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"そこは、秩序を乱すあらゆる女の「捨て場所」だった――"『狂女たちの舞踏会』冒頭試し読み

早川書房より、仏作家ヴィクトリア・マスのデビュー長篇『狂女たちの舞踏会(原題:Le bal des folles)』(永田千奈 訳)を刊行します。2019年にフランスで刊行された本書は、〈高校生が選ぶルノードー賞〉を受賞。現地で既に20万部を突破し、映像化も決定している注目作です。そんな本作の冒頭部分をnoteにて公開します。

狂女たちの舞踏会_帯

コラージュアート/Q-TA
装幀/早川書房デザイン室

●あらすじ

1885年3月、パリ。サルペトリエール精神病院は、
舞踏会の準備でにぎわっていた。
「狂っている」と診断され入院している女性患者たちが、
少しの間だけ病のことを忘れられる特別な夜会だ。
そんなとき、病院に新しい患者がやってくる。
19歳のウジェニー。彼女は「霊が見える」と
家族に告白したために、この病院に入れられた。
自分は「正常」だと信じるウジェニーは、
一刻も早く病院から出ようとするのだが……。

そこは、秩序を乱すあらゆる女の「捨て場所」だった――。
実在する病院を題材に、「ふつうとは何か」を問う注目の長篇小説。

『狂女たちの舞踏会』
ヴィクトリア・マス/永田千奈 訳

1. 1885年3月3日


「ルイーズ、時間よ」
ジュヌヴィエーヴは、若い女の身体(からだ)から毛布を片手でひきはがす。ルイーズは狭いマットのうえで身を縮め、眠っていた。たっぷりとした暗色の髪が枕を覆い、顔の一部を隠している。うっすらと開いた口からはかすかに寝息が漏れていた。共同寝室のほかの女性患者たちは皆、すでに起き上がっていたが、ルイーズの耳に周囲の音は聞こえていないようだった。鉄製のベッドが並ぶなか、女たちが伸びをしたり、髪をシニヨンに結い上げたり、薄い寝間着のうえに黒いワンピースを着たりしている。やがて、看護婦が注意深く見守るなか、女たちは落ち着いた足取りで食堂へと向かう。曇りガラス越しに陽光が遠慮がちに差し込んでいた。
ルイーズは最後まで起きようとしない。毎朝、看護婦やほかの患者がやってきて、彼女を眠りから引きずり出す。それでも、ルイーズは毎日、夕暮れになるとようやく安堵し、夢も見ない深い眠りへと落ちていく。眠っている間は、過去の苦しみを思い出すこともなければ、この先どうなるかを心配することもない。3年前、あの事件によってここにくることになって以来、睡眠だけが彼女のやすらぎだった。
「ルイーズ、起きなさい。皆が待っているわ」
ジュヌヴィエーヴに腕を揺さぶられ、ルイーズはようやく目を開けた。ルイーズは、患者たちが「古株」と呼ぶジュヌヴィエーヴが自分のベッドのすぐ横にいることにびっくりし、口を開いた。
「いつものことでしょう」
「準備して。もう充分眠ったはずよ」
「はい!」
ルイーズは足をそろえてベッドから飛び降りると、椅子のうえにある黒いウールの服をつかんだ。ジュヌヴィエーヴがすぐ近くで見守る。せわしない所作、落ち着かない頭の動き、荒い息遣いをじっと観察しているのだ。ルイーズは昨日も発作を起こしている。今日の予定をこなす前にまた同じようなことがあっては困る。
ルイーズは襟(えり)元のボタンをとめ、ジュヌヴィエーヴのほうを振り返った。いつものように白衣を身に着け、ブロンドの髪をシニヨンに結い上げてまっすぐに立つジュヌヴィエーヴを見ると、ルイーズは気後れしてしまう。彼女の冷徹な態度に慣れるには、数年かかった。不公平や不注意が理由で彼女に文句があるわけではない。ただ、情というものが感じられないのだ。
「これでいいでしょうか。マダム・ジュヌヴィエーヴ」
「髪はほどいたほうが、先生がよろこばれることでしょう」
ルイーズは、ふっくらとした腕をもちあげ、さきほど大急ぎで結い上げたばかりの髪をほどいた。自分では望んでいなくても、彼女は思春期にあった。16歳。心はまだあどけなさを残している。肉体は成長を急ぎすぎた。12歳になると胸や腰が丸みをおびてきた。肉体という果実にとつぜん生まれた色香(いろか)を、彼女の心はまだ知らされていなかった。思春期ともなればその瞳はまったくの無垢とはいかないが、それでも、うぶな部分はある。彼女はまだ幸福になることをあきらめていなかった。
「緊張するわ」
「先生にまかせておけば、うまくいきますよ」
「はい」

