なぜ人は自分の若いころの音楽がいちばんよいと思うのか……『ハマりたがる脳――「好き」の科学』訳者あとがき
「自分の好みを最もわかっていないのが自分である」……行動経済学をはじめとするいろいろな実験・研究結果をもとに人間行動の謎を考察する、現代人なら無視できない1冊、『ハマリたがる脳――「好き」の科学』が本日発売。本記事では、その内容をコンパクトに紹介する「訳者あとがき」を公開します。
訳者あとがき(桃井緑美子)
本書『ハマりたがる脳─「好き」の科学』(『好き嫌い─行動科学最大の謎─』を改題)は、わたしたちが何かを「好き」「きらい」というのはどういうことなのかを探ったものです。
「好き」とはどういうことか。人の趣味とはなんなのか。どういうことなのかも何も、好きは好き、それだけのことではないか、などと早まってはいけません。蓼食う虫も好き好きということわざがあります。誰かと好きなものの話をして平行線をたどるばかりのとき、「好みだからしかたないね」といって終わらせることのいかに多いことか。わたしたちには自分がどうしてそれを好きなのかがあまりわかっていないし、ましてや他人の好みなど、なおさら理解できないのです。ラテン語や英語にも、趣味は論じるものではないとか、趣味は説明できないという言葉があり、事情は洋の東西を問わないようです。事実、これまでに好みや趣味や嗜好を説明したり予測しようとしたりして匙を投げた人は少なくないのです。
好きというのはたんに気持ちや感情だけのことではありません。わたしたちは好きだと思う気持ちから行動し、その行動から文化が生まれ、経済が動き、社会のありようが変わります。著者は複雑な多面体のようなこのテーマを、縦に、横に、斜めに切ってアプローチします。その切り口は、生理学、心理学、社会学、経済学、哲学、美学、脳科学等々とじつに多彩で、既知の事実と未知の事柄が絡まりあって混在する好ききらいの様相は、まさに行動科学最大の謎と呼ぶにふさわしいでしょう。
この本の原書のカバー裏表紙にはこう書いてあります。
「あなたは知りたいのではありませんか。
美術館へ行くとなぜあんなにくたびれ果てるのか。朝食には毎朝同じものを食べるのに、夕食には、昨日と違うものが食べたくなるのはなぜなのか。青色は、なぜ多くの人に好まれるのか。本が受賞すると、どうしてアマゾンでの評価が下がるのか。大勢で食事をすると、いつもよりたくさん食べられるのはなぜか。リサーチ段階で高評価を得たはずのクリスタルペプシが発売後に市場で不人気だったのはなぜか。以前はきらいだったものを、好きになるのはどうしてか。コンテストの審査員は、なぜ最後の出場者に高い点をあたえるのか。
『やましい愉しみ』はやましさを感じないと愉しくないのか。人はなぜ自分の若いころの音楽がいちばんよいと思うのか。食通の人よりも食べものにうるさいことをいわない人のほうがしあわせか。口コミサイトのレビューのうそをどうやって見抜けるか。可もなく不可もない並みのビールをおいしく飲むにはどうすればよいか」
興味深い問いばかりです。なかでも一つの問いがとくにわたしの目を引きました。「なになに、人はなぜ自分の若いころの音楽がいちばんよいと思うのか、だって?」これこそわたしが日ごろ感じていた疑問でした。ロックファンのわたしがいちばん好きなのは中学生のときに初めて出会ったバンドで、以来、そのバンドがわたしにとってトップの座にすわりつづけています。もちろんほかにも好きなミュージシャンはたくさんいますが、とっくのむかしに解散していまはもう存在しないそのバンドを超えるものは、数十年経っても現われません。思えば、彼らのアルバムを初めて聴いたときの衝撃度は並大抵ではありませんでした。それは軽いポップスのようにフンフンと鼻歌で口ずさめるようなものではなく、それまでに聴いたことのない種類の音楽でした。そのバンドがいまもって不動の一位でありつづけているのはなぜなのか。友人にはよく「焼き印を押された」と説明します。心のなかでは「刷り込み?」という声も聞こえています。長年のこの疑問にこの本は答えてくれるのか? わたしはたのしみにして翻訳にとりかかりました。
