ピュア扉絵

もしも、女性が男性を食べないと妊娠できない世の中になったら? SF小説「ピュア」

SFマガジン6月号に掲載された小野美由紀さんの「ピュア」を全篇公開いたします。タイトルの通り、ある純粋な性と生を描く遠い未来の物語です。


「男を食べたい」と思ったのは、一体いつからだろう。
 はぁ、と荒い息を吐きながら、目の前でヒトミちゃんが男を犯している。
 ぎっこんばったん、ボートを漕ぐみたいに大きく上体を揺らし、ほおを紅潮させ、恍惚に体を震わせながら、ヒトミちゃんは跨った男に夢中で腰を打ち付ける。男は白目を剥き、手足をひくつかせ、意識があるのかどうかさえ分からない。
 空から降り注ぐ青白い光がぐるり、と地面に弧を描き、彼女の裸体をくっきりとその中に浮かび上がらせる。月の光ではない。月は崩れたビルの影に隠れ、私たちのいる位置からは見えない。回遊するドローンのサーチライトの光だ。私たちが「狩り」をきちんと行っているか、常に監視している。
 ぶるり、と体を震わせて、ヒトミちゃんが腰を持ち上げた。大きく開いた脚の間の、艶やかな朱が露わになる。ぱっくりと割れたざくろみたいに、果汁を滴らせ、赤く色づき、ペニスを深々と飲み込んでいる、ヒトミちゃんの中心。
 綺麗だ、と思う。彼女の性器を、そこから続くなだらかなヒップを、みずみずしい乳房を。豊かにうねる亜麻色の髪を、潤んだペリドットの瞳を、地面を踏みしめ、指を深々とめり込ませる、筋肉に覆われた逞しいふくらはぎを。
 こんな綺麗なものなら、いつまでも眺めていたいのに、そう思った途端、私の身体の下で男が「ぐぅ」と呻いて、私はヒトミちゃんの脚の間に刺さっているのと同じものが、私の中にも入っていることをようやく思い出す。男は私の気がそぞろなことに不満げだ。それでも組み敷いた両腕の間から、熱に浮かされたような表情で私を見上げてくる。それを見た途端、快楽を生むはずの私の膣はまるで鉄パイプのように硬く冷えてゆく。
 個体が変わったところで男たちの反応は判で押したように変わらない。見よう見まねで腰を動かせば動かすほど、彼らの芯が私の中で膨らめば膨らむほど、私の心はしゅるしゅると萎んでゆく。
 ああ、今日も早いとこ終わんないかなぁ。
 ヒトミちゃんの動きがひときわ激しくなった。上体を仰け反らせ、男の腕に爪を食い込ませて下腹を打ち付ける。脚の間の充血がいっそう濃くなり、ペニスが膨らんで、突き出された丸いお尻が痙攣する。
 ヒトミちゃんが歓喜の声を漏らすのとほぼ同時に、男はびくびくと体を震わせて果てた。一仕事終えた、とばかりに、ヒトミちゃんは満足げな、慈愛に満ちた表情で男を見下ろしている。
 サーチライトの光がもう一度ぐるりと地表を撫で、彼女の肌を淡い虹色に輝かせる。体表をみっしりと覆う、私たちの学校で一番美しい、エメラルドグリーンの豊かな麗しい鱗を。
 男がすっかり射精しきったのを確認した途端、ヒトミちゃんはその鋭い2本の牙でためらうことなく男の喉を食いちぎった。