ふたりは病院の廊下を横切っていく。窓からさしこんだ3月の朝の光がタイルに反射していた。春の訪れを、そして四旬節中日(キリスト教において復活祭を前にした四旬節のあいだは節制の時期であるが、当時、フランスでは、その中日だけ息抜きが許されていた)が近いことを告げる光。わけもなく微笑みたくなるような、いつかここから出られる日がくるのかもしれないと希望を抱かせるような光だ。
ジュヌヴィエーヴもルイーズの緊張を感じとっていた。うつむき、両手を脇に垂らして歩むルイーズは呼吸が早くなっている。女性患者たちは、シャルコー先生に直接会うとなると、不安になるのが常だった。まして、公開講義に参加するとなればなおさらだ。重圧を感じる。人前で注目されるのは不安だ。これまで人前に出ることもなく生きてきた彼女たちは、好奇の目にさらされることに慣れておらず、途方に暮れてしまう。せっかく立ち直りかけていたというのに苦しい。
廊下をいくつか抜け、扉を通過し、講堂の控え室に入る。男性医師と研修医が数人、待機していた。男たちがいっせいに、「今日の出演者」のほうを振り向いた。皆、手にノートとペンを持ち、唇のうえには口ひげ、贅肉のない身体に白いシャツと黒いスーツを身に着けている。医者としての目がルイーズを裸にする。服の下まで見透かすような目だ。ぶしつけな視線に、ルイーズは思わず目を伏せる。
ひとりだけ見覚えのある顔があった。シャルコーの助手、ババンスキーがジュヌヴィエーヴに歩み寄る。
「もうすぐ満席になります。あと十分ほどではじめましょう」
「ルイーズはこれでだいじょうぶでしょうか」
ババンスキーはルイーズを上から下まで眺め、言った。
「このままでいいでしょう」
ジュヌヴィエーヴはうなずき、部屋を出て行こうとした。ルイーズは不安のあまり、後を追いそうになりながら言った。
「マダム・ジュヌヴィエーヴ、終わったら迎えに来てくれますよね」
「ええ、いつもどおりに」

