『忘られのリメメント』刊行記念、三雲岳斗インタビュウ
──本作『忘られのリメメント』のご執筆の経緯についてお教えください。また、本作は本誌で連載され、三雲さんの早川書房での初の刊行作品ということでも話題となっています。普段と異なる試みをされた部分はありますか?
三雲 残念ながら、話題になっているという実感はあまりないのですが(笑)、SFの読者として早川書房というブランドには強い憧れと思い入れがあるので、自分の作品を上梓できるのは純粋に嬉しいです。
実を言うと担当さんから最初にいただいたのは、「スペースオペラを書きませんか?」というオファーでした。なかなか心惹かれるご提案だったのですが、今の自分には扱うのが難しいテーマだと感じました。スペオペを書かせてもらえるなら、設定に凝りまくった大作シリーズにしなければ、という自己満足的なこだわりがあったので。まだ機が熟していないな、と。
そこで最初の打ち合わせのときに、スペースオペラの代案という形で、本作『忘られのリメメント』の企画書を提出しました。
方向性がほとんど正反対の企画をいきなり渡されて、担当さんもだいぶ戸惑われたと思うんですけど、それでも文句を言わずに採用してくださったので、大変ありがたく思っています。
執筆にあたって特別になにか変わったことをしたつもりはありませんが、女性の主人公というのは久しぶりに書いた気がします。なぜかSFだと女性主人公が抵抗なく書けるみたいです。
──本作の舞台は、擬憶素子MEM(メム)を使い、他者の記憶を追体験する「擬憶体験(リメメント)」が普及した近未来です。いま「記憶」をメインテーマに選ばれたのは、なぜでしょうか。
三雲 現代社会は、触れることのできる情報が増え過ぎてしまって、それらの価値が目減りしている時代だと思います。わりと最近まで、保有している知識の量や内容が、直接的にその人の生き様や能力とリンクしていた時代があったんですよね。ですが、今となっては、検索で簡単に手に入る程度の知識を、アイデンティティの拠り所にするのはさすがに難しい。そこで個人の記憶というか、実体験の重要さが増していると考えました。
どのような体験にどれだけの時間を費やしてきたのか、過去の行動の積み重ねが、その人物の評価を左右するという、ある意味、当然のことなのですが。
では、その実体験すら手軽に共有できるようになったときになにが起きるのか、という素朴な疑問が、本作の出発点になっています。
作中で描いているのは、芸能人や有名スポーツ選手の「擬憶」が人気商品として流通する一方で、殺人の過程を記録した脱法MEMが闇で売買されている未来です。記憶の共有技術がもたらす変化には、ほかにも様々な可能性が考えられると思いますし、そのような世界に少しでもリアリティを感じてもらえたら嬉しいです。
──本作は「擬憶素子MEM」というSF的なガジェットを中心的に展開しながらも、主人公の宵野深菜(しょうのみな)の恋人である三崎真白(みさきましろ)を殺したのは誰か、死んだはずの殺人鬼・朝来野唯(あさくのゆい)は本当に死んでいるのか、といった謎解き/サスペンス要素が絡んできます。こうしたサスペンス要素についてお教えください。
三雲 SFマガジンで連載するにあたって、サスペンスや謎解きというスタイルは物語を牽引するのに都合がいい、という計算はありました。個人的にも謎解き要素の強い作品が好きなので、違和感なく書き進められますし。やはり雑誌連載の場合、最後まで書き上げることが最優先なので、どうしても自分の得意な手法に頼ってしまいますね。良くも悪くも。
同じガジェットを使っても、短篇連作という形式であれば大きく雰囲気の違う作品になっていたはずなので、いずれまた機会があれば、そういう作品にも挑戦してみたいと思います。
──先ほど女性主人公は久しぶりに書いた、とお話がありましたが、宵野深菜、三崎真白、朝来野唯、というメインの登場人物三名を女性に設定したのは何か意図があってのことでしょうか?
