混迷するアメリカ政治を見据えていた?2018年に蘇ったノーベル賞劇作家の幻の遺作!(悲劇喜劇2018年11月号)
日常に潜む不条理を、独特のユーモアと恐怖のうちに抉り出した劇作家ハロルド・ピンター。『悲劇喜劇』2018年11月号では、没後10年を経て公開された遺作のスケッチ『大統領と役人』を全文掲載。発売を記念し、喜志哲雄氏による解説を公開します。
(あらすじ)アメリカの大統領がロンドンを核爆弾で攻撃するように命じる。ところが、大統領はフランスの首都を攻撃するつもりだった(つまり、フランスの首都はロンドンだと思いこんでいた)という事実が判明。そこで大統領は思いがけない決断を下す。
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ハロルド・ピンター(1930~2008)は、罫線の入った黄色の紙を綴じた「法律用箋」を使って原稿を書いていた。彼が他界した後、夫人(高名な伝記作家のアントーニア・フレイザー)は、この用箋をすべて保存することにした。ある時、この用箋の一枚を初めてメモ用に使い、それを切り離すと、夫人が全く知らなかったピンターの手書きの原稿が現れた。「大統領と役人」と題するスケッチだった(「私は気を失いそうになった」と、彼女は書いている)。2017年秋のことである。
生前のピンターは講演やエッセイでアメリカの外交政策を何度も批判したから、このスケッチは同じ考え方に基づいてアメリカの政治のあり方を愚弄したものだと言えるであろう(なお、「チャーリー」は主としてヴェトコンを指す俗語だから、ピンターが高級軍人と思われる人物にこういう名をつけているのは、どぎつい皮肉であろう)。彼がいつ頃このスケッチを執筆したのか、特定のアメリカ大統領を念頭においていたのかといったことは全く分らない。しかし、このスケッチを読んで現在のアメリカ政権を思い浮かべる人がいるに違いないことは容易に想像できる。出版されたスケッチに付した序文の中で、夫人は、「私は、ピンターは現代の事態を予知していたのではないかという、信じられない思いにとらわれた」という意味のことを述べている。
ロンドンのピカデリー・サーカスの近くに客席数八百足らずのコメディ劇場という劇場がある。ピンターの作品は生前もこの劇場でよく上演されたが、彼の死後3年近く経った2011年9月に、この劇場は「ハロルド・ピンター劇場」と改称された。この劇場で、2018年9月8日から、ピンターが残したすべての一幕劇がまとめて上演される(この企画は「ピンター劇場におけるピンター」と呼ばれている)まず、ピンターの政治的な劇四本(『景気づけに一杯』、『新世界秩序』、『山の言葉』、『灰から灰へ』)に『大統領と役人』を加えたプログラムによる公演が10月20日まで行われる。もちろん、これは『大統領と役人』の世界初演である。(なお、『景気づけに一杯』から『山の言葉』までの3本は「ハヤカワ演劇文庫」の『ハロルド・ピンター Ⅱ』に、『灰から灰へ』は『ハロルド・ピンター Ⅲ』に収録されている)。
※スケッチ本文は、悲劇喜劇11月号でお読みいただけます。
喜志哲雄(きし・てつお)1935年、兵庫県生まれ。英米演劇専攻。58 年京都大学文学部卒業、60 年コロンビア大学大学院留学、64 年京都大学大学院修了。現在、京都大学名誉教授。著書に『劇場のシェイクスピア』、『シェイクスピアのたくらみ』、『喜劇の手法』、『ミュージカルが《最高》であった頃』、『劇作家ハロルド・ピンター』など。翻訳に『秘密は何もない』(ピーター・ブルック著)、『ベスト・ストーリーズⅡ 蛇の靴』他多数。
[今後の予定]
新国立劇場『誰もいない国』2018年11月8日~25日=新国立劇場小劇場/作=ハロルド・ピンター/翻訳=喜志哲雄/演出=寺十吾/出演=柄本明、石倉三郎、有薗芳記、平埜生成。〈お問い合わせ〉03-5352-9999。