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技術革新と成長の成果は、社会の中でどのように配分されるのか——『技術革新と不平等の1000年史』解説:稲葉振一郎

生産性が向上し、労働者は貧しくなった?

農法改良、産業革命から人工知能(AI)の進化まで。人類のイノヴェーションの功罪を緻密に分析する話題の新刊『技術革新と不平等の1000年史』(ダロン・アセモグル&サイモン・ジョンソン、鬼澤忍・塩原通緒訳、早川書房)

本書は世界的ベストセラー『国家はなぜ衰退するのか』のアセモグルが長年の共同研究者と放つ決定的著作。圧倒的な考究により「進歩」こそが社会的不平等を増大させるという、人類史のパラドックスを解明する一冊です。

本書の解説は、アセモグルの既刊『国家はなぜ衰退するのか』『自由の命運』に引き続き稲葉振一郎(明治学院大学社会学部教授)さんにご執筆をいただきました。本記事では、そのご解説を特別公開いたします。



『技術革新と不平等の1000年史』ダロン・アセモグル&サイモン・ジョンソン、鬼澤忍・塩原通緒訳、早川書房
『技術革新と不平等の1000年史』
ダロン・アセモグル&サイモン・ジョンソン、鬼澤忍・塩原通緒訳
早川書房

解説


明治学院大学社会学部教授
稲葉振一郎

著者について

 本書は、Daron Acemoglu and Simon Johnson, $${Power }$$$${and }$$$${progress: }$$$${Our }$$$${thousand-}$$$${year }$$$${struggle }$$$${over }$$$${technology }$$$${and }$$$${prosperity }$$. PublicAffairs. 2023 . の全訳である。

 ダロン・アセモグルDaron Acemoglu はトルコ出身、英国ヨーク大学卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で一992年に経済学で博士学位を取得した。92年から93年までLSEで経済学講師、93年以降はマサチューセッツ工科大学(MIT)に経済学助教授として移り、97年准教授、2000年より教授(2004‐10年はチャールズ・P・キンドルバーガー記念応用経済学教授、2010‐19年はエリザベス&ジェームズ・キリアン記念経済学教授、2019年以降はMITでの最高位であるインスティテュート・プロフェッサー)を務めている。この間アメリカ経済学会のジョン・ベイツ・クラーク・メダル他、世界各国の様々な学術賞や名誉学位を授与されており、2006年以降はアメリカ芸術科学アカデミー会員である。

 主たる研究分野は政治経済学、経済発展、経済成長、経済理論、技術、所得と賃金の不平等、人的資本と訓練、労働経済学、ネットワーク経済学。その関心は見られるとおり経済成長を主軸として極めて広く、純粋理論の論文のみならず、計量分析の専門家との共著で多数の実証的論文を超人的なペースで量産している。

 著書としては、年来の「成長の政治経済学」プロジェクトの成果報告ともいうべきジェイムズ・A・ロビンソンJames A. Robinson(シカゴ大学ハリス公共政策大学院教授)との共著『独裁と民主政の経済的起源』($${Economic }$$$${Origins }$$$${of }$$$${Dictatorship }$$$${and }$$$${Democracy }$$. Cambridge University Press.2006 . 未邦訳)、『国家はなぜ衰退するのか──権力・繁栄・貧困の起源』($${Why }$$$${Nations }$$$${Fail: }$$$${The }$$$${Origins }$$$${of }$$$${Power, }$$$${Prosperity, }$$$${and }$$$${Poverty}$$. Crown Business. 2012 . 邦訳早川書房、2013年)、『自由の命運──国家、社会、そして狭い回廊』($${The }$$$${Narrow }$$$${Corridor: }$$$${States, }$$$${Societies, }$$$${and }$$$${the }$$$${Fate }$$$${of }$$$${Liberty}$$. Penguin Press. 2019 . 邦訳早川書房、2020年)の他、長期マクロ動学の包括的な大学院レベル教科書『近代経済成長論入門』($${Introduction }$$$${to }$$$${Modern }$$$${Economic }$$$${Growth}$$. Princeton University Press. 2009 . 未邦訳)、デイヴィッド・レイブソン、ジョン・リストとの共著による学部レベルの入門教科書($${ECONOMICS}$$. Pearson Education. 2015 . 邦訳東洋経済新報社『アセモグル/レイブソン/リスト マクロ経済学』2019年、『アセモグル/レイブソン/リスト ミクロ経済学』2020年)がある。

