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オルハン・パムク最新長篇小説『赤い髪の女』試し読み

ノーベル文学賞作家 オルハン・パムクの最新作『赤い髪の女』(原題 Kırmızı Saçlı Kadın)の試し読みを公開いたします。

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(書影は、Amazonにリンクしています)
『赤い髪の女』オルハン・パムク/宮下遼訳



私は作家になりたかった。でも、これから語るこの物語が進んでいくにつれ、私は地質調査技師になり、そして建設業者になることだろう。もっとも、私がいま物語をはじめたからといって、それがすでに終わった過去のお話だとは思わないで欲しい。それどころか思い出せば思い出すほどに、さまざまな出来事がいまでも心を捕えてやまない。だからこそ、私は確信している。あなたがたも私と同じように父と子の神秘に魅了されるだろうと。

1984年当時、私たち家族はベシクタシュ地区の裏手に建つウフラムル館(スルタン・アブデュルメジトが築いたイスタンブル新市街の庭園と別邸)の近くのアパルトマンで暮らしていた。父はハヤト(命または生活の意)という名の小さな薬局を経営していて、週に1日、朝まで営業する晩には夜番へと出かけていった。夜番の日の夕飯を届けるのは私の仕事だった。背が高く痩せてハンサムな父がレジスターの脇で夕飯を食べる間、薬の匂いを嗅ぎながら待っているのが好きだった。あれから30年経ち45歳になったいまでさえ、木製の引き出しが並ぶ古い薬局の匂いを嗅ぐと心弾むほどだ。

ハヤト薬局はあまり繁盛しておらず、父は夜番の日になると当時流行していたポータブル・ミニテレビを眺めて暇をつぶしていた。時折、訪ねてくる友人と低い声で何事かを話し合っている姿を見かけることもあった。昔の政治活動仲間たちは子供の私が姿を現すと話を切り上げ、「息子さんは君と同じに男前で愛らしいね」などと言ってあれこれ尋ねてきたものだ。何年生なんだい、学校は好きかい、将来は何になりたいんだい?

しかし、政治仲間と一緒にいるところを息子に見られると、父はたちまち不安そうなそぶりを見せるので、私は店に長居せず弁当箱を持って弱々しい街灯とスズカケの下を歩いて帰宅するのが常だった。家に帰って、父が政治仲間の誰かと一緒にいたなどと母に告げ口したことはない。彼女は夫が良からぬことに首を突っ込んでいるのではないか、ある日、突然自分たちを置いて姿を眩ませてしまうのではないかと気をもんでいて、父とその友人たちの動向に神経を尖らせていたからだ。

もっとも、父と母の無言の争いが、政治にのみ端を発しているのでないのは明らかだった。2人はときおり延々とののしり合い、あるいは長いこと口を利かなかった。もしかしたら、お互いが好きではなかったのかもしれない。父が母以外の女性を愛していて、父もその女性に愛されているように感じることがあったし、母も父にはよそに女がいるのだと子供の私にも分かるような口ぶりでほのめかした。父をめぐる諍いは我が家の悲しみの種だったから、私はいつも父と母の関係やよその女のことを考えたり、思い出したりしないよう気をつけていた。

父と最後に過ごしたのは、いつものように弁当を薬局へ届けた日の晩のことだった。私は高校1年生で、なんの変哲もない秋の夜だった。父はニュースを観ていた。彼がカウンターで夕食を摂る間、私はアスピリンを買いに来た客と、ビタミンCと抗生物質を買いに来た客の相手をした。代金を古いレジスターに入れるときのチリーンという音に心が躍ったものだ。帰り際、最後に振り返ったとき、父は店の戸口で微笑を浮かべて手を振っていた。

そのあくる朝から、父がふたたび帰ることはなかった。午後、学校から帰宅すると、母があの人はもう帰ってこないと告げたのだ。彼女の下瞼は厚ぼったく腫れていて、泣いていたのは明らかだ。私は最初、以前のように警察が夜中のうちに店から父をさらって政治課へ連行したのだと考えた。こういうことははじめてではなかったので、きっと父は警察の政治課でファラカ(こん棒で足の裏を打つトルコ特有の刑罰)や電気ショックで痛めつけられているのだと、そう思ったのだ。

しかし、今回の母の態度は、父が7、8年前にも同じように姿を眩ませ2年ほどしてひょっこり帰ってきたときとはまったく異なった。母は父にかんかんに腹を立てていたからだ。父の話が出るたびに母は言ったものだ。

「自分が何をしたかは、あの人が一番よく分かってるでしょうよ!」

クーデター直後に父が薬局から連れ去られたとき、母はそれはもう嘆き悲しみ、私に「お父さんは英雄よ、誇りに思いなさい」と言ったし、店員のマジトと交代で店番に立つのも厭わなかった。当時、マジトの白衣を私が借りて着ることもあったが、当然ながら当時の私には薬剤師の助手になるつもりはなかった。父が望んだように科学者になるつもりだったからだ。

しかし、父の最後の失踪を機に母は薬局への興味を失い、マジトの様子を尋ねもせず、店の先行きについてもまったく話さなくなった。父は政治以外の理由で姿を眩ませたのではないかと考えるようになったのも、ひとえに母の態度のゆえである。ところで話は変わるが、そもそも私たちがよく口にする「考える」という行為はいったい何なのだろう?

