミリー”の末弟である朝比奈伊右衛郎は、囮捜査にはまり、巨大複合企業ハニュウ・コーポレーションのCEO、羽生氷蜜の手に堕ちる。氷蜜の手により、有機都市東京・千代田区神田の羽生芸夢学園に強制入学させられることになったイエロー。犯罪者からの更生のため、有機電脳と特甲服をリンクさせた電装化体験型遊戯“ジャケット・プレイ”の訓練を受ける彼の前に、ファミリーを率いる父・朝比奈レインボウが立ち塞がる。
〈著者略歴〉
木村浪漫(きむら・ろまん)
1984年、誕。東京農業大学農学部卒。理科教員に七年間勤務。2015年、冲方塾小説大賞。2019年、第二回冲方塾塩澤賞。

四六判並製 早川書房
定価:2310円(税込)
Prologue:GAME IS OVER
音楽のセンスがいいやつは、暴力のセンスもいい。
暴力のセンスがいいやつは、犯罪のセンスもいい。
犯罪のセンスがいいやつは、人生のセンスもいい。
つまり、音楽のセンスがいいやつは、人生のセンスがいい。
それこそが、ぼくたち〝アサヒナ・ファミリー〟の人生哲学だった。
西暦二〇九六年。アメリカ合衆国。
ニューヨーク州。ロウアー・マンハッタン。
平和の灯りを掲げた、自由の女神が睥睨する視線の先──マンハッタンのウェスト・サイドとサウス・サイドを結ぶ、ハイウェイの高架下。
薄汚れたダウンタウンの、場末の酒場。
〝緋色の破片〟
バイク乗り兼、重度のアルコール中毒者たちの巣窟みたいなニューヨークの安酒場で、デジタル式のジュークボックスが、退屈なユーロビートを奏でている。
うんざりするような、メロディだった。
優等生的なテンプレート・ビート。どんなフィールも湧き上がらない、単調で模範的なメロディライン。前世紀のユーロビート・ブームに粗製乱造された、有象無象の一つとしか形容できないナンバーだった。
それに、この店に漂う安酒と吐瀉物の饐えた臭いが、有象無象に微かに残ったユーロビートの爽快感を、すっかり台無しにしてしまっていた。
〝音楽のセンスが悪いやつは、人生のセンスも悪い〟
ぼくたちの人生哲学を代弁するように、テーブル席の中央に座る父さんは雑誌の「プレイボーイ」をアイマスク代わりに居眠りをしているし、ベルートー兄さんは冬眠明けの熊のように、うっそりと店内を徘徊している。
玫瑰紫姉さんは神経質な猫のように入念に爪の手入れ中で、妹のアズールは無表情でブラウニー・タイプのチョコレート・バーを齧りながら、経済新聞を読み耽っている。
ぼくもまぁ、野生動物に巣を荒らされたスズメバチのように、不機嫌だった。
ぼくは自分の不機嫌さを誤魔化すように、骨董趣味なオートバイ・ゴーグルを額から顔に下げ、スポーツバッグから黒と黄、雀蜂色の携帯ゲーム機を取り出す。
取り出した携帯ゲーム機に付属したカメラで、ぼくは店内の様子を撮影する。
ジャック・ダニエル、ジム・ビーム、ワイルド・ターキー──アメリカン・ウィスキーが勢揃いした、年季の入ったボトル・ラックを撮影。
罅割れた木製のカウンターテーブルを保存。
ビールとウィスキーの匂いが染みついたフロアを保存。
もう何年も洗っていないであろう、ビールサーバーを保存。
一九七七年、ニューヨーク・ヤンキースが、リーグ優勝した年の記念時計を保存。
ぼくは撮影した酒場の風景を、ゲーム機内部にストレージしながら〝レッド・フラクション〟店主の人生を想像する。
退屈なユーロビートの、退屈なメロディラインをなぞるように。
高速道路の出口に近い〝レッド・フラクション〟は、きっと平日の夜はアップタウンから帰宅する通勤客で賑わうだろう。
店主は通勤客に、一杯七ドルのビールをジョッキに注ぐ。週末には遠乗りから帰ってきたバイク乗りで賑わう。また一杯七ドルのビールをジョッキに注ぐ。
ジョッキを置いたテーブルでは、常連客同士によるトランプ賭博が始まる。
店主はトランプで勝った客に一杯七ドルのビールを注ぎ、負けた客に一杯七ドルのビールを注ぐ。
日曜日の夜が明け、月曜日の朝方になれば、事故か喧嘩か何かで店頭の路面に散らばった、オートバイクの赤いブレーキランプ──緋色の破片を掃除する。
そして新しい週が始まり、一杯七ドルのビールをグラスジョッキに注ぐ、月曜日の夜がやってくる。
考えられる限り、最悪の人生だ。
溜息。
人生がうまくいかないのは、音楽のセンスが悪いからだ。
鋭い音楽の感性を持ち合わせていれば、毎日を一杯七ドルのビールをジョッキに注ぐような、退屈なリズムで人生を送ることだけは、あり得ない。
レインボウ父さん、ベルートー兄さん、玫瑰紫姉さん、妹のアズール。