    ※

 私たちの暮らす衛星ユングは15歳から18歳までのメスのみで構成されたコクーン型の小さな学園星だ。月に1度、レッド・トーンの期間中に地上で“狩り”を行うこと、卒業後には上級士官として軍に服役することが、遺伝子検査のレベル分けで特Aクラスに分類された私たちに課せられた義務である。
「あーもう、あの先生、マジでウザすぎ!なんとかしてよ、もう」
 マミちゃんの苛立ちを含んだ大声が、カフェテリアじゅうに響き渡る。
「『子供を産むこと、我が国を守ることは、みなさんに課せられた素晴らしい使命です。しっかりと全うしてください』……だって。知らんし、まじで。クニのことなんか知らねえしまじで」
 マミちゃんは大きな胸をぶるん、と震わせて椅子にふんぞりかえると、液体栄養剤(リキッド)のパケをぐちゃりと握りつぶして一気に飲み干した。学校配給の不味い基礎食を手早く摂取し、あとは時間ギリギリまでくっちゃべるのが、レッド・トーンを同じくする私たちグループの昼休みの日課だ。
「仕方ないよ。今の出生率、めちゃくちゃ低いんだもん」
 隣でヒトミちゃんが目線をノートに落としたまま言う。昼休みに次の授業の予習をするなんて、私たちの中では特A++に分類されているヒトミちゃんだけだ。
「私たちが戦争行って子供産まなきゃ、この国滅びちゃう」
 うちらの先祖がおよそ考え付くかぎりの悪略非道な行為をやり尽くしたせいで、今や地上は全くと言っていいほど妊娠出産に適さない環境になってしまった。大気汚染に疫病の蔓延、加えて国々は残り少ない資源を巡り常にどっかしらと戦争していて、人口は西暦2000年ごろと比べてわずか4分の1ほどしかない。
 焦った国家連合は遺伝子の改良によってどんな環境にも耐えうる新しい人類を作り出そうとした。遺伝子改変ウイルスを搭載した分子ナノコンピュータが私たちの先祖の体を駆け巡り、DNAを書き換えた……は良いけれど、あれよあれよと言う間に進化したのは、どういうわけだかXXの染色体を持つ女たちだけだった。鱗に覆われた体、岩をも噛み砕く強い牙、一撃で敵を撃ち殺す長い爪。身長平均2mの、地上にいるどんな生き物より生存に適した強いボディを女たちは手に入れた。急いで進化の針を早めた結果、私たちメスは一足飛びで前の前の、ずーっと前のティラノサウルスみたいな姿に変身しちゃったみたいなのだ。
 対して男は昔と同じひ弱なフォルムのまま、今日も地上でうだうだ困りながら暮らしている。人口の9割を占める男たちがシティと呼ばれる狭い居住可能区域で労働に従事する間、私たち1割の(あ、そうそう、なぜだかメスの方が、ずっとずっとオスよりも出生率が低い。生き物って、都合よく進化するもんだよね)女は人工衛星の上で日々国家の「テキ」と戦いつつ、せっせと子作りに励んでいる。とはいえ現在の戦闘ってのはだいたいオートマだから、強い牙も爪も、別に必要無いっちゃなくて、もっぱら"狩り"の時に暴れる相手を押さえつけるとか、硬い首筋を噛み切るとかのためにしか使われない。
"狩り"って?……もちろん、セックスのことだ。
「えー、わたしは赤ちゃん、欲しいけどなぁ」
 隣で妊娠促進剤入りポップコーンを口いっぱいに頬張りながら、シホちゃんが言う。
「だってさぁ、たくさん産んで ”名誉女性” になったら、兵役免除でしょお?それって超楽チンじゃん。一生男食べてぇ、コドモ産んでたぁい」
「あんたはそれ、戦いたくないだけでしょお」とマミちゃんがシホちゃんの頭を小突く。
 セックスは普通、捕食の形で行われる。詳しいことはわかんないけど、遺伝子をいじくりまわした結果、私たち女の身体はなぜだかセックスしたら男を食べないと受精しない仕組みになっちゃったみたいなんだ。
 初期の頃には男の安楽死が義務化されたらしいけど、死んだ男の肉じゃ私たちは妊娠しない。狩猟時に出るなんとかってホルモンが着床を促すんだって。人工授精で手を打とうって話にもなったらしいけど、それだってすぐに撤廃された。
 ……なにより、為政者の女たち自身が己の食欲を止めることを良しとしなかったのである。
「どうして強い方の性が、自らの欲望をすすんで否定することがありましょうか?」ーー3人の夫と72人の愛人を食べ、最終的に21人の子を産んだ初代ロシア女性大統領イリーナの言葉である。
「我々聡明な人類は、知性で持って哺乳類が侵してきた進化の過ちを正したのです。……すなわち、権力を握るべき方の性が、肉体的なパワーをも同時に併せ持つという、本来生き物があり得べき姿へと」
 ……ま、そういうわけで、今じゃ女が男を狩るのは当然ってことになってる。産めよ増やせよ科学の子。たくさん産んで闘えよ。建前ではクニのためって言いつつ、私はそれ、単純に女たち自身の ”喜びのため” だと思うな。だってそれすらなかったら、このちっぽけな衛星(ホシ)での生活は、やってらんないくらいに退屈なんだもの。
「ったく、それにしたってなんで女が全部やんなきゃいけないのよ。昔は男の方が戦争行ってたのにさ」  マミちゃんはまだ、文句を言っている。
「昔は女のほうが、男よりもずっとずっと体力的にも立場的にも弱かったんだよ」
 ヒトミちゃんがノートから顔を上げて言った。
「ま、本当はその頃だって、男より女の方が精神的にはずっと逞しかったと思うんだけどさ。ーー男たちはそれを恐れて、女たちを体力と腕力で支配したんじゃないかな」
 ガラス張りのカフェテリアからは、外に浮かぶ地球がよく見える。燃えるような青白い光が、窓際に座るヒトミちゃんのすべらかな体に反射し仄かなグラデーションを作る。美しい鱗を持つ子は校内でも憧れの的だ。私のグレイッシュな鱗をヒトミちゃんはクールだねって褒めてくれる。でも、私はヒトミちゃんの、全身が宝石箱みたいに輝く豊かな翡翠色の鱗の方が何百倍も価値があるってこと、私を素通りして彼女に突き刺さる級友たちの視線から、嫌という程知ってる。
「ふぅん、昔は女って大変だったんだねぇ。わたし、今の時代に生まれてよかったなぁ」
 シホちゃんがノーテンキに笑う。
「昔はさ、男が女を"食う"って言ったらしいよ」
「え、どゆこと?」
「ほら、昔はさ、女が男を選べなかったから、ひたすら選ばれ待ちの人生だったらしいよ。あまりに待ちすぎて、ちんこ切り取っちゃった女もいたんだって」
「えー、すっごぉい。そんなに妊娠したかったのかなぁ」
「うーん。そういうのとは、ちょっと違う気がするけど」
 私はみんなの会話について行けず、黙って液体栄養剤(リキッド)をすすっている。
 私の痩せっぽっちの体に命が宿るなんて、考えたこともない。
 こんだけたくさん産む女がいて、一人くらいサボったっていいじゃん、って私は思うんだけど、なぜだか女は昔っから、くまなく子供を産むことになってるらしい。地球の人類全員が抱える同じ営みから、私は逃れられない。みぃんな同じ、誰かか誰かか誰かか誰か、どうあがいても、私は他の誰かがやってることをそっくりそのまま繰り返すしかない。
 クニを守って男食って、子供産んで、育てて、それで終わりは名誉の戦死、それが私たちの使命です、なんて、なんだかとってもイケてない。
 “名誉女性” になんて、別になりたくない。けど、それ以外の何かになる方法を、今の私は知らない。
「私も子供、欲しいけどなぁ」
 そう言いながらヒトミちゃんは窓の外に視線を向けた。涼しげなアーモンド型の目に、丸い青が2つ、宿る。
「なんか、産んでみたい。生きてる証、ってかんじじゃん。もし戦闘で死んじゃったら、何も残らないわけだしさ」
 クールでボーイッシュなヒトミちゃんが妊娠したがってるなんて、何だか意外だ。
 私は自分がちっちゃくなって、ヒトミちゃんの胎内に潜り込むところを想像してみる。陸上部のトレーニングによってきっちり絞られた筋肉と、ふんわりした脂肪がちょうどよいバランスでついているヒトミちゃんのお腹の中は、きっと毛布と羽毛蒲団を二枚重ねたようにほかほかして暖かく、外界から胎児の私を守ってくれるに違いない。
「ユミは、どう?男食べるの、好き?」
 いきなり話を振られて、私は思わず液体栄養剤(リキッド)を喉に詰まらせた。
 6本の視線が私に集まっている。
「ユミは私たちの中でも誕生日が遅かったからさ、 ”狩り” デビューしたの、最近じゃん。どう?もう慣れた?」
 ヒトミちゃんがおずおずと、私の顔を覗き込みながら言う。優しいヒトミちゃん。どうしよう。どう答えよう。
 みんなと一緒に、ユングの外に行けるのは嬉しい。でも、みんなが言うような気持ち、自分の体じゅうを探しても、どこにも見当たらない。
「あのさあ」
 おそるおそる、私は口を開いた。
「……みんな、女に生まれてよかったな、って思う?」
 言った途端に、ハズした、と思った。好奇心に彩られた6つの瞳が、途端にきょとんとした丸に変わる。やばい、フォローしなきゃ、そう思った瞬間、
「きゃはははは!」
 マミちゃんのけたたましい笑い声が耳を劈いた。
「え、ユミ、何言ってんの、ちょ、信じらんないんですけどぉ」
「男の方が良かったってこと?……そんなわけ、ないじゃあん」
 隣でシホちゃんがつられて苦笑する。
「ユミ、男食べるの、嫌いなの?」
「そう、じゃないけど……男食べたりさ、子供作ったり、戦争行かない人生も、アリ、なんじゃないかって」
「逃亡ってこと?……逃亡は重い罪だよ」
「……」
「あんた、まさか男食べるのに、罪悪感とか感じちゃってんの?」
 マミちゃんがふんぞり返ったまま、レーザーのように鋭い視線を私に投げかけた。
「無理無理!あのね、うちらが男、食べるのは、本能だからに決まってんじゃん!そういう風にプログラムされてんの!だから当たり前!」
 口を開こうとする私を遮り、彼女は続ける。
「男に生まれるなんて、絶対にアタシはやだな。こき使われて、いい歳になったら食べられるなんてマジで虚しいじゃん。食べられなかったらそれはそれで『残飯』って蔑まれてさぁ」
「そぉだよぉ。食べられるのって、痛そうだし」
「……どーかなあ」
 ヒトミちゃんが、両手で頬杖を突いて言った。
「食べられる瞬間、男はつらい、って言うけどさ……私はほんとかな、って思う。射精した本当に直後の男ってさ、なんか、全てを悟りきったみたいな顔してるよ。多幸感に包まれるホルモンみたいなのが出てる気がする。そうじゃなきゃさ、女に黙って食べられないと思うんだよね。なんかさ、私、男とセックスしてる時って、祭壇の上にいるような気がするんだよね。なんていうかさ、全てをあなたに捧げますって、言われているみたいなさ」
 そう語る彼女の顔は、あの時と同じ恍惚に満ちていて、私は思わずぞくり、と身震いする。
「もしかしたらさ、自分以外の誰かに命の全部を捧げるのって、この上ない快楽なのかもよ」
「ばぁっかだよねぇ、男って!死ぬ瞬間までセックスのことだけを楽しみに生きてんじゃない。狂ってるよねぇ」
 マミちゃんはさも自分は違う、というようにせせら笑う。
 でも。
 私は思う。
 もしかしたら、そっちのほうが私たち女より、ずっとずっと幸せなんじゃないだろうか?
 その時、午後の授業の予鈴が鳴った。途端にみんなの視線が逸れる。
「ま、男と女のどっちがラクかなんてわかんないけどさ」
 ヒトミちゃんが立ち上がり、トレイを片付けながら言った。
「今は、私たちにできることを全うしようよ……みんなで頑張ろ? “名誉女性" になれるようにさ」
「あ、けどさぁ」
 カフェテリアから出る寸前、マミちゃんがくるりと振り返って言った。
「さっきの話、よくよく考えたらすっごく変だよね」
「何が?」
「だって、いくら女が男より弱かったって言ってもさ、身体の構造的には、女が男を ”食ってる” のは、ずーっとずーっと、太古の昔から変わんないじゃん、ねぇ?」

