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【祝・草上仁作家デビュー40周年】記念エッセイ「いつまでやる気?」

今年デビュー40周年を迎えられた、作家の草上仁さん。SFマガジンでは、読者投票で次号掲載作品を決定する特別企画「草上仁が読みたい!」を実施中。本欄では、SFマガジン2022年12月号掲載の本作の記念エッセイを再録します。

デビュー四十周年記念エッセイ
「いつまでやる気?」 草上仁

 算数が得意ではないので自信を持って断言できないのだが、編集者によるとわたしもデビューして四十年になるそうだ。
 四十年と言えば明治維新から、味の素が特許を取得するまでの時の流れである。あるいは、太平洋戦争の終結から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が劇場公開されるまでの期間だ。
 それほどの長きにわたって、世間に拙文を垂れ流してきてしまったわけだ。まずは、伏してお詫びするしかないような気がする。ごめんなさい。
 また、これまで、拙い小説につきあってくださった読者の皆様にはこの場を借りて感謝するしかない。いやはや何ともまことにありがとうございます。
 これで言うべきことは言い尽くしたが、既定の字数というものもある。御迷惑のかけついで、しばらくおつきあい頂ければ幸いである。
 何度も言っていることだが、SFを書いていてつらいと思ったことは一度もない。ふざけたアイディアを思いつくこと、そのアイディアを活かすための設定を組み立てること、その世界で気の毒な登場人物を好き勝手に動かすことは、わたしにとって四十年前から新鮮さを失わない楽しみである。
 わたしは、その楽しみにいささか中毒しているのかも知れない。つまり執筆依存症である。依存症患者は平気で嘘をつき、周囲に悪質なダメージを与えるものだ。わたしの執筆依存もその例に漏れない。富山の薬売り方式と銘打って、注文もないのにあちこちの編集部に小説原稿を送り付けて悦に入る。被害に遭った各社編集部で在庫がだぶついてくれば、送り先にこと欠いてネット検索して懸賞小説に応募したこともある。幸い、業界ネットワークには既に要注意の手配書が回っているせいか、めでたく落選を繰り返しているけれど。
 だから、もしもこの雑誌の誌面で、未掲載作を対象とした〝読者投票企画〟などが行われているとすれば、それは、少しでも在庫を減らしたいという涙ぐましい出版社の企業努力だと考えるべきだ。主旨ご理解の上、是非ともご協力をお願いしたい。
 さて、「どうやってアイディアを思いつくのですか?」と、時々訊かれて返答に窮することがある。質問するほうは、被害拡大を防止するために変なアイディアの発生を根絶したいのだと思うが、アイディアの発生プロセスを説明するのは難しいのだ。
 よくある発想法の基本は、たぶん押さえていると思う。「これがさかさまだったら」とか、「もっと極端に大きかったり、小さかったりしたら」とか、「〇〇が××みたいだとしたら」「〇〇と××を合体させたら」といったことは始終考えている。
 SFはIfの世界だと言われることもあるから当然だろう。「空間と同じように、時間を旅行できたら」と考えれば『タイムマシン』という作品が生まれ、「世界大戦と同じように、他星からの侵略があったら」と想像すれば『宇宙戦争』が、「人間がガラスのように透明だったら」と空想すれば『透明人間』が書かれる。斯界の超大先輩に直接訊いたわけではないけれど、たぶんそういうことだ。
 でも、考えてみればこれはSFに限ったことではない。「音楽を文庫本と同じように持ち歩ければ」と考えればウォークマンが製品化されるし、「いっそライブラリごと持ち歩いたら?」と発想を拡大すればiPodが、「電話と地図と音楽プレーヤー、メーラー、もういっそ持ち歩くもの全部まとめちゃえば?」と合体させればiPhoneになる。
 別に起業家じゃなくても、普通の人の普通の会話にも、逆転の発想や類推、誇張や縮小が使われることは珍しくない。「スワローズのようにタイガースが優勝すればいいのに」とか、「うちのおじいちゃんの葬儀も国葬だったらねぇ」とか、「もしおれが王族だったら生活に困ることもないよなあ」といった具合だ。例が不適切だったとしたら申し訳ない。
 ちょっと飛躍した結論を言えば、つまり、誰にでもSFは書けるということだ。だって発想法の基本なんて、みんなが日々実践しているのだから。世間話をしていると、ついつい話を『盛ったり』するでしょう? それはストーリーテリングに他ならない。
 でも、あえて書くことをお勧めはしない。
 SF作家は一種のサービス業である。一見して製造業のように見えるが、実は生産設備を必要としないのだ。つまり、ビジネスモデルとして考えれば、参入障壁が低く、競合が発生しやすいタイプの稼業で、必然的に薄利になる。生活インフラ事業でもないから、業界として保護されることもない。
 従って、事業継続コンテインジェンシーのために重要なのは、みだりに競争相手を増やさないということだ。となると、SFを書くことはそんなに難しくないという真実は、世間に知られないほうが望ましい。アイディアの発想や、ストーリーの展開、営業の方法などについては、神秘の霧で包んでおいたほうがいい。
 だから、業界の鉄の掟では、「どうやってアイディアを思いつくのですか?」という質問には答えてはならないことになっている。
 業界の掟はともかく、人とモノの流れが制約されがちな昨今の社会情勢を鑑みるに、諸賢はSFでお金を稼ぐことよりもSFにお金を使うことをお考えになったほうが、国家経済に貢献することになる。今必要なのは、多彩で意外性に満ちた魅力的な現実リアルに逃避することではない。成熟した人間として、地味ながら合理的な論理展開を旨とするSFにきちんと向き合うことだ。
 付言するなら、生産者よりもむしろ消費者・投資家として。
 四十年を節目に、ここで読者諸賢にお願いをしておきたい。競合相手にはならないでください。そして、この先四十年、この依存症患者に執筆を楽しませてください。SFマガジンと誕生日を共にする年齢のくせに、この男はまだやる気なのだ。
 どうか変わらぬご愛顧を!

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読者投票企画「草上仁が読みたい!」ふるってご参加ください


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