──ぼくたち家族の人生のように。
ぼくたちは、犯罪者たち。
きっと、世にも珍しい、血の繋がった家族による組織犯罪集団だ。
傷害、殺人、暴行、窃盗、強盗、拉致、監禁、恐喝、詐欺、電脳犯罪──あらゆる犯罪の共犯者、あらゆる法律の造反者であることが、ぼくたち家族の絆なんだ。
家族の、家族による、家族のための犯罪結社。
身内意識が非常に強く、違法行為は私情に多数。
業務上過失致死は、当然ながら自己責任。
ぼくの喜びは、家族の喜びで、家族の苦しみは、ぼくの苦しみ。
強力な家父長制度が支配する、異常にアットホームな家庭です。
「随分と長らく、お待たせしたようだ。〝アサヒナ・ファミリー〟のみなさん」
鷹揚な口調に、油断ならない目つき。それから、危険な物腰──あからさまなくらいに裏社会の仲介人です、といった風情の壮年男性。
今回の仕事の仲介人は、有機人形の護衛を二人、左右に構えた盾のように引き連れてぼくたちの前に現れた。
この鷹揚な喋り方の仲介人の名は、アーネスト・ウィットワーク。
どうせ偽名なのだから、ぼくはこいつの名前を覚えない。
「お待ちするのは構わないが、この店の音楽は最悪だったな」
父さんが億劫そうに顔から「プレイボーイ」をどけると、のそりと立ち上がった。
髪色のメラニン色素を有機的に混ぜて、七色に染めあげたドレッド・ヘアー。
父さんは店内を、蜷色の遮光ゴーグルで覗いた──オーロラ・フィルムで遮光された、父さんの虹色のゴーグルが妖しげな光を放った。
ぼくたちの父さん。
アサヒナ・ファミリーの一家の長。
ぼくたちが巻き起こした、数々の事件の主犯であり、世界中のあらゆる犯罪の王。
朝比奈レインボウ。
──ぼくたちのカミサマ。
「音楽? そいつに一体、何の問題が?」
ぼくは仲介人の浮かべた不可解な顔に、カメラを向ける。
保存。
「この雌ガキ、何をやっている?」
ぼくの代わりに、父さんが仲介人の質問に答えた。
「ARシューティング・ゲームだよ。景色や人物を有機電脳内に撮り込んで、オリジナルのフィールドや、ユニークなシューティング・ターゲットを構築するんだ」
父さんはいきなり右手で指鉄砲をつくると、フィクサーに向かって、機関銃のように腰だめに構えた。
「バババ! バババババ! ババババババババ! ズギューン! ババババババ!!」
仲介人は、呆気に取られたようだった。
父さんは稚気に溢れた笑みを、口元に浮かべた。
「まだ子供なんだ。大目に見てくれ。──それとな。アンタは勘違いをしているみたいだが、そいつは〝雄〟だ。愛らしいのは外見だけで、股間にゃぶっとい〝針〟がある」
呆気に取られたような表情を浮かべていたフィクサーは、気を取り直すように、大きく咳払いをした。
「あんたらに殺して欲しいのは〝ハニュウ・コーポレーション〟の代表取締役、羽生氷蜜。何、あんたらだって、一度は聞いたことのある名前だろう。とんでもない複合企業の社長だからな。だが、二度とはない。これからあんたらが殺すからな」
ぼくたちは黙っている。
「羽生氷蜜は、我々から仕事を奪い始めた。まるで二十一世紀初めの教育熱心な教職員のように、タダみたいなキャッシュで、クソみたいな仕事を請け負っている」
仲介人は自分で自分の言葉に頷き、会話らしきものを続ける。
「羽生氷蜜には価値がある。生きている価値がじゃない。死んで生まれる価値が、だ。あんたがた〝アサヒナ・ファミリー〟は、ゴミの分別の天才だと聞いている。──片すべきものを片して、残すべきものを残し、私たちの街に、元通りの価値を取り戻してくれ」
父さんが心底億劫そうに、口を開いた。
「それで、ゴミの清掃料は?」
「前金で三百万ドルだ。やれるか?」
父さんは剽軽に口笛を吹くと、口元をニヤリと歪めた。「前にも似たような話があったよ」
「そうなのか?」
「──あぁ。前にもアンタと似たようなやつが、アンタと似たような話を持ちかけてきた。まぁ、その時は一遍でイカサマだってわかる与太話だったけどな。もちろん俺は、その間抜け野郎の舌を銃で撃ち抜いて、なんて言ったか──アンタにゃわかるか?」
仲介人は父さんの質問に対して、もったいぶった仕草で首を振る。
「さぁ──わからない。教えてくれ」
「俺の神に曰く──〝汝の舌が悪事を働いた時には、その舌を切って落としなさい。何故なら、全身が地獄に落ちるよりは、マシだからです〟ってな。もしも、もしもの話だけどな、あんたが嘘を吐いて、上手いこと俺たちを引っ掛けようってンなら、俺はあんたのその、洒落た悪戯を思いついた脳味噌を、ぶっ飛ばさなけりゃならなくなる。──なにせ、善人が地獄に落ちるのは、忍びないからな」