    ※

「だぁるい」「あ、お菓子忘れた」「今日の前髪、変じゃない」「いいよ、どうせ誰も見ないし」
 好き勝手に喋る甲高い声が、狭い運輸艇(シャトル)内に反響する。
 地球に到着直前の機内はレッド・トーンを迎えた女の子たちの青臭い匂いでいっぱいだ。火でも点ければたちまち引火爆発を起こしそうなほどに。
「F-1地区かぁ。ほんとついてない。あんなの下級労働者の集まる場所じゃん」
 後ろの席に座ったマミちゃんが、また文句を言っている。
「でも味はよくない?私、シティの中心にいる男よりかは好きだな。スジとアブラミのバランスがちょうどいいんだよね」
「あんたは固い肉好きだからね」
 みんな味なんて大してわかんないくせに。そう思いながら、私は眼下に広がるのっぺりとした地球を眺める。
 汚くて、不便で、小さくてかわいそうな男たちの世界。彼らはきっと死ぬまで悩まない。妊娠、しなくていーし。クニ、守んなくていいし。コドモ、育てなくていいし。対して私たちは戦って狩りをして、子供を産んで育てて、また戦って、死んで、やることはいっぱいあるにも関わらず、ここはまったく退屈で、私たちはその退屈の穴ぼこを埋めるように、それらを切り貼りして日常の中に組み込んでゆく。
 とか言ってる間にあっという間に地球、今日のシティの天気は曇り、加えて私たちが今回指定されたF-1地区はシティの中でも最下層って言われてるとこで、目の前には放射能汚染された瓦礫や崩れ落ちた高架道路、ひび割れた大地が広がるばかりでテンション上がる要素は0、だもんで一部の熱心な生徒以外はみんな、瓦礫に腰掛けて爪をいじったり、うだうだ、おしゃべりなんかしながら、迎えが来るまでひたすら時間を潰そうとしているのだった。
「いっくよーん」
 目の前でマミちゃんが思いっきり助走をつけてジャンプする。弾丸のように尖ったマミちゃんの体はたちまち車2、3台をぶっ飛ばし、狙いをつけた男の身体にヒットした。衝撃で二人はもつれ合い、地面をゴロゴロと転がる。
 男はマミちゃんに押し倒される寸前「え?おれ?」って顔してた。マミちゃんは有無を言わさず馬乗りになり、鋭い爪で男のズボンを切り裂く。一緒に太ももがぱくっと裂け、男はぎゃあ、と絶叫した。そんなことにはおかまいなしに、マミちゃんは男の両膝の間に足を割り入れ、勢いよく飛び出たペニスを片手でがし、と捕まえる。ひょろりと天に向かって屹立した、哀れでこっけいな男の器官が、マミちゃんのまぁるいお尻の肉の谷間にたちまち飲み込まれてゆく。
 マミちゃんにはためらいがない。ゴールをまっすぐに目指すスプリンターのように、まるで寸分の曇りもなく自分の欲しいものが分かっているみたいに、潔く男を身体の中に引き入れる。
 そのうち、 めりめり、ぽーん。
 と音がして、バレーボールみたいに軽々と、男の頭が私の足元に飛んできた。まだ射精も済んでいないのに。
 びゅるるる、と男の首から勢いよく血が噴き出す。今度は腹。マミちゃんの黒いエナメルに覆われた爪が、男の腹をまっぷたつにかっさばき、内臓がでろ、とこぼれ出る。ピンクに白い脂肪のアクセントの入った、キレイで可愛らしい消化器たち。マミちゃんはそれを千切るのも忘れて夢中で掻きこみ、大きく喉を波立たせて飲みくだす。
 男の体のどこが好きかって言われたらまずモツ。次に筋肉。次に脳。別に美味しくなんかない。ただの本能だから。美味しいかどうかなんて考えない。他にどうしよーもない、ただ、口に運ばなきゃやってらんない。そう、やってらんないからやるのだ。理由なんてない。気持ちよさも、喜びも、責任も、なーんにもない。ただ、やってらんない、っていう、空洞があるだけ。
 私は友達の狩りを見るのにも飽きて、一人、その辺を散策することにした。

 五分も歩けばもう街外れだ。紙みたいにぺらっぺらの、傾いたフェンスの向こうには、隆起した地面がエリカちゃんのリストカットの跡みたいにだんだん模様を作っている。その先には点々と、瓦礫やゴミやテトラポットの一緒くたになった廃棄物の山が見え、そのさらに向こうには何もない、干上がった大地が広がっていて、さらに遠くでは砂嵐がいろんなものを巻き上げながら空に向かって消えていた。
 フェンスの穴をくぐりぬけて外へと出る。ここから先は男の世界でも、行ってはならないエリアみたいだ。地面に落ちた、干からびた鳥の死骸が気持ち悪い。
 大昔、ここらへんは海だったらしい。らしい、と言っても私の知る海っていうのは、古代地理の授業で見せられたVRの世界の中でだけだ。
 ありえないほど青い、ゲルみたいなやわらかい巨大な水の塊が、砂浜と呼ばれる白く輝くあったかそうな地面の上を、気の遠くなるほど何度も押したり引いたりしていて、その淵にはギザギザした葉っぱの緑の樹木がぴょんこぴょんこ、生えていて、その、キラキラ輝く美しい水たちが集まっていたこの場所は、今はもう、ひび割れた褐色の大地がただ広がっているだけなんだけど、それでも、この地面のうねうねは大昔にあの透明でキレイな水が行ったり来たりしていた跡だと思うと、私は昔の地球ってゆーのは、みんなが言うほど悪い場所じゃなかったんじゃないかな、って思う。
 私は駆け出した。なんとなく、そうしたかったんだ。狭い衛星(ほし)、狭い校舎。狭い私たちメスの世界。そんなもん、もうたくさんって気持ちで、でも、今の私はそれらに守られているのも事実で、だから、だからだから私はやり切れなくって、何だか自分がわやくちゃになるような気がして、テトラの山のてっぺんまで駆け登って、うーん、と伸びをした。
 生きてるって感じがした。軍事訓練の最中より、みんなとおしゃべりしている時より、セックスしている時より。
 その途端。
 ぐらり、と足元が揺れ、危ない、と思った瞬間にはもう、私は崩れ落ちたテトラと一緒に地面に叩きつけられていた。
 四肢が飛び散るような衝撃と、内臓がえぐり潰される痛み。二つが同時にやってきて、私の喉は聞いたこともない悲鳴をあげる。
 体の上では崩れ落ちたテトラポッドが鳩尾から下を押しつぶしていた。コンクリのザラザラとした感触が皮膚に食い込み、痺れるような痛みが全身に燃え広がる。ショックで上手く呼吸ができない。
 どうしよう、ここから出なきゃ。
 もがいても、あがいても、テトラは動きそうにない。風に吹き上げられた砂埃が容赦なく鼻と口に流れ込み、声を出すこともままならない。
 やば。けっこー、ピンチかも……。
 その時だった。
「あ、お前、何やってんの」
 突然、低い声が空から降り注ぎ、太陽光を遮って何かがぬっと頭上に現れた。
「あー、挟まれてんのか、これ。大丈夫か?出れる?」
 それが男の頭だって気づくまでに、2、3秒かかった。驚きのあまり全身が硬直する。ごく稀に、狩りの最中に男に反撃されて殺されちゃう子がいるんだ。それは私たちの間ではもっとも不名誉な死に方だった。
 男はぐるりと私の周りを半周し、テトラに手をかける。逆光のため顔立ちはわからない。
「動かせるかなあ、これ」
 女の私でも無理なのに、男の力でなんて絶対に不可能だ。そう思うけど、男は冷静な様子でテトラを押したり引いたりしている。
 そのうち、ちらりとこちらに視線を向けてこう言った。
「なあ、これどかしたら、お前、僕の事、食べる?」
 食べる、って?
 当たり前だ。男と見れば襲う事。単純すぎるぐらい明確なルール。でも……
「お願いだからさ、食べないでくれよ」
 そう言うと、男はその辺に落ちていた鉄パイプとブロックを拾い上げた。器用にテトラの足にパイプを挟み、てこの原理で浮かせようとする。やがて、ずず、ずず、と砂を擦る音を立ててテトラは動き始めた。突然のことに頭がついてゆかず、私はただ、ぽかんとそれを眺める。
 そのうち、太陽が雲間に隠れ、濃い影の中に逆光に遮られていた男の目鼻立ちが少しずつ現れ始めた。
 すっと通った鼻筋。形の良い顎、涼しげな切れ長の眦。
 どき、とした。ヒトミちゃんに似ている。ううん、それだけじゃない。私、こんな綺麗な男、今まで見たことない。
 そもそも、男をこんな風にまじまじと見つめたことなんて一度もない。性交はできるだけ速やかに終え、後は即座に捕食すること。そう教わってきたんだもの。
 やがて生まれたテトラの隙間から、やっとの思いで私は這い出た。
 砂だらけの体を払う。全身痺れて痛いけど、うん、大丈夫。異常はない。
 ありがとう、そう言おうとして振り返った途端、
「食べるなよ!」
 耳をつんざく大声に、私は驚いて飛び上がった。

