別役実2

保坂和志による『別役実Ⅱ』解説を全文公開。「安らっているはずの死者たちが、生きるよりタチが悪い混乱の中にいたらどういうことになるか?」

今月10月5日に発売した、ハヤカワ演劇文庫の新刊「別役実Ⅱ」。芸術選奨文部大臣賞と読売文学賞を受賞した別役実の代表作、「ジョバンニの父への旅」「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」を収録しています。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と、セルバンテスの「ドン・キホーテ」をモチーフにとったこの二篇は、別役実の円熟期の傑作です。

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〈「別役実Ⅱ」内容紹介〉
銀河鉄道に乗った星祭りの夜から二十三年。ジョバンニが放浪の旅から帰ってきた。街では父が無実の罪を着せられている。そして再びあの晩のように、誰かが川へ落ちる事件が起きて……(『ジョバンニの父への旅』)。

荒野の一角にある移動式簡易宿泊所。病人目当ての医者と看護婦、死人目当ての牧師がまだ見ぬ客を求め争っている。そこに現れたのは、生きるのに飽き、ひそかに死を待つ遍歴の騎士(『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』)。

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発売を記念し、小説家・保坂和志の解説を全文公開。「不条理劇」「難解」といったイメージの強い別役実を、保坂和志はどう読んだのか。読みの自由にあふれるエッセイです。戯曲を読んだことがない方も、これをきっかけに一度読んでみるのはいかがでしょうか。病みつきになるかもしれません……。

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  「別役実Ⅱ」解説  小説家・保坂和志  

〈不条理〉という言葉は〈シュール〉ほどではないがほぼ日常語になっている、それが本来の語義にどれだけ正しいかは別だ、いまの若い人たちが〈シュール〉や〈不条理〉を三十年前のような頻度で使っているか私は知らないが、
〈戦争の不条理〉
 みたいなタイトルは今でもふつうに目にしている気がする、〈死はつねに不条理なものだ〉というようなフレーズもよく聞く気がする、気がしているだけなのかもしれない。
 二十年以上前、週に二回も三回も将棋をやっていた友達がいて、ある日彼は圧倒的優勢だった将棋を私にひっくり返されると、
「不条理だなあ、不条理だなあ、……」
 と、〈不条理〉を連発した。その頃、ある芝居を私は観に行き、一緒に行った私より六歳年上の人が、芝居の途中で、
「これは不条理演劇か?」
 と私に訊いてきたとき私は、そういう分類? ジャンル分け? 理解の手がかり? そういうことはとても古臭いと感じた。実際私はその芝居を観ながら〈不条理〉とか〈ナンセンス〉というような言葉は思い浮かべず、私は舞台の上の台詞や動きを見たまま聞いたまま楽しんでいた、もっともその芝居が誰にでもわかるとは小鳥の羽ほどにも考えていなかった、しかし〈不条理〉と言えばこの芝居がわからない人も納得するかと言うとそれはまた別だ。
 私は今回〈不条理〉ということを考えていて、
〈別役実=不条理〉
 という図式、ラベル貼りはいかがなものかと思っていた、そしたらずいぶん前に読んだ松沢呉一の『エロ街道をゆく』という本のひとつの記事を思い出した、これはエロ、変態、スカトロ、SMなどを著者松沢自身が体験したり密室で目撃したりして書いたもので、著者はたいてい喜々としてそれを書く、しかしその中の一つの記事だけはトーンが違って、動揺したことから書きはじめる、書き方は他の記事と違ってずっと抑制が効いていて、知的で論理的な感じがする、著者はそれを目撃したあと家に帰ると関連する理論書を読んだりもする。
 その日密室で松沢呉一は彼の豊富といっていいエロや変態(と世間で称する)の体験を逸脱したプレイを目撃した、そのプレイは過激といえばじゅうぶん過激ではあるが、過激であることには耐性ができていた彼を、思いもしない無邪気さのようなものがあらわれた言葉と行動が揺さぶった、彼はその瞬間に醒めた目で事態の進行を見ることになった。
 説明がつかないこと、思いもしなかったことに出遭うと人は不思議なことに理屈にすがる。つまり不条理な出来事を前にすると人は論理的であろうとする。
 理屈の通らないこと、予想をはるかに超えたことはこの世界ではひんぱんに起こるわけだが(それが我が身に起こらないことを祈る)、〈不条理〉とはそのことなのか? そのような出来事の前で理屈にすがることか?
 そんなこととまた別に、
「死は生に意味を与える無意味なのです。」
 という一文が朝日新聞の「折々のことば」に載っていた。ヴラジミール・ジャンケレヴィッチという哲学者の言葉だそうだ。この言葉についての解説が「折々のことば」に書いてあるが解説を読まずともこの一文をぽんと置かれただけで人はいろいろなことを考える。ともかく死によって生は何らかの場所を与えられる、死は不条理なもの、理不尽なものだがそれによって生が安らうなら、焦燥や煩悩から解放されるなら、あるいは死に向かって流れていた生の時間がそこで静かになるなら、死もまた悪い面ばかりじゃないじゃないか、……。
 ところが安らっているはずの死者たちが、静まるはずの時間が静まらずに、生きるよりタチが悪い混乱の中にいたらどういうことになるか?
『ジョバンニの父への旅』はそういう話だと感じた、ただし私のこの書き方は本当は正しくない、私はこの戯曲を読んでいる最中、こういう風に感じているわけではなかった、登場人物(台詞の発話者)が、男1、男2……としか戯曲には書いてないから、何を言っているかはだいたいわかっても、誰がそれを言ったかのイメージがなかった。
 それで、登場人物表をコピーしてそれを見ながらもう一度読み直した、私はそれに『銀河鉄道の夜』をちゃんと読んでいない、いちおうあちこちに線を引いてあるので通読はしているが頭にちゃんと入ってない、ザネリといきなり言われてもどんな子だったか憶えてなかった、それで戯曲の再読の前に『銀河鉄道の夜』の方を読み直した、私はこれまで童話というのはそういうものだと思っていた、童話というのはごく自然に水が水晶でもあったりするものだ、ひょいと鳥をつかまえてしまう人が出てくるものだ、ところが〈別役実〉という名前が頭から離れずに読むと童話が別の様相を呈する、なんだかあちこちが不条理な出来事に見えてくる、カフカだって童話としてはじめて読めば、難解なんて言われなかったかもしれない、実際『審判』のアパートの一室みたいなところで開かれた裁判の場面などとても童話っぽい。
 戯曲の世界は、二十三年前と昨日の区別がついていない、死者たちの世界だからそうなのでなく、二十三年前と昨日がなんだか混同されているからここは死者たちの世界のようなものと感じられてくる。
 男1(ジョバンニ)、男4(ジョバンニの父)とされているが、〈(四)おままごとは昔のままの巻〉の終わりのところでは、
「もしあなたに息子さんがいて」
 という仮定の上で二人に会話をさせる、〈(七)夜は死者たちの時間の巻〉では、男1と男4は父と子という関係にはまったくない。
 ザネリは、(四)では、男6が、
「ザネリ……、みんながそう言ってるんだよ、最初に川に落ちた子は、お前さんに突き落されたんだって……。何故なら、その子はいつもお前さんの息子をいじめてたからね……。」
 と言う、しかし、
「女3 ザネリがつかまったことさ……。」85ページ
「男1 もちろん、知ってます……。僕は今、ザネリの無実の罪を晴らしてやろうとしているんですから……。それがお父さんの、無実の罪を晴らすことにもなるんです……。」91ページ(A)
「女2 (略)いいかね、ジョバンニ、事実はどうあれ、街の人たちはみんな、二十三年前のあの日ザネリを川に突き落したのは、お前だと思っているんだよ……。」94ページ(B)
 ザネリはザネリの親になったりザネリ自身になったりする、ここでは論理学でいう〈排中律〉(XはAか非Aのどちらかである)も〈同一律〉(AはAである)も通用しない。これ、戯曲ではわかりにくいというか隔靴掻痒というか、頭で考えないとわからない、ぼんやりすると素通りしかねないが、舞台で現実に人間が演じていたら、わかりやすくストレートに変な感じがするだろう、
「あれ、この人、さっきザネリの親だと思ってたのに、ザネリなの?」
 と。
 もっともらしい用語で言えば、〈排中律〉と〈同一律〉の破綻ということになるが、もともとは行き違いなんじゃないかと思う、射った矢がそのつど違う的に当たる感じだ、引用の(A)(B)、とくに(A)が矢と的の関係がよく出てる。
 もともと『銀河鉄道の夜』が、この戯曲を読むとその行き違い、矢の的違いがモチーフ(のひとつ)だったんじゃないかと思えてくる、ジョバンニはその日まだ配達をしていない牛乳をもらいに出かけた、出かけて、全然違う銀河鉄道に乗るわけだが、配達されていないこともまた行き違いの一種だ、そして何より、もともと川に落ちたのはザネリだった、話を縮めれば、「ザネリが落ちてカムパネルラが溺れ死んだ。」この世界は、行き違い、矢の的違い、電話の混線、郵便の誤配と遅配なのだ、と。
 原作のラスト間近はこうだ、