 サイモン・ジョンソンSimon Johnson はイギリス出身、オックスフォード大学を卒業後、マンチェスター大学で修士号、1989年にMITにて経済学で博士学位を取得し、現在はMITスローン経営大学院ロナルド・A・カーツ(1954)記念起業家精神教授、グローバル経済経営グループ代表。2007‐08年の国際通貨基金(IMF)チーフエコノミストを務めた他、財政金融・経済政策関連の様々な諮問委員・アドバイザーとして活躍しており、現在はCFAインスティテュートシステミックリスク評議会の共同議長である。専門は金融経済学、政治経済学、経済発展論で、多数の論文と著作があるが、邦訳されている一般向け著作としてジェームズ・クワックJames Kwak(コネティカット大学ロースクール教授)との共著『国家対巨大銀行──金融の肥大化による新たな危機』($${13 }$$$${Bankers: }$$$${The }$$$${Wall }$$$${Street }$$$${Takeover }$$$${and }$$$${the }$$$${Next }$$$${Financial }$$$${Meltdown}$$. Penguin Press. 2010 . 邦訳ダイヤモンド社、2011年)がある。またアセモグル、ロビンソンとともに「成長の政治経済学」プロジェクトの主導的メンバーである。このほか、アセモグルとジョンソンはMITの同僚デイヴィッド・オーターDavid Autor(労働経済学)とともに、「労働の未来を創る新しいMITイニシアティヴ」を運営し、労働者、とりわけ大学教育を受けていない層のための機会を再創出することを目指しての、労働市場、技術、不平等についての調査研究に取り組んでいる。


既刊『国家はなぜ衰退するのか』『自由の命運』との関係

 本書はアセモグルとジョンソン、そして彼らの頻繁な共同研究者であるジェイムズ・A・ロビンソンによる数十年にわたる研究を基礎としている。本書は、すでに邦訳されているアセモグルとロビンソンの二冊の共著で強調されている多くのテーマを探求する一方で、政治経済学の問題を、技術革新の方向性と、それが技術革新から誰がどのような恩恵を受けるかを中心とした疑問と結びつけ、研究の新たな方向性を示している。「成長の政治経済学」の中には当然技術革新は中核的なテーマとして入ってくるし、前二著でも論じられていたが、どちらかと言えば前二著の主題は、経済成長全般と、それを支える制度的環境、技術革新を可能にしたり阻んだりする政治的ダイナミズムに焦点が当たっていたのに対して、本書の主題はより生産技術、テクノロジーの問題に絞られており、テクノロジーの方向性と、テクノロジーから得られる利益が社会にどのように分配されるかに影響を与える制度的基盤に焦点を移している。

 簡単に前二著を振り返ってみよう。『国家はなぜ衰退するのか』では、持続的経済成長、つまりたえざる技術革新が生産力を上げ、それが人々の生活水準を向上させ続けるプロセスが安定して実現されるためには、一定の制度的前提条件が満たされる必要がある、と論じられる。著者たちの表現によればそれは包括的inclusive な政治制度──その極限が自由民主政──と、包括的な経済制度──自由な(開放的で公平な)市場経済との相互依存(好循環)である。近世の西欧地域で確立したこの組み合わせが、持続的経済成長を可能にした一方で、大航海時代以降、西欧によって植民地化されたアジア・アフリカ地域、あるいは20世紀、ロシア革命以降成立した社会主義諸国においては、その実現が妨げられ、収奪的extractive な政治制度──権威主義的独裁等──と、収奪的な経済制度──奴隷制、農奴制、中央指令型計画経済等──との相互依存(悪循環)だったのだ、というわけである。この考え方からすれば、旧植民地地域の貧困や政治不安に対して西欧先進諸国は大いに責任があるが、それは先進諸国、旧植民地帝国が植民地の富を収奪したからというよりは、むしろ植民地地域の政治的自立を奪い、社会秩序を混乱させて成長を阻害したからである、ということになる。それゆえ包括的な制度セットの好循環が確立されれば、持続的経済成長は可能だ、と著者たちは論じる。近代日本や20世紀末以降の東アジアのNIEs、あるいはアフリカにおいてはボツワナがその実例として挙げられる。