 男は鉄パイプを構え、さっきまでとは別人みたいな表情で私を睨んでいた。少しでも私が動いたら、すかさず反撃に転じるとでも言うように。
「食べないでくれ。お願いだ……」
 険しく狭められた眉根、こわばった?。ありったけの敵意に満ちているにも関わらず、その表情さえもが綺麗で、私は彼の顔をぼうっと見つめてしまう。
 その時だった。男の背後で突然、ガサリと音がした。
 男はハッとして振り返る。
 私も音のした方を思わず凝視する。
 瓦礫の山の背後に、何か、居る……!
 出てきたものを見た瞬間、私は凍りついた。
(え、なに、これ……)
 それは奇妙な生き物だった。つるんとした体。ひょろっこい手足。牙のない、木の葉のような慎ましい口。男と同じくらいの大きさで、でも男みたいにごつごつしてなくて、股間には男にあるはずのものがくっついてなくて。その姿はまるで……
「僕、この子たちを育てたいんだ、だから、食べないでくれ……お願いだ……」
 男は出て来た生き物を見てもまるで動じずに、庇うように後ずさりながら言う。
“この子たち” ……そう、これ、コドモだ。
 生物の授業中に習った。私たち女の特徴である強靭な爪や牙、全身を覆う鱗は、妊娠後期に後付けの形で発生する。だから初期の胎児は、1000年前、女が今の形態へと進化する前の女の姿をしている。けど、ごくたまに、細胞の未分化によって母親の胎内で育ちきらずに胎児の姿のままで生まれてきてしまう子供がいるんだ。
 鱗も牙も逞しい筋肉も無く、どんなに育っても男より弱々しい体しか持たない「祖先の置き忘れ(アン・コンプリーテッド)」。そういうのは生まれてすぐ処分される。戦争にも行けないし、子供も産めないし、なんの役にも立たないもの。けど、たぶん、この子たちのお母さんは処分が嫌で、この子たちを隠して育て、どっかのタイミングでこっそりシャトルに連れ込み地上に捨てたんだと思う。たぶん、母性ってやつ。それ、私はよくわかんないけど。
 瓦礫の影から出てきたコドモたちは、あどけない表情で私と男を見比べている。彼はもう一度険しい表情で私を見据えると、はっきりとした口調で言った。
「食べないでくれ」
 命乞いとは違う、静かな意志が含まれたその声に、私は再び彼を凝視した。
 背丈は小柄な私と同じぐらい。男にしては長めの髪。険しく細められた瞳は深いアンバーで、ヒトミちゃんと同じくらい、濃く長いまつげに縁取られている。
 彼が笑ってるところを見たいな、ってふと思った。
 笑えば、この目はさっき私を見下ろしていた時と同じ、半月みたいな優しいカーヴを再び描きそうなのに。
「食べないから!」
 気づいたら私は叫んでいた。
「食べないから、またここに来ていい?」
 なんでそんなこと言ってるのか、自分でもわかんなかった。
 いろんな弁解、食べられるのって、悪いもんじゃないんじゃないのとか、私は食べるのあんま好きじゃないんだとか、選んで女に生まれたわけじゃないんだからそんなに睨まないでよ、とか、様々な考えが頭にわぁっと沸いたけど、やっとのことで今、私の2本の牙の間から生まれてきたのはただ一つ、その言葉だった。

    ※

 人類で最初に男を食べたのは、キャロラインと言う名のブラジル系アメリカ人モデルである。
 彼女は性交後に恋人の頭部を丸ごと食べ、その後も出会った男たちの身体の一部を次々に食べながら逃亡した。
「子宮が命令するのよ」
 彼女は獄中でそう語った。
「頭じゃないの。子宮がそういうのよーー男を食べろ。食べて子供を作れ、って」
 当時の警察はキャロラインの言い分を異常性欲として片付けたが、その後意外なことが判明した。キャロラインは妊娠していた。それも5つ仔を。  獄中で出産したキャロラインはその後も男を食べたいと訴え続け、看守を7人、心理カウンセラーを3人食べ、最終的に9人の子を産んだ。アメリカの出生率が0.3を切っていた時代の話だ。
 恋人を愛してなかったのか、と言う問いに彼女はこう答えた。
「愛してたわよ!……彼だけじゃない。食べた奴全員、いい人だったわ。だから食べたの。食べなきゃいけなかったのよ」
            