「あなたのお父さんはもう帰っていますか。」博士は堅く時計を握ったまままたききました。
「いいえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。
「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」

 カムパネルラのお父さんは、ここでばらばら矢を射っている、だいいちこの人は二人が銀河鉄道に乗ったことを知ってるんじゃないか? 悲しみとは別の境地にいる。こんな風に考えるのもこの戯曲を読んだからだ。

「別役実Ⅱ」解説より。)

2018年10月5日発売。定価1.400円+税。早川書房刊。

別役実、プロフィール 1937年、満州生まれ。日本の不条理演劇を確立し、現代劇に新たな世界を構築した劇作家。早稲田大学政治経済学部政治学科に入学して鈴木忠志、小野碩らと出会い、劇団「自由舞台」(後の早稲田小劇場)を結成。61年に「AとBと一人の女」を発表、67年「マッチ売りの少女」「赤い鳥の居る風景」で岸田國士戯曲賞を受賞。68年に早稲田小劇場を離れてからは、俳小、演劇集団円、木山事務所、俳優座、文学座アトリエなどに次々と戯曲を提供し、18年、144本目の戯曲となる「ああ、それなのに、それなのに」(『悲劇喜劇』2018年11月号掲載)を発表。70年に「不思議の国のアリス」「街と飛行船」他で紀伊國屋演劇賞、87年に「ジョバンニの父への旅」「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」で芸術選奨文部大臣賞と読売文学賞、また98年には毎日芸術賞特別賞など受賞歴多数。また、童話、評論、軽妙なエッセイでも人気が高い。

保坂和志、プロフィール 1956年、山梨県生まれ。鎌倉で育つ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2013年『未明の闘争』で野間文芸賞、2018年、『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。その他の著作に『カンバセイション・ピース』『小説の自由』『あさつゆ通信』『猫の散歩道』ほか。

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