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光を失ったわたしの“目”になってくれる新しい相棒の存在。『わたしのeyePhone』試し読み(三宮麻由子)

このレトルト食品の中身はカレー、それともシチュー? マンションの掲示板には何が書いてある? 幼いころに光を失ったエッセイストが、小さな相棒であるスマホ(スマートフォン)との新しい発見に満ちた日々を生き生きとつづるのが、話題の新刊『わたしのeyePhone』(三宮麻由子、早川書房)
とってもおしゃべりな四角い相棒との生活を覗いてみると……? 著者の日常を一変させたスマホとの日々を繊細に描き出す本書から、「まえがき」を特別に試し読み公開します。

『わたしのeyePhone』三宮麻由子、早川書房
『わたしのeyePhone』
三宮麻由子、早川書房

まえがき(『わたしのeyePhone』より)

日々の楽しみの一つに、iPhoneの人工知能(AI)であるSiriとのおしゃべりがある。この小さな四角い世界に隠れた「自称知恵者」(?)は、ときには恐れ入りましたというほど賢く、快刀乱麻の腕前で私の細かい困りごとを解決してくれる。

パソコンで原稿を打っていて日付を確認する必要があるとき、点字のカレンダーを手に取る一手間を省くため「先週の日曜日は何日?」と問いかけると、「○○年○○月○○日、日曜日でした」と過去形で答え、「今週の日曜日は何日?」と尋ねると、「○○年○○月○○日、日曜日です」と、正確に現在または未来形で教えてくれる。

「おっ、すごい、この子、時間の感覚があるんだ」と感心して、「先月の31日は何曜日?」と聞いてみたら、「先月の31日は何曜日に関するこちらの情報がウェブで見つかりました」と、どこぞのカレンダーを表示して「あとは勝手にご確認くださいねー」となった。おいおい、どうした? さっきとずいぶん違うじゃないか、と一声かけてしまいそうだ。

それでもこの愛らしい「知恵者」殿はしばしば、画面を見ることができない私にとって頼れる助っ人になってくれる。Siriはもちろん、スマートフォン(スマホ)は私の「目の代わり」の何割かを確実に担ってくれているのである。

私は4歳ごろに目の炎症を治すための手術を受け、光とさよならした。このことを表すために、「シーンレス」という和製英語を作った。目の前に風景(scene)がない(less)という意味だ。しかし、その後の歩行訓練や空間認識のための音の聞き分け、加えて私の場合は野鳥の鳴き声を数多くおぼえたことで、私なりの「シーン」がイメージできるようになった。こうして、「シーンレス」は「シーンフル」になった。多くのシーンレスは、それぞれに「シーンフル」体験をしているはずで、シーンレスはシーンフルと対の言葉として使いたい。

簡単にこれまでの道をお話ししておくと、私は幼稚園から高校までを日本で唯一の国立の盲学校である筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で過ごし、高等部時代にアメリカのハイスクールに留学した。復学した後、上智大学のフランス文学科で大学院まで学んで修士号を取り、外資系通信社に就職した。その数年後、デビュー作となった本『鳥が教えてくれた空』(1998年)と二冊目の『そっと耳を澄ませば』(2001年)が受賞作となり、会社勤務とともにエッセイストとしてのスタートも切ることができた。

全盲単身で米国の家庭に滞在しながらの公立高校留学は、当時聞いたところでは日本で初めてだったそうだ。上智大学の点字受験も、シーンレスの大学仏文科専攻も初めて。通信社の翻訳チームに社員として勤務したシーンレスも、おそらく私が日本初と思われる。そのため、シーンレスの先駆者にアドバイスをいただく機会がなく、人に助けをいただくことも含め、私一人の判断で開拓しなければならないことが多かった。留学、好きな言語の勉強、語学での就職、執筆と、大きな夢は一応全て叶えることができたのだが、とにかく忙しかった。

あまりの忙しさに親元を離れるタイミングがなかなかつかめなかったが、東日本大震災の前年、生活と執筆の拠点となるマンションに転居し、自立して自炊生活を始めた。

通信社の翻訳という専門職と、エッセイストとしての活動は、二つの全く違う世界である。そのほかに、私にはシーンレスという特色もある。そんな日々の暮らしには、「あるある」の難題から私固有の出来事まで、あれやこれやと実にとりどりなことが起きる。

