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【1章5節】第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』発売直前、本文先行公開!【発売日まで毎日更新】

第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作、竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』の本文を、11/19発売に先駆けてnoteで先行公開中! 発売日前日まで毎日更新(日曜除く)で、1章「最後の現金強盗 Going in Style」(作品全体の約25%相当)を全文公開です。

※前回までの更新はこちらからお読み頂けます

SECTION 5

 昔から、低気圧に弱い方だった。どこか気分が沈むし、耳鳴りがする。雨が降ったらおやすみ出来るカメハメハ大王を羨んだものだが、今回ばかりはその体質が幸いした。
「おはよう、三ノ瀬ちゃん」
 耳の痛みで目が覚めた。落下の衝撃で意識を失っていたらしい。眠っている間に、五嶋が一人で運転してくれていたようだ。五嶋の強度が足りていて良かった。
 窓の外にはのどかな田園風景が広がっていた。のどかと言っても、台風はますます勢いを増していて、小さな民家は今にも吹き飛ばされそうになっているのだが、銃を持った追手がいないので相対的には牧歌的だ。三次元地図上では、青い点が奥多摩を走っていた。ダウンロードしておいた気象予報では、台風の中心部に近づいているようだ。ドローンは三機残っていて、それぞれ電池残量が四十分ほど。何とか追跡を振り切るまで保ちそうだ。
「警察は?」
「来ないね。手筈通り、ドレスアップが仕事したぜ」
 一機のドローンが笛吹き男を投影し、残り二機が《ホエール》の車体に変化し続ける紋様を投影している。監視カメラ対策だ。百%CBMSを欺けるとは思えないが、探索範囲を広げる役には立つ。
 CBMSは首都圏一帯を覆う巨大セキュリティAIだが、実際のところ、その力を十全に引き出せるのは都市部に限定される。地方にゆくほど、監視カメラの密度も、CBMSの拠点数も、ドローン基地局の密度も減る。人口密度や犯罪発生件数、経済的重要性を鑑みれば、当然のことだ。CBMS捜査圏外まで残り四キロ。最適経路はほぼ揺るがず、逃走成功率は九十九%から百%の間を行き来している。映画ならカット必須の長閑な逃走であった。
「そういや、三ノ瀬ちゃん。分け前の使いみち、決まってるかい?」
「それ、今する話ですか?」
「俺はベトナムに家を買うね」
 五嶋が強引に話を進めるということは、映画のお約束だから察してくれ、ということだろう。
「もちろん、プール付きのやつだ。昼はITベンチャーに投資して、夜は個人シアターで一人上映会。ピザとしるこ缶片手に次の悪巧みをする。三ノ瀬ちゃんは?」
「まず六条さんに借金を返して……」
 言葉に詰まった。返して、どうするのだろう。職はない。家は引き払う。両親もこの世にいない。行く宛も戻る場所もない。それに万が一表社会に戻れたとしても、そこに待ち受けるのは、きっとまた人間社会のしがらみだ。純粋な技術の世界を追い求められるのは、もしかすると、今日が最初で最後だったかも知れない。
 僕が答えに迷っていると、五嶋は話題を変えた。
「ま、いいか。それよりTテレ見ろよ。一川センセったら、愉快なもんだぜ」
 確かに、ワイドショーの空気は見ものだった。番組スポンサーの一川を気遣うような、冷めた雰囲気が漂っていた。さもありなん。白昼(?)堂々、現金輸送車が監視カメラ網から抜け出し、所在不明。警察ならば十年来、CBMSにとっては前代未聞の不祥事である。けれど、あまり胸のすく光景とは言いづらかった。勝利の高揚感よりも、共感性羞恥が勝っていた。
『これですよ』
 しかし、一川は不敵に笑ってみせた。
『皆さんは、二〇一五年に行われた将棋電王戦FINALをご存知でしょうか? 強化学習史に残る、プロ棋士と将棋AIの団体戦です。当初、棋士側の勝利は絶望的と思われました。それまで三回の電王戦は全てAI側が勝利を収めていましたし、将棋AIは年三百ペースでレートを上げていましたから。ですが、結果は三勝二敗でプロ棋士の勝ち越しでした。一時のことではありましたが、人類は栄冠を取り戻したのです。なぜだと思います?』
 スタジオの幾人かが回答したが、どれも的外れなものだった。
『正解は、彼らが棋士と戦う棋士でなく、AIと戦う人であることを選んだからですよ。正面から四つに組むことをやめ、貸し出されたAIを徹底研究する棋士が現れたのです。結果、第一局Seleneは探索バグを突かれて敗退。第五局AWAKEはハメ手に翻弄され僅か二十一手で投了。進化しないAIを打ち負かすのならば、事前に千局打って一局勝ち筋を見つけ、その精度を極めれば良かった。無論、乱数着手や評価関数へのノイズ付与といった乱数性はありますが、本質は変わらない。柔軟なる汎用知性には決して及ばない。これこそが、従来のオフライン型AIでは対処不能な技術的障壁です。笛吹きジャックはその限界を再確認させてくれた』
 仮に僕が同じことを言えば、負け犬の遠吠えと笑われたことだろう。しかし、一川の表情にはそう思わせないだけの迫力と自信が漲っていた。
