声の物語_帯付

ディストピアは、すぐそこにある。今いちばんリアルなディストピアSF『声の物語』丸屋九兵衛氏解説公開

ある日、腕にワードカウンターがつけられる。100語以上を話すと、強い電流が流れる。すべての人類にではない。女にだけ。「女たちは、ちょっとばかりやりすぎた」――声を、自由を奪われた人々を描き、「21世紀版『侍女の物語』」と激賞されたクリスティーナ・ダルチャー『声の物語』が刊行されました。このディストピアは、決して絵空事ではありません。丸屋九兵衛氏による解説を特別公開いたします。(編集部)


『声の物語』
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カバーイラストレーション/オートモアイ

優れたSFとは今を見つめるための鏡でもあって

SFコメンテイター     
丸屋九兵衛 

 
 アイラ・レヴィンの『ステップフォードの妻たち』と、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』をマッシュ・アップ。そこに神経言語学の要素を少しまぶしてみよう。
 それが本書『声の物語』だ。

 以上、残念ながらわたしが考えついた表現ではなく、著者クリスティーナ・ダルチャー(Christina Dalcher)本人による形容である。
 原題は Vox 。日本で『ヒューマン・ヴォイス』と題されていたケニー・ロギンスの80年代半ばのアルバムの原題が『Vox Humana』であることからもわかるように、「声」を意味する vox は英語圏でサラッと意味が通じるラテン語の単語の一つだ。
“Vox Populi, Vox Dei” という成句を思い出す人もいようか。直訳すると「人々の声は神の声」となるこれは、朝日新聞のコラム名「天声人語」の起源とも言われる。そう、「声」とは「言葉」であり、「主張」であり。また、その人が世界とつながるための「窓」でもある。
 本書内のアメリカは、それが奪われた世界。いや、もっと正確に言わなくては。「声」「言葉」「主張」「窓」を奪われた者もいる世界。
 テキサス大学オースティン校の研究によれば、人は一日に16000語ほど発するものらしい(英語では、ということだろう)。ところが、本書『声の物語』で描かれるのは、女性たちが音声言語を一日100語までに限定された、異形のアメリカ合衆国なのだ。
 本国版ハードカバーとペーパーバックの表紙は、女性の横顔にVOXの文字が被さるようにデザインされている。Xの部分が女性の口を塞ぐように。

本国版ハードカバー表紙

『メッセージ』こと Arrival として映画化されたテッド・チャンの短篇「あなたの人生の物語」を思い出そう。そこでクローズアップされた言語学セオリーはサピア=ウォーフの仮説(Sapir-Whorf hypothesis)だ。曰く、言語の在り方と、その言語を使う人々の生活様式には強い結びつきがある。言語は人が世界を認識する拠りどころとなり窓となり、同時に世界観が言語を形作るのだ……という理論である。
 であれば。言語という窓も拠りどころも奪われた人にとって、世界にはどんな意味がある?

 原著が2018年夏にペンギン・ランダムハウス系のバークリーから刊行された本書は、クリスティーナ・ダルチャーにとって初の長篇小説だ。
 スティーヴン・キング、ロアルド・ダール、そしてカール・セーガンをリスペクトしてやまない彼女は、ワシントンDC近郊の名門ジョージタウン大学卒の理論言語学者。専門は、イタリア語およびブリティッシュ・イングリッシュの各方言間の音韻変化に関する音声学(phonetics)だ。自身、イタリア語とスペイン語の流暢な話者であり、四つの大陸と四つの島にまたがる様々な国で過ごしてアメリカに戻った。現在は夫とともに米南部に住むが、イタリアはナポリに出没することも多々、とか。

