この夏、熱々の小説 ついに刊行!
〈本格ミステリ大賞〉候補作にして、〈本屋大賞 発掘本!〉に選出された『夏の王国で目覚めない』(彩坂美月/著)が待望の文庫化!
夏のある3日間の中で、ひとりの少女が謎に立ち向かって成長し、自分の居場所を獲得し、自分が存在する意味を見出していく、エモさに満ち満ちたミステリです。同じ期間をかけて、はりめぐらされた伏線、仕掛けをじっくりと味わってはいかがでしょうか。。
刊行にあたり、本書の魅力を小池啓介氏の解説でご紹介します。
解説
小池啓介(書評ライター)
何かに興味を持ち、知識を深めていく行為は、私たちの日常を彩り生活を豊かにする。楽しみの範囲にとどまらず、心の支えになることもあるだろう。けれども、執着心が凝り固まり過ぎれば、居心地の良かったはずの世界は、あたかも牢獄のような自らを縛りつける場所になりかねない。愛着と依存を隔てる壁は、ときに容易に崩れ去る。
本書『夏の王国で目覚めない』は、そんな愛するものの存在に囚われた少女の運命を、謎解きミステリの手法によって描き出した長篇小説である。
本書は、二〇一一年八月に早川書房より《ハヤカワ・ミステリワールド》叢書の一冊として刊行された。二〇〇九年、第七回富士見ヤングミステリー大賞準入選作『未成年儀式』(現・幻冬舎文庫。文庫版では改稿の上『少女は夏に閉ざされる』と改題)でデビューした彩坂美月の三作目にあたる作品で、第十二回本格ミステリ大賞の候補にもなっており、今回が初の文庫化となる。
主人公は、高校生の天野美咲(あまのみさき)。三年前に実の母が姿を消し、父親は再婚した。新しい母親と血のつながらない弟と暮らす日々に違和感を抱きつつ、家族のひとりを〝演じながら〟彼女は日々を送っている。
美咲の心に安らぎを与えるのは、小説家、三島加深(みしまかふか)の著作を読むことだ。三島は「一部に熱狂的なファンを持つ、年齢も性別すらも明かさない謎の作家」、いわゆる覆面作家であるが、三年前にデビュー後、四冊目の著作を上梓してから一年間、ぷっつりと刊行が途絶えていた。その言葉に自分のすべてが暴かれた──三島の作品を読んだ美咲はかつてない感銘を受け、いつしか作品のみならず、作者のことをも知りたいと願うようになった。三島加深の存在は、今いる世界に生きづらさを感じている美咲にとっての癒しとなったのである。
やがて、あるきっかけから三島のファンサイトの存在を知った美咲は、そのなかにある隠しサイト〈月の裏側〉にたどり着く。ジョーカーと名乗る管理人が設けた掲示板への書き込み形式のサイト内で、彼女は「蝉(セミ)コロン」という即席のハンドルネームを使い三島加深について語る会話に参加し、依存の度合いを深めていく。
およそ一カ月がたった頃、美咲のもとにサイトの管理人ジョーカーから「架空遊戯に参加しませんか?」と書かれた案内メールが届くことで、物語は動き出す。
参加者は七人。期間は二泊三日。それぞれが与えられた役を演じ、「コマンド」と呼ぶ指示に従っていくのだが、〝劇中〟では事件が起こり、参加者のなかに被害者と犯人がいるという。どうやら真相と犯人を推理するのが「ゲーム」の目的となる一種の推理劇のようだ。加えて本名、ハンドルネームを明かしてはならず、外部との連絡手段の持ち込みも禁止、コマンドへは絶対に従わなければならない。なんとも怪しげな企画であるが、最後にジョーカーは驚くべき文面を提示した。ゲームをクリアした者には、三島加深の未発表小説を読む権利が与えられるというのだ。
この誘いを断れるはずもなく、美咲は参加希望のメールをジョーカーへ返す。
美咲に与えられた役名は「九条茜(くじょうあかね)」。推理作家志望の大学生役として、美咲はゲームに参加することになるのである。