ジュヌヴィエーヴは舞台脇から壇上を見た。木製のベンチが並ぶ聴講席からわきあがる低い声が反響し、講堂を満たす。病院内の一室というよりは、博物館、いや、珍品を集めた陳列室のようでさえある。天井も壁も、人体の絵画や版画、解剖図で埋め尽くされている。裸体、着衣のもの、不安そうな表情、茫然とした表情、どれもこれも名もなき誰かの身体だ。長椅子の横、重量感のある古びた棚のガラス戸の奥には、病院の功績を象徴する品々が収納されている。頭蓋骨、脛(けい)骨、骨盤、いくつものガラス瓶、石膏の胸像、雑多な医療器具。こうしたものを目にするだけで、この部屋を訪れた者たちは何か特別なものが見物できそうだとわくわくすることだろう。
ジュヌヴィエーヴは聴衆たちを見た。見覚えのある顔もある。医者、作家、記者、研修医、政治家、芸術家たち。皆、興味津々の顔をしているが、信奉者もあれば、まだ半信半疑の者もいる。ジュヌヴィエーヴは誇らしかった。講堂を毎週満席にするほど皆の注目を集めているのは、パリでシャルコーただ1人しかいないと思うと、我がことのように自慢だったのだ。彼が登場する。講堂が静まりかえる。熱心なまなざしを向ける聴衆のまえに、シャルコーは動じることなく、堂々とした体躯(たいく)と真面目な顔で現れた。面長な横顔は、ギリシャ彫刻の優美さと神々しさをそなえていた。何年にもわたり家族や社会から見捨てられた女たちの心の闇の奥底を見つめてきただけあって、そのまなざしには医者らしい精密な観察力と非情さがあった。彼は、女性患者たちに希望を与える存在であることを自認していた。自分の名がパリじゅうに知れ渡っていることも。彼は権威を与えられ、今や、自信をもってその権力を行使していた。自分には医学を進歩させるだけの才能があり、それを認められたからこそ、この地位にあると自負していたのだ。
「皆さま、本日はご来場いただきありがとうございます。これから始まる講義では、重度のヒステリー患者に催眠療法を行うところをご覧いただきます。患者の年齢は16歳。このサルペトリエール病院に入院してから3年のあいだに、200回以上のヒステリーの発作を記録しております。催眠によって発作を再現し、その症状を観察したいと思います。こうすることで、ヒステリーの生理学的プロセスについてより詳細な知識を得ることが可能になります。こちらにいるルイーズのような患者の協力によって、医学や科学は進歩していくのです」
ジュヌヴィエーヴの顔に微笑みが浮かぶ。出し物を待ちわびる見学者たちに語りかけているシャルコーの姿を見るたびに、彼女はいつも若かりし日のことを思い出す。ジュヌヴィエーヴは、彼が学び、記録をとり、治療を行い、研究し、それまで誰も気がつかなかったものを見つけ出し、それまで誰も考えてこなかったことを考え出すのを見てきた。彼、シャルコー医師だけが、医学の完全性、そのすべての真実と有用性を体現できるのだ。シャルコーのような人間が存在するのならば、偶像の神など必要ないではないか。いや、そもそも、シャルコーのような人はほかに存在しない。彼女は誇らしかった。パリで最も有名な神経科医の仕事とその進歩に20年近く貢献できることはとても光栄で名誉なことだと思っていた。
ババンスキーがルイーズを壇上に招き入れる。10分前の緊張しきっていた姿はもうなかった。肩を引き、胸を張り、顔をあげ、彼女は自分だけを待っていた聴衆の前に歩み出る。もう怖くない。彼女にとってそれは勝利と承認の瞬間だった。医師にとっても同じことだ。
ジュヌヴィエーヴはすでに段取りを承知している。まず、ルイーズの顔の前で振り子をゆっくりと揺らす。ルイーズの青い目はじっと動かない。やがて、音叉の音が響いたかと思うと、ルイーズが後ろに倒れる。脱力した身体を2人の研修医が素早く支える。ルイーズは目を閉じたまま、何もかも言われたとおりにする。最初は、腕をあげる、向きを変える、少年兵のように曲げた片足を抱えて座るなど、簡単な動きから始まる。次は、医師の言葉に応じ、祈るように両手の指を組んだり、天井を仰いだり、十字架にかけられたキリストのポーズをとったりする。催眠術の披露はやがて見世物へと変わる。シャルコーが「大運動の段階」に入ったことを告げる。ルイーズは、床に寝転がり、特に指示を受けることもない。彼女はひとりでに動き回る。手足を曲げ、右へ左へと倒れこみ、うつぶせやあおむけで転げ回り、手足を硬直させ、ついに動かなくなる。その表情は苦痛と歓喜の間でゆがみ、大げさな身振りの合間にはかすれた息遣いが響く。迷信深い者なら、きっと彼女が悪魔に憑依(ひょうい)されたと思うことだろう。実際、観客のなかにはそっと指で十字を切る者もいた。痙攣(けいれん)が頂点に達すると彼女はうつぶせになり、頭と素足を床につけたまま、身体の中央を持ち上げ、首から膝までを弓なりに反らせる。暗色の髪が箒のように壇上の埃をかき集め、U字を逆さまにしたような背中がきしみ出す。最後にはヒステリーの発作が起こり、彼女の身体は息をのむ観衆の前で崩れ落ちる。
ルイーズのような患者の協力によって、医学や科学は進歩していくのだ。

