非常事態下のイタリアから、日本へ宛てたもう一通の手紙。『コロナの時代の僕ら』より「訳者あとがき」
編集部より
「今、このときに読んでほしい」。そんな考えから、全文の公開を行ったパオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』。全文公開は4月12日19時をもってすでに終了してしまいましたが、たいへん多くの方々に読んでいただき、感想をお寄せいただいたこと、ありがとうございました。
本文の後日談であり、多くの方からご高評をいただいている著者あとがきは公開を続けております、ぜひご一読ください。
今回は、本書の翻訳者である飯田亮介さんによる訳者あとがきを公開いたします。飯田さんは、弊社刊行の「ナポリの物語」シリーズで日本翻訳大賞にノミネート中。イタリア、フェルモ県モントットーネ村在住で、パオロ・ジョルダーノ『素数たちの孤独』、『兵士たちの肉体』の翻訳者でもあります。
著者あとがき「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」に強く現れている情熱と、混乱のさなかにあっても失われることのない理性をあわせ持つ本書は、この非常事態のもと、どのように誕生したのか。そして、本書が書かれた首都ローマとは大きく異なる、飯田さんの暮らすイタリアの小さな村は今、どのような状態にあるのか。
イタリアから日本へ差し出された、もう一通の手紙です。
訳者紹介
飯田亮介
翻訳者。1974年生、日本大学国際関係学部国際文化学科中国文化コース卒、中国雲南省雲南民族学院中文コース履修、イタリア・ペルージャ外国人大学イタリア語コース履修。訳書にジョルダーノ『素数たちの孤独』『兵士たちの肉体』、フェッランテ『リラとわたし』『新しい名字』など「ナポリの物語」シリーズ等。同シリーズにて、日本翻訳大賞にノミネート中。
訳者あとがき
本書はイタリア人作家パオロ・ジョルダーノ(1982年、トリノ生まれ) のNel contagio(2020年3月)の邦訳である。
2019年年末に中国湖北省武漢市で発生し、2020年4月現在、世界的に大流行中の新型コロナウイルス感染症(COVID‐19)に襲われたイタリアで、ローマに暮らす著者が二月末から三月頭にかけて書き下ろした、感染症にまつわるエッセイ27本をまとめたのが、この『コロナの時代の僕ら』だ。
さらに、この日本語版には特別に、2020年3月20日付の『コリエーレ・デッラ・セーラ』紙に掲載された著者の記事、「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」Quello che non volgio scordare, dopo il Coronavirus があとがきとして追加されているが、宝石のようなこの文章についてはあとで改めて触れたい。
著者がこの本を書くきっかけとなったのは、2020年2月25日付の『コリエーレ』紙に寄稿した「感染症の数学」La matematica del contagioという記事だった。新型ウイルスがイタリア北部の6州で大規模な広がりを見せ始めた時期に、ウイルス感染症流行という現象を数学的アプローチからわかりやすく解いたこの記事は、読者の大きな反響を呼んだ。記事のSNSでのシェア回数は実に400万回を超えたという話だ。
数学はこの著者の得意科目だ。事実、ジョルダーノはトリノ大学で物理学を学んだのち、同大学の修士課程に在籍中だった2008年に小説『素数たちの孤独』(ハヤカワepi文庫)で文壇デビューを果たしているが、この小説でも、特殊な素数の組み合わせである「双子素数」をモチーフにして、限りなく近いのにひとつになれない男女の心情を見事に描き、25歳の若さでイタリア最高峰の文学賞とされるストレーガ賞を受賞している。
「感染症の数学」が広く人気を博した背景には、きっとそんなジョルダーノならではの、科学者の視点と小説家の繊細かつ豊かな表現力がうまく両立された個性があったのだろう。そして、手応えを感じた著者が、記事の内容を発展させ、2月29日から3月4日までの日々の記録を兼ねたエッセイ集としてまとめたのが、本作『コロナの時代の僕ら』だ。
