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ミステリ界の巨匠による大問題作! エラリイ・クイーン『十日間の不思議〔新訳版〕』飯城勇三氏によるnote版解説 全文公開!

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現在大好評発売中のハヤカワ・ミステリ文庫のエラリイ・クイーン新訳版4部作。それぞれの巻に収録された。クイーン研究家・飯城勇三氏による巻末解説を全冊分順次公開いたします! 原本での真相に触れる部分のかわりに、note版だけでしか読めない新しいトピックをそれぞれ書き下ろしていただきました! 今回はライツヴィルもの第三弾にして本格推理小説の極北、『十日間の不思議』です!

解説 クイーン異形の傑作

エラリイ・クイーン研究家 飯城勇三

その刊行——十年間の不思議

 一九四八年に刊行された本作は、クイーンの代表作の一つとして高い評価を得ています。また、神学テーマに挑んだ作としても、名探偵の挫折を描いた作としても、〈後期クイーン的問題〉を生み出した作としても有名です。
 ですが、それだけではありません。本作は、「クイーン作品中、最も難産だった作品」なのです。その根拠として、以下の四つを挙げましょう。
 ①前作『フォックス家の殺人』(一九四五年)との間が三年も開いていること。『ドラゴンの歯』(一九三九年)と『災厄の町』(一九四二年)の間の空白はフレデリック・ダネイが交通事故に遭ったためで、『最後の一撃』(一九五八年)と『盤面の敵』(一九六三年)の間の空白はマンフレッド・リーのスランプのためと、理由がはっきりしています。しかし、本作の出版までの空白には理由らしい理由はありません。明らかに、完成までに時間がかかったのです。
 ②クイーン(ダネイ)が一九七七年に来日した際に行われたイーデス・ハンソンとの対談(《週刊文春》一九七七年十月六日号掲載)には、こんな言葉があります。

 リーといっしょに十年もかかって一つの作品を書いたことがあるんですよ。いろんな問題が多くて、なかなか解決できなかった。アイディアが浮かんでは、またそれが壁にぶつかり……という繰り返しで、完成するのに結局十年もかかったんです。
(略)『十日間の不思議』という作品なんだけど、本当にむずかしかったな。

 ③エラリイ・クイーンの作品は、ダネイがプロットを考えて梗概にまとめ、リーがそれを小説化しています。その創作時に交わされた書簡をまとめたのが、二〇一二年に出た『エラリー・クイーン 創作の秘密』。この本では、『十日間』の創作をめぐるやりとりが二割を占めています。そして、そこでダネイは、「この梗概は、私が最初に書こうとしたものを捨てて、新たに書いたものだ。二箇月にわたる、濃密で根を詰める仕事だったよ」と語っています。つまり、十年近く取り組んでいたプロットを廃棄したわけですね。
 ④この梗概を受け取ったリーは、「僕には彼(ハワード)が理解不能だ」などと、いくつも疑問点を挙げ、「執筆に取りかかることはできない」と語り、ダネイと長く熱い議論を繰り広げます(──というわけで、本書を読み終えた人は、『エラリー・クイーン 創作の秘密』をどうぞ。日本版は拙訳で国書刊行会から近刊予定です)。
 では、これだけの難産の末に生み出された『十日間の不思議』とは、どのような作品なのでしょうか?