    ※

 私はこうして、エイジくんの元に通いはじめた。彼は最初、警戒していたけど、私が彼を食べる気がないということが分かるとすぐにそれを解いた。

「うちんとこさ、聖女教会が強いんだ」
 エイジくんはαとβを膝の上に乗せてあやしながら言う。
「ある日聖女さまが空から降りてくるから、俺たち男は黙ってありがたく喰われるのが一番の幸せだって、子供の時から教えられんの。女に子供、作ってもらって、戦争行ってもらってようやく生きてるんだからって。まあそりゃ、そうかもしんないんだけどさ、僕はもっと、他にも楽しいことあるじゃん、って思うんだよ」
 エイジくんはよく喋る。男がこんなにお喋りな生き物だってこと、彼に会うまでは知らなかった。
「一生労働に従事して、ちょうどいいところで女に食われて、精子搾り取られてさ。そんな人生しか選べないなんて、そんなの、つまらないだろ」
 彼はF-1地区にある戦闘機工場で働いていたけれど、嫌になって逃げ出して、辿り着いたこの場所でこの子供たちを発見したらしい。今では工場の裏から捨てられた食べ物を拾ってきて、二人に与えながら暮らしているのだそうだ。
 私は相槌を打ちながら、彼の顔をそうっと盗み見る。涼しげな線で構成された輪郭、綺麗な形の耳。強い眼差しは地平線の向こうまで届きそうなほど、まっすぐ前を向いていて、その様子はどことなく、授業中に盗み見るあの子の顔を思い出させる。
 途端に心臓がきゅうっと持ち上がり、私は慌てて顔の位置を元に戻した。喉が渇き、牙の付け根がじん、と疼く。
“常に自分の身体を統御すること”……戦闘訓練中、耳にタコができるぐらい聞かされているルールだ。それなのに、ほんの一瞬彼の顔を見ただけで、私の身体はこの、胸の奥のちっぽけな器官の暴走によって言う事を聞かなくなる。
「僕は他にもっとさ、色々やりたいことがあるんだよ……例えば、本読んだりとかさ」
「本?本が地上にあるの?」
 びっくりして私は思わず声を出した。本って、女のためだけの娯楽かと思ってた。
「あるよ。なんだよ驚くことかよ。男だって本ぐらい読むよ」
 エイジくんは気悪くしたように眉を寄せる。
 私はごめん、と小さく呟く。やってしまった。男の生態なんて、授業でも習わない。男は美しくて、健康で、元気な精子を持っていれば、それでいいんだもの。
「エイジくんは、誰の本が好きなの?」
 機嫌を取り直してもらいたくて、私は話を振った。
「えっと、夏目漱石とか」
「知らない。誰それ」
「まあそうだよな。えっと……漱石っていうのは、1900年代の文豪で……」
 そのままエイジくんはソーなんとかの話を始めたけど、私はさっぱり興味が持てなかったから、黙って空を見上げた。
 月が出ていた。
 地球から見る月は、上空を厚く覆う汚染ガスと光化学スモッグに遮られ、トイレに落ちた経血みたいにどろりと赤く濁って見える。ユングから見る、冴え冴えとした月と比べたらゴミみたいだ。
「昔はさあ、男と女がつがいになって、一緒に住んで、そこから発生する血の繋がった人間同士をカゾクって呼んで、お金を共有したり、労働力を提供しあったりして、結束を深めてたらしいんだよね」
「へー」
「まだ、うちの国がこんなに戦争ばっかりしてなかったときの話だよ。人類が進化する前、女が地上を離れる前、地上がこんなに荒廃する前の、もっともっと、昔の話」
「……なんか、めんどくさそう」
「うん、めんどくさくもあっただろうね。……でも僕、羨ましいよ。きっと楽しいことだってあったんじゃないかな」
 そう言ってエイジくんは微笑んだ。私は彼の言うことがいまいち飲み込めない。
「育ってきた背景も、考え方も、何もかも違う個体同士がさ、何かをするためにずっと一緒にいるなんて、なんか、すごい、キセキみたいじゃね?」
 彼の膝にちょこんと座った双子たちは、つぶらな瞳で私をじっと見ている。
 前にエイジくんに、この子たち名前あんの、って聞いたら「ないよ」って言うから、私が命名した。テキトーっぽい名前なのは、あまりに彼女たちの姿が自分とかけ離れていて、メスっぽい名前をつけるのに躊躇したからだ。
 二人とも、全身マシュマロみたいに柔らかくて可愛い。さらさらとした黒髪、濡れた大きな目をふちどる睫毛。知能はおそらく普通のメスの半分以下だし、鱗の生えない身体は抱きしめると体温を感じる。けど、上唇をめくり返してみると歯ぐきの両脇には小さな牙がちょんと生えていて、見た目は全然違うのに、この子たち、確かにメスなんだ、って思う。
「その頃の人間はさ、きっと今みたいにオートマティックに生殖させられるよりか、ずっとのびのび生きてたんじゃないかな。出生率だって、1.0を上回ってたんだろ。それってすごいことだよ」
 夢見がちなエイジくんは過去の世界を美化しすぎている気がする。けど、私は余計なことは言わない。彼の澄み切った目を、最初の時みたいに怒りと怯えで歪ませたくない。
 さっきからこんこんと私の口の中には唾が溜まり続けている。それは唾液腺というより、もっとずっと下の方、足の付け根のあたりから沸き上がり、身体を熱くする。けれど私の固い鱗は皮下熱を閉じ込めて、こんなに近くにいる彼にすらそれを伝えない。
「昔はさ、男と女が好意を伝え合う時に『月が綺麗ですね』って言ったらしいよ」
 そう言ってエイジくんはうっとりとした表情で空を見上げる。
「まだまだ、俺らの知らない世界があるよなあ。俺、お前みたいな女がいるってことも驚いたもん。こんな風に、女と喋れるなんて思ってもみなかった」
 エイジくんはわかってない。恨めしい気持ちで私は膝を抱える。少しでも気を抜けば、鋭く尖らせた私の鉤爪は反射的にエイジの喉元に向かおうとして震えるのに。
 エイジくんはこれからどうするつもりなのだろう。彼が「城」と呼び、子供たちを匿っているこの瓦礫の山だって、誰かに見つかってしまえばひとたまりもない。こんな生活、いつまでも続くわけもない。エイジくんの向こうみずなナイーブさに、私は苛立つ。でもその苛立ちは、彼の顔を見てしまうと、途端にケーキの上のクリームみたいにやわらかくて甘ったるいものへと変質する。
 遠くでサイレンの音が聞こえる。狩猟の終わりを告げる合図だ。
「そろそろ、帰るね」
 私はそう言って立ち上がった。フェンスの方に向かって歩き出す。
「また来いよ」
 不意にエイジくんが背後から言った。せっかく押さえこもうとしていた心臓は、その一言で不甲斐なくぴょん、と元に戻ってしまう。
「僕、これまで変わり者扱いされて、友達とかいなかったから、お前としゃべんの、楽しいよ。女の中にもさ、お前みたいに生殖にキョーミない奴、いるんだな」
 ノーテンキに笑うエイジくんは、私がこの硬い鱗の下にどんな欲望を隠し持っているのかまるで気づいてない。
 彼と私は、同じ月を見ることすらできない。月の綺麗さすらも共有できない私たちが、それ以上のものを共有するなんて絶対に不可能だ。
 どろりと濁った月に見下ろされながら、私はただ、頷くしかなかった。

 生理が来るごとに、私は1か月前と代わり映えのしない自分を発見してブルーになる。毎月毎月、命にならない細胞片を足の間から吐き出して、一体なんの意味があるのだろう。
 卒業がいよいよ間近に迫り、同級生たちの間にも焦りが見え始めた。すでに何人かの子は「成功」して、訓練を欠席し始めている。私たちの班に、まだ欠席者はいない。
 マミちゃんは最近、こっそり他のレッド・トーンの班に混ざって地上に行っているのがバレて怒られたらしい。やだあの子、そんなにしょっちゅう男を食べたいのかしら。そんな陰口を叩かれても、マミちゃんは全く気にしない。最近は中毒みたいに欲しくて欲しくてしょうがないって言ってた。妊娠するために食べたいのか、食べたくて食べたいのか、本人も分からなくなっているみたいだ。
「妊娠したい、妊娠したい、妊娠したいぃぃ」
 そう叫びながら、シホちゃんは夢中で男の身体にかぶりついている。脂汗を流し、ぺったりと髪を頬に張り付かせ、何かに追われているような、苦しいのか気持ちいいのかわからない形にひしゃげた顔で一心不乱に腰を揺り動かしている。
 私は二人から顔を背け、代わりに遠くの空を見上げる。来月はまた、F-1地区のあたりが狩猟エリアに指定されていたはずだ。
 来月、また彼に会える。そう思うだけで気が狂いそうになる。
 エイジくんの顔が見たい。もっと近くに寄りたい。抱きしめて骨を粉々にして、ごりごりと腱を噛み切って、ひとかけらも残さず全てを飲み下してしまいたい。 彼の柔らかそうな腹部に歯を立てて内臓を引きずりだして、ぶちゅぶちゅって噛み潰して、髪も爪も眼球も全部私の糧にして、すっぽりと体内に納めてしまいたい。
 そう思った瞬間、は、と我に帰る。
 だめだ。
「食べない」って彼と約束したんだ。
 彼の、子供たちを育てたいって気持ちを尊重するって決めたんだ。
 にも関わらず、気付いたら彼の骨を噛み砕くごりっとした感触とか、はりつめた皮膚がぷちぷち裂ける食感とか、筋肉の繊維の一本一本から染み出す肉汁のあったかさとか想像してる。
 どうしよう。私、食べたいんだエイジくんを。
 こんなにも強い食欲が自分にあるなんて思ってもみなかった。あああ食べたい食べたい食べたい。好き。食べたい。一緒にいるには食べられない。でも、他の女に食べられるのは、もっと嫌。
 海、が見たいな、ってふと思った。
 この気持ちも、戦いも妊娠もぜんぶ忘れて、あの、とろっとろの液体栄養剤(リキッド)みたいなあたたかな碧の中に身体を沈められたらどんなにいいだろう。

                 ※

「まぁた、この子はトリップしちゃってるよ」
 ヒトミちゃんの声が急に耳元で響いて、私ははっと顔を上げた。 いつのまにか授業は終わり、教室には私とヒトミちゃんしか残っていない。