どれも短い27篇のエッセイを読み進めていくうちに、特に予備知識のない一般の読者でも、今、世界で起きている現象が大筋のところで直観的に把握できると思う。著者が感染症流行の仕組みを「ビリヤードの球の衝突」といった身近でわかりやすい比喩を用いて、簡明な言葉で解説しているためだ。
訳者にしても、数字や抽象的な概念の把握が苦手なたちだが、理解に苦労する点はまったくなかった。
本書を読んで科学的な視点と正しく恐れる力を身につけることで、この混迷した「コロナの日々」をずっと楽に過ごせるようになれる読者はきっと多いはずだ。特に現代のように、フェイクニュースを含め、真偽も定かではないおびただしい数の情報が、人々の手元の画面上で24時間流れ続ける時代には。
だが『コロナの時代の僕ら』はそこで終わらない。
ジョルダーノは恐れている。この騒ぎもいったん過ぎれば、みんな何事もなかったように元の生活に戻っていってしまうのではないか、と。
彼は、新型コロナが人間に伝染したそもそものきっかけには、環境破壊や温暖化といった現代人の生活スタイルが生んだ問題があるはずだと訴え、わたしたちが今のような生活を続けている限りは、COVID‐19の流行が終息したとしても、必ず新しい感染症の流行が何度も訪れるだろうと予測している。だから、そうした新たな危機に今のうちから備えると同時に、これまでとは違う未来の在り方を各自が模索する大切さも主張しているのだ。
つまり『コロナの時代の僕ら』とは、どうにも不安なこの「コロナの日々」をできるだけ心静かに乗り越えるにはどうしたらいいか、という即効性のある科学知識の伝授だけが目的の1冊ではなく、今、始まったばかりの「コロナの時代」をわたしたちがこれからどう生きていきたいのかを、まずは自分ひとりで、そして、できればいつかみんなで一緒に考えてみよう、というジョルダーノのメッセージでもあるのだ。
著者あとがきの解説に移る前に、イタリアでの新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)の流行状況について簡単に触れておきたい。
国内で初の感染者が確認されたのは2020年1月31日のことだ。ただし 患者はローマを観光で訪れていた外国人夫婦で、ただちに隔離され、感染は広がらなかった。同じ日に世界保健機関(WHO)が武漢市の状況を「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」であると発表しているが、このころの多くのイタリア国民にとって、COVID‐19はまだまだ対岸の火事だった。
ところが2月21日に北部のロンバルディア州とヴェネト州で新型コロナによる2件の集団感染が確認されて以来、みるみるうちに感染の規模は拡大していく。
『コリエーレ』紙にジョルダーノの記事「感染症の数学」が載った2月25日時点ではまだ322人だったイタリアの累積感染者数(現在の陽性患者数に死者・回復者の累計を含めた人数。以下、「感染者数」)は、本書のエッセイが始まる同29日には1128人、終わる3月4日には3089人まで増えた。
しかし感染者数が本当に「爆発的な」増加を見せたのはそこからだった。事実、感染地域と規模の拡大にともない、3月4日には全国の学校で1カ月の学級閉鎖(期間はのちに延長された) が決まり、 3月8日(感染者数7375人)には北部の多くの地域での移動・外出制限が厳格化され、翌9日(同9172人)にはついに、著者の暮らすローマも含めたイタリア全土が同様の移動 ・外出制限の対象となった。
その後も感染者数は増え続け、4月5日現在、13万人に迫ろうとしている。死者数はもはや1万6千人近い。ただし回復者も2万人を超えており、陽性患者数の増加ペースも落ちついてきており、ようやく念願のピークに達したという見方も出始めている。だが今なお予断を許さない状況であることは確かだ。 本書を読めばその理由もわかるだろう。