その魅力──文学性対人工性

 私は『フォックス家』の解説で、クイーンのライツヴィルものでは、初期作品に見られた人工性が抑えられ、文学性が高まっていることを指摘しました。本作も、八日目までは、同じ指摘ができます。ハワード、サリー、ディードリッチの織りなすドラマは、上質の文学作品と言えるでしょう。──しかし、九日目からは物語が劇的に反転し、徹底して人工的な〈本格ミステリ〉が幕を開けます。いや、正確に言うと、切り替わったわけではありません。八日目までは、文学の流れの底に、本格ミステリが潜んでいたのです。
 これが本作の魅力に他なりません。文学とミステリを両立させたのではなく、文学とミステリを絡み合わせたのです。初期の国名シリーズで人工性を追い求め、中期の『災厄の町』や『フォックス家』で文学性を追い求めたクイーンにしか書けない、奇蹟のような傑作だと言えるでしょう。
 しかし、これこそが難産の理由でした。文学作品に登場するような生き生きとした人間が、ミステリ的なプロットが要求する不自然な行動をとるでしょうか?
 実は、リーの苦労は、まさにこの点にあったのです。彼は前述の書簡の中で、ダネイに「きみの設定したような人物は、きみのプロットに沿った動きはしない」という意味の批判をぶつけ、本作の作中人物に肉付けする苦労を語っています。言い換えると、本作では、ダネイの考えた人物とプロットの不自然さを、リーが筆力で押さえ込んでいるのです。おそらく、読み終えたみなさんは、本作にあふれかえる人工性を、読んでいる最中はまったく意識しなかったことに気づくに違いありません。
 本作の魅力はまだありますが、真相に触れてしまうので、最後に回しましょう。ここでは、ファン向けの小ネタを四つ。
〔その1〕冒頭に出てくる「When Irish Eyes Are Smiling」と、『九尾の猫』の11章に登場する「My Wild Irish Rose」は、どちらもアイルランド系アメリカ人の歌手・俳優・作曲家のチョーンシー・オルコットの曲です。クイーンのお気に入りなのでしょうか?
〔その2〕「三日目」で名前が出てくる〝ジミー・ヴァレンタイン〟は、O・ヘンリーの「よみがえった改心」に登場する金庫破りで、歌や舞台や映画やラジオで人気を博しました。そして、クイーンはラジオ版『エラリイ・クイーンの冒険』での脚本執筆の練習として、このラジオドラマの脚本を書いたことがあるのです。
〔その3〕「十日目」の冒頭に出てくる「アデリーナ・モンキュー事件」は、対応する作品がない、いわゆる〝語られざる事件〟です。そこに目を付けたクイーン研究家のフランシス・M・ネヴィンズが、一九七二年に、この事件を扱った贋作を発表しました。「生存者への公開状」という題で、邦訳は『エラリー・クイーンの災難』(論創社)に収録。良く出来た贋作なので、クイーン・ファンは、ぜひ読んでみてください。
〔その4〕クイーン作品には他作家の作品からヒントを得たと思しき作品がいくつもあります。例えば、『災厄の町』はクリスティーの『邪悪の家』(一九三二年)、『フォックス家の殺人』はこれまたクリスティーの『五匹の子豚』(一九四二年)、そして『十日間の不思議』はアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「死とコンパス」(一九四二年/『伝奇集』収録)。ダネイが『十日間』を構想していた時期は、盟友のアンソニー・バウチャーがボルヘスを気に入って、ダネイに自身が英訳した作品を読ませたりしていたようです(そのバウチャーによる英訳版「八岐の園」は、クイーンが編集する《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》の一九四八年八月号に掲載されました)。従って、ダネイが「死とコンパス」を読んでいた可能性はかなり高いと思うのですが……。

 
その映画──絶対的失敗

 
 本作は一九七一年にフランスの名監督クロード・シャブロルによって映画化されました。ディードリッチ役がオーソン・ウェルズ、ハワード役がアンソニー・パーキンス、サリー役がマルレーヌ・ジョベール。エラリイは探偵ではなくハワードの恩師の哲学教授に変えられ、ミシェル・ピコリが演じています。
 映画の公開に合わせて刊行されたフランス版『十日間の不思議』に寄せた序文(米版DVDには英訳が収録)の中で、シャブロルはドイツ占領時代にクイーン作品に夢中になり、戦後、『十日間の不思議』を読んだ際は、「もし自分が映画を撮る時が来たら、この物語を映像化することになるだろう」と感じたと語っています。そして、そう感じた理由として挙げているのが、以下の三つでした。
 ・謎の解明が謎そのものより奇蹟のように魅力的で、まったく別の次元を作品に与えていること。
 ・この作は大衆小説の要素を用いているが、精神分析の大流行の最中に書かれたため、その要素に予想もしなかった輝きが生じている。この輝きが、作者たちが持つ論理的推理に対するこだわりと一体となり、摩訶不思議な雰囲気をもたらしていること。
 ・自分がこの物語を映像によって豊かにできると信じていたこと。
 では、その映画化作品は、どのような内容なのでしょうか? 実は、人物もプロットも、ほぼ小説通りなのです。どれくらい忠実かというと、小説を読んでさえいれば、英語もフランス語もわからなくても映画の内容を理解できるくらい、と言えば良いでしょう。これは、シャブロルの映画としては、驚くべきことなのです。なぜならば彼は、ニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』を映画化する際に、登場人物から名探偵ナイジェル・ストレンジウェイズを外し、物語から謎解き部分をカットした監督だからです。おそらく、少しでも変えたらプロットが空中分解してしまうことに気づいたのでしょうね。
 しかし、一流の俳優を揃え、原作に忠実に映像化したにもかかわらず、本作は不評だったようです。シャブロル自身もまた、インタビュー集『不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話』(大久保清朗訳/清流出版)の中で、『十日間』の映画化を「映画を完成させたとき、最初の要求を遙かに下まわるものになってしまった」、「絶対的失敗」だったと認めています。イメージにぴったりの屋敷をインドで見つけたが予算の都合で断念、サリー役はカトリーヌ・ドヌーブにしたかったがスケジュールの都合で断念、といった妥協の積み重ねが失敗を招いたそうです。そして、失敗の最大の理由は──


