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データの分析×データの裏読み、それが成功の鉄則——ウィル・ペイジ『ピボット思考』巻末解説を特別公開!

Spotifyの元チーフエコノミストが斬新な視点と精緻な論述をもって、成功と成長の鉄則を語り尽くす異色の新刊、『ピボット思考 ビジネスモデルを破壊し、創出する』(ウィル・ペイジ【著】、小坂恵理【訳】)が発売されました!


早川書房と「ターザン」といえば、
エドガー・ライス・バロズ!
……ですが、今回はちょっぴり違います。


本書のキーワードとなるのは「ピボット思考」「ターザン経済」
うーむ……ちょっと見慣れないこれらの言葉、どのような意味なのでしょうか?
ひょっとして、Spotifyみたいなサブスクリプションビジネスの業界内だけで通じる専門用語……?

いやいや、ちがいます。実はどちらも、あらゆるビジネスモデルの事業を経営する上で、なくてはならないとあるコツを表した言葉なのです。

その秘密を、『日本“式”経営の逆襲』『13歳からの経営の教科書』などで様々な世代の読者に経営学の魅力をご紹介されている岩尾俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)さんによる解説で、鮮やかに解き明かします!



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出版、新聞、テレビ、ラジオ……かつて栄光を誇った業界は、インターネットの登場を契機とするディスラプション(破断的技術変化)の数々によって、今や瀕死の危機にある。かつて輝かしい業績を叩き出した既存企業は、こうしたディスラプションの前に、なすすべもないかのようだ。

だが同様の危機から、世界的に、業界全体としてⅤ字回復した分野もある。まるで古いビジネスモデルから新しいビジネスモデルへと、蔓を次々と飛び移っていくターザンのように。

その分野とは、音楽業界である。音楽業界は、いまやスポティファイ、アップルミュージック、ユーチューブ等を通じて奇跡的な復活を遂げた。

日本においてもそれは例外ではない。
 
たとえば、一般社団法人日本レコード協会が発行している音楽産業についてのアニュアルレポート『日本のレコード産業』のデータを集計した西田宗千佳の分析からは、2009年から2013年までに日本の音楽業界が経験した「谷」と、そこから2022年現在でも衰えることを知らないふたこぶ目の「山」の存在が見て取れる。

出典:西田宗千佳「日本も“音楽ストリーミング”拡大期に入った。日本レコード協会のデータから読む音楽産業の現在地」(『Business Insider Japan』2022年3月28日配信記事)


それでは、音楽業界はなぜディスラプションの連続を乗り越えて成長軌道に戻ったのだろうか? その「表層的な」答えは、上図から明らかな通り、サブスクリプション/ストリーミングによる売り上げが他の媒体の売り上げを補填して余りあるほどに成長したからである。

だが、この答えは本質的ではない。なぜならば、サブスクリプション/ストリーミングの重要性など、どんな業界の企業人でも理解しているからだ。問題の本質は「なぜ音楽業界だけが危機を好機に変えることができたのか?」にある。

その答えは「ピボット思考」にある、というのが本書の主張である。

ピボット思考とは、「事業環境の変化の本質を捉え、ディスラプションに対して既存の価値観の範疇で対応するのをやめ、路線変更(ピボット)して、むしろディスラプションから利益を得る道を探る考え方」といえる。本書はこうした思考には八つのポイントがあるのではないかと指摘する。この八つが必ずしも明示されないため、読者は若干困惑することになるのだが、要するに本書の八つの章のことだろう。

このとき、音楽業界がディスラプションをピボット思考で乗り越えた歴史を概観することは、他分野で日々ディスラプションへの対応を迫られている企業にとっても、急激に変動する環境に適応しながら生き延びる方法を見つけるための一助になろう。

冒頭に示したような、出版、新聞、テレビ、ラジオ……といった音楽産業と類似の状況にある広義の情報産業であればなおさらである。しかも、一見すると情報産業とは思えないような産業、たとえば製造業であっても、その本質を「製品を通じた情報の発信」であると定義し直せば、本書から得るものは少なくないだろう。