 それに対して『自由の命運』においては、リベラル・デモクラシーと自由な市場経済という「包括的制度セット」こそが、長期的な経済成長の成否を左右する最重要の要因である、という主張の骨子それ自体は変わらないものの、原題「狭い回廊」が示唆する通り、その実現と維持の困難さをむしろ強調するようになっている。言うまでもなくそれは、前著の発端において希望をもってその将来が展望された「アラブの春」のあとに中東を襲ったISISの台頭やシリア内戦といった一層の社会的混沌、のみならずアメリカ合衆国におけるトランプ大統領の誕生を含めた、欧米先進諸国におけるポピュリズムと排外主義の台頭を意識している(加えて、トルコがアセモグルの母国であることをも胸にとめておこう)。

 アセモグルとジョンソンによる本書と、アセモグルとロビンソンによる前二作とのもう一つの重要な違いは、経済成長に対するテクノロジーの影響について、拡大された視点を提供している点にある。それ以前の著作では制度の役割に焦点が当てられていたが、本書では、経済成長の重要な原動力である技術革新の軌跡と、そのような制度の文脈の中に誰が繁栄するのかに力点を置いている。経済成長とは単なる量的拡大ではなく質的変化でもある。単にあるものを生産するにあたって生産性が向上し、同じ労力でより多くのものが作れるようになる、というだけのことではない。同じものが単にこれまでのやり方を少し効率よく改善したやり方で作られるようになるだけではなく、それまでとは全く別のやり方で作られるようになる、といったことを含む。それだけではなく、これまで存在しなかった新しいものが発明され、市場に出回り、人々の生活の中に定着していく、そういう過程までをも含む。このように、人間の経済というものが、たくさんのものをいろいろな仕方で生産し、それらが様々な仕方で人々の間に分配される、という過程からなるものであるならば、それをたとえば「GDP」といったたったひとつの数字で測り、表すことは、極端な単純化である、ということだ。もちろん実際には、持続的経済成長には不可欠な制度的枠組みである、発達した市場経済においては、貨幣という仕組みが不可欠であり、市場で取引の対象となるものは、どんなものでもこの貨幣によって測られるのだから、この貨幣を単位として経済活動は一次元的に尺度化されることが可能である。GDPもその一例に過ぎない。しかしだからといってそれが大幅な単純化であることに変わりはない。

 アセモグルとロビンソンの前二著も、単なる量的拡大というにとどまらない、質的変化を含めての経済成長を主題としていた以上、経済成長というものに対して単純に一次元的な見方をしていたわけではない。しかしながらもその大枠としてみたときに、それは技術変化といった、成長と進歩に影響を及ぼす特定の要因の役割を抽象化することによって、単純化を許すところがあった。つまり彼らは、社会の制度的環境次第で経済成長が起きるか起きないか、どの程度順調に進むかは変化しうるが、その変化は「GDP」とか「成長率」といった一個の数字で表せるような一次元的なものである、と積極的に主張してはいないが、読者の方でそう読んでしまうのを許す余地があった。


本書の核心——分配重視へのシフトと新たな社会運動への期待

 本書はいわばその続きを語っている。それはマルクス主義的な生産力主義、あるいはそのライバルだった近代化論の技術決定論的なものの見方への、つまり生産力が、あるいはその核心にある技術こそが経済の在り方を決め、そして下部構造としての経済が政治や文化の在り方を決めてしまう、という発想を批判する。その代わり、著者は歴史的な事例を通して、テクノロジーの道筋はどうしようもないものではなく、むしろ制度や支配的なビジョン、文化的規範によって形作られることを示す。