レインボウ父さんの言葉に、ぼくたちは一斉に忍び笑う。
ぼくたちは父さんのことが、大好きだ。
だから父さんが軽蔑するべき相手を、ぼくたちは殊更に嘲笑する。
「私を疑っているのか? 私の言葉は、掛け値なしに、すべて真実だ」
どうやらこいつには、父さんが言おうとしていることは、難しくてわからなかったようだ。
「──伊右衛郎、どうなんだ?」
父さんに名前を呼ばれたぼくは、極めて無機質に答える。
「そいつの本名は、マイケル・サンダーソン。ハニュウ・コーポレーション課長。生年月日は二〇四八年、六月十三日。入社日は二〇六二年、四月一日。社内閲覧用のデータには、そいつの個人情報がまだ残ってる。ついでにこの店の中にいる客は、全員がそいつに協力するNYPDの私服警官。──まぁ、どう考えたって罠。ニューヨーク市警と、ハニュウ・コーポレーション合同の、囮捜査だよね」
ぼくの言葉に、アーネスト改めマイケルは、顔色一つ変えなかった。
「捏造だ。誰かの偽情報に踊らされているだけだ。子供の戯言を、アンタは信用するのか?」
「そいつのメールアドレスと、SNSアカウントも特定したけど、確認する?」
父さんはやれやれ、と言いたげに肩を竦めると、蜷色に光る遮光ゴーグルをずらして、フィクサーの顔を覗き込んだ。
悪夢のような色をした、濁った右目で、覗き込んだ。
「俺に嘘を吐くんじゃない。俺はいつも、おまえを見ているからな」
父さんの濁った右目に、気圧されたように後ろに下がるマイケル。
その背中に妹のアズールが、お尻のピストル・ポケットから引き抜いた、未開封のチョコレート・バーを押し付けていた。
「あなたはパパを、嘘で侮辱した。──万死に値する」
暴力の気配が、〝レッド・フラクション〟に満ちる。
ぼくは大きく息を吸い込んだ。
音楽が始まるのは、いつだって呼吸からだ。
ぼくは酒場のデジタル式のジューク・ボックスをハックして、手製の音楽データを流し込む。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ作曲──〝すずめばち〟
荘厳なオーケストラから、スズメバチの羽音のような高音のトランペットが唸る。
飢えた灰色熊のように飛び掛かったベルートー兄さんが、棍棒のように太い迷彩色のサイバー・アームで、右の護衛の首を捩り切ったのが合図になった。
アズールのチョコレート・バーに仕込まれた小型拳銃が火を噴き、マイケルの背中から腹を撃ち抜いた。
玫瑰紫姉さんが手を振ると、左の護衛の顔が魔法のように爆散し、べろりと無機電脳を剥き出しにして、左右真っ二つになった。
ぼくは──ぼくは有機電脳を起動して手元のゲーム機を操作。
ゲーム機とぼくの思考を、フライ・バイ・ワイアで有機接続。
ラルフローレンのスポーツバッグから、ぼくの思考と感覚をリンクした、スズメバチを模した飛行ドローン──『VESPA』を飛び立たせる。
電装化──浮遊する『VESPA』の機体表面に流れる風速と重力値を、『VESPA』と有機接続したぼくは、まるで自分の素肌で直に感じ取るかのように、人機一体に知覚している。
マイケルが左手で腹を押さえて、這いずるように逃走。異常事態に気がついたNYPDの私服警官たちが、無線に手を当てながらマイケルの援護に向かう。
『VESPA』=ぼくは、マイケルが逃げる方角に、機銃掃射。
尾部に仕込まれた『VESPA』のフレシェット弾が針の雨のように降り注ぎ、マイケルと私服警官たちの両足の点穴──承山、草蘼、三陰孔、陽覇、甲利、内踵を穴だらけにして、彼らは前方に倒れこんだ。
父さんが膝から崩れ落ちたマイケルを、嘲笑うように言った。
「片すべきものを片し、残すべきものを残す──アンタの言葉通りさ」
「すぐに応援が来るよ」
父さんが祝福のように、ぼくの黒と黄色の斑髪を左手で掻き分けて、額にキスをする。
「俺の神に曰く──〝汝、窮地に憔悴することなかれ。何故ならば、汝は清く、正しく、必ずや救いの手が伸ばされる〟」
ぼくたちは〝レッド・フラクション〟の酒場から、堂々と退場する。
遠くから、警察車両のサイレン音。
目の前には紅蓮色に塗装され、魔改造されたクラシック・カー──『マッハ1』。
ベースの車体は、一九六九年にフォード社が製造した、クラシック・スポーツカーの名機体。
防弾ガラスと防弾タイヤに守られた、要塞のように改造されたマッハ1の車体。勇猛な嘶きが聞こえてきそうな黒の記章。
フロントバンパーには格納された巨大な衝角。V型八気筒のスーパー・チャージャーの吸気ノズルは、車外にまで突き出している。