 そのダルチャーをインスパイアしたのは、“野生児” ジーニー(Genie)の逸話だったという。
 ジーニー(仮名)は1957年生まれ、現在も生きているはずだ。父親によって暗い部屋に監禁されて育ち、その父も決して言葉をかけなかったため、1970年、14歳目前にして救出された時には言語能力ほぼ皆無。同時に、思考力も、社会性も、知性も欠けていた。その後のリハビリと教育で多少はカバーできたものの、成人としての全き能力にはついぞ到達しなかったようだ。
 本書『声の物語』のアメリカは、女性たちに「一日100語まで」という発声制限を課し、女児に読み書き教育を施すことも禁じている。その制限は、すでに言語能力を獲得している大人の女性たちから知性や思考力まで奪ったりはしない。だが、そんな国で育つ子供たちはどうなる?
 ダルチャーは語った。「ジーニーは虐待され放置され、言語の獲得を阻まれた。『声の物語』の中で少女たちの身に起きているのは、まさにそれ。言語能力を持つ世代の女たちが死に絶えたら、どうなるだろう? そして、言葉を発することを制限されて育った世代が母親になったら?」
 言語を持つ者、つまり男性が完全支配する国となるだろう。言語を持たない人間は、全き人間になれないから。

 そんな本作だが、「言語学SFの傑作」という以上に、いま書かれるべき理由があり、読まれるべき理由がある。
 過日、南アフリカ出身のコメディアン、トレヴァー・ノアがホストを務める米ニュース番組(を装うお笑い番組。だがFOXニュースよりずっと信用できる)が伝えていたのは、トランプ大統領が築きつつあるアメリカ/メキシコ国境の壁にまつわる最新情報。メキシコ人たちが、その壁に付属する鉄条網を盗み、庭の周囲に張り巡らして自宅のセキュリティ向上に使っているという……。
 メキシコ人を締め出すために作られた壁が、メキシコ人を利することになるという展開は愉快だが、本作での逆転劇は笑えない。アメリカに不法入国するメキシコ人を拒むはずだった壁が、逃げ出すアメリカ人のメキシコ到達を妨げることになるのだから。

 スパイク・リー監督に初のアカデミー賞をもたらした映画『ブラック・クランズマン』という映画がある。この原稿を書いている2019年3月末、まさに本邦封切りとなったばかりの作品だ。同映画は、1970年代を舞台にしつつも、(いかんせんスパイク・リーなので強引さもあるが)実際には今現在のアメリカが抱える病理を描かんとしている。

 本作も同様。ここで書かれた近未来のアメリカは、実のところ、今の病めるアメリカの写し絵だから。本書の冒頭にある「海外の人々はわたしたちを嘲笑っていた」が意味するのは反動国家に成り果てた作品内のアメリカだが、同時に、あんなもの(ドナルド・トランプ)を──選挙人制度というマジックを通じて、だが──大統領に選んでしまい、実際に反動国家となっているアメリカへの言及でもあって。

 アメリカに限ったことではない。日本、ブラジル、UK、エトセトラ。ここ数年の世界には、反動と不寛容の嵐が吹き荒れている。
 我がSF界とて例外ではなく、ヒューゴー賞を荒らす反・多様性集団のサッド・パピーズ(Sad Puppies)が「我々の手にSFを取り戻そう!」と叫び、アジア系女性艦長と黒人女性副長が活躍する『スター・トレック:ディスカバリー』第一話を見た連中が不満を爆発させる昨今。
『声の物語』はこの時代に生まれるべき作品なのだ。「優れたSFは鋭い寓話であるべき」と信じるわたしに言わせれば。

 ちなみに。本書『声の物語』に続く次作の構想を問われたダルチャーは、こう答えている。「近未来を舞台にしたディストピアものという路線は崩さないと思う。ただし、今回とは違った形で極端な方向に走った社会を」。
 子ブッシュが「いい大統領だった」と敬愛を込めて追憶される荒廃したアメリカと、ニール・スティーヴンスンが発案した種族/部族組織制度で解決せざるを得ないような混迷の日本。そんな2019年、まだまだクリスティーナ・ダルチャーの活躍は続きそうだ。
 ディストピアは、すぐそこにあるから。

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