私が十分わきまえなかったのは、たとえば帰納と演繹のちがいだよ。帰納という思考法は、人を高次の実在を信じるように導くものだ。この帰納が大きなあやまちをまねくものであるというためには、そもそも帰納とは何か説明しなければならなかったんだ。小説では、それははっきりしていたよ。後年になってから作者のエラリー・クイーンは『第八の日』を書いた。彼らはもういちど帰納法の招くあやまちを説いている。

その来日──誰の視点か

 『十日間の不思議』の本邦初訳は一九五九年のポケミス版で、訳者は青田勝。一九七六年には同じ訳でハヤカワ・ミステリ文庫に収められました。この訳は、当時としては立派な訳でしたが、『フォックス家の殺人』の解説でも書いたように、現在の目から見ると、物足りない点があります。本作の場合、最も大きな不満は、旧訳では前述の書簡集を参考にできなかったという点でしょう。もちろん、青田氏には責任はありませんが……。
 例えば、冒頭に出てくる「モップがけをする老人」について、書簡集でダネイは「不要ではないか」と問いかけ、リーはその必要性を語っています。このやりとりを頭に入れて冒頭を訳すかどうかで、翻訳の質が違ってくることは、言うまでもありません。そしてもちろん、本書の訳者である越前敏弥氏が、書簡集のやりとりを頭に入れて訳していることも、言うまでもありません。──実を言うと、書簡集の邦訳書に出てくる『十日間』の引用文は、越前氏が本書より先に訳したものなのですよ。
 時代による違いについて、もう一つ。旧訳文庫版の解説で、探偵作家の鮎川哲也は、本作の一場面を「三人称の地の文に嘘を書いているので〝アンフェア〟だ」と批判しています。しかし、その後、綾辻行人以降の新本格作家たちが叙述トリックを多用したため、叙述や視点に対する作者や読者の意識が高まりました。その結果、「三人称でも視点が作中人物にある場合は、作中人物がそう思い込んでいれば、事実と異なることを地の文に書いてもアンフェアにならない」という考えも出てきたのです。そして、探偵クイーンものは、まさにこの形式に他なりません(レーンものは二つの事情により探偵視点では描きづらくなっていて、それが叙述上の問題を引き起こしていますが)。実際に鮎川が指摘した場面を読んでみると、人影を見たエラリイが「あの人影はA氏に違いない」と考え、それを受けて、初めて地の文に「A氏は~」という表現が出ていることに気づくはずです。
 そして、本作のプロットは、この叙述形式を最大限に利用しています。九日目までエラリイ主観で見ていたあの場面やこの台詞が、十日目でひっくり返るのを見せられた読者は衝撃を受けるに違いありません。訳者もそれを意識して、エラリイの述懐(原文はイタリック)をいつもの傍点ではなく、フォントを教科書体に変えて訳しているのです。

その続篇――「ライツヴィルの盗賊」


 本作の「四日目」で、ホリス・ホテルのベルボーイを見たエラリイは、「どうやらマミー・フッドの息子と思われる顔」だと感じます。その五年後、エラリイがライツヴィルで挑んだ盗難事件の――『クイーン検察局』収録の短篇「ライツヴィルの盗賊」で描かれた事件の――最重要容疑者が、この時のベルボーイでした。この五年の間に、マミーは上流階級のアンソン・ウィーラー(本作の「十日目」の第三章にちらりと名前が登場)と再婚したのですが、夫アンソンが盗難事件の被害者になり、連れ子デルバートがその犯人だと見なされてしまうのです。かくしてエラリイは、「デルは以前、ある事件でぼくに有力な手助けをしてくれたことがある」と言って、彼を救い出そうとします。
 ただし、私がここでこの短篇を紹介した理由は、別にあります。なんとこの作では、ヴァン・ホーン家の“その後”が描かれているのです。本書を読み終えた人は、ぜひ、「ライツヴィルの盗賊」も、読んでみてください。