魔改造されたマッハ1の最高速度は、時速三五〇キロメートルに迫り、最大馬力は三七〇hpを軽々と超越する。
紅蓮色のマッハ1のウィンドウが開く──褐色の肌に紅色の瞳、アラブの王子さまみたいな風貌の、ハンサムで伊達男なクリムゾン兄さん。
〝アサヒナ・ファミリー〟の長兄──ぼくたちのゲット・アウェイ・ドライバー。
「愛する父と、愛する弟妹たちよ。天国への扉は、今開かれた!」
玫瑰紫姉さん、アズール、ぼくの順番でマッハ1の後部座席に座り、助手席に父さんが乗り込む。
マッハ1の内装もまた、ぼくたち家族のためにカスタマイズされ、まるで最高音質の音楽を提供する、最上級のコンサートホールのような座り心地の座席シートが、ぼくたちを歓迎する。
「オレは大きいからな」
熊のように大きなベルートー兄さんがマッハ1の天井を掴み、木登りをする熊のように天井上部に昇ると、脳内の有機電脳に姿勢制御された完璧な直立姿勢を取る。
マッハ1の内部スピーカーからは、爽快なユーロビートのメロディ。
〝ハッピー☆ハレルヤ★ハレーション〟
クリムゾン兄さんの選曲は高揚してる。
ハイ・テンポのシンセ・リフから、いきなりサビが駆け抜けるところが、最高なんだ。
唸るようにニューヨーク交通機動隊のサイレン音が近づいてくる。
クリムゾン兄さんが、アクセルを踏み込む。
紅蓮のマッハ1のV8エンジンが、獰猛な唸り声をあげて急発進。
ぼくはゲーム機と、付近に設置されたライブカメラをリンク。周囲の市街地マップと、予想されるパトカーの到着位置を、ゲーム機画面に構築。
現場に急行した交通警官が、急発進したマッハ1に向かって発砲。
その時にはもう、ぼくは警官が銃を突き出した角度から予想される、銃撃の軌道を完全に構築している。
ぼくはゲーム機のカメラ越しに、構築された銃弾をターゲット・ロック。
『VESPA』がフレシェット弾を、ターゲットされた銃弾の軌道上に機銃掃射。
「カメラ越しなら、止まって見えるよ」
警官が放った銃弾は、空中で撃墜される。
文字通り、針穴に糸を通すような『VESPA』の精密射撃。
クリムゾン兄さんが・赤色のクラクションを盛大に吹奏/『VESPA』が・黄色の弧を描きながら空中を旋回/べルートー兄さんが・九十連弾装から緑色の銃撃音を秒間十発で発射/マッハ1のホイールが・橙色の音を引いて路面を滑走。
アズールが・ナッツの代わりにブレードの破片がぎっしり詰まったシリアルバーを投擲/玫瑰紫姉さんが・中空に伸ばした右手の中指と親指で指鳴──爆焔と刃片が・紫&青色の音を響かせて・ニューヨークの街に・爆裂四散。
ドの音は赤色・レの色は黄色・ミの色は緑色・ファの音は橙色。
ソの音は青色・ラの音は紫色・シの音は銀色・♯の音は黒色。
ぼくたちは、虹の一色。
レインボウ父さんに指揮された、アサヒナの音楽隊。
行進するオーケストラ楽団のように、世界中を悲鳴と破壊の音で轟かせる。
さらに加速するマッハ1──速度に振り落とされないようべルートー兄さんが、両足を天井上部のアンカーに固定。
べルートー兄さんの非人間的な直立姿勢──首から腰、脊髄に沿って内蔵されたジャイロ・スタビライザーが一八〇度回転、後方の警官隊に鉛玉を撒き散らす。
車上でジャイロ独楽のように一回転したべルートー兄さんは、両手に木製ストックの機関銃を正面に構え、前方に突き出す。
「見ろよ、どうあっても、オレたちを止めたいみたいだぜ」
べルートー兄さんが突き出した機関銃の先、NYPD交通機動隊によって、マッハ1前方の道路に敷き詰められた、幾枚もの剣山絨毯。
それに加えて、十台以上の交通警官の警邏車両が、道路を完全に封鎖している。
クリムゾン兄さんが、バリケード越しに拳銃を構えた警官隊を、馬鹿にするように笑った。
「青は進め。黄色は気をつけて進め。じゃあ、赤色は?」
ぼくたちは声を揃える。
「カッ飛ばして進め!」
クリムゾン兄さんが、マッハ1の木製トグルスイッチをオン。車外のスーパーチャージャーの吸気筒が、物凄い勢いで空気を吸い込んでエンジン内部を加圧。ニトロ燃料が爆発的に燃焼、排気筒が火山の噴煙のように有害ガスを排気。
マッハ1が、鞭打たれたように瞬発的に加速。
車内のぼくたちは両脚を突っ張り、マッハ1の座席シートに体を預ける。
クリムゾン兄さんがチューニングに心血を注いだマッハ1の、すべてを前に擲つような、直線的な前方加速。
halleluiah,halleluiah.halleluiah,halleluiah,halleluiah,halleluiah!!