この問いに答えるには、いくつかのキーワードがあります。たとえば「接触効果」。わたしたちは接する頻度の高いものを好むということです(これは食べものの好みにも関係しているようです)。また、これに関連するのが「知覚的流暢性」で、心理学では、ある刺激に接触しつづけることによってそれに関する知覚情報の処理が容易になり、その刺激への親近性が高まるとされています。言い換えれば、人は慣れ親しんだものを好むのです。しかし、それだけではありません。コンラート・ローレンツの刷り込みに似た考え方を提唱する科学者もいます(ほら!)。親への愛着や言語の習得など、限られた時期に短時間で「学習」したことがその後も長く持続するように、音楽も特定の時期に聴いたものが長く残ります。
さらに「記憶」。過去に「よい」と感じた音楽は記憶に残りやすいというのです。これは当然でしょう。でも、それなら新しい音楽だって「よい」と思えば記憶に残るのでは? ところが残念ながら、現在の音楽はよいと思わないもの、好きではないものもいっしょくたに耳に入ってくるせいで記憶に残りにくいらしいのです。過去の音楽は好きなもの「だけ」が記憶に残っています。「記憶とは自分の聴きたい曲だけを流すラジオ局のようなもの」なのです。
それからこれはあくまでも私見ですが、もう一つ考えられることがあるとわたしは思っています。「わたしは○○が好きだ」ということで、わたしたちは自分という人間を規定しようとするのではないでしょうか。自分という人間を確認する、といってもよいかもしれません。これも中学生のころの話ですが、わたしは好きなものリストをつくって自分を表であらわすという無謀な企てを試みたことがあります。しかも好きなものを挙げるだけではなく、好きな理由を書くことも課しました。これは難しい。好きな数字でも好きな画家でも、ただなんとなくではすまされない。理由を言葉にしなくてはなりません。この企ては笑ってしまうくらい子供っぽいものでしたが、理由も書くというのはなかなかよい思いつきだったと思います。
好きなバンド第一位は変わりませんが、特別に好きではなかったバンドをいつしか好きになることもあります。「以前はきらいだったものを好きになるのはどうしてか」という疑問も本書では取り上げられています。もう一つ、わたしは美術展に行きたくても思うように腰が上がらないので、「美術館へ行くとなぜあんなにくたびれ果てるのか」という問いにも興味を引かれました。読者のみなさんは、どの問いが気になるでしょうか。本書をじっくり読んでその答えを探してみてください。
私事の卑近な話を長々としてしまって恐縮ですが、本書の内容を客観的かつ簡潔に書くのは容易ではありません。それくらい、この本にはいろいろなことが詰まっています。明確な答えの出ない問いもあり、多くの人が白旗を上げたテーマに果敢に挑んだ著者も、好ききらいの謎をすっかり解き明かすことができたとはいえず、探究の旅はまだ道半ばです。しかし、ここで披露されているたくさんの考察と知見はきっと手がかりになります。加えて本書は、動画配信サービスのネットフリックスや音楽配信サービスのパンドラ、マコーミックの官能評価会、キャットショーやビールのコンテストなど、さまざまな現場に赴いてのルポルタージュでもあり、人の好みの秘密を知ろうと最前線で努力する人々の生の声が伝わってきます現在の社会や人々の行動をチクリと批判するところもあります。自分を知り、他者や社会について考える格好の手引きになるにちがいありません。
本書は You May Also Like: Taste in an Age of Endless Choice (Penguin Random House, 2016)の全訳です。著者のトム・ヴァンダービルトは、ニューヨークのブルックリン在住のジャーナリスト、ライターで、デザイン、設計、テクノロジー、科学、カルチャーなどに関する記事を《ワイアード》《ウォールストリート・ジャーナル》《ローリング・ストーン》《ニューヨーク・タイムズ・マガジン》など、数多くの雑誌に寄稿するほか、これまでに本書を含めて四作の著作があり、そのうちの一作は『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?──交通の科学』(早川書房刊)のタイトルで邦訳されています。また、アンディ・ウォーホル美術財団、デザイン・トラスト・フォー・パブリック・スペース、カナダ建築センターからフェローシップを授与されています。
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