人々は、塀の外、つまり、街のサロンやカフェでシャルコーの「ヒステリー患者の協力を得た公開講義」とはどんなものなのだろうと想像を膨らませる。裸で廊下を走ったり、タイルに頭を打ちつけたりする女たち。脚を広げて想像上の恋人を受け入れようとしたり、朝から晩まで声を限りに叫び続ける女たち。これまで、白いシーツの下で痙攣に震える女体や、髪を振り乱し顔をゆがめた姿ばかりが話題になり、老女や肥満した女、醜い女の顔ばかりが描かれてきた。つまり、そこにいる女たちは、侮辱罪や犯罪をしでかしたわけでもないのに、ただ何となく、世間から遠ざけられて当然の存在だと思われてきたのだ。ブルジョワであろうと労働者階級だろうと、ちょっと風変わりなものを見るだけで興奮する人たちがおり、こういう人たちにとって狂女たちは欲望をかきたて、不安を増殖させるものだった。狂女たちは彼らを魅了し、同時に怖がらせる存在だったのだ。午前中の終わり、この病院を見学してまわったとしたら、彼らはきっとがっかりしたことだろう。
広い共同寝室では、淡々と日常生活が営まれている。金属製ベッドの下や通路部分にモップをかけているかと思えば、冷たい水をはった洗面器の前で袋状のタオルに手を入れ簡単な身づくろいをしている者もいる。疲れているのか、悩みごとでもあるのか、他人との会話を拒んで横になっている者、ブラシで髪をとかしている者もいる。ひとりでぶつぶつしゃべっている者、雪の残る庭に光がふりそそぐのを窓から眺める者。13歳から65歳まで年齢は様々だ。黒髪、ブロンド、赤毛と髪の色もそれぞれちがっているし、太っている者も痩せている者もいるが、そのまま街を歩けそうな服装や髪形であり、はじらいもある。塀の外の人間が想像するような異常な雰囲気とは程遠い。共同寝室だけ見れば、ヒステリー患者の収容所というより、療養所のようだ。とはいえ細部に目をやれば、「ふつう」とは違うことがわかる。たとえば、ずっと握ったり開いたりし続けている手。胸に押しつけるように折り曲げられた腕。蝶のはばたきのような細かいまばたき。目をつぶったままの顔もあれば、片目だけで見つめ返してくる顔もある。金属音も音叉も禁じられていた。そうした音は、カタレプシー(強硬症)の発作を誘発する危険があるからだ。ずっとあくびばかりしている女。体が勝手に動いてしまう女。悲しそうな目つき、無表情なまなざし、メランコリーに沈む目。時折、例のヒステリー発作が起こり、つかの間、静寂が漂っていた共同寝室にも緊張が走る。ベッドの上のときもあれば、床の上のときもあるが、身を折り曲げ、こわばらせ、見えない力と闘い、もがき、反り返り、ねじれ、必死に運命から逃れようともがきながらどうにもならない。皆が彼女をとりかこむ。研修医が両側の卵巣のあたりを指で強く推すと、ようやく発作は落ち着いていく。ひどいときには、エーテルを浸した布を鼻にあてる。すると、患者は目を閉じ、発作も収まる。
裸足で、冷たい廊下で踊るといった人々が想像するヒステリー発作とは程遠く、ここにあるのはただひとつ、「ふつう」であろうとする日々の無言の闘いなのだ。

女たちがベッドを取り囲み、セーターを編むテレーズを見つめている。髪を三つ編みにして頭に巻きつけた少女が、「編み屋さん」とあだ名のつけられたテレーズに近づいて言う。
「ねえ、テレーズ、それ私のセーター?」
「これはカミーユのだよ」
「私、もう何週間もずっと待たされてるんだけど」
「あんたの分は2週間前にやっただろう。それを気に入らなかったのはあんたじゃないか、ヴァランティーヌ。もうひとつ編むのには、まだしばらくかかるよ」
「いじわる!」
ヴァランティーヌは不機嫌な顔で去っていく。彼女は自分の右手が異様な強さで握りしめられ、足ががたがた震えていることに気づいていない。
その横では、ジュヌヴィエーヴが研修医の助けを借り、ルイーズをベッドに寝かせようとしていた。ルイーズは疲れ切っていたが、それでも微笑むだけの力は残っていた。
「マダム・ジュヌヴィエーヴ、私うまくやれたかしら」
「ええ、いつもどおりでしたよ」
「シャルコー先生は満足してた?」
「ええ、あなたが治療を受けさえすれば、先生はご満足ですよ」
「みんな私を見てたわね。私、オーギュスティーヌみたいに有名になれるかしら」
「さあ、もう休んで」
「私、オーギュスティーヌみたいになるのね。パリじゅうの人に知られるようになるんだわ」
疲れた身体にジュヌヴィエーヴが毛布をかけてやると、ルイーズは青ざめた顔に微笑みを浮かべたまま眠りについた。

