アクセシビリティ研究の第一人者が明かす、イノベーションを生む思考法とは?『見えないから、気づく』本文試し読み
14歳のとき失明。ハンディキャップを越え、世界初の実用的な音声ブラウザ「ホームページ・リーダー」など数々のアクセシビリティ技術を開発し、日本人女性初の全米発明家殿堂入り。現在は日本科学未来館館長とIBMフェロー(最高位の技術職)を務める研究者である著者・浅川智恵子氏が、自身の半生と発想の源泉を余すところなく語る『見えないから、気づく』(ハヤカワ新書)。
一人ひとりが個性を生かし、変化を恐れず前に進むためのメッセージが込められた本書の一部を、抜粋して試し読み公開します。
第1章 失明によって奪われたもの、奪われないもの(※一部を抜粋)
人生では、何かを失う時が必ず訪れる。大切な人との別れだったり、親との別れであったり、仕事を失ったり。
どう考えてもこれは乗り越えられないと思う時も、生きていればどこかでやってくる。
私にもあった。私の場合はオリンピックの選手になりたいと思っていた小学生の頃、ほんのちょっとしたことがきっかけで夢と視力を完全に失った。
今でもうまく語れないことがあるくらい、どう乗り越えたらよいのか本当にわからなかった。
悩み続け、進んでいる方向が前かどうかもわからない状況で、とにかくがむしゃらに先に進んだ。
やがて組織やさまざまな人々、そしてテクノロジーとの出会いが私に光をもたらし、障害は強みに変わっていった。途方に暮れて先が見えなかった私が、世界的IT企業のIBMで最高位の技術職であるフェローや日本科学未来館の館長といった大役を任せていただけるようになった。
普通の私が歩んだ道のりと、テクノロジーで目指す未来についてお話ししたい。
私と同じように喪失から立ち直ろうとしている誰かの心と未来に、小さな灯りがともることを願っている。
第2章 社会人として、自立の一歩(※一部を抜粋)
すべての視覚障害者にインターネットを
1990年代に入ると、いよいよインターネットとウェブが登場した。
この衝撃は忘れることができない。私が最初にインターネット上のウェブサイトにアクセスしたのは1995年頃のことだった。
当時マイクロソフトが出していたパソコン用のOS、MS‐DOSの画面を読み上げるDOSスクリーンリーダーを使って、サーバーとデータをやりとりするためのソフトウェアTelnet でUNIXサーバーにアクセスする。次に、UNIX上で動くテキストベースのウェブブラウザであるLynx を使ってウェブページにアクセスして音声で出力した。こう書くと聞き慣れない言葉の連続になってしまうが、要は必要な手順を踏み、複雑な操作をすれば膨大なウェブの情報にアクセスできるようになった。研究所という特別な場所で、専用回線やUNIXサーバーなどのテクノロジーの恩恵にあずかっていた私は、いつでも好きな時に新聞などウェブ上の情報に独力でアクセスできるようになった。
しかしこの頃、一般の視覚障害者はウェブ上の情報へ気軽にアクセスすることは難しかった。視覚障害者の中でもごく一部の専門家やマニアしかインターネットを利用していなかった。その方法は複雑でとてもウェブの良さを実感できるものではなかった。大多数の視覚障害者にとって、ウェブはまだまだ遠い存在だった。
ウェブを使ってリアルタイムに情報にアクセスできるという自由をすべての視覚障害者に届けたい、そう考えるようになった。失明した時の、情報から遮断されたというあの取り残された感覚を、ウェブに関して誰にも感じてほしくない。ウェブという膨大な情報源に誰もがアクセスできるようにしたい。そんな思いから、視覚障害者にウェブ情報を届けるプロジェクトに取り組むことにした。
これは余談だが、ウェブが利用できるようになったことで想定外の事態も起きた。それまでは、わからないことは研究所にいるさまざまな専門家に教えてもらっていたのだが、「ウェブで調べればいいんだよ」と言われるようになった。晴眼者と同様に情報にアクセスできるようになったからこその変化でもあった。これも自立へのステップの一つである。テクノロジーのある環境へ自分を慣れさせていくことが、未来への可能性を拓くことになるのだ。
すべての視覚障害者に、ウェブという新たな情報源を届けたい。その思いからできたのが、「ホームページ・リーダー」という私たちが開発したテクノロジーだ。こうして開発したソフトウェアが世界へと広がっていくことになった。(中略)
