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「暗殺」を最終解決手段としてきた諜報国家イスラエル。その要人暗殺作戦の通史が刊行! 小谷賢氏が読みどころを伝える解説を全文公開

「国家と民族が生き残るためならば、あらゆることが許される世界がある。世界の現実を知るための必読書。」
佐藤勝(作家・元外務省主任分析官)推薦!

「殺られる前に殺れ! 諜報組織の暗殺は全てが首相の命令だった。苛烈な国際政局を照射した本書に圧倒された。」
手嶋龍一(外交ジャーナリスト・作家)推薦!

イスラエル政府は、イスラエルと世界のユダヤ人の安全を守るための最終的な手段として、各国要人の暗殺を選択してきました。
国の組織を挙げての暗殺計画の全容を、膨大な匿名インタビュウと取材から明らかにした、これまでで最も立ち入った内容のポルタージュ、日本版を刊行!

イスラエルの三大諜報機関、モサド、シン・ベト、アマンの知られざる活動の赤裸々な通史です。お読みになった方々は皆、このようなことが現実に起きているのだ、ということに仰天することでしょう。

本書の監訳および解説を執筆くださった日本大学危機管理学部教授・小谷賢先生による、本書の恐るべき内容と読みどころを示した「解説」を全文公開します!

イスラエル情報機関(上)帯付

イスラエル情報機関(下)帯付

『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』(上・下)
ロネン・バーグマン/小谷賢監訳 山田美明・長尾莉紗・飯塚久道訳
四六判上製 6月4日刊/定価:各3,200円(税別)解説/小谷賢

解 説
     小谷 賢(日本大学危機管理学部教授)