「もうみんな、とっくに帰っちゃったよ……大丈夫?なんか最近、いつにも増してぼーっとしてんね」
 ヒトミちゃんはそう言いながら窓辺にもたれ、椅子に座った私の顔を覗き込んだ。涼しげな線で構成されたかんばせが、照明の消された教室に淡く浮かび上がる。
「もうすぐ卒業じゃん。しっかりしてよ。配属先バラバラになっちゃったら、今みたいに会えないんだからね」
「……うん、大丈夫。ごめん」
 私は視線を彷徨わせた。ペリドットの美しい眼。この眼に見つめられると、私は自分が途方もなく、ちっぽけな存在に思える。
「ユミさぁ、最近、狩猟してる?」
 不意にそう聞かれてどきりとした。
「最近、狩りの時も別行動だしさ、なんかあんのかなと思って」
「……ヒトミちゃん」
 私は思い切って言った。
「わたし、男を好きになった」
 ヒトミちゃんのシャープな目が、お月さまみたいにまん丸になる。一拍ののち、
「へえええええ?!」
 聞いたこともないような素っ頓狂な声が教室に響き渡った。
「は?好き?は?うっそでしょ?マジで?」
「……うん。ほんと」
「え?恋、ってやつ?」
「……たぶん、そう」
 ヒトミちゃんは目を白黒させて、信じらんない、と言うように天を仰いでいる。
「いつから?」 「半年ぐらい前から」 「どこの地区の人?年齢は?」 「F-1。同い年」 「何やってる人?」 「……無職?」 「無理。マジ無理。あんた絶対幸せになんないよ」
 ヒトミちゃんは頭を抱えると、それきり黙ってしまった。
 やわらかな前髪がさらりとこぼれ、下を向いた形の良い顔を隠す。彼女はやっぱり綺麗だ。けど、今の私はその上にエイジくんの面影をつい、重ねてしまう。
「食べちゃえばいいじゃん」
 ヒトミちゃんが言った。
「食べて、自分のものにしちゃえばいいじゃん」
 今度は私が俯く。同時にお腹がきゅるる、と鳴る。
 エイジくんの目を思い出す。思慮深そうで、あたたかで、笑うと三カ月型にひしゃげるあの目。あの目が信じているものを壊すことなんて、私には絶対にできない。
「わかってる……でも、側にいたいんだよ」
 私は言った。もう一度、お腹がきゅる、と鳴る。
「食べられなくったって、妊娠、できなくたって、名誉女性になんかなれなくったって、ずっと側にいたいんだよ」
 ううん。それは嘘だ。
 私は口のなかにわきあがる唾を必死で飲み込む。エイジくんとセックスしたい。エイジくんの子供がほしい。エイジくんを口いっぱいに感じたい。エイジくんのペニスが、私の中心を突き上げるところを想像して身震いする。私のやわらかい下腹部が、彼の下腹部とこすり合わされるところを想像する。内側から、こんこんと、甘くて、ねばっこくて熱い何かが湧いてきて、子宮がびくんとふるえるのがわかる。エイジくんがほしくて、痛いくらいに敏感になっている、私の臓器。ただの一つの器官のはずなのに、なんでこれはこんなにも、私を支配するのだろう。
 いっそここだけになってしまえたら、どんなに良いだろう。 その時には私はためらいなく、彼を食べるのに。
「あーあ、なんか、ユミが遠くなっちゃったな」
 ヒトミちゃんが急に顔を上げて言った。
「正直、ちょっと寂しい……ううん、違うな。羨ましいのかも」
 私も驚いて顔を上げる。ヒトミちゃんが……私を?
「ユミみたいにちゃんと立ち止まって、自分なりに悩むってこと、私にはできないもの。……私はさ、決められたルールの中で、点を取るって事しか出来ないからさ。戦争で活躍するのが女の使命です、って言われたら、素直にそうしよって思うしさ、コドモ産んで、って言われたら子供生みたくなっちゃうしさ。単純なんだよね」
 彼女はそう言って窓の外に目を向けた。自虐めいた口ぶりとは裏腹に、その表情はいつも通り晴れやかで、もう驚きも困惑も浮かんではいない。
「……あ、でも、コドモほしいっていうのは、けっこうホント。どんなにクソみたいな世の中でも、なんか、次につながるもん、作りたいんだよね。……べつに、その子だっていずれは戦争に行って死んじゃうかもしれないし、何に役に立つかはわからないんだけどさ」
 端正な横顔の上を、近くを飛ぶ人工衛星の光がさらさらと水のように流れてゆく。瞳に煌めきが乗り移り、翳り、また次の煌めきへ。
 その間にも凛々しい視線は宇宙の果てまで届きそうなほど真っ直ぐ遠くに注がれていて、私はそれを見ながら、その視線を遮る事なんて誰にもできないし、もしそんなものが現れたら、その時私はどんなことでもして、全力で彼女を助けよう、とふと思う。
 私さ、とヒトミちゃんは続けた。
「前にユミに、なんで男食べて、子供なんか生むんだろ、って聞かれた時に考えたんだけどね。それってさ、たぶん、退屈だからなんだよね」
「退屈?」
「そう。本能だからとか、生き物だからとかいろんな言い訳ができると思うんだけど、そんなもん、ただ社会の都合に合わせて作られたものでしかなくってさ」
 話の意図が分からず、私はぼんやりと彼女の顔を見る。
「本当はみんな、退屈が怖いんだよ……退屈したくなくてさ、戦争もするし、子供も生むし、男も」
「食べるし」
「そう」
 ヒトミちゃんは笑った。人工衛星の光が、彼女の顔に凸凹を刻み、鼻腔を、目の縁を、あらゆる窪を露わにする。
「きっと、埋めなきゃ気が済まないような穴が、私たちの体には空けられていてさ、……私たちがやっていることは、全部、それを埋めるための作業なんだ」
「……私がエイジくんを好きなのも、そのせいなのかな」
「私ね、最近生物の本読んでて、驚いたことがあってさ」
 彼女は私の問いには答えずに続けた。
「私たちの膣とか子宮ってさ。身体の内側にあるって思ってるじゃない?あれってさ、本当は外側なんだよ」
「え、どういうこと?」
「だからさ、考えてみてよ。人間の身体って一本の空洞なわけ。食べ物を入れる所があってさ、出す所があるわけでしょ。それでさ、子宮と膣も ”内臓” っていうくらいだから、身体の内側だと私たちは思ってるんだけどさ、あれって本当はさ、身体の中のどこともつながってない、外側に穿たれた、窪みたいなもんなんだよね。つまり、ただの、表面にできた、へっこみ」
「へっこみ」
「そう。ただの、へっこみ。……だからね、ユミ、私たちが普段、ペニスを出し入れしてるのもさ、子供を宿して生み落とすのだってさ、実は全部、身体の外側で起きてる出来ごとなんだよね。コドモだってさ、私の体の外側の窪みに、ちょこっとだけ宿ってさ、そんでまた、外の世界にもどってく、ただ、それだけのことなんだよね。誰もさ、オトコだってコドモだって、私たちの身体の中に、入ることなんて、できないんだよ」
 だからね、とヒトミちゃんはほんの少しだけ口角を持ち上げて続けた。
「別になにやってたってさ、所詮、私の身体の外側を、ぜんぶ滑ってくだけだからね、そう考えたらさ、どんなことだって別に、大したことじゃねーなって、思うよ。だから、一周回って、せめて私ができることなら、なんでも精一杯、やろうと思うんだよね。いくら退屈だって叫んでてもさ、何も入ってきてくれはしないからさ。……たとえ、私が決めたことじゃ、無いにしてもさ」
 月が視界の隅でさっきより1°傾いて、校舎じゅうに7限目の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。じゃあ私、特別戦闘演習(トクセン)あるから行くね、そういつもの笑顔で言って、ヒトミちゃんは教室の出口の方へ駆け出してゆく。
 ドアのところでくるり、と振り返り、私に向き直ると、彼女は大声で言った。
「だからさ、ユミも、その、恋とかいうの?自分で決めたんならさ、ま、精一杯やんなよ。応援してるからさ!」
 ありがとう、ヒトミちゃん。
 私は彼女に向かって思いっきり手を振る。

 そうしてヒトミちゃんはそのまま死んでしまった。

 ヒトミちゃんは妊娠していたらしい。この世に生を受けてたった1ヶ月の小さな命と共に彼女は死んだ。
 第三演習フィールドで実践訓練中の生徒たちを急襲した敵機は彼女の乗った演習用戦闘機を一瞬で粉々に破壊し、他に15人の生徒の命を奪って逃げた。こんな悲痛な出来事は我が校始まって以来、とセレモニーの壇上で校長は言ったけど、そんなこと私たちにとってはどうでもよかった。
 本当に悲しい時って、涙も出ないんだ。
 私は大破した機体から回収されたヒトミちゃんの遺体の、冷たいぺたんこのお腹を火葬焼却前に撫でた。こんな平べったい体の中に、新しい命が宿っているなんて信じられなかった。
 逃げちゃえばよかったのに。
 戦闘訓練にも狩猟にも、何もかもに一生懸命だった、まっすぐで賢いヒトミちゃん。そんなの、嫌だよっていって、逃げちゃえばよかったのに。私と一緒に、逃げればよかったのに。
 入学したばかりの頃、訓練があまりに辛くて泣いたら、ヒトミちゃんが手を差し伸べて涙を拭いてくれた。ユミ、痛みっていうのはいつか消えるから、生理と一緒で、済んでしまった痛みっていうのは、また次にやってくる次の痛みに押し流されて消えるから、だから、私たちは、次の痛みに備えて、戦わなきゃいけないんだよ、って。
 分からないよ、ヒトミちゃん。
 私はたった一人で、これからいったい、なにと戦わなきゃいけないんだろう。戦って何を得るんだろう。この痛みは一体どうやったら消えるんだろう。
 その答えはきっと、3000年分の人類のデータベースをさらっても、絶対に見つからない。