本書の著者は、音楽業界に革命的な変化をもたらしたメガ・ベンチャー、スポティファイに2012年に入社し、同社においてチーフエコノミストを務めたウィル・ペイジである。スポティファイについては、近年、日本においても急激に利用者を増やしつつあり、広告も盛んであることから、ご存知の方も多いと思われる。スポティファイをあまり詳しくはご存知ないという方のために少しだけ補足すると、スポティファイとは、音楽業界において広告付き無料ストリーミングと広告なし有料ストリーミングを提供している企業およびそのサービスのことである。

つまりは、スマートフォンで世界中の音楽が聴き放題になるサービスである。しかし、ここで読者の方々は不思議に思われないだろうか? たとえ広告がなくなったところで、定期購入(有料会員)かフリープラン(無料会員)かを選べるならば、わざわざ有料会員を選択する消費者なんていないのではないかと。百歩譲って、広告が嫌いな人がいたとしても、そもそも音楽は友達からCDを借りてスマートフォンに保存することもできるのだし、違法サイトからデータを無料でダウンロードするのだって簡単だ。

だが、ここがまさにスポティファイのピボット思考が光るところである。
スポティファイは、借りてきたCDからデータをダウンロードしたり、好きな音楽をファイル交換サイトで違法ダウンロードしたりする際の消費者の面倒をなくすことで、別の価値を提供したのである。すなわち、アーティストや曲を検索しやすくし、消費者の好みに合わせた別の曲を推薦(レコメンド)することで消費者を引き付けた。これを筆者なりに解釈するならば、「消費者にとっての、情報における取り揃えコストの削減」である。

たとえばスーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの商店を考えてみる。商店で売られる大部分の商品は生産者から仕入れたものである。すると、商店自体は何の付加価値も生み出していないのだろうか? 実はそうではない。もし商店がなければ、消費者は自らが欲するものの生産者を回って、品物を取り揃える必要があり、そのための時間・労力・費用といった「取り揃えコスト」がかかる。そのため、商店が予め商品を一か所に集めてくれていることで、消費者にとっての取り揃えコストが削減される分が、そのまま商店が消費者に提供する付加価値になっているのである。

そして、音楽業界において、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの役割を果たしているのが、スポティファイやアップルミュージックなどのサービスだと考えうる。もちろん、その品数たるや世界一巨大な実店舗CDショップの何百倍(あるいはそれ以上)も巨大である。

この便利さに慣れてしまった消費者は、最初は広告ありの無料会員だったとしても、さらなる快適さを求めて有料会員へと変化する。その結果、現在では世界中で三億四〇〇〇万人以上が音楽の有料サブスクリプションサービスに登録するほどになった。

これもピボット思考の一例である。

つまりは「違法ダウンロードだって何だってあるのに音楽にお金を支払う人なんかいない」という思い込みを正し、技術変化によって付加価値を創造する道を見つけ出し、実際に利益を叩き出したのだ。

それでは、音楽業界のⅤ字回復を支えたピボット思考はどんな産業でも、誰にでも、実践できるものなのだろうか?

こうした疑問に答えるため、本書の著者ウィル・ペイジがピボット思考に資すると考えている八つの原則を順次みていこう。

ひとつめは「ターザン経済」である。
つまりはディスラプションによって収益構造の見直しを迫られるような経営環境を次々と飛び移っていく発想法だ。
このとき重要となるのは、財・サービス≒商品・製品には競合的/非競合的という軸と排除可能/排除不可能という軸の二つがあることである。つまり、消費したら減っていくものかどうか、他者の使用を排除できるかどうか、によって商品・製品には四つの分類がありうる。商品・製品は、ディスラプションによって、この四つの領域のどこに属するかが変化する。たとえば、レコードに記録された音楽は競合的・排除可能だが、インターネット上の音楽は非競合的・排除不可能である。

次は「注目を払わせる」と「群衆を引き寄せる」である。
すなわち、ビジネスを広義の情報産業と捉え直すと、情報が溢れている時代に希少になるのは「注目」なのである。その点で、『トム・ソーヤーの冒険』の著者マーク・トウェインが出版技術の発達を前にしてスクラップブックを発明して利益を得たという逸話は示唆に富む。いまや、注目は「払わせる」という表現にある通り、まさに貨幣のようなものになりつつある。そのため、注目の奪い合いという新たな競争に目を向ける必要があるのである。