 本書の英文タイトルRise and Kill First は、「立ち向かって先に殺せ」という過激な意味だが、これは元々、ユダヤ教の聖典『タルムード』の一節、「誰かが殺しに来たら、立ち向かってこちらが先に殺せ。」からの引用である。著者のバーグマン氏が現場の情報員にインタビューをすると、この引用によって暗殺行為を正当化する意見が多かったことから、タイトルに用いられたようである。実際、四方を敵に囲まれているイスラエルは、この言葉を実行して国の安全を確保してきた過去がある。本書では情報機関による暗殺行為の実態が生々しく描かれており、まるで映画や小説のようだが、すべては事実なのだ。一説には、イスラエルがこれまで国として行なってきた暗殺作戦は2700件にも上るという。
 著者のロネン・バーグマン氏は、イスラエルの安全保障やインテリジェンスの分野で最も勢いがある研究者だろう。私もイスラエルの研究者に会うと、誰がイスラエルのインテリジェンス事情に詳しいか聞くことがあるが、最近ではまず氏の名前が挙がる。バーグマン氏はイスラエル生まれ。国防軍でインテリジェンス関係の仕事に就いた後にハイファ大学を卒業し、その後、英国のケンブリッジ大学で博士号を取得している。ケンブリッジではインテリジェンス研究の大家であるクリストファー・アンドリュー教授に師事し、博士論文のテーマにイスラエルの対外情報機関であるモサドを選んだ。博士課程修了後も機会があるごとに同大学のインテリジェンス研究会にスピーカーとして招かれている。バーグマン氏がこのような学術的バックグラウンドを有していることは、インテリジェンスの歴史を描く上で極めて重要である。本書の膨大な巻末注釈を見れば、その確かさが理解できよう。私自身、2018年に『モサド──暗躍と抗争の70年史』という著作を加筆・出版したが、やはり参考となったのは氏の著作である。
 イスラエルによる暗殺行為は、それが国家の安全保障に資するかどうか、といった観点から実行される。もちろん国家による暗殺行為は国際法等によって認められているわけではないため、「暗殺」という言葉は使用されない。例えば「整理」や「標的殺害作戦」というやや曖昧な用語が使用されがちである。なお、「標的殺害作戦」という用語は米国政府内でも使用されているが、この言葉は戦争中に敵の司令官を殺害するような行為を彷彿とさせる。しかし実際は平時にテロリストを暗殺することをこのように言い換えているに過ぎないのだ。
 本書が明らかにした事実の一つは、ほぼすべての暗殺作戦にはその時々のイスラエル首相による政治決定があるということだろう。暗殺は後ろ暗い行為であるため、政治指導者はそこへの関与を避けたがるものであるが、イスラエルの場合、暗殺決定までの過程についてはある程度の規定が存在しているようである。本書によると作戦は通常、現場のエージェントが情報を収集してターゲットを特定することから始まる。ターゲットになるのはテロ組織の重要人物か殺害に必要な資源を投じるだけの価値のある人物とされる。ターゲットに関する情報資料が纏まると、それは各情報機関の長官と副長官に提出され、彼らの許可が得られれば、「レッドページ」と呼ばれる殺害許諾書が首相に提出される。そして首相が決断し、「レッドページ」に署名すれば、各機関の暗殺実行チームに指令が下る、といった流れとなっている。もちろんターゲットの選定や作戦実行の段階で中止となったものも多いが、暗殺をためらう長官や政治家は弱腰と映るようである。リベラルな印象のあるエフード・オルメルト首相ですら、承認した秘密作戦が300件もあることを本書内で誇らしげに語っている。
 本書の大まかな構成は時代別の区分であり、それぞれの時期によって、暗殺実行の主体や標的が変化してきたことが理解できる。イスラエル建国前の時代には軍事組織(ハガナー)の強硬派の面々が粗野な暗殺工作に手を染めていた。そのターゲットとなったのは、今のイスラエルにあたる地域(パレスチナ)の委任統治を行なっていたイギリスの高官たちやナチスの戦犯たちである。しかしこの時代の暗殺は後の時代ほど組織的に行なわれていなかったため、暗殺者たちは拘束され、処刑されることもあった。
 1948年5月14日にイスラエルが建国されると、その直後に3つの組織が誕生することになる。それらはイスラエル軍参謀本部情報局(アマン)、総保安庁(シン・ベト)、そして諜報特務庁(モサド)であり、これら組織が暗殺工作を引き受ける母体となった。著者はこれについて以下のような鋭い洞察を記している。「この体制の確立により、イスラエルの将来を外交よりも強力な軍隊や情報機関に託す者たちが勝利したということだ。(中略)この影の領域では、光の当たる世界では長期服役などの刑事処罰の対象となる行為や活動が、「国家安全保障」の名のもとに正当化された。具体的には、民族や所属政党を理由とした国民の継続的監視、司法による認可のない長期間の拘留や尋問・拷問、裁判での偽証および弁護士や裁判官に対する真実の隠蔽などである。そして、こうした行為の最たるものが暗殺だった。イスラエルの法律で死刑は認められていないが、ベン?グリオンは例外的に、裁判なしに処刑を命じる権限を自らに与えた。」
 まず華々しく活躍したのはモサドである。アルゼンチンのブエノスアイレスに潜んでいた元ナチス高官、アドルフ・アイヒマンの捕獲や第3次中東戦争を勝利に導いた伝説的スパイ、エリ・コーヘンの活躍等、その成功例は枚挙に暇がない。しかしこの時期のモサドでさえ、暗殺を積極的に進める組織ではなかった。その風向きが大きく変わったのは、1972年9月のミュンヘン・オリンピックにおけるテロ事件である。この事件はパレスチナ武装組織「黒い9月」によって引き起こされ、イスラエル選手団に11人もの死者を出す惨劇となった。これを受け、当時のゴルダ・メイア首相は、欧州諸国が自国でのテロリストの活動を阻止しようとしない場合、モサドにその活動を阻止する許可を与えることを閣議決定し、モサドの暗殺チームに事件を引き起こしたテロリストの暗殺指令を下した。所謂「神の怒り」作戦である。そしてモサドのチームはテロの首謀者であるアリー・ハッサン・サラメを探し出して殺害することに成功した。しかしこれはパンドラの箱を開けるに等しい行為だったのである。サラメ殺害は、パレスチナ解放機構(PLO)のヤーセル・アラファート議長の逆鱗に触れたため、モサドとPLOの報復合戦が激化していくことになる。PLOはイスラエルに対するテロ攻勢を強め、それを受けてモサドが暗殺活動を実行するといった具合に、70年代以降テロと暗殺が繰り返されるようになる。
 そして1990年代になると、ようやく双方に疲れが見え始める。この時代は冷戦が終結し、世界が一時的にバラ色になったこともあるが、中東においてもイスラエルとPLOが和平を模索し始める。また90年代後半にモサド長官を務めたエフライム・ハレヴィが穏健な人物だったこともあり、多くの暗殺作戦が中止された。これでようやく暴力の連鎖に終止符が打たれたように見えたが、PLOに代わって台頭してきたのが、ハマスやヒズボラといったより強硬な組織である。21世紀に入るとイスラエル国内で自爆テロが頻発するようになり、政府はこれに苦慮する。ここで反撃の狼煙を上げたのが、シン・ベトであった。シン・ベトは軍部から技術的な協力を得て、それまでの密告やスパイに頼る旧態依然の組織から、技術力によって相手を追い詰めるような組織へと変革し、暗殺作戦を積極的に行なうようになる。本書には以下のような描写がある。シン・ベトのある高官は保安関連閣議で、支配が行き届かない地域では逮捕などしている余裕はないと述べ、こう訴えた。「われわれにもはや選択肢はない。検察官であると同時に弁護人、裁判官であると同時に死刑執行人でなければならない」。(中略)シャロン首相はシン・ベト長官のアヴィ・ディヒターにこう耳打ちをした。「やれ。全員殺せ。」
 当時シン・ベトが取った手段は、テロ組織の幹部を手当たり次第に抹殺していくことであった。その理由は以下のように説明されている。「誰かが暗殺されれば、すぐ下の地位の人間がその地位を引き継ぐことになるが、それを繰り返していくと、時間がたつにつれて平均年齢は下がり、経験のレベルも落ちていく。」
シン・ベトの作戦に国防軍のドローン爆撃も加わり、この時期のイスラエルによる暗殺工作は急増することになる。それまでのモサドの暗殺が数か月に一件のペースであったのに対し、シン・ベトは一日に数件の暗殺工作をこなすようになっていたのである。こうして2003年の1年間だけで135人もが暗殺された。
 モサドの方も2002年9月に武闘派のメイル・ダガンが長官となったことで、再び暗殺の表舞台に返り咲くことになった。この時期、モサドはシリアとイランの核開発の証拠を掴み、前者には空爆によって、後者には核開発に関わった科学者たちを次々に暗殺することで、その試みを封じた。モサドは2005年頃にイランの核武装は2015年頃になると予測していたが、2020年の現在に至ってもまだそれが実現していないことを見ると、モサドの工作が効果的だったと評価できる。
 本書はこれまでのイスラエル情報機関による暗殺工作の実態を赤裸々に暴露しているが、著者のバーグマン氏の筆致は客観的であり、むしろ安易な暗殺工作には否定的ですらある。出版の過程で軍の検閲に引っかかり、書けなかったことも多々あるという。もちろん我々日本人の感覚からしても、暗殺行為は到底受け入れられるような話ではないが、国民の安全を確保するためにはここまでやらざるを得ない国もあるということである。幸いなことに戦後の日本は安全保障の問題を米国に頼ることができたが、今後もそうだとは限らない。国の安全を確保するということはどういうことか、本書はその冷徹な事実を我々に教えてくれる。