高校生だった当時の私も、思考というものが私たちの頭の中でときには言葉によって、またときには映像によって行われる行為だということは理解していた。……もちろん、言葉では決して言い表せないような考えがあることも承知していた。たとえば、バケツをひっくり返したような大雨の中を駆け抜けるとき、自分がどんな風に走ったのかとか、どんな気持ちだったのかとかをすぐ言葉にするのは難しくとも想像はつく。ところが、それとは反対に言葉で言い表すことができるのに、その姿かたちがまったく思いつかないものもある。黒い光とか、母の死とか、あるいは永遠とかだ。

そして、当時の私はまだ子供だった。気の進まない考えと対峙して思考を自在に操れたかと思った次の瞬間には、考えたくもないような映像や言葉が頭にこびりついて離れなくなってしまったものだ。

長いこと電話1本もらわなかったせいなのか、ふと父の顔を思い出せなくなってしまう瞬間があった。そんなとき私は、停電が起きて目に映るものすべてが一瞬で消えてしまったような気分を味わった。

ある晩、私は足の向くままウフラムル館へ向かって散歩をしていた。ハヤト薬局の扉は施錠され二度と開けられまいと思われるほどに頑丈な黒い南京錠がかけられ、ウフラムル館の方からは霧が流れていた。

「もうあの人も薬局もあてにならない。うちの家計は火の車よ」

母がそう教えてくれたのは、それから間もなくのことだ。そうは言われても、私の小遣いは映画を観てサンドウィッチやドネル・ケバブを食べ、漫画を買えばなくなってしまうような額だ。カバタシュ高校へも徒歩で通っている。漫画雑誌のバックナンバーの売り買いや貸し出しで小銭を稼ぐ友人たちもいたが、彼らのように毎週末ベシクタシュ地区の映画館裏のうらぶれた通りで客が来るのをひたすら待つというのも気乗りしなかった。

こうして私は、1985年の夏からベシクタシュのショッピングモール内にあるデニズという名前の古書店で働くことになった。大半は学生からなる万引き犯を追い払うのが、私の重大な使命だった。本の仕入れのためにジャアオール地区へ行くデニズ氏の車に乗ることもあった。デニズ氏は、本の作者や出版社を一度見たら決して忘れない新しい店員に目をかけてくれて、私に売り物を家へ持ち帰って読む許可さえ与えてくれた。その夏は実にたくさんの本を読んだ。ジュヴナイル小説、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』、エドガー・アラン・ポーの傑作短篇集、詩集、オスマン帝国時代のヒーローたちが活躍する冒険小説や史劇、そして夢に関するエッセイ集。私の人生を一変させたのは、そのエッセイ集に収められた一篇の文章だった。

デニズ氏の知り合いの作家が店に顔を出すこともあり、いくらも経たないうちに我が雇い主殿は「いずれ物書きになるぞ」などと言って私を紹介するようになった。確かに作家になる夢を最初に口にしたのは私の方だったが、はじめはほんの軽口のつもりだったのだ。しかし、雇い主の影響もあってか、作家になることを真剣に考えるようになるのにさほど時間はかからなかった。

私の給料は母の不満の種だった。本屋の店番代だけでは予備校の学費に足りなかったからだ。父が失踪して以来、以前にもまして母と親密に暮らすようになったが、彼女は作家になるという私の決心を冗談でしょうとばかりに笑い、取り合ってくれなかった。母を納得させるためにも、やはりちゃんとした大学へ入る必要があった。

ある日、下校した私が、ふと何の気なしに両親の寝室の箪笥や引き出しを開けてみると、父の服や持ち物が煙草とコロンヤの香りだけ残して跡形もなく処分されていた。もはや父の話はまったく出なくなっていて、このころから脳裏にある父の姿は急速に薄れていった。

私と母がイスタンブル市内からアジア岸のゲブゼへ引っ越したのは、高校2年生が終わった夏のはじめだった。母方のおば夫婦がゲブゼに庭付き一戸建てを持っていて、そのはなれに無償で住まわせてもらえることになったのだ。夏休みの前半、おじが紹介してくれる予定の仕事をこなして貯金すば、七月以降にはふたたびベシクタシュのデニズ書店で働きながら予備校へ行き、来年の大学入試に備えられるだろう。ベシクタシュから離れるのを悲しむ私にデニズ氏は、「もし君が望むなら残りの夏の間、うちの書店で寝泊まりしてもいいよ」と申し出てくれた。

おじの紹介してくれた仕事はゲブゼの街の内陸の公園に隣接するサクランボや桃の果樹園の見張り番だった。ぶどう棚の下に机が置かれていると聞いたときは、それならそこへ座って本を読む時間もたっぷりあるだろうなどと高を括っていたのだけれど、とんでもない勘違いだった。やかましくて傍若無人なカラスどもが群れを成し、折しも盛りを迎えたサクランボの木に襲いかかるし、そうかと思えば子供たちや隣接する工事現場の労働者たちが隙あらば果物を盗もうと狙っていたのだ。