スフロ通りに夜が訪れた。パンテオン(偉人廟)が、厚い石壁のなかに高名な人々を抱き、丘のふもとに眠るリュクサンブール公園を見下ろしている。
道に面した建物の7階に、窓が開いている。ジュヌヴィエーヴは窓から目の前の静かな通りを見つめていた。通りを上れば死者の眠る荘厳なパンテオン、通りを下った先にはあちこちに彫刻が置かれ、朝早くから散歩する人や恋人たちや子供たちが緑あふれる小道や花咲き誇る芝生を歩き回る公園がある。
夕方に帰宅したジュヌヴィエーヴは、いつもの日課をこなす。まず、白衣のボタンをはずし、ほとんど機械的に染みや汚れ、特に血がついていないか確認してから、小さなクローゼットにしまう。それから踊り場の共同水道で、顔を洗う。同じ階に住む母娘にでくわすこともある。娘は15歳だが、母と同様、洗濯屋で働いている。父親がパリ・コミューン(1871年に起きた社会民主主義運動のクーデター)で死んで以来、母と娘のふたり暮らしだ。狭い部屋に戻ると、ポタージュを温め、オイルランプの明かりのもと、簡素なベッドの端に腰かけて音も立てずに飲む。そしていつものように、すぐには寝ずに窓辺で10分ほど過ごす。背筋を伸ばし微動だにしない姿は勤務中と変わらない。灯台守が海を見つめるように何事にも動じず、ジュヌヴィエーヴは七階の窓から道を眺める。街明かりを前に物思いに耽っているわけでも、夢想に沈んでいるわけでもない。彼女はそんなロマンチストではなかった。ただ静けさに身を浸し、病院の塀の内で過ごした時間を忘れようとしているだけだ。窓を開け、朝から晩まで自分につきまとってきたすべてを風で吹き飛ばそうとする。皮肉めいた悲しそうな顔も、エーテルやクロロホルムの匂いも、タイルの上を歩く足音も、ぶつぶついう声や嗚咽も、患者たちの重みでベッドのきしむ音も、すべて。とにかく、あの場所から離れさえすれば、患者たちのことは気にならない。患者のほうも彼女には関心がない。患者がどうなろうと同情せず、患者にどんな過去があろうと動揺しない。新人看護婦のときにある事件に遭遇して以来、患者をひとりの人間として見るのをやめてしまった。あのときのことは、今でもよく覚えている。妹によく似た患者が発作を起こしたのだ。患者は、とつぜん別人のような顔になって、ジュヌヴィエーヴの首に両手を回したかと思うと、取り憑かれたかのようにきつく絞めあげてきた。当時、ジュヌヴィエーヴはまだ若かった。患者たちを救うためには愛情をもって接するべきだと思っていた。駆けつけた2人の看護婦がジュヌヴィエーヴを、彼女がこれまで信頼し、親しみを感じていたその患者から救い出してくれた。このときから彼女は学んだ。それから20年、患者たちとつきあううちにその信念は確たるものとなっていった。病は人を人ではないものに変えてしまう。ジュヌヴィエーヴは患者たちを、病にあやつられるマリオネット、医師たちのなすがままになり、しわの間まで子細に観察されてもじっとしているただの人形、医学的な有益性以外には価値のない、変わった動物ぐらいにしか思わなくなった。妻や、母や、思春期の少女だと思ってはいけない。まなざしを向けたり、大切に扱ったりする相手ではない。性欲の対象や愛情の対象になることもない。彼女たちは病人であり、正気ではない。落伍者(らくごしゃ)なのだ。そしてジュヌヴィエーヴの役割は、よく言えば、彼女らの世話をすること、悪く言うなら、しかるべき条件のもと監禁状態を維持することにあった。