その次は、「メイクオアバイ」「自己利益VS共通善」と続く。
このメイクオアバイには多義的な意味があり(通常は内製か外製かの意思決定のことを指すのだが)、音楽を趣味として消費者になるのか、それともそれを発信するのかといった意思決定や、音楽バンドの運営のどこまでを自分たちで担い、どこからは他人に任せるのかといった意思決定などが含まれる。ここで重要なのは「メイク」と「バイ」の境目が曖昧になっているということだ。同様に、ディスラプションによって、自己利益と共通善の境界もまた曖昧になっている。そのため、これまでの利益計算から逸脱した思考が必要となる。

最後に、「ピボット思考」「現在の状況を判断する」「ビッグデータ、ビッグミステイク」と続く。
すでに解説しているピボット思考は、いうなれば迷路を合理的に最適な通路で通るのではなく、迷路の外側を迂回するような思考のことである。あるいは飛行機で上空を渡ってしまうとか、迷路自体を壊すといった思考といってもいいかもしれない。そのために必要なのは、統計やデータに対して高度な分析をするのではなく、「裏読み」をする能力である。

本書に登場する例ではないが、たとえばレジに蓄積された大規模POSデータから「実は結構な数の男性が女性用化粧品を買う」といった結果がわかったとする。ここに高度な統計処理をおこない「どうも高所得者男性ほど女性用化粧品を買う傾向がある」ことが判明し、そこに推論を加えて「高所得者男性の美意識が高まっていて、そこに新たな市場がある」という結論に至ったとする。

だが、実際に現場を訪れてみると、本当は男性が配偶者やパートナーと一緒に買い物をしていて、支払いは男性だったというだけだったと判明するかもしれない。データ分析と推論だけでは大やけどするわけである。このように、大胆なピボット思考の裏には、そのアクセルとブレーキの両方として働くデータ分析と推論能力が不可欠である。

最後に、筆者流にピボット思考の本質を指摘したい。それは、「データ分析と最適化という経済学的思考に、データの裏読みと対立解消という経営学的思考が合体したもの」である。ここでウィル・ペイジが考察しているものの多くは、「両利きの組織」や「イノベーターのジレンマ」などの経営学のテーマにも通底している。

著者ウィル・ペイジは、ベンチャー企業のチーフエコノミストという経済学と経営学の橋渡しの位置にいた。だからこそ、必然的にピボット思考にたどり着いたのだと考える。



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岩尾俊兵
1989年、佐賀県生まれ。中学校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。除隊後、2008年に高等学校卒業程度認定試験に合格し、慶応義塾大学商学部に入学。2013年に同大卒業、2015年に東京大学大学院経済学研究科経営専攻修士課程修了、2018年には東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程を修了し東京大学史上初の博士(経営学)を取得。現在、慶應義塾大学商学部准教授。



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本書の詳細は▶こちら

◆書籍概要

『ピボット思考 ビジネスモデルを破壊し、創出する』
著者: ウィル・ペイジ
訳者: 小坂恵理
出版社:早川書房
本体価格:2,700円
発売日:2022年12月6日

◆著者紹介

ウィル・ペイジ Will Page
イギリス出身。Spotifyの元チーフエコノミスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)客員研究員、王立技芸協会フェロー。音楽産業を研究対象とする経済学「ロッコノミクス」の第一人者として知られる。2002年エディンバラ大学経済学部修士課程修了後、音楽著作権管理団体PRS for Music等に勤務を経て、2012年Spotify入社。2019年の退社まで業績の伸長に大きく貢献した。

◆訳者紹介

小坂恵理
翻訳家。慶應義塾大学文学部英米文学科卒。訳書にトッド・ローズ『ハーバードの個性学入門』(ハヤカワ文庫刊)、ウィリアム・グラスリー『極限大地』、ティモシー・パチラット『暴力のエスノグラフィー』など。