『認めましょう。笛吹きジャックはCBMSを上回った。CBMSの強化学習モデルに拮抗し、AIの目に対策し、その穴を突く術を身につけた。しかし、それまでです。CBMSは〝自己進化するAI〟です。後悔を忘れない。屈辱を失わない。《ホエール》に撃墜された記録を、犯罪者如きに出し抜かれた失敗を、全て糧にする。分散非同期強化学習により、過去の失敗に完璧なる回答を導き出し現実にフィードバックする。それこそが進化するAIの進化するAIたる所以なのです』
「往生際が悪いね、一川センセも」
 五嶋はせせら笑ったが、僕はどこか背筋に薄ら寒いものを感じていた。
『多摩の奥地で行方不明。探索範囲に比べ戦力が少なく、捜査線を薄く伸ばさざるを得ない。彼らと接触出来るのは、装甲バン一台と積載無人機一ダースがやっとです。ですが……』
 そうだ。一川のこの声色には覚えがある。この表情には覚えがある。
『申し上げましょう。一台で十分です』
 これは、僕にクビを宣告した時の顔だ。
「……おい。三ノ瀬ちゃん、あれ」
 五嶋がつぶやく。見れば、水田脇の細道の先に、ぼうと黒い装甲バンが浮かんでいた。逃走経路選択AIは警告音を発しなかった。つまり、こちらの予想を超えた配置だった。
 一川はペンでタブレットを撫でると、スタッフに指示を飛ばす。
『大至急、送ったアドレスの映像を画面に出してもらえますかね? 通信障害でバンからの映像はとれませんので』
 映されたのは、ただの田舎の田園風景だ。台風の風に煽られ稲穂が暴れている。眉をひそめるパネラーに、一川は一言こう告げた。
『画面はそのまま。三十二秒で主役の登場です』
 五嶋が舌打ち混じりでパッドのスティックを弾く。《ホエール》が尻を大きく振って、半ば水田に突っ込みながら反転する。同時に機関砲が起動。装甲バンの車軸を破壊する。振り切らんとアクセルを吹かす《ホエール》。装甲バンの側面が開き、中から一ダースの武装ドローンと、タイヤ型の無人機が二機湧き出してくる。しかし、僅か十四機で何が出来るのか。六秒もあれば殲滅可能だ。《ホエール》の機関砲が唸る。だが……。
「おい、冗談はよしてくれよ」
 五嶋の声が裏返った。目を疑う光景だった。当たらないのだ。CBMSドローン達の動きは、これまでとまるで別物だった。嵐を乗りこなすようにひらりと舞い、いとも容易く射線を潜る。秒間数十発の銃弾を、まるでないもののように扱っている。《ホエール》のエイミングを読み切っているのだ。
『笛吹きジャック君には礼を言いたいぐらいですよ。市街地での軍事車両の戦闘データはそう得られるものではない。値千金だ』
 ワイドショーで一川が勝ち誇っている。チャンネルを変えてやりたいが、余裕がない。
 武装ドローンが反撃に転じ、銃弾が雨あられと降り注ぐ。バチン、とゴムの破裂のような音がして、《ホエール》を揺らす微細な振動が消えた。機関砲が破壊されたのだ。
 次の瞬間、陽気な笛吹き男が掻き消えた。迎撃手段を失ったことで、プロジェクター付きのドローンが全滅したのだ。《ホエール》が一瞬、五嶋の操作を離れる。即座にフロントガラス内側の予備プロジェクターを起動し、笛吹き男を再出力する。しかし、その一拍の間が命取りだった。足元で異音。工作ドローンがタイヤに取り付いた。右前輪が破裂する。《ホエール》は車体を大きくゆらし、そのまま電柱に激突、一回転して水田に突っ込む。額をガラスにぶつける。胃の中がシェイクされる。
『投了ですな』
 一川が呟く。スタジオのモニターには、無様に泥だらけになった《ホエール》の姿が映し出されていた。向かいの電信柱の監視カメラ映像だ。
 三十二秒で主役の登場。一川の予言が当たったのだ。
「……お手上げだな。一川センセが一枚上手だった」
 五嶋は首を鳴らした。
「三ノ瀬ちゃん。レッドカーペットに向け、最後のアドバイスだ。裁判じゃ、明るく素直に悔しがること。無理して気にしてない風を装うのが一番ダサい」
 一川の勝利宣言も、五嶋のアドバイスも、右から左へ流れていく。
 それよりも、僕は外の音が気がかりだった。パトカーのサイレンはまだ聞こえない。装甲バンも先程の一台で打ち止めのようだ。付近に人はいない。だから、ここは余計な邪魔の入らない、CBMSドローンと僕の舞台だ。
 僕は彼らの世界に思いをはせる。ドローン達は四十分足らずの間に機関砲を躱すまでに〝進化〟した。観測した機関砲の挙動を仮想首都圏に書き起こし、撃ち落とされたドローンの記憶を幾度となくリピートして攻略法を確立した。報酬設計を見直す時間はなかったはずだ。わずか四十分の試行で、CBMSの自己進化AIは人の手も借りず、曲芸的な回避を生み出した。……本当にそんなことが可能なのか?
「……いや、実際に可能だったんだ。でも、だからこそ……」
「おーい、聞いてるかい、三ノ瀬ちゃん」
「……まだです。五嶋さん、予備のドローンをスタンバイさせてください」
「もう十分映画ポイントは稼げたよ。檻で筆舐めながら、オファーを待とうぜ」
「いつでも出発出来るように、コントローラーから手を離さないでください」
「現実を見ろよ、三ノ瀬ちゃん。《ホエール》すら無力化するCBMS様相手に、素手で何が出来る?」
 五嶋は幼子を諭す調子で僕を説得した。素人と違って、自分は場数を踏んでいる。ここで暴れるのは刑期に不利だ。映画になれば金に困らない。
「安心しなよ。三ノ瀬ちゃんに都合悪くなるような証言はしないさ」
 五嶋の言うことは正論だ。僕だってそう思う。今から僕がやろうとしていることは、誤りだ。純粋で統計的な知性ならば、決してしない選択だ。けれど。
「そんな話はどうでもいいんです」
「何?」
「立場でも、善悪でも、損得でもない。僕は今、技術の話をしているんです」
 五嶋はしばらく黙り込んでから、「相棒選びがピーキー過ぎたな」と小さく両手をあげて、降参のポーズを見せた。
 