     ※

 私はくしゃくしゃの紙切れみたいな気持ちで、次のレッド・トーンの時にも迷わずエイジくんのところに向かった。ヒトミちゃんのことを話したかったし、これからどうしようって、この気持ちを共有して、慰めてもらいたかった。
「城」の周辺は不気味に静まり返っていた。ひゅうひゅう、遠くで巻き上がる砂嵐の音だけが響いている。 エイジくんも、αもβもいない。みんなどこに行ったんだろう。
 不意に、「城」の向こう側から、かたかたかた、と不穏な振動音が聞こえてきた。瓦礫の山全体を震わせて響く、いらだたしげで、寂しげで、それでいて何かをねじ伏せるような、尖り切った音。
 私、この音、知ってる。
 そう思った瞬間、心臓がぎゅ、と跳ね、呼吸が浅くなった。
 砂埃の中に、ぷん、と湿った乳臭い匂いが混じり漂ってくる。私はこの匂いが、ある時に限り私たちの体から発されることを知っている。
「城」の向こうでは、マミちゃんがエイジくんを犯していた。

 マミちゃんは一心不乱に腰を動かしている。地面に組み敷かれたエイジくんの首からはおびただしい血が流れ、力の抜けた上半身はマミちゃんが体をくねらせるたび、できの悪いシーソーみたいにばいんばいん、地面に叩きつけられている。
「エイジくん!」
 私は叫んだ。
 マミちゃんが顔を上げる。先生の悪口を言う時の、授業の文句を言う時の、あの底意地の悪い笑顔が、大粒の汗とともに彼女の顔に浮かんでいる。
 マミちゃんは立ち上がった。ずる、とエイジくんのペニスが引き抜かれる。死にかけているにも関わらず、それは真っ赤に充血したまま、彼女の両脚の間にそそり立っている。
「やっぱり、今日も来たんだ」
 マミちゃんはにか、と口を開けた。口端にはべっとりと血が付いている。
「なんで」
「いっつも狩猟ほっぽらかして、どこに行ってるのかと思ってたんだよねぇ。……それで、この前尾けてみたらこれだよ。笑っちゃう」
 エイジくんはゴム人形みたいに四肢をだらんと投げ出し、苦しそうに喘いでいる。喉の傷からひゅう、ひゅう、と呼吸を漏らし、その度に血がごぼ、と口から溢れ出る。私はマミちゃんの口についている赤い血が、エイジくんの首から流れ出てるものと同じだって認めたくなくて、仁王立ちになったマミちゃんとその足元に横たわるエイジくんの姿を何度も何度も見比べる。
「びっくりした?誰も気づいてないと思った?……残念でした。獲物は早いもの勝ちだよ」
「獲物、じゃない」
 怒りと恐怖で動けなくて、混乱で言葉が出なくて、私はやっとの事で拾った単語に反応するよりなかった。
「エイジくんは、獲物じゃない」
 あっはははは。マミちゃんの耳障りな笑い声が、乾いた空に響き渡る。
「あんたって本当に甘いよねえ、ユミ」
 マミちゃんが自慢の足で地面を蹴った。あっと言う間も無く彼女の意地悪な顔が眼前に広がる。とっさのことに、私は身動きすらできない。彼女の太い指が下あごに食い込む。
「私、あんたのそういうとこ、大っ嫌い」
 ぎり、と強い力で締め上げられ、呼吸ができない。目の前が真っ赤に染まり、血の通わなくなった頭蓋と鼓膜の間にマミちゃんの声が反響し、脳を揺さぶる。
「じゃあなに?なんなのさ?この男と、死ぬまで出来損ないの子供育てて、幸せに暮らしました、ってか?. ……あんたはさあ、そうやっていっつも、私だけは違うんです、みたいな顔してさ、フツーから外れちゃったカワイソーな私、みたいなふりしてさ……私たちが必死に狩りして、訓練して、いい成績取ろうってしてる間にも、自分は関係ありませぇんって顔して遊んじゃってさ。ずるいんだよ」
 ひしゃげたマミちゃんの目は見たこともない色に燃えていて、彼女の凄まじい怒りが私の中に流れ込んでくる。
「それで甘える相手見つけて、それで死んだら別の相手、ってさ……ほんと、むかつくわ」
 私じゃない誰かに言い聞かせるみたいに、高らかに、ゆっくりとマミちゃんは言う。
「いい?私たちの意思なんかね、超ちっぽけなんだからね。私はゼッタイ戦争なんて行きたくないし、ヒトミみたいに犬死にしたくないの。意地でも子ども産んで、名誉女性になって、死ぬまでダラダラ、楽しく、バカみたいに、暮らしたいのよ。すごいねって、よくやりましたね、って祝福されて生きたいのよ、わかる?それが道理なんだからさ」
「マミちゃんの気持ちは分かるよ」
 私は地面を精一杯に踏みしめ、マミちゃんとまっすぐに向き合った。
「……けど、私に怒ったって」
「あんたみたいなさぁ!」
 マミちゃんは叫んだ。
「あんたみたいな、本能を無視して、好き勝手やって、後のことは知りませぇんって、コドモ作るのも忘れたバカな先祖のせいでさ、私たちは今、こんな目にあってるわけ、いつ死ぬかも分からないような、やりたくもないことしなきゃいけないような目にあってるわけ。そんなのってないじゃない」
 泣き笑いみたいなくしゃくしゃの顔で彼女は続けた。
「私は絶対、そんなのの割りを食いたく無いわけ。……いい?ユミ。あんたのやってることはロマンチックに聞こえるようでさ、ただのビビリだよ」
 そうかもしれない。けど、何かが決定的に違った。マミちゃんの言うことは確かに正しくて、けど私は決して私は何かに逆らっているわけじゃなかった。むしろ逆らわないように生きた結果がこれで、けど、そんなことは今のマミちゃんに言ったってしょうがなくて、彼女の他にぶつけようのない怒りは今、私に向いていて、私の顎は凄まじい力で抑えられてて、そうしている間にもマミちゃんの向こうにいるエイジくんの体からはおびただしい血が流れ出ていて、その向こう側の瓦礫の陰にはαとβが隠れて震えていて、エイジくんの、さっきから聞こえるひゅう、はあ、って苦しそうな呼吸の音が、だんだん、弱くなっていることに気づいた瞬間、私はいてもたってもいられず、マミちゃんを思いっきり突き飛ばしてエイジくんの元に駆け出していた。
「エイジくん!」
 ちょっとぉ、と叫びながらマミちゃんが私の肩を鷲掴む。めり、と肉が裂け、鱗が剥がれ落ちる。
「人のもの、横取りしないでよ」
 私たちは揉みくちゃになりながら地面に転がった。感じたことのない痛みと、怒りと、自分でも抑えきれない衝動が体の中に渦巻いて、私は自分でもどうなっているのか分からないまま、四肢をめちゃくちゃに振り回す。
「あんただって」
 私を羽交い締めしながら彼女が叫んだ。
「あんただって、ほんとは食べたいくせに!」
「食べたいよ!」私は叫んだ。
「けどそれ以上に、手に入れたいものがあるんだよ!」
 マミちゃんの鋭い爪が視界いっぱいで光った。私は咄嗟に目を閉じ、ありったけの力で目の前のものを薙ぎ払う。ぐと、と重たい感触が手首に残った。目を開けると、首のないマミちゃんの体が地面に転がっていた。
 エイジくんは慌てて駆け寄った私の顔を目を開けてはっきりと見つめた。
「あー、俺、αとβ、守ってやれそうにないわ」
 どうしたらいいか分からなかった。エイジくん、と私は名前を呼んで彼の頬に手を当てる。鱗に覆われていない手のひらが、エイジくんの熱を吸収して発火しそうなほど熱くなる。同時に彼の体からはこの上なく官能的な匂いがして、私は思わずぎゅうっと身を固くした。
 粘っこい血の塊を吐き出し、彼は続けた。
「お前さ、俺食ってよ」
「え」びっくりして私は彼の目を見つめた。
「いいんだ、もう」
 強い力で腕をひっぱられて、私はよろけた。胸に抱き寄せられ、小柄な私の身体は彼の身体にぴったりと重なり合う。
「女になんかぜってー食われたくないって思ってたけどさ、お前にだったら、いいよ……俺、なんつーかさ、お前にだったら、遺されたい。お前ん中に遺されたいよ」
「エイジくん」
 寄せては返す波のように、エイジくんの胸の鼓動が重なった私の胸に響き合い、熱い音を立てる。
「なぁ、頼むから俺のこと食って。……そんで、できればαとβのこと、面倒見てやってくんない」
 涙が頬を流れる。ヒトミちゃんの言う通りだった。痛みは次から次へとやってきて、尽きない。私の中には、きっと生まれた時から一生分の涙が内蔵されていて、使い果たすまで神様は死なせてくれないのだ。そうだ、それまでは、生きてかなきゃいけないんだ。これは本能に背こうとした罰だ。でも、それを一緒に受けてくれる人が居るなら、私は……。
「エイジくん、ごめん」
 私の目からぼたぼたと垂れた涙が、エイジくんの?の上で彼の血と混じり合い、透明な渦を描いた。
「私、エイジくんのこと、ずっと食べたいと思ってた」
 はは、とエイジくんは口の形だけで笑った。ぜろ、と空気と血の混じり合う音が響く。
「両思いじゃん」
「……エイジくんの命、もらっていい?」
 うん、と言うようにエイジくんは目を伏せ、私の頭を引き寄せた。熱い唇と唇が触れる。他人同士だからできる愛の証。彼の手がそっと確かめるように、私の鱗に覆われていない胸に触れる。ぎこちない動きで、かさついた指先が肌の上を移動する度に、溶け落ちるような甘い痺れが触れた箇所から全身に広がってゆく。
 私はエイジくんの上にまたがった。これまで何回もやってきた、慣れた動作。私の足の間で、破裂しそうなくらいに尖ったエイジくんのあれが、ただ一つ、明確な意志を示している。エイジくんの腰を抱きしめるように太ももで固く挟みながら、ゆっくりと彼を中に引き入れた。熱い波が身体を駆け抜け、内臓の表皮がざあっと粟立つ。全ての細胞が屹立するような喜びが、お腹の奥から沸き上がる。ああ、そうだ、私は、これが、欲しかったんだ。ずっと、ずっと。
「エイジくん、エイジくん、エイジくん」
 エイジくんはもう、答えない。痛みになのか、快楽なのか、分からない朦朧とした顔で、必死に腰を動かす私の顔を見上げている。今まで見た事の無い、優しい表情。その目には空に浮かぶ月が映っている。エイジくんの潤んだ瞳の中で、月たちは濁った姿ではなく、まるで水の底に沈んだように綺麗な白い姿を取り戻している。
 ヒトミちゃんの良くしなる白い体が脳裏に浮かんだ。祈るように、全てを手放すように、男の上で命を燃やしていた彼女。白い乳房。白い?。まっすぐに私を見つめていた、彼女の美しい瞳。それら全てが不意にぼやけた視界で一つになり、目の前の彼の顔に重なる。
 ああ、私がもらおうとしている命はきっと一つだけじゃないんだ。
 死んじゃったヒトミちゃん、死んでいった同級生たち、ずっと前に死んでいった、誰かと誰かと誰かと誰か。命って相似形を編み継いで、細胞ひとつ遺さないで地上から消えていった、たくさんの女たち。
 不意に、お腹の底から、あつくて、かたくとがって、さきっぽのある、エイジくんのペニスよりも大きくて強いなにかがつきあげてきて、わたしは赤ちゃんみたいに泣きじゃくりながら、海の水と同じものを、目からぼたぼたこぼしながら、エイジくんのお腹に、なんどもなんども、腰を激しく打ち付けて、そのたびに、エイジくんはびくんとふるえて、首筋から血が流れて、もう、どうしようもなくて、もう止めらんない、止めちゃダメだって誰かが言って、そう、止めちゃだめなのだ。私は生命の流れを、止めちゃだめだったのだ。その鋭い敗北が、私と、死にかけているエイジくんと、私のお腹の中にもうすぐ誕生しようとしている新しい生命を、一本の槍のように、深く深くまっすぐに、3つあわせて串刺しにして、私はお腹の中で鳴り響く、エイジくんのもう一つの鼓動を子宮の壁で聞きながら、自分よりもずっとずっと大きな誰かの声に従うように、すでにだらんと垂れ下がったエイジくんの首筋に牙を突き立て、根っこから喰い千切った。

