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「いったい、いつになったらわたしたちは学ぶのだろう? 」『レベル4/致死性ウイルス』コロナ禍によせた序文

1996年に『レベル4/致死性ウイルス』(単行本)として刊行された本書は、米CDC(疾病予防管理センター)の伝説的医師が、エボラウイルスをはじめとする最も危険な「レベル4ウイルス」との戦いを自ら綴った30年にわたる記録です。

本記事では、文庫化にあたり新規に書き下ろされた「序―コロナ禍によせて―」を全文公開します。

序──コロナ禍によせて──

「ウイルスの世界では、わたしたち人間が侵略者なのである」とは、ウイルスハンターとしてウイルスを追ってきたわたしたちの冒険譚(本書単行本)の「はじめに」に書いたメッセージである。わたしたちはこのメッセージが活かされるのを期待したが、現実は明らかにそうなってはいない。本書が出版されたとき、60億だった世界の人口は、およそ80億に増え、密集した都市中心部に住む人口は、45から56パーセントにのぼる。しかもその多くが貧困層である。わたしたちはこの人口増加に対応すべく、ウイルスのすみかに押し入りつづけてきたのだ。ウイルスが数千年にわたって進化し、自然宿主とともに静かに暮らしてきた場所に。ウイルスにとっては、自然宿主が彼らに適応して、病気にならずにいることが重要なのである。そこを蹂躙(じゅうりん)すれば、ウイルスに人間を含む他の種に飛び移ることを許してしまう。この均衡をわたしたちが乱したときが危険なのである。

コロナウイルスと、エボラウイルスおよび麻疹ウイルスを比較すると、ウイルスが別の宿主へ飛び移る仕組みを理解しやすい。エボラウイルスに感染したコウモリは、軽症または無症状である。そのため、宿主であるコウモリとうまく共存する。麻疹ウイルスは、おもに軽度の病気を引き起こす人間のウイルスである。したがって、おもにこどもたちに感染することによって、人間の生態系と持続的に共存できる。だが麻疹ワクチンによって、感染しやすい人口がほぼゼロになり、はしかは病気としては基本的には根絶された。このように、ウイルスは大部分が数百万年以上にわたって自然宿主と共存してきた。だがそれ以外の種に飛び移ると大混乱を起こす。当然ながらウイルスは、宿主を殺してしまうと自らを維持できないが、コウモリのエボラ出血熱や人間のはしかのように軽度の病気なら、うまく宿主と共存していける。

他の種に飛び移った例という意味では、いくつかの例があげられる。HIVウイルスもその一つであり、本書ではそうした例について詳しく説明する。その他の重要な例としては、インフルエンザウイルスがある。インフルエンザウイルスが鳥ウイルスとして発生し、渡り鳥、なかでも水鳥、とりわけアジアの渡り鳥によって世界中に広がったということは、あまり知られていない。感染した鳥たちは、しばしば大きな群れをなして遠方まで移動し、ときどき降り立っては湖や池で餌をとり、水浴びをする。近年ではこうした湖や池は、混合農業の場として人間の居住地になっている。インフルエンザウイルスは、あらゆる種類の水鳥、とりわけアヒル、ガチョウに感染し、アジアで蔓延している。これらの家畜化された群れが、ウイルスを拡散するのである。なかでも特に懸念されるのが、ウイルスがブタに感染し、ブタからヒトに感染する可能性があることだ。2009年にメキシコの養豚場で発生したH1N1インフルエンザ株の発生は記憶に新しい。わたしたちは池や湖のそばに建てられた中国人の小さな集落を見学した。そういうところでは、ブタが台所の片隅で飼育されていた。食べ残しや食材のクズを捨てるのに便利だからだ。インフルエンザウイルスは頻繁に変化する。遺伝的構造が変化するのである。それにより、呼吸器系に付着するウイルスエンベロープ表面の、とげ状のスパイクが急速に変化するため、最新の菌株による毎年のワクチン接種が必要になる。インフルエンザウイルスの病原性(重症度)も、毎年変化する。おだやかな場合もあれば、1918年の流行や、最近では鳥インフルエンザのように重症度の高い独特の変異株になることもある。ほとんどの場合は、わずかに異なる株が出現するだけだが、鳥のすみかから全く新しい株が出現し、パンデミックを引き起こすことがある。人口が増えるにつれて、パンデミックを引き起こす新しい株が出現する可能性も高まるのである。

コロナウイルスは、わたしたちには新しいものではない。その中には、呼吸器感染症を引き起こす、よく知られた七つのヒトウイルスが含まれる。コロナウイルスは大きなグループで、多くの種を宿主とするウイルスだ。最近ではコロナウイルスがこどもに激しい咳を起こすグループの原因としても特定された。しかしながらコロナウイルスには、容易に他の種に飛び移るという特徴がある。COVID-19 ウイルスはコウモリの一種か、ヘビを起源とする可能性のあるウイルスだ。コウモリを起源とするコロナウイルスは、多数存在するが、そのほとんどが研究されていない。コロナウイルスの多くは家畜に感染して、ブタ(子ブタでは重度)、ネコ、ウシ、ラット、ニワトリに病気を引き起こし、少なからぬ経済的損失を引き起こす。コロナウイルスはクジラにも発見されたことがある。コロナウイルスのもう一つの特徴は、ゲノム変異を簡単に起こすことである。それが免疫システムを混乱させ、ワクチン開発をむずかしくするのである。わたしたちの免疫システムが攻撃すべきウイルス表面の、つまみ状のノブが不規則に変化し、予測しにくいためだ。