 不平等は政治経済学的な探求の中心であり、包括的な制度のもとでは不平等が蔓延しないと考えるのは自然なことである。しかしながら、たとえばトマ・ピケティ『21世紀の資本』では、「資本主義経済においては、分配の不平等は普通は改善せず、多くの場合は(不正がなくとも)拡大する」と論じられた。こうした議論が無視しているのは、テクノロジーの方向性や、新しいテクノロジーから得られる利益がどのように共有されるかが、不平等とその軌跡にとって重要かどうかということである。本書ではここに焦点が当てられる。本書は、歴史を通じて技術革新がどのような状況下で限られた社会エリート層にしか利益をもたらさなかったのか、あるいは、どのような状況下で広く共有された繁栄がもたらされ、より広範な人々の暮らしが改善されたのかを丹念に調査することで、こうした議論に対処している。もちろん分析スタイルや思考法の大枠は変わっていない。経済成長、その中での新技術の開発・選択の在り方に対する制度的枠組み、関係者の利害対立、政治的選択が与える影響を、ゲーム理論的な観点を踏まえて分析していく、というやり方は、前二著と同様である。しかし今回は技術革新による成長の量的な側面だけでなく、生産性を上昇させて経済成長に帰結する技術革新のありかたが包括的で労働者に優しいか、それとも排他的で搾取的であるかが、その後の生産性と経済成長の改善を理解する上で重要である、とくどいほど強調される。では何に重点が置かれるかというと、どのような技術が、またどのような仕方で導入されるか、そのことによって関係者──地主、資本家、農民、労働者、等々──にどのような影響を与えるのか、を多面的にみること、とりわけ生産性の向上の成果がどのように分配されるのかに注意すること、である。このような分配重視へのシフトは『自由の命運』から予感されていたが、クワックとの共著『国家対巨大銀行』で金融寡頭制を厳しく批判し、また金融エリートのイデオロギー的・政治的影響力に警鐘を鳴らしたジョンソンの貢献も大きいのかもしれない。

 本書はとりわけ2010年代後半からの人工知能(AI)、とりわけ機械学習技術の進展に伴い騒がれるようになった「AI脅威論」を強く意識して、経済学の歴史の中での機械化、機械による労働の代替と雇用の関係についての議論の系譜を掘り返し、真面目に考察している。そして、伝統的な経済学の回答とそれほど外れることはなく、これまでの機械化と同様、AI化も雇用状況を悪化させる──失業を増やし、賃金、労働条件を悪化させるとは直ちには言えない、と言う。しかし反対に、それは必ず雇用を増やし、賃金を上げ、労働条件を改善させる、というわけでもない。

 しかし著者らは従来の経済学を否定するわけではないが、重大な留保をつける。新技術による生産性の向上は、たしかに労働の限界生産性を上げて賃金を上昇させうるとしても、必ずそうなるとは限らない。特定のローカルな部門だけをとってみるならば、ただそこにおける労働需要の減少、雇用の低下につながるだけかもしれない。生産性の向上が生み出した余剰が経済の他部門に振り向けられ、新製品、新産業を誘発してそこにおける新たな労働需要を生み、といった波及効果があって初めて賃金が上昇し、生産性の向上の恩恵が労働者に及ぶことが可能になる、と。これが著者たちのいう「生産性バンドワゴン」である。そして著者たちによれば、このバンドワゴン効果は技術革新に伴って常に自然発生するわけでは決してない。本書ではそれを、新石器時代の農耕革命による、狩猟採集生活から定着農耕生活への移行に伴う健康状態の悪化という研究結果、あるいは西欧中世における数百年にわたる技術革新の成果が農民の生活水準の向上にほぼ寄与していないことや、あるいは近代産業革命における工場労働者の悲惨な状況といった歴史的諸事例に即して説得的に説明する。もちろんこうしたエピソードの羅列では確証にはならない、と思われる読者のために注意しておけば、これらは歴史家や考古学者による、統計的なものも含めたより堅実な実証研究や、著者たち自身による理論的・実証的研究によって裏打ちされている。