ハッピー☆ハレルヤ★ハレーションの鍵盤旋律。
べルートー兄さんが警官隊に向かって、二丁機関銃を牽制射撃。
いきなり巣穴を外敵に攻撃されたクロオオアリのように、大急ぎで警官隊がバリケードの内側に身を伏せる。
「ハッピー☆」
マッハ1の防弾タイヤが剣山絨毯に引っかかって横滑り、同時にクリムゾン兄さんはアクセルを全開で踏み込む。
「ハレルヤ★」
赤の直線と化したマッハ1が、宇宙ロケットのように飛翔する。
紅蓮の銃弾のように、マッハ1が空中で三六〇度回転。
「ハレーション‼」
紅の軌跡を引いて空中で回転したマッハ1は、警官隊の頭を飛び越え、重い鋼鉄の音を響かせながら、舗装された路面に着地。
「ハレルヤ‼」
ぼくたちは喝采の声をあげる。
そのままマッハ1は急加速、呆然と空を仰いだ警官隊を置き去りにする。
急加速+飛翔&着地+再加速──立て続けの危険運転に、わずかにクリムゾン兄さんのハンドル捌きが乱れ、マッハ1の車体が揺らぐ。
道路を横断しようとした母親に/手を引かれた・五歳くらいの・女の子──一秒後には母娘の挽肉で、仲良く親子丼の出来上がりだ。
ぼくは『VESPA』をマッハ1よりも大加速/『VESPA』胴部に格納されていた精密作業用マニュピレータを伸長/空気抵抗で減速しながら哀れな母娘を・マッハ1の横合いから掻っ攫うように低空飛行──スズメバチの騎士のように『VESPA』が、挽肉寸前の母娘たちを、出荷直前で救出する。
「どうした伊右衛郎! 今の女の子は、オマエの彼女だったのか!?」
車上のべルートー兄さんが豪快に笑う。
「お兄ちゃんは、そういう所が甘い」
何故かぼくに向かって、むくれ顔をするアズール。
「女好きの血は、争えないのかな」
クリムゾン兄さんが、揶揄うように微笑する。
「茶化さないでよ、もう。──でも、女のひとが笑ってるのは、なんだか嬉しい気持ちになるよ」
玫瑰紫姉さんが、不機嫌そうな顔をぼくに向ける。
「意味わかんない。警官隊の中にだって、女はいただろ?」
「警察官は別。ぼくたちに銃を向けたら、そいつは〝男〟だからさ」
爆笑に包まれる車内。
笑顔の絶えない、ぼくの自慢の家族たちです。
姦しい家族の笑い声と共に、猛スピードで走行するマッハ1。
──ぼくたちは、無敵の家族だった。
助手席のレインボウ父さんが両手を挙げて、ぼくたちに語りかける。
「〝空手〟──空っぽの両手。これこそが俺たちの最強武器だ。持たざる者たちの最終兵器だ。頭蓋の有機電脳が導く悪夢のままに、俺たちの空の両手は、あらゆる全てを創造する。俺たちの空手は、生まれながらに神を握り締めている!」
レインボウ父さんが、掲げた両手を固く握り締めた。
「俺たちの空手は、水道管を加工して使い捨てのバズーカを製造できる。簡易ライターで溶かした飴玉をアルミホイルで焼き固めれば、切れ味鋭いナイフの一丁上がりだ。俺たちは単三電池とカメラのストロボ回路から閃光爆弾を作り出せれば、生理用ナプキンに酢酸とニトログリセリンを染み込ませて、即席の爆弾の威力を試してみることだってできる。だがしかし、俺たちから武器を取り上げて、俺たちの両手を縛り上げて、俺たちがいなくなって、それから世界は平和になると思うか?」
「ノー! ノー! ノー!!」
「その通り、答えはNOだ。誰もそんなこと本当には思っちゃいない。誰もが腹いっぱい飯が食えて、誰もがいい女が抱けりゃあ、家庭に一台ICBMが配備されたって、世界は平和になるさ。だが、それでも俺たちの世界に対する反逆は終わらねぇ。政治家、企業役員、警察官僚、地主、投資家、銀行員、医学者、学校の教師──聖人面して世界の支配者気取りの連中が、気に入らねぇ。俺たちの取り分を横取りして、私腹を肥やしてる連中が許せねぇ。くだらねぇ仕事で、まったく機嫌が悪くなっちまった。これからそんな薄汚ぇ成金連中の薄ぺらい横っ面を、思い切り殴りに行こうぜ!!」
「ヤー! ヤー! ヤー!!」
父さんの名演説に、ぼくたちは喝采する。
天井でべルートー兄さんが太鼓のように足を踏み鳴らし、玫瑰紫姉さんが爆竹をぱちぱちと、ガイ・フォークスのお祭りのように炸裂させる。
拍手喝采の中で、ぼくとアズールが、功夫の拳立て伏せのやりすぎで、すっかり中手骨が平べったく硬化したお互いの拳を打ち鳴らし、車内のスピーカーから、レインボウ父さんを称えるための讃美歌を流そうとしていたクリムゾン兄さんが──いきなりマッハ1のハンドルを右に切った。