SARS(重症急性呼吸器症候群)とMERS(中東呼吸器症候群)は、近年のコロナウイルスの流行によって引き起こされたもので、コロナウイルスの最近の変異を表している可能性がある。どちらももともとはコウモリに由来するものと思われる。SARSはヒトにとって最も重症度の高いコロナウイルスによる病気である。南アジアおよび東南アジアの熱帯雨林に棲息しているハクビシンによって感染が広がったようだ(訳注/感染源については諸説ある)。このかわいらしい小動物は群れをつくらずひっそりと暮らしているが、中国をはじめとするいくつかのアジアの国々では、珍味として人気のある野生動物肉であり、狩りの対象になっている。一方、MERSはラクダと密接に接触した人たちから発生し、ラクダはこれまたコウモリから感染した可能性がある。ヒトの場合、これらの疾患は比較的重症で、またヒトからヒトへの感染がゆるやかだったことにより、症例の特定および隔離が容易になり、現在のCOVID-19と比べると感染の広がりは抑えられた。しかし、中国の武漢から出現したCOVID-19ウイルスは、重症度はそれほど高くないものの、無症候性感染者が多数いるため、追跡が困難であり、感染拡大が起きやすい。ここが大きな課題である。今、これを書いている2020年3月時点で、COVID-19パンデミックが宣言された。

したがって、根底にある要因は、大量の未知のウイルスが環境内にあること、人口が増えつづけること、および多くの未知の野生空間への人類の侵入と、それにともなうさまざまな種との交わりである。これがわたしたちを新しい流行に対して無防備にする。このパターンは今回が最後でなく、将来も似たようなことが起こると考えるのが自然だろう。野生動物の肉を珍重する伝統を持つ国々は、アジアとアフリカに多い。武漢の野生動物肉市場でのCOVID-19の発生は、珍味肉市場で売られたハクビシンから起こったSARSの発生に似ている。これらの市場では、動物は売られて食肉処理される前に、時として、ひどく非衛生的で劣悪な環境で生き続ける。COVID-19の発生が、特別な食べ物を必要とする中国の旧正月の前に起こったのは偶然ではないだろう。

現在、わたしたち二人は南テキサスに住んでいる。2001年からヒューストンにあるテキサス大学健康科学センターの公衆衛生学部の教授として働き、深刻な健康格差のある地域に新しく地域キャンパスを設立した。米国で最も貧しい郡の一つで働くという選択のベースには、医療サービスの行き届いていない世界中のコミュニティで働いてきた経験がある。ここで、地元の人々がスタッフとして参加する臨床研究ユニットと、現在までに5000人の住民によるランダムなコホート(集団)における疫学研究を立ち上げた。その結果、まだあまり研究されていないこのエスニック集団の病気について理解するための広範なデータを収集することができるようになった。そしてこれが全米の多くの科学者との協力につながったのである。ジョーゼフ・B・マコーミック(18年以上創設学部長だった)は、地域住民が自分たちの健康管理に参加できるように、広範なコミュニティ・アウトリーチ運動を立ち上げ、発展させるのにとくに大きな役割を果たせたと自負している。わたしたちは20年あまりの間に1億ドル以上の資金を集め、そのほとんどをコミュニティ・アウトリーチ・プログラムにつぎこんでいる。調査プログラムとアウトリーチ・プログラムは継続中だ。わたしたちは二人とも70歳代後半になるが、今のところこの活動をやめる予定はない。若い人たちや住民たちと共に働くことで、わたしたちも若く、活動的でいられると思っている。

人類の大失敗は、SARS、エボラ出血熱、MERSといった過去の流行から学ばなかったことだ。数カ月はパニックに陥るが、そのうちに忘れてしまう。またよく言われるように「受益者は金を支払わない」から、これらのウイルスに対するワクチンの開発と治療に早期に投資することも学ばなかった。そのためエボラワクチンは、西アフリカで大流行が起こる10年前に作製されていたにもかかわらず、臨床試験は行なわれていなかった。そして第一段階、および第二段階の試験に1000万ドルまたは2000万ドルをかけてヒトのワクチンを作るのではなく、数千人の命を奪った流行の抑制に100億ドル以上を費やす結果になったのである。そしてようやく、わたしたちはエボラワクチンを取得した。SARSのワクチンも、SARSの流行後に実験室で作製されたが、またしても資金不足の問題から、臨床試験は行なわれていない。いったい、いつになったらわたしたちは学ぶのだろう?

わたしたちの社会には、パニックを引き起こし、さまざまな架空の陰謀論を広める新しい現象、ソーシャルメディアの存在がある。これは科学が最も必要なときに、科学への不信を煽るものだ。わたしたちには、正しくしっかりした根拠のある情報、的確な判断、良質な公衆衛生が必要だが、今これを書いている時点ではそうしたものが不足しているのは明らかだ。 感染症のパンデミックは政治問題ではない。これはわたしたちの健康、ときに生存さえ脅かすものだ。わたしたちはこのことを、いつになったら学ぶのだろう?

 ジョーゼフ・B・マコーミック 
 スーザン・フィッシャー゠ホウク 
 2020年3月

レベル4/致死性ウイルス

レベル4/致死性ウイルス
ジョーゼフ・B・マコーミック
スーザン・フィッシャー゠ホウク
武者圭子 訳
ハヤカワ文庫NF
本体1220円+税
2020年9月3日発行


ありがとうございます!今日のおすすめは『なめらかな世界と、その敵』です
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