その果樹園の隣の公園で、井戸堀りが行われていた。工事現場まで出かけて行って、地面の下でツルハシとシャベルを操る親方や、彼が掘り出した土を地上に引っ張り上げては捨てに行く二人の見習いの姿を、私はまじまじと眺めたものだ。

見習い2人は両腕でからからという心弾む音を上げながら巻き上げ機を回し、親方が下から送って来るバケツいっぱいの土を脇に置いた手押し車に空けていく。私と同い年くらいの見習いが土を捨てようと手押し車を押して離れていくのを尻目に、彼よりも年のいった背の高い見習いは、井戸の底に
向かって「下ろしますよ!」と叫んでバケツを親方に返していた。

親方が地上に上がってくることはほとんどなかった。最初に見かけたのは、彼が昼休みに一服しているときだった。私の父のように背が高い、痩せ形の優男だった。しかし、父のように寡黙で朗らかではなく、むしろ怒りっぽくて、ことあるたびに見習いたちを叱り飛ばしていた。私は親方が地上にいるときはなるべく井戸に近寄らないようにした。見習いたちも、親方に怒られているところを他人に見られたくないだろうと思ったからだ。

井戸の方から楽しそうな歓声と共に銃声が響いてきたのは、6月半ばのことだった。行ってみるとついに井戸から水が出たようだった。辺りにはまだ甘い火薬の匂いが漂っている。知らせを受けてやって来たリゼに住む土地の持ち主が大喜びで空に向けて拳銃を撃ったらしい。親方と見習いたちにご祝儀をはずんだ土地の持ち主は、建設予定のなにかの施設のために井戸を利用する算段のようだった。当時、ゲブゼの内陸部まで水道は届いていなかったのだ。

その日以来、見習いを叱り飛ばす親方の怒声は絶え、代わって馬車が袋詰めのセメントと少々の鉄材を運んできはじめ、ある日の午後、親方が井戸の周りにセメントを流して鉄蓋をかぶせた。このころには親方も含めて作業員たちは上機嫌で、私も以前よりも頻繁に井戸掘り現場へ足を運ぶようになった。

そんなある日、誰もいないだろうと思って井戸のすぐそばまで近寄ってみると、ちょうどオリーヴとサクランボの木立の向こうからひょっこりとマフムト親方が現れた。手には井戸のポンプに取りつける原動機の部品を持っていた。

「若いの、見てたぞ。お前さん、俺たちの仕事に興味津々のようじゃないか!」

地面を掘りぬいて地球の反対側へたどり着いたジュール・ヴェルヌの小説の主人公たちの物語がふと脳裏をかすめた。

「今度、キュチュクチェクメジェ地区の内陸の方にも井戸を掘るんだがね、ここの見習いどもは連れて行かないんだ。代わりにお前さんを雇ってやろうか?」

私が逡巡するのを見て親方は「井戸掘り人夫の日当は果樹園の見張りの日当の4倍だぞ。それに仕事は10日とかからんよ。すぐに帰ってこれるさ」と付け加えた。私はすぐさま見張り番の仕事をほっぽりだして帰宅した。もちろん母は大反対だった。

「絶対に許しませんよ! 息子を井戸掘り人夫なんかにさせるもんですか。お前は大学へ行ってちゃんと勉強するのよ」

しかし、さっさと大金を稼ぎたいという思いはひとたび芽生えるとなかなか消えず、私は根気強く母を説得した。おじさんの果樹園で2カ月かけて稼ぐ金を2週間で稼げるし、そうなれば入学試験や予備校の勉強時間も、好きな本を読むいとまもたっぷりとれるからと言い張り、ついには哀れな母をこんなふうに脅しさえしたのだ。

「母さんが許してくれないなら、家出する」

そこでおじさんが助け舟を出してくれた。

「子供が自分から働いて稼ぎたいって言ってるんだから、その心意気を挫
くじいちゃいかんよ。私がその井戸掘り人の親方の氏素性を確かめておくから」

こうして弁護士のおじの事務所──市役所と同じ建物にあった──で母とマフムト親方の顔合わせが行われた。私抜きでだ。その場で井戸の底へは私ではなくもう一人の見習いを下ろすことが約束された。おじさんからその席で決まったという日当の金額を教えてもらった私は、父の古い旅行鞄にシャツと、体育の授業で使っていたゴム底運動靴を放り込んだ。

ある雨の日、雨漏りのする一間かぎりの自宅で井戸掘り現場へ向かう軽トラックが来るのを待つあいだ、母は幾度も泣いた。やはり井戸掘りなどやめるべきだ、お前がいないと寂しい、貧乏のせいで道を間違えたかもしれない、母はそう嘆いた。

「誓って井戸の底へは下りないよ」

鞄を手にして背筋を伸ばし、裁判のときの父のように決然と、しかしどこか冗談めいた口調で言い置くと、私は家を出た。

軽トラックは古い大きなモスクの裏の空き地に停まっていた。近寄って来る私を煙草を吸いながら迎えたマフムト親方は、学校の先生よろしく私の服装やら歩き方やら旅