横滑りするマッハ1の前方、信号機の横ですれ違う対向車の車影から、百機以上の小型ドローンが出現──二対四枚の翼を持つミツバチに酷似した、洗練されたフォルムのドローン。
ミツバチ・ドローンは、ぼくの『VESPA』よりも高速で空中機動。
背中から生えたベクター・ノズルから飛航跡雲を幾つも引いて、女王蜂に統率されたミツバチの群れのように、車上のべルートー兄さんに襲い掛かる。
両手の機関銃を振り回してミツバチ・ドローンを追い払いながら、べルートー兄さんが大声で叫ぶ。
「伊右衛郎! こいつらミツバチは、ひょっとしてオマエのお友達の仕業か?」
「あんなの知らないよ! 未登録のドローン! ──でも、かなり速い」
ぼくは援護のために後方から『VESPA』を飛ばし、高速旋回。尾部の機銃を振り回すことで、べルートー兄さんに群がったミツバチ・ドローンを追い払う。
追い払われたミツバチ・ドローンは、攻撃目標をマッハ1の防弾タイヤに変更。
『VESPA』が追尾して何匹かを撃墜するが、ミツバチの数が多すぎる。
逆に『VESPA』の機体が、ミツバチの群れによって包囲されてしまう。
蜜蜂一過。
ミツバチ・ドローンの暴風雨が通り過ぎた後には、火花を散らす『VESPA』の残骸だけが、路上に残っていた。
『VESPA』を撃墜したミツバチの群れは、マッハ1の足回りを執拗に攻め始める。
「極めて危険な状況だ。五百秒以内に走行不能、間違いなしだな」
普段は冷静なクリムゾン兄さんの、珍しく焦った声。
野生のミツバチそっくりのドローンの羽音が、車内にまで響いてくる。
耳障りな音だ、とぼくは思う。
なんだかよくわからないけど、この音を聞いていると、胸がざわついてくる。
助手席で父さんが、ディズニー映画の象のように、両手を耳に当てた。
「ブンブン・ブブブ・ブブブブ・ブブブン・ブン──。なんとも情熱的な音だ。見つけた獲物は絶対に逃がさないという、偏執狂的な音でさえある。だがしかし、こいつは復讐のメロディじゃない。こいつは俺たちへの報復や仕返し、社会的な正義のために音楽を奏でていない。咲き誇る花畑を見つけた、ミツバチの純粋な歓喜──こいつは十中八九、恋のメロディさ」
車中のぼく以外の家族全員が、深く頷いた。
年下のアズールまで、訳知り顔で頷いていたから、ぼくは少しどきりとする。
「みつばちは単為生殖だよ、父さん。みつばちの生活環は、半倍数性の性決定様式で成立している。女王蜂は唯一、自らの分身を産むためにパートナーを必要とする有性生殖をするけれど、それはみつばちの本能に従っているだけ。遺伝子に支配されているだけだ。みつばちは恋なんて、きっとしないさ」
レインボウ父さんは、ぼくの言葉に、ただ、首を振っただけだった。
「おまえはまだ、恋を知らない。恋は沸騰する血液みたいなものさ。煮え上がった血流が体中を駆け巡り、肉体を一心に突き動かす。決して恋は、遺伝子だけに支配されたりすることはない。俺の耳が確かなら、こいつは、おまえのためのメロディさ。伊右衛郎」
父さんは助手席から後部座席へと身を乗り出して、ぼくを抱き締めた。
「恋は、あらゆる艱難辛苦を障害としない。あらゆる困難を不可能の理由としない。どんな代償を支払っても、この恋するドローン使いは、必ずおまえを手に入れるだろう。俺の家族たちが、世界中に存在するように。──さぁ、状況を整理するぞ。現状、おまえ一人のために、一家全員が、致命的な窮地に陥っている。今すぐ選べ、伊右衛郎。家族の安全か、それとも自分の命かを。俺は──どちらでもいい」
──わかってるよ、父さん。
ぼくたちは家族。
血を別け、骨肉を相食んだ、大勢で一つの一家。
全ての家族は、一人の家族──レインボウ父さんのために存在する。
家族は、家族だから、家族なんだ。
この反復呪縛を受け入れることが、〝アサヒナ・ファミリー〟の家族の絆なんだ。
クリムゾン兄さんが俯いて、車内スピーカーの音楽を切り替えた。
胸が締め付けられるように切ない、ヴァイオリンの旋律が車内に流れる。
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト──〝鎮魂歌〟
父さんが胸に十字を切って、黙祷を捧げる。