ついに世界11か国語対応になる
何度かアメリカに出向き、ほぼすべての課題が解け、米国IBMにホームページ・リーダー開発チームが発足した。その後はスーパーエンジニアが英語対応を日本からサポートし、ようやく1999年にアメリカで発売された。そして翌2000年にはついに世界11か国語に対応した。
製品化に伴い、嬉しいことがあった。それは、視覚障害者向けの製品であるホームページ・リーダーが、限られた専門店ではなく、家電量販店で販売されるようになったことだ。
高速インターネットが普及した今でこそソフトウェアはインターネット上で販売されるが、当時はソフトウェアの入ったCD‐ROMをパッケージにして家電量販店で販売するのが一般的であった。時折歴史的な出来事として出てくる、Windows95が発売された直後の秋葉原の量販店の賑わいを思い起こしてほしい。
こうした家電量販店の売り場に、ごく当たり前のようにホームページ・リーダーが置かれ、他のソフトウェアと同じように手に取ってもらえるようになったことが嬉しかった。また一つハードルを越えられた気がした。
ホームページ・リーダーは世界に開かれた窓
IBMに入り、ホームページ・リーダーなどを世に出すことで、私はプロジェクトを立ち上げ、それを推進し、かたちにするというスキルを身につけることができた。これにはやはり周囲の環境が大きく影響していたと思う。
日本IBMには世界のIBMから多くのリーダーが訪れる。ホームページ・リーダーのアメリカ展開を支援してくれたポール・ホーンもその一人だった。研究開発部門のトップからIBMの現在、および今後の技術戦略が直接聞けたり、主力製品の開発マネージャーや技術担当リーダーからは製品化に至るまでのプロジェクト遂行上の課題や、どう乗り越えたかなどについて直接話を聞く機会がある。また、実際にメンバーとして開発に携わったエンジニアとも情報交換する機会がある。これらの経験から学んだことすべてが、ホームページ・リーダーの世界展開という一大プロジェクトで実を結んだと感じている。
ホームページ・リーダーを製品化した後、1998年以降には国際学会で発表する機会が増えていった。障害者を支援するアクセシビリティ技術の国際学会へ参加すると、「あなたがホームページ・リーダーの開発者なのね! ありがとう」と言われるようになった。もしかして私、有名人になっている? と考えてしまうほど、頻繁に声をかけられるようになったのだ。講演に招待される機会も増えていった。世界中の国々へと飛び立ち、自分自身の行動範囲も大きく広がっていった。
ホームページ・リーダーを製品化して、最も嬉しかったこと。それは製品を使った世界中のユーザーから届いた声だった。「ホームページ・リーダーは本当に簡単。一家に一台持ちましょう」「今日、息子にホームページ・リーダーを渡したら、その日は晩ご飯も食べずにネットサーフィンしていました」。誰もが簡単に使えるソフトウェアとして広がり始めている。嬉しかった。自分の好きな情報にアクセスし、それを楽しんでいる人たちの姿が思い浮かぶ。私がウェブに初めてアクセスした日の衝撃を、好きな時に好きな情報を得られるようになるという喜びを、世界中の人たちと共有できた。
多くのユーザーから届いた声の中で、最も印象に残っている言葉は「ホームページ・リーダーは世界に開かれた窓です」というものだ。情報にアクセスできることが、視覚障害者の社会参加を促進する上でいかに大切であるか、再確認することができた。世界への扉をまた一つ、テクノロジーで開けることができた、そう思えた。
この続きは本書でご確認ください!
記事で紹介した書籍の概要
『見えないから、気づく』
著者:浅川智恵子 (聞き手)坂元志歩
出版社:早川書房(ハヤカワ新書)
発売日:2023年10月17日
著者プロフィール
浅川智恵子(あさかわ・ちえこ)
IBMフェロー、日本科学未来館館長。日本語デジタル点字システムやホームページ・リーダーなど視覚障害者を支援するアクセシビリティ技術を開発し、2019年に全米発明家殿堂入り。現在はAIスーツケースの研究開発に取り組む。
坂元志歩(さかもと・しほ)(聞き手)
サイエンスライター。著書に『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』『ドキュメント 謎の海底サメ王国』(ともに共著)など。