さて、著者あとがきとして日本語版に特別に掲載が許可された「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」は、3月20日付の『コリエーレ』紙の記事で、イタリアでCOVID‐19流行が始まってからの1カ月間を振り返った内容となっている。文中にあるように「イタリアの死者数は中国のそれを超えた」段階だ(3月20日の感染者数は4万7021人、死者数は4032人)。
食料品の購入や通勤、犬の散歩などのわずかな例外を除き、基本的に自宅からの外出が一切禁止された隔離生活を著者が余儀なくされてから、1週間ほどたったころに記された文章ではないだろうか。
本文のエッセイにまとめられた考察は、「条件付き」ながらまだ日常的な空気が漂っていたころのローマで重ねられたもので、まだユーモラスな場面さえあったが、ところがこちらの文章では本文と同じ主張が一気に純化された感がある。「僕は忘れたくない」の連呼を見ても、メッセージ性は明らかに本文よりも強い。こんなにも熱い文章を書けるひとだったのか、といい意味で驚かされた。
家にこもって過ごす時間の増える隔離の日々を思索のための貴重な機会ととらえ、あとで忘れてしまわぬよう、この苦しい時間が無駄にならぬよう、「元どおりに戻ってほしくないもの」のリストを今のうちに作っておこう、という呼びかけは素敵だ。
日本版に特別掲載されたこの最後の一章がいちばん魅力的だと思う読者さえ出てきても不思議ではないくらい、力強く、魅力的な文章だ。本文の翻訳が終わったあとに偶然の成りゆきで出会い、ぎりぎりのタイミングで掲載の決まった記事なので、それはそれで訳者としてはとても嬉しい。このあとがきは原作にはないただの「付録」ではなく、『コロナの時代の僕ら』という作品は実は、この宝石のような文章があって初めて完成する一冊だとすら思っている。
なお、著者の初期の小説2作『素数たちの孤独』『兵士たちの肉体』(いずれも早川書房)に続き、この作品の翻訳も担当させていただいた訳者も、20年ほど前からイタリアに暮らしている。
ただし向こうが首都にいるのに対し、こちらはマルケ州南部の人口約1000人の過疎の村だから、隔離生活下の日々の様子もだいぶ違うはずだ。
この村でも隔離生活が始まって1カ月ほどになるが、ありがたいことに我が家は大過なく過ごせており、老人ばかりの村人たちにも大きな変化はないようだ。
ただし、無用な外出が禁止されているため、家族と隣人以外は誰にも会わない日が続き、本当の状況はよくわからない。市町村ごとの感染者数発表も、流言飛語を避けるためか、いつの間にかなくなってしまった。たまに買い物に行っても、みんな慣れぬマスクをして苦しそうな顔をしており(生まれて初めてつけたひとが大半に違いない)、なんとなく話しかけづらい。フェイスブックで当初は、登山に行きたい、せめてひとりでジョギングくらいさせろ、と不平を言っていたこちらの山仲間たちも、そのうちなんとなく黙ってしまった。僕もそうだ。
世間の目をうかがう自粛、というのは、平均的なイタリア人にはもっとも似合わない行為だと自分はずっと思いこんでいた。それが今回、みんな案外と規律の取れた行動を取るので驚かされている。これが愛国心というものかと思ったが、なんとなく納得ゆかず、今も理由を考えているところだ。
各地の惨状を報道で見るうちに怖くなってしまったから、という意地の悪い見方も思いついたが、それだけだとも思えない。ひとの痛みを想像・共感する能力に長(た)けている、ということだろうか。
この隔離生活が果たしてあとどのくらい続くのかは正直わからない。でも、ジョルダーノの本を読んだ今は、そうした日々を無駄にはすまいと思えるだけの心の余裕ができた。だから是非とも今、多くのひとにこの本を読んでほしい。
ジョルダーノのメッセージを世に広げるため、ご協力いただいた数多の皆々さまに、最後になりますが、心よりお礼を申し上げます。
2020年4月
モントットーネ村にて
刊行情報
本書『コロナの時代の僕ら』は4月24日発売です。
電子書籍版も、紙の本と同時発売されます。以下がkindleのリンクです。
イタリア最高峰、ストレーガ賞受賞の著者デビュー作『素数たちの孤独』が発売中です。