「俺の神に曰く──〝息子よ。これは試練だ。焼き尽くされる生贄は、おまえ自身が決定する〟」
妹のアズールも父さんの真似をして胸の前で大きく十字を切り、玫瑰紫姉さんが掌の中で、爆竹を小さく鳴らした。
べルートー兄さんが鼻水をすすりあげ、弔砲のように機関銃を空に発砲した。
助手席から後部座席に身を乗り出したレインボウ父さんが、ぼくを抱き締めてから、背中を力強く叩いた。
「男を見せろ。伊右衛郎」
それが合図だった。
ぼくはマッハ1のドアロックを開け、時速二七〇キロメートルの速度で走行するマッハ1から、体を空中に投げ出す。
永遠のような一秒。
十四年間のぼくの人生が、走馬灯のように駆け巡った。
レインボウ父さん。クリムゾン兄さん。べルートー兄さん。玫瑰紫姉さん。妹のアズール。世界中に存在する、ぼくの兄弟姉妹たち。
──お母さん。
そのまま路面に叩きつけられるはずだった、十四歳のぼくの体は、空中で群がったミツバチ・ドローンによって、その衝撃を緩和されていた。
複数台のパトカーのサイレン音が、近づいてくる。
ぼくが右手に握ったままの雀蜂色のゲーム機画面は、ぼくを取り囲む警官隊を構築している。『GAME IS OVER』
その通り。打つ手なしの、ゲーム・オーバーだ。
ゲーム機に表示されたゲーム・オーバー画面を、飛んできたミツバチ・ドローンの前肢が叩いた。
『CONTINUE? YES\NO』
泣きっ面に蜂ってこと?
ぼくは迷わず『NO』を選択する。
ぼくはノー・コンティニューだ。
ぼくはまだ、死んでいない。
どこも痛んでいないし、傷ついてもいない。
──ぼくは父さんに、男を見せることが、できなかったんだ。
CONTINUE1:Beehive High School
西暦二〇九六年。日本国。有機都市東京。
千代田区神田外郭──千代田摩天楼。
『科学と緑のまち。有機都市TOKYO』──バイオ燃料で飛行する有機気球が、東京千代田の夕焼け空を、幻光スローガンを引いて遊覧している。
有機気球の真下、超巨大構造物が突き立つ千代田摩天楼の間を貫いて、環状十六号線と新山手線、そして曙橋の関防水門で浄水され、有機工学的に治水制御された第四神田川が、三次元的に都市上空で立体交差している。
立体交差した陸路と水路の中継点では、国内大手運輸企業の『百貨飛車』による荷物の受け渡しが間断なく行われ、全身の配達ユニフォームに、幻光コマーシャルを貼り付けた広告飛脚たちが往来を行き来。絶え間なく生体内を循環する血液のように、都市内部を人々と物資とが流通している。
千代田摩天楼ではバイオクリート壁全面を品種改良された地衣類が、深緑色の絨毯のように覆い、湿度と二酸化炭素を吸収して、清涼な酸素を都市に供給している。
人工的に再構築された有機の森は、酸素を供給するだけでなく、東京都民の生活と都市の摩擦によって排出される、人工排熱による都市気温の上昇を抑制している。
宇宙軌道上を周回する人工衛星に搭載された観測機器による映像からは、この街は巨大な都市型の森林に見えるだろう。
自然環境と人工建築物を、有機的に接続した閉鎖循環系有機都市──東京では、二十七本の環状線道路と十六本の河水路が、さながら人体の血管系のように有機都市全域を網羅している。
この都市は自らの鼓動を持ち、呼吸し、排出し、遥かな未来に向かって、独自の成長と発展を続けている。
──祭囃子が聞こえる。
有機都市東京──千代田区神田の神田明神では、二年に一度の神田祭が行われている。
神楽笛が響く音色の中を、第三神田川ではネオン発光する電子提灯に彩られた、ダイオード屋形船が航行している。
超巨大構造物が立ち並ぶ明治大路では、十数台の超巨大な山車が悠然と練り歩き、その巨大な車輪の傍らを、『ハニュウ・コーポレーション』、『馬喰精機』、『五菱重工』、『弁天堂ゲームズ』、『鍛冶屋連合』、『芝浦モータース』、『地球活版』、『剛力わかもと』──巨大な幟旗を幾つも掲げた、東京都内の日系企業による、大小様々な企業神輿が祭り行列に随伴する。
超巨大山車の雛壇では、百人官女が舞扇子を片手に神楽を舞い、囃子台上で力強く叩かれる一糸乱れぬリズムの千人太鼓が、明治大路と超巨大構造物全体を、微震のように震わせている。
神楽舞い、祭事を練り歩く人々の項には、一様に有機電脳と呼ばれる人体制御用デバイスが埋め込まれている。