                ※

 口の中で、頭蓋骨の割れる、ばり、という音がする。
 もう、今日3度目の食事だ。
 むせるような血の匂い。筋繊維の重たい感触。鮮度を保つため、冷静に慎重に、正確にやってのける。引きちぎり、咀嚼して、吐き出す。途端に子供たちが駆け寄ってきて、それにかじりつく。
 私はαとβと一緒に「城」で暮らし始めた。
 地上は広い。女一人と、子供二人をかくまってくれるくらいには。私たちは瓦礫の山に隠れて日中を過ごし、夜になると狩りに出る。狩りの対象はもちろん、男だ。
 ためらいはない。狩りは楽しい。生きている命をそのままもらいうける、熱気と質量。こんなにも楽しいことだなんて、ユングにいるときには誰も教えてくれなかった。
 最近αの唇をめくったとき、犬歯が鋭く伸びてきているのに気がついた。βの顔は、だんだん私に似てきている。そろそろ、彼女たちにも狩りの仕方を教えた方がいいだろう。一人では到底、1日の食事量に追いつかない。私の食欲も最近、急激に増した。
 私は足指にぐ、と力を込めて、砂漠の向こうを見つめる。
 背後にはαとβがいる。彼女たちの痛いくらいの尊敬のまなざしが、私の全身を貫いている。
 目の前には巨大な沈み行く太陽がある。ぐずぐずと崩れ始める最後の瞬間の姿を誰かに知ってもらおうと、滾る血の色で叫ぶように燃えている。
 その下に広がる砂煙の向こうには、近づいてくる「テキ」のシルエットが揺らめいている。
 αとβを狙う男。私を捕まえにくる女。テキ。テキ。テキ。敵はあらゆる姿をして、どこからでもやってくる。私はそれをひたすら迎え撃つ。αとβと、もう一人の命のために。
 今、私のお腹の中には新しい命がある。エイジくんが繋いだ、この、腐った素晴らしい世界に出て行こうとしている新しい命。溢れる唾を飲み込んで、私は下を向き腹部に向かって、ありったけのテレパシーを送る。待っててね。今、最高の栄養をあげるから。
 螺旋だった。
 終わることなき螺旋が私の身体を貫こうとしていた。そこに突き刺さっているのは私だけじゃない。ほかの女たち、これまでにこの地上で命を紡いできた、何千何万何億の途方もない数の女たちが、同じくこの螺旋に身を貫かれて、遠い宇宙の彼方まで、永遠に連なっているのだった。多くの女を突き刺したまま、無限に伸び続けるその螺旋の槍の、一番先端に今、突き刺さろうとしている私の胸には、こんこんと燃える命の火が、その摩擦によって、灯こうとしているのだった。
 私は怖くて、そして、気づいたら笑ってた。
 なあんだ。みんな同じだったんだ。ここにいたんだ。私の、お母さんたちは。
 あ、は、は。
 私は笑いながら前を見た。暮れかけた空が、不思議と平穏な気持ちにさせる。どろりと崩れた卵黄のような、哀しく可笑しく暴力的な日の丸の中、ぼんやりと浮かび上がったテキのシルエットに向かって、溢れ出る唾を飲み込みながら、私は全力で駆け出してゆく。

(完)


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