 とりわけ重要なのは19世紀半ばから20世紀にかけての先進諸国における高度成長、そのもとでの豊かな生活の実現は、自然に「見えざる手」に導かれて起きたものではなく、19世紀末以来の労働運動の発展、それに伴っての社会保障制度の充実、福祉国家体制の確立なくしてはあり得なかった、ということである。生産性を向上させ、経済成長を生み出す技術革新の成果がどのように配分されるか、いやそもそも具体的にどのような技術が採用されるかさえ、「見えざる手」によるものというよりは、関係者の政治的取引や、技術・社会についてのビジョンに大きく左右されるものなのだ。そして20世紀末以降のIT革命、金融革新、グローバル化といった動向は、金融エリートやビッグテックの企業家たちのイデオロギー的影響力を強める一方、ローカルな普通の労働者、農民の側での組合運動などを通じた対抗力を弱める方向にはたらいている。著者たちはアメリカにおけるIT化、AI化が野放図な格差の拡大につながることを懸念する一方、ドイツや北欧における労使の交渉を通じてのハイテク導入、生産性向上と分配の公平の両立への取り組みを高く評価し、新たな社会運動への期待を表明する。しかしながらそのような運動、更にそれを通じた政策実現の基盤となるべき民主政治自体が、不平等化やエリートによるイデオロギー的支配によってその基盤を掘り崩されていることに、著者たちは強い懸念を表明する。


総括

 まとめてみよう。繰り返しになるが『国家はなぜ衰退するのか』においてはリベラル・デモクラシーと自由な市場経済の包括的制度セットへの強い信頼が表明され、楽観的なトーンが支配的だったと言えるのに対し、『自由の命運』ではこの組み合わせの実現が非常に歴史的な偶然、幸運の所産であり、再現可能性が低いかもしれない、という認識が提示され、トーンはやや悲観的になった。それに対して今回の本書では、「それぞれの国の制度的コンテクストの下で、どうすれば成長は可能になるのか」、から、「技術革新と成長の成果は社会の中でどのように配分されるのか/より公平な分配を実現するにはどうしたらよいのか」へと論点が更に深められている。『国家はなぜ衰退するのか』における包括的制度セットにおける好循環論は、リベラル・デモクラシーの下での安定が自由な市場経済を可能にし、自由な市場経済の下での経済成長、豊かさがリベラル・デモクラシーへの支持を固める、というものであったが、ただ単に豊かさだけでは足りず、分配の不平等が(市場における経済活動の自由を全面的に破壊することなしに)抑制されることが必要である、ということへの気づきは、『自由の命運』で見え隠れしていたが、今回はそれが前面に出て主題化されたと言える。技術革新が労働者に突きつける困難や、人工知能の進歩の人々の暮らしに対する潜在的な脅威は、貧富の差にかかわらず、すべての国にとって世界的な関心事である。そのため本書の議論は、後発経済国が直面する問題に焦点を当てた『国家はなぜ衰退するのか』と対照的に、より技術革新の先端にいる国々にとっても有意義である。それは規制のないアメリカ金融がリーマン・ショックを引き起こしたという『国家対巨大銀行』でのジョンソンの指摘ともリンクしている。今問われているのは、アメリカのハイテク産業によって、中産階級にどの程度の押し下げ圧力がかかっているのかということである。

 最後に、評者なりの感想を述べよう。まず大枠としてみるならば、『国家はなぜ衰退するのか』から十年以上を経た今日、そこでの中国の動向に対する著者らの予想──共産党の支配下にある中国は、包括的な政治制度への根本的な政治改革を行なわない限り、持続的な成長は望めないだろう──は、結果的には当たったように見える。個人崇拝を強化して恣意的な独裁への方向を走りつつある習近平の中国は、安定的なビジネス環境を提供できなくなり、外資の逃避を含めた企業活動の後退と経済成長の鈍化が長期的に予想されるのみならず、今まさに現在、過剰投資のつけから来る不況にも苦しんでいる。先の見えない戦争に苦しむロシアもまた同様である。しかしこのような状況は、中国やロシアにおける包括的制度セットの欠如が経済成長の鈍化に導くことを意味しはするだろうが、それゆえに中国やロシアが、停滞を克服するために民主化に向かうだろうということを意味するわけではない。中国もロシアも地域における軍事的覇権国としての地位は、停滞に突入してからも当分維持するだろうし、エリートたちにそこから自発的に抜け出す動機はない。そうなれば著者らの理論の正しさは、中露の改革の成功によってではなく、むしろ停滞の持続によって証明されてしまうことになる。それは必ずしも喜ばしいことではないだろう。