 左手にアタッシュケースを握りしめ、汗ばんだ右手をドアにかける。
 CBMSドローン達は八つの回転羽を巧みに動かし、台風を物ともせず、安定して飛行している。その動作は知性の結晶だ。空気抵抗を計算し、浮力を計算し、風の流れを数秒先まで予測し、最適な羽の制御を算出し……。ハエですら無意識で行っていることを、AIは意識的に、計算によって導いている。そこは人とは異なる知性の世界だ。感情も立場も善悪も関係ない。期待値の大小のみが語る純粋にして統計的な知だ。
 僕はそんな彼らの世界を知りたかった。そして、いつまでも彼らの隣を歩いていたかった。あの時、一川の言葉にうなずいていれば、自己進化AIを肯定していれば、きっと道は続いていた。……それでも、僕は。
 その時、光が差した。稲のざわめきが消えた。風が止んだ。台風の目が訪れたのだ。
 始めよう。ドアを開けて、ぬかるみに一歩踏み出した。アタッシュケースを振り上げて……近くのドローンを殴りつけた。骨のしびれる感覚は、僕の推察を証明してくれた。
「冗談だろ、当たった?」
 五嶋が呆然と呟く。CBMSドローン達が一斉にいきり立ち、銃撃を始める。だが、走行中の乗用車のタイヤを撃ち抜けるはずの射撃は、のろまな僕の腿を掠めるのがやっとだ。射撃の反動をまるで制御出来ていない。ある機体は発砲の衝撃で墜落する。ある機体はアタッシュケースを避けようとして、すっ転んで泥に溺れる。ある機体は同士討ちする。ある機体はただふらついて墜落する。
『なんだ……どうした!? バグか!? 何が起こっている!? 撃て、飛べ、撃て!』
《ホエール》の運転席から、一川の悲鳴が聞こえてくる。僕はお構いなしにアタッシュケースを振り回し、次々にドローンを叩き落とした。
 無風の中を飛ぶなど、そう難しい問題ではない。しつこいが、ハエですら無意識で行っていることだ。だが、侮るなかれ。その無意識こそ、生物誕生から億を超える時間をかけ、莫大なデータを蓄積し、進化の果てに獲得した知の結晶なのだ。
 AIは何の知識も持ち合わせない状態から、ごく僅かな経験に頼って知の階段を駆け上がる。だからこそ、彼らの知性は統計的な安全性に欠け、時に人間には滑稽に映る──Adversarial Exampleのような──欠点を持ち合わせる。
 その正体こそ、機械学習屋が最も恐れる現象〝過学習〟だ。進化するAI、CBMSが学習したのは、軍用機関銃すら回避しうる汎用軌道制御法などではない。〝台風の中で軍用機関銃を躱す方法〟に過ぎない。一時間足らずの僅かな経験に特化した、井の中の蛙の知性だ。CBMSドローンの軌道制御アルゴリズムは強風の利用に最適化され、代償に無風状態を忘却した。ハエの叡智を捨て、アタッシュケースに殴られるほどに退化した。そんなものは、学習でも、進化でもない。ただの局所最適化だ。
 石を投げつけ、最後の一機をはたき落とす。悲鳴をあげるドローンの筐体をひっくり返すと、懐かしき古巣のロゴが刻まれていた。
「だから言ったんだ。自己進化なんて、まだ早いって」
 歪められた彼らの世界に、僕は三秒だけ黙祷を捧げた。

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