リラとわたし_帯

「いつかの自分をみているよう」世界中の女性の共感をよぶナポリ発人気作『リラとわたし ナポリの物語1』とは?訳者あとがきを公開。

訳者・飯田亮介氏によるあとがき

 本書は、2011年に刊行されたイタリア人作家エレナ・フェッランテ(Elena Ferrante、1943年ナポリ生まれ)の長篇小説L’amica geniale第1巻の翻訳である。原題は「天才的な女友だち」を意味するが、邦訳では全体のタイトルを『ナポリの物語』とし、第1巻タイトルを『リラとわたし』とした。

 女の友情、という言葉を聞いてあなたはどんな印象を持つだろうか。微妙なニュアンスで用いられることの多い言葉である気がする。ただそれがなぜなのか、実際のところはどうなのか、訳者には昔から今ひとつはっきりとしなかった。
 それが全4巻からなる本作を読み進めるうち、前よりもいくらか見えてきた気がした。そう、『ナポリの物語』で語られているのは、60年の長きにおよぶふたりの女性の友情なのだ。
 1944年の8月、ナポリの町外れの団地でどちらも貧しい家庭に生まれたリラとエレナ。幼いふたりが出会い、ある事件を境に親友となり、ともに成長し、歩みを交差させながら、それぞれの人生を生きてゆく──この長い長い物語をごく簡単にまとめるとそんなところだろうか。
 天才的な頭脳を持ちながら時おり凶暴な一面も見せるリラ、そんな彼女に憧れ続け、二番手に甘んじながら、やがてライバルとして激しい対抗心も抱くようになる(しかもその気持ちをしばしば隠す)エレナ。作者はあるインタビューで、女の友情はリラとエレナのようにどうしても対立を孕(はら)んだものになってしまうのかと尋ねられ、次のように答えている。「女の友情はルールなきまま放置されています。それは男の友情のルールすら課されぬまま、今なお頼りない掟しか存在しない領域です。女の友情では愛するという行為が(イタリア語の〝友情 amicizia〟という言葉は、〝愛 amore〟という言葉と関連しています)高貴な感情から卑しい衝動までありとあらゆるものを巻き込みます。だからこそわたしはこの作品で生涯続くきわめて強固なひとつのきずなを語り、それを愛情だけではなく、混乱に不安定さ、矛盾、服従に蹂躙、不機嫌な感情から構成された友情として描いたのです」(La frantumaglia、2006年、改訂増補版2016年)

『ナポリの物語』は2016年十2月現在、全世界でシリーズ累計550万部を超えるベストセラー(版権は43カ国に売却済み)となっている。うち100万部は本国イタリアにおける数字だが、200万部近くが北米市場での部数であるとされ、米国での本作の人気の高さをよく示している。
 事実、“Neapolitan Novels”と題された英語版は米国の著名人にも愛読者が多く、たとえばヒラリー・クリントンは2016年の大統領選挙を候補者として戦いながら、支持者たちに本書を薦め、「一巻を読みだしたらまるで催眠術にかかったように夢中になり、ほかに何も手に着かなくなった。しかし(選挙活動もあるので)二巻目以降は読むのを今なんとか我慢している」と、そのハマりっぷりを告白している。
 本書の世界的な成功を受け、米『タイム』誌も2016年度「世界でもっとも影響力のある百人」のアーティスト部門でフェッランテを選んだ。
 連続テレビドラマ化も決定している。イタリア国営放送RAIと米HBOによる共同企画で、監督・脚本はサヴェリオ・コスタンツォ(『プライベート』、『素数たちの孤独』など)、ナポリで2017年夏のクランクインがすでに予定されており、全32話のうち第1部『リラとわたし』の8話が先行して制作されるそうだ。脚本執筆にはフェッランテも協力している。

 ここでエレナ・フェッランテという作家について説明をしてみたい。
 彼女の正体は謎に包まれている。公の場に姿を見せたこともなければ、写真さえ公開されておらず、ナポリ出身の女性であり、ひとりの母親であり、エレナ・フェッランテがペンネームであることのほかは、ほとんど何も明らかにされていないためだ。
 それというのも「本というものはいったん書き上げてしまえば、もう作者を必要としない。わたしはそう信じています。語るべき何かを持つ本であれば、いずれきっと読者を見つけるでしょうし、逆もまた真なりでしょう」(La frantumaglia)というのが彼女の信条であるためだ。「作者が作品に付け加えるべきことはたいしてないはずです。完成した文章は自己充足的な生き物であり、すべての問いとすべての答えがそのうちに含まれているはずなのですから」(同書)とも言っており、小説はあくまで作品が主役であって、作者はメディアに進んで自分を露出して余計な印象を読者に与えるべきではないというスタンスを守っている。
 そもそもが寡作な作家である。小説作品は1992年に処女作L’amore molestoを発表、2002年に第二作I giorni dell’abbandono、2006年にLa figlia oscura、そしてこの『ナポリの物語』(2011年~2014年)と、これまでに四作しか発表していない。ちなみに、このあとがきで何度か作家の言葉の典拠としたLa frantumagliaは、フェッランテに対するインタビュー(すべて腹心の編集者経由で行われる)や彼女の手紙を集めた一冊だ。
 それでも第1作はマリオ・マルトーネ監督により映画化(邦題『愛に戸惑って』)されてカンヌ映画祭に参加、第2作もロベルト・ファエンツァ監督により映画化(邦題『哀しみの日々』)されてヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞にノミネートされるなど、原作・映画ともに以前から高い評価を得てきた。
 しかしそうした人気をはるかに上回る『ナポリの物語』の成功により、フェッランテの正体を探る報道は一時期、過熱の様相を示した。作品の文学的価値とは無関係な騒ぎに作家は相当に閉口しているようで、今後の制作活動への影響を懸念する声もある。彼女は以前にも同様の騒ぎのあとで何年も断筆したことがあったからだ。

 最後に『ナポリの物語』全4巻の構成について簡単に述べたい。この第1巻が「序章」「幼年期」「思春期」の3章からなっているのに対し、第2巻Storia del nuovo cognome(新しい名字の物語)は「青年期」の1章のみ、第三巻Storia di chi fugge e di chi resta(逃れる者と留まる者の物語)も「壮年期」の1章のみ、第4巻Storia della bambina perduta(失われた女の子の物語)は「成熟の時」「晩年」「終章」の三章からなっている(2巻以降のタイトルと章題はいずれも仮題)。各章題からもわかるように、リラとエレナの物語は基本的に最後まで時系列に沿って進行し、ごくたまに語り手のエレナがいる現在(2010年)に戻る構成となっている。
 なお、こうして4巻に分けた理由について作者は、本来は百ページ程度の小品のつもりで書きだしたが、気がつくと大長篇となってしまい、便宜上、分けざるをえなかっただけだとしている。

 2017年6月
 モントットーネ村にて

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『『リラとわたし 1──ナポリの物語』』
著:エレナ・フェッランテ
訳:飯田亮介
ISBN:9784152096982
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