有機電脳に繋がれた電化人間たちが、一律の動態で神楽舞う。
彼らは八百万の神々に捧げるために、一斉に足を前に踏み出す。
千を超える神楽鈴の音が、たった一つの音を奏でた。
有機電脳から自動生成された、同期した肉体の動態が生み出す神楽舞い。
完全に互いの動態を同期した官女と宮太鼓が、完璧に音楽と舞踏を調和した祭囃子を奏上する。
商売繁盛、運気上昇、子孫繁栄、家内安全、学業成就──有機都民が胸に抱く、何百万もの小さな祈りを、神へと奉納するために。
官女と宮太鼓を乗せた超巨大山車は、祭囃子の拍子に合わせて、明神様を中心に、ゆっくりと螺旋を描くように祭礼の旅を続ける。
祭礼する有機都民の、祈りと意思が宿る有機電脳の先、その暗号化されたデジタル思考の先──明治大路に森林のように聳える超巨大構造物群の中、全高一九九九メートルにも及ぶ、ガラスのように透明な学園の塔が、天高く突き立っている。
天を裂くガラス塔上部は、数百個の大型の正六面柱を黄金比で組み上げた、ハニカム構造のガラス被造物で建築されている。
ガラスの学園塔の上層部は、都市上空を唐傘のように覆い、まるで有機都市という人造の森に巣を構えた、透明な蜜蜂の巣箱にも見える。
学園塔の名は、羽生芸夢学園。
蜂の巣を形為する、超巨大学園塔。
その羽生芸夢学園の最上階、ハニカム構造体で構成されたガラスの一室では、巫女装束の少女が、一心不乱に舞っている。
白の小袖に浅黄色の千早を羽織り、緋袴を穿いた巫女装束に、長い黒髪を赤いリボンで後ろに纏めた、美しい少女だ。
神楽舞う彼女の表情は、この上なく真剣でありながらも、時折どこか余裕を残した、悪戯好きの仔猫のような微笑みを浮かべている。
彼女の舞いは、学園塔の眼下で神楽舞う、有機都民の肉体動作を統率している。
少女が緩やかに右手を天に捧げる=官女が静かに左手を地に翳す。
少女がゆったりとした所作で振り返る=太鼓が両手の撥を振り下ろす。
少女が倒れるような仕草で一歩を進む=山車の巨大車輪が軋みをあげて回転する。
一人の少女に統率された祭り行列は、明治大路を抜けて、明神男坂を登る。
明神男坂を悠然と登った、壮大な祭り行列は、西暦二〇五〇年に敷地拡張された、神田明神境内に進入し、有機都民たちが背負う山車と神輿に積載された御神体は、厳粛に響く笛の音と共に、神社へと宮入りする。
「──ふぅ」
神楽を舞うことで、微かに熱っぽく神気を帯びた、少女の吐息。
「お疲れ様でした。氷蜜お嬢様」
舞い終えた巫女装束の少女──羽生氷蜜の傍らで、静かに控えていたメイド型有機人形──羽生工業製〝セラミックガール・シリーズ〟のエマが、ガラスの器に鏤められた、色とりどりの小さな星のように煌めく氷砂糖を、羽生氷蜜に差し出した。
氷蜜は、微かに赤く上気した頬で、猫っぽくエマに微笑む。
「地元の祭事を取り仕切るのも、羽生家の企業令嬢としての務めだろう?」
「はい。見事な神楽による道案内でした」
巨大・複雑化する都市と企業に伴って、都市部における神事・祭事の規模もまた、巨大・複雑化した。
東京都心に近づくに従って、季節毎の祭り事は、巨大企業による新型テクノロジーを世界に披露する、技術見本市としての側面が強くなっている。
そこで発生するのが、企業同士の喧嘩神輿だ。
経済的に対立する企業同士の、企業神輿の担ぎ棒や蕨手がぶつかっただけで、傘下企業を巻き込んだ、大規模な企業間抗争に発展しかねない。
巫女装束の少女は、神楽舞うことで有機電脳に発生する神経パルスを、祭事に参加する有機都民と有機接続し、祭礼の旅を先導していたのだ。
事前に決められた道を、毅然と定められた汽車の時刻表のように、未然に決められた通りに進むことで、厳然と祭事を取り仕切るのも、企業令嬢としての責務だと言える。
羽生家の企業令嬢──氷蜜は、エマから差し出された氷砂糖を、その細い指で軽く摘まむと、鮮やかな紅の唇に含み、口の中でころころと行儀悪く転がす。
「ん──。〝星果堂〟の金餅糖の澄んだ甘さは、電脳に染み入るね」
氷蜜は舐めて小さくなった砂糖菓子を噛み砕くと、綺羅星のようにきらきらと輝くその両瞳を、未だ祭りの余韻が残る、有機都市の美しい夜景に向ける。
「〝舞台は近未来都市。当然のことながら──〟」
続きは書籍版でお楽しみください。