集合した参加者たちは登場人物を演じながら、ジョーカーの指示に従い、各所を転々としつつ推理するべき事件の発生を待つ。そこに彼らが知らされていない人物が合流することで、一年前に亡くなった作家、羽霧泉音(うむいずね)の死の真相を明らかにすること ──それが『架空遊戯』のシナリオの本筋だということが明らかになるのである。さらに彼は、自分は作家の弟であり、この参加者のなかに姉を殺した犯人がいると皆に告げる。そして美咲の演じる九条茜も当時、泉音の死んだ別荘にいたこともあり容疑者のひとりと目されていた ──という〝設定〟のもと物語は進んでいく。
異様な構造を宿した作品である。本人、ハンドルネーム、そして劇中の役柄と、キャラクターの面では三重の構造を持ち、誰が誰だか判然としない歪みが不安感を生む。発言や行動にしても同じだ。決められた「セリフ」、演出なのか、それとも本人の感情があらわれたものなのか、美咲には皆目分からないのだから。
何よりも、そもそもジョーカーとは何者なのか? そんな状況下で、これから 「被害者」が出て「犯人」が潜んでいることはあらかじめ定められている──虚実ならぬ虚と虚が入り混じる混沌とした状況下の奇妙なサスペンス/謎解きものとして抜群の吸引力がある、といっていいだろう。
重層的にして技巧が冴える物語であるが、本作が彩坂作品ならではの読み心地を持つ大きな要因は、異様なまでに閉鎖空間を多用した舞台設定にある。
外部との通信を遮断した推理劇に身をおく登場人物たち──これだけでも「変則的なクローズドサークル」ものといえるだろうが、本書はそういったカテゴリにすんなりと収まる、お行儀の良い作品ではない。物語に登場するあらゆる場所が例外なく閉鎖空間となっている点こそが、本書の凄味なのである。すべての始まりともいえるインターネットサイト、不穏な事態の開始を告げる地下駐車場、第一の〝犠牲者〟が出る夜行列車、アートフェスティバルに塗り替えられた非日常の街、高台に建つ観覧車、そして演者たちがたどり着く最後の場所。ジョーカーからの指示に応じて、一行は次から次へと各地──閉ざされた空間──を移動する。
あるいは、夏という季節さえも閉じた空間の演出のひとつとしてとらえることができるだろう。ここには、徹底して作品全体を「箱庭」として形作ろうとする書き手の執念が垣間見える。
物語における舞台があたかも「箱庭」の如く存在するのは、彩坂作品の大きな特徴である。今作におけるそれは、主人公の美咲にとって心穏やかでいられる場所、いい換えれば自分だけの「王国」であると同時に、現実との関係を遮り「目覚めない」──すなわち自らを縛りつける呪縛ともとれるように書かれている。謎解きの興趣、サスペンスの緊張感を味わいながら、ひとりの少女の箱庭を巡る不可思議な旅のようにも読むことができる本作は、彩坂の作家性が強烈に刻印された一篇なのだ。
小説『夏の王国で目覚めない』は、どこまでも端正に築き上げられた謎解きミステリである。それと同時に、少女の通過儀礼を描いた青春小説でもある。物語の階層が複数あり、一見すると複雑な構造をしたミステリ作品に思えるが、美咲の心理の変遷を描いた青春小説という筋が一本通っていることにより、読み心地はとてもなめらかなものになっている。彩坂は、万人に開かれたエンタテインメント小説として本書を書いた。
美咲の目線を通して物語に接していた読み手は、物語の終盤、彼女が次々と明らかになる事実を受け入れていく過程に、自然と自らの気持ちを寄り添わせていくことになるだろう。すべての謎の真相が明らかになった後、程なくして美咲はある事実を知る。彼女がそれをどう受けとめるのかが、物語の〝答え〟にほかならない。
美咲は、私であり、あなたである。だからこそ、本文のラスト一行、わずかひと言の発する力強い響きは、心地良くあなたの気持ちを揺さぶるはずだ。