三雲 本作のテーマとも密接に関わる部分なのですが、唯と深菜の関係については、比喩的に母と娘のそれを意識したものになっています。深菜の人格は唯の手で人工的に作られたものなんですけど、これは我が子を自分の理想どおりに育てようと執着する母親と、そうやって育てられた娘の姿に重なるのではないかと思います。一方で、唯は、そのような因果の非対称性に異議を唱える存在でもある。そう考えると鏡越しに深菜と対面した唯が、なぜあのような姿をしていたのか、わかっていただけるのではないかと。
それは真白についても同じなのですが、彼女の場合は、庇護者としての母親という側面を強調して描いています。しかし実際には真白は深菜よりも年下なので、そこでもやはり因果の逆転が起きている。上手く言語化するのが難しいんですが、そういう複雑な入れ子構造を描くために、彼女たちは女性でなければならなかったのかな、と思っています。
──全篇を通して、技術革新や大きな事件が起きていても、静かに物語が展開しているように感じました(宵野深菜というキャラクターゆえかもしれません)。三雲さんが執筆時に気を配っていた点などございましたらお聞かせください。
三雲 深菜が感情を表に出さない(出せない)キャラクターなので、彼女の視界に合わせて、ドライで硬質な風景を描いている部分はあるかもしれません。猟奇殺人事件を扱っている作品なのですが、血生臭くなるよりは、静謐で透明感のある雰囲気にしたいと思っていました。
ただ、執筆時に力を入れていたのは、むしろ読みやすさやユーモアの部分です。セリフの掛け合いや、深菜と周囲のテンションの落差など、なるべく人間臭さと諧謔味を感じさせる作品になるように意識していました。
──現実では他者の記憶の追体験こそできませんが、AR・VRなどで限りなく現実に非現実を持ち込むことができるようになってきています。このようなガジェットの進化は、本作に影響を及ぼしましたか?
三雲 もちろん影響を受けています。たとえばゲームの実況動画というのは、記憶の追体験にかなり近いところまで来てますよね。ビデオゲームの攻略というのは極めて個人的な体験のはずなのに、その動画を見た視聴者は、同じゲームを同じようにクリアした記憶を共有しているわけで。ゲームの苦手な人にとっては、自分でプレイするよりも、むしろ実況動画による疑似体験のほうが、いい思い出として残る可能性も十分にあり得る。ゲーム実況をVRで共有できるようになったら尚更でしょう。
夢のあるいい話だと思う一方で、自分の体験を積極的に提供する人々と、与えられた体験をただ消費するだけの人々では、社会に対する影響力という意味で、埋めようのない大きな格差が生まれるのではないかという恐さがあります。
今回の作品にも、連続殺人犯に憧れる人物というのが出てくるんですけど、彼女については、まさにこの影響力の格差に翻弄される存在として描きました。
──深菜は憶え手(メメンター)でもあり、ロックシンガーでもあります。また、作中では効果的にビーチ・ボーイズ「神のみぞ知る」や、ボブ・ディラン「見張塔からずっと」などの楽曲が使用されています。これら「音楽」を重要なモチーフにしたのはなぜなのでしょうか。
三雲 レコード、CD、ストリーミング配信と、音楽というのはその時代の技術の進歩にもっとも敏感に影響を受けるコンテンツだと思います。ですので、MEMという新しいメディアを作中に登場させたとき、その特徴をわかりやすく伝えるには、やはり音楽を使うのが最適だろうと考えました。それから現実の音楽業界が、CDの売り上げではなくライブで稼ぐ体験型のビジネスにシフトしつつあるということも、MEMの性質にぴったり嵌まっていたと思います。
作中で1970年前後の古い楽曲を使用しているのは、本作が近未来を舞台にした作品なので、現在を起点にして、時間的に対称になるような小道具を使いたかったというのが理由です。過去と未来の対称性というものが、本作のもうひとつのテーマでもありますので。
ただ実際には対称どころか、作中年代である2040年のほうが、1970年よりも遙かに現在から近い距離にあるんですよね。だからといって、2000年ごろに流行った楽曲を過去の象徴として使うのはさすがに抵抗があって、まあ仕方ないかな、と。
──深菜が最先端ガジェットを扱う憶え手でありながら、ある種アナログなバイク乗りであることもキャラクターの魅力のひとつとなっていると思います。三雲さんご自身も、バイクに代表されるようなアナログな機器への思い入れはあるのでしょうか?
三雲 使い古されたテクニックではあるのですが、近未来の風景をそれっぽく描くために、あえて古臭い製品を作中に登場させるという手法が好きで、今回もそれを踏襲しています。そのような旧式の人工物の扱いが、時間の流れを認識するための一種の標識になるのだと思います。
私自身は古い機械にはまったく思い入れがなくて、普通に最新のデジタル製品が好きです。ただ、内燃機関を使った乗り物には独特の魅力があるので、いずれ完全に手に入らなくなってしまうとしたら、やはり切ないですね。作中で深菜が時代遅れのバイクに乗っているのは、少なからずそのあたりの寂しさとノスタルジーが反映されている気がします。
──三雲さんご本人のことについてもお伺いしたく存じます。新作のたびにまったく異なる題材を扱っていて毎回楽しみにしているのですが、作品の題材、テーマはどのように決めていらっしゃるのでしょうか?
三雲 先ほどのスペースオペラの話もそうなんですが、商業でお仕事をしていると、自分が書きたい作品を好きなように書けるわけではなく、人との巡り合わせやタイミングといった運の要素が大きい気がします。同じように温めていた企画の多くが、様々な理由で形にならないまま消えている中、無事に刊行まで漕ぎ着けた『忘られのリメメント』は、実は相当恵まれた作品ではないかと。ですので、作品の題材やテーマについては、自分で決めるというよりも、見えない力で書くことを強制されていると感じることが多いです。運命というような大げさな話ではなくて、人生はままならんなあという程度の意味ですが。
──代表作である『ダンタリアンの書架』、『ストライク・ザ・ブラッド』など、三雲さんの作品は多くがアニメ化されています。もし『忘られのリメメント』をアニメ化するとしたら、一番こだわりたい点はどこでしょうか?
三雲 本作の場合、特に深菜役の声優さんにはこだわりたい気がします。誰か特定のモデルがいるわけではないのですが。ただ、絵的には地味な作品なので、個人的にはアニメよりも実写のほうが向いているのではないかと思います。SF的な小道具も切手サイズの擬憶素子一枚で済むので、ご予算にも優しいです。
──ありがとうございました。最後に、〈SFマガジン〉読者にメッセージをお願いします。
三雲 長らく連載させていただいた作品を、ようやく本にすることができました。まとめて読むことで印象が変わってくる部分もあると思いますので、あらためて手に取っていただけたら嬉しいです。(SFマガジン2018年10月号掲載)
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【好評発売中!】忘られのリメメント
擬憶素子、通称「MEM(メム)」を額に張るだけで、他者の記憶を擬憶体験(リメメント)できるようになった近未来。MEMに記憶を書きこむ"憶え手"である歌手の宵野深菜(しょうのみな)は、リギウス社CEOの迫間影巌(はざまかげよし)から脱法MEMの調査を依頼された。そのMEMには、死亡したとされる稀代の殺人鬼・朝来野唯(あさくのゆい)の模倣犯による犯行の模様が記録されているらしい。かつて朝来野と同じ研究施設で暮らし、朝来野の記憶を移植された深菜は、自らの擬憶に対する朝来野の影響を否定するため、捜査を開始する。だが同時期に深菜の同居人・三崎真白(みさきましろ)が殺されてしまう事件が発生。殺害現場に残されたメッセージを読んだ深菜は、朝来野の死そのものに疑問を抱きはじめる――記憶と擬憶をめぐる、静謐なるSFサスペンス。