ジュヌヴィエーヴは窓を閉め、オイルランプを手にとり、木製の机の前に置くと、その前に腰を下ろした。パリに来て以来、住み続けているこの部屋で、唯一のぜいたくがゆっくりと部屋を温めてくれるストーブだ。この20年、何も変わっていない。部屋の四隅をそれぞれ、簡素なベッド、クローゼット、石炭を使う調理台、文机が占めている。どれもずっと使っているものばかりだ。クローゼットには、外出着2着と部屋着が1着入っており、文机の前には椅子があってちょっとした書きものができるようになっている。暗い木目で構成された部屋のなかで、薔薇色のじゅうたんが唯一の色彩だが、これも年月を経て黄ばみ、ところどころ湿気で盛り上がっている。屋根裏部屋の天井は弧を描くように斜めになっていて、低くなっている部分を歩くときは、自然と身をかがめるのが習慣になっていた。
ジュヌヴィエーヴは便箋を取り出し、インク壺にペン先を浸すと、書き始めた。

1885年3月3日、パリ

愛する妹へ

ここ数日、手紙が書けませんでしたが、どうぞ悪く思わないでくださいね。今週は患者たちが妙に興奮して暴れました。ひとりが発作を起こすとほかの人にまで連鎖するのです。毎年、冬の終わりになるとそういうときがあります。何か月も重苦しい空模様が続き、ストーブの暖気が行き渡らず、共同寝室は冷え込むせいでしょうか。ただでさえ冬は気持ちが沈みます。こうしたことが患者の心に深刻な影響を及ぼすのです。あなたにもわかるでしょう。幸いなことに、今日は春の兆しを感じる日差しでした。それに、あと2週間で、四旬節中日のお祭りです。ええ、もうそんな季節なのですね。そうなれば、患者たちも落ち着くでしょう。そろそろ去年の衣装を出すことになっているのです。患者の機嫌もすこしはよくなるでしょうし、研修医たちも一緒になって機嫌がよくなるはずです。
今日は、またシャルコー先生の公開講義がありました。今回はルイーズが壇上にあがりました。おばかさんなあの子は、自分がオーギュスティーヌみたいに有名になれると思っているみたい。私は彼女に思い出させてやらなければなりませんでした。オーギュスティーヌは、自分の成功に酔い、ついには病院から脱走したのです。しかも、男の格好をして、とね。なんて恩知らずなんでしょう。私たちに、ええ、しかもシャルコー先生にあんなにお世話になっていたというのに。あの病気は一生、完治しないのです。ええ、いつも言っているとおりよ。
でも、今日の公開講義はうまくいきました。シャルコー先生とババンスキーはうまく発作を起こさせることができ、観衆も満足そうでした。毎週金曜日、講堂は満席になります。シャルコー先生は名声にふさわしい人です。このさき、どんなすばらしい発見をするのか、私には想像もつきません。毎回、思い返すのです。オーヴェルニュの田舎医者の娘だった私が、パリで最も高名な神経科医のお手伝いをしているなんて。正直なところ、そう思うだけで、誇りと尊敬の思いで胸がいっぱいになります。
もうすぐあなたのお誕生日ですね。考えると心が痛むので、できるだけ考えないようにしています。ええ、今でも。あなたは私を愚かだと笑うでしょう。でも年月は何もしてくれません。あなたのいない寂しさはずっと消えないでしょう。
大好きなブランディーヌ、そろそろ寝る時刻です。あなたを抱きしめてキスしましょう。

                 あなたがどこにいようと愛する姉より

ジュヌヴィエーヴはひととおり読み返したあと手紙を折りたたみ、封筒に入れた。そして封筒の右上に「1885年3月3日」と日付を書き込む。立ち上がって、クローゼットを開ける。吊り下げられた服の足元に長方形の箱が重ねられていた。彼女はいちばん上の箱を手に取る。そこには、今手にしている封筒と同様、右上に日付の書かれた封筒が百通近く入っていた。いちばん手前にある封筒の日付が1885年2月20日であることを指さしながら確認し、書き終えたばかりの手紙をその前に差し入れる。
箱にふたをし、元の場所に戻すと、クローゼットの扉を閉めた。(©Victoria Mas / ©China Nagata)

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続きは、本書でお楽しみください。

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