 それに対して本書の最後に提示される、自分たちの足元たる西側先進諸国の状況に対する、著者たちなりの提言は、巨大企業の独占を解体して自由な市場を取り戻す一方で、草の根の民衆の連帯による分配の公正をも要求するという意味において、おおざっぱに言えば本書中でも言及されていた、20世紀前半アメリカ合衆国における進歩主義Progressivism(革新主義とも訳される)の再興への呼びかけとでもいうべきものと言える。ただし、GAFAなどの現代AIの商用化を主導するプラットフォーマー、ビッグテックに独禁法などによって対抗しよう、という提言のわかりやすさに比べると、草の根の民衆の連帯の復興への展望はいまひとつわかりにくい。革新主義の時代を含めた20世紀前半~中葉において、都市に集中した工業労働者たちが、かつての農民たちに比べて連帯、団結によるビッグビジネスへの対抗においてより有利になりえた(対する資本家も妥協しやすかった)のに対して、IT革命とグローバル化以降、雇用が柔軟化した世界においては、製造業・サービス業の労働者の多くはこのような条件を失いつつあることには著者たちも気づいているだろう。労働運動の復興のみならず、より公平なデジタル技術を目指しての政策的介入においては、アメリカ合衆国のような大規模国家の枠組みは適応的ではなく、ドイツや北欧においては相対的に成功しているように見える労使の対話や市民と企業との交渉を通じての政策的規制は、もう少し小さな規模のコミュニティを必要としているのかもしれない。その中で注目すべきは「データ所有権」のアイディアではないかと思われる。著者たちはEUのGDPRに対してやや点が辛いが、彼らが肯定的に紹介するデータ所有権、それを保護する集団的な枠組みとしてのデータ・ユニオンの考え方は、筆者にはむしろGDPR的な発想のより一層の徹底であり、いわゆる「情報銀行」の考え方にも通じると思われる。

 この解説の草稿は英訳のうえ、アセモグル、ジョンソン、並びにアシスタントのオースティン・レンシュAustin Lentsch 三氏の助言を受け修正を行なった。記して感謝する。

 2023年11月



著者プロフィール

ダロン・アセモグル (Daron Acemoglu)
1967年生まれ、トルコ出身。経済学者。専門は政治経済学、経済発展論、成長理論など。40歳以下の若手経済学者の登竜門とされ、ノーベル経済学賞にもっとも近いと言われるジョン・ベイツ・クラーク賞を2005年に受賞。ほかにアーウィン・ブレイン・ネンマーズ経済学賞(2012年)、BBVAファンデーション・フロンティアーズ・オブ・ナレッジ・アワード(経済財務管理部門、2016年)、キール世界経済研究所グローバル経済学賞(2019年)など受賞多数。2019年以降はマサチューセッツ工科大学(MIT)における最高位の職階であるインスティテュート・プロフェッサーを務めている。著書に『国家はなぜ衰退するのか』『自由の命運』(いずれもジェイムズ・A・ロビンソンとの共著、早川書房刊)、『アセモグル/レイブソン/リスト マクロ経済学』(共著)など。
サイモン・ジョンソン (Simon Johnson)
1963年生まれ、イギリス出身。経済学者。専門は金融経済学、政治経済学、経済発展論。マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院ロナルド・A・カーツ教授。国際通貨基金(IMF)の元チーフエコノミスト。著書に『国家対巨大銀行』(ジェームズ・クワックとの共著)など。

書誌概要

書名:『技術革新と不平等の1000年史』(上下巻)
著者:ダロン・アセモグル&サイモン・ジョンソン
訳者:鬼澤忍、塩原通緒
出版社:早川書房
発売日:2023年12月20日
本体価格:上下巻各3,000円(税抜)

本書目次

〈上巻〉
 〇本書への賛辞
 〇プロローグ——進歩とは何か
 〇第1章 テクノロジーを支配する
 〇第2章 運河のビジョン
 〇第3章 説得する力
 〇第4章 不幸の種を育てる
 〇第5章 中流層の革命
 〇第6章 進歩の犠牲者
 〇口絵クレジット
 〇文献の解説と出典
 〇索引
〈下巻〉
 〇第7章 争い多き道
 〇第8章 デジタル・ダメージ
 〇第9章 人工闘争
 〇第10章 民主主義の崩壊
 〇第11章 テクノロジーの方向転換
 〇謝辞
 〇解説/稲葉振一郎
 〇口絵クレジット
 〇文献の解説と出典
 〇参考文献
 〇索引