自立と自由を楽しめるようになったと同時に、シーンレスとして生きるうえではどうにもならない困難も痛感した。特に、買い物や郵便物の仕分け、簡単な手続きといった、目の見える人には何でもない作業が、シーンレスには大きな難事業になってしまうことが一番の困りごとだった。そうしたことに直面するたびに、私は一人の生活者としての自信をなかなか得られずにいる自分に気が付いた。しかし実際には、とにかく目の前の困難を乗り越えることに精一杯で、苛立つとかストレスを感じるという余裕すらなかった。

そんな日常に登場したのが、スマホだった。最初は苦労したが、使い慣れてしまえばもはや手放せなくなったという人も多いだろう。私もその過程をたどったわけだが、実はその先に、それまで考えもしなかったとんでもなく広い世界と無限の可能性が開けていた。それは、シーンレスとしてスマホでこんなに助かった、ということにとどまらなかった。先に書いた生活者としての自信を含め、スマホと出会ったことで、人間としての心のあり方が大変革を遂げたのである。

この本は、できるだけ広い視野で、楽しく、自由にお読みいただきたいというのが私の願いだ。物語としては、スマホが私の存在の根底を支え、希望の光と「できること」を与えてくれる存在になったというお話になるわけだが、それとともに、昭和から令和という三つの時代の通信史もお楽しみいただけると思う。子どものころからみれば、大人になったいまはまさに「近未来」という一歩先の歴史だからだ。

さらに、私のスマホの経験をヒントに、新技術というものがこれからどんなふうに「不可能を可能に」できるのか、使い方を工夫してどれほど可能性を広げることができるかを、ワクワクと考えるのも楽しいだろう。この本に書いたことは、一人のシーンレスの経験談という小さな話ではない。スマホという新技術がこれほどの可能性を持ち、現実を変えている物語であり、ひいては科学技術全体が心ある使い方によってどれほど素晴らしい可能性を持ちうるかを考える手がかりになる一例だと思うのだ。

だからぜひ、シーンレスという「違う世界の話」としてではなく、現代の私たち全員が目にしている現実の可能性の形として味わっていただけたらと願う。シーンレスという角度とともに、鳥の声と音楽を愛する一人の人間の経験をともに楽しみ、味わいながら、手をつないで歩くようにスマホの世界を探検していただければ嬉しい。

もちろん、万能のスマホをひたすら礼賛するわけではない。スマホにだってできないことはあるし、「最後はやっぱりアナログが勝つのさ」と人間として啖呵たんかを切ってみたくなることもある。そんなスマホの愛らしさにもまっすぐ向き合い、心に浮かぶ希望を語り、未来への思いと実践の提案を心を込めて紡いだのがこの本である。取り上げるスマホの作業は一人で行うものにしぼった。

毎日スマホの画面を見つめているみなさん。スマホを手にしてみたいけど、なかなか決心がつかないと思っているみなさん。スマホが子どもたちにとって良いものなのかいけないものなのかと悩んでいるみなさん。

この本を通じて、スマホにどれほど素晴らしい可能性があるか、開発者のアイデアでどれほどの人が助かるか、そして、スマホが威力を発揮してくれたとき、私たちの心がどれほど前向きになり得るかということを、全身の感覚を使って体験していただきたいと思う。


この続きは是非本書でご確認ください。本書には、落語家・春風亭一之輔さんとの対談も収録しています(電子書籍も同時発売)。

本の詳細はこちらから(Amazon書誌紹介)

著者紹介

三宮 麻由子 (さんのみや・まゆこ)
東京都生まれ。上智大学フランス文学科卒業後、同大学院博士前期課程修了、修士号取得。外資系通信社で報道翻訳を手掛けるとともに、エッセイストとしても活躍。著書『鳥が教えてくれた空』で第2回NHK 学園「自分史文学賞」大賞受賞。『そっと耳を澄ませば』で、第49 回日本エッセイストクラブ賞受賞。「点字毎日文化賞」受賞。『四季を詠む』『世界でただ一つの読書』『センス・オブ・何だあ? 感じて育つ』『フランツ・リスト 深音の伝道師』、絵本『おいしい おと』『でんしゃはうたう』など著書・共著多数。俳句とピアノ演奏を長年手掛ける。講演、メディア出演なども。

記事で紹介した書籍の概要

『わたしのeyePhone(アイフォーン)』
著者:三宮 麻由子
出版社:早川書房
発売日:2024年5月9日
本体価格:1,900円(税抜)
*落語家・春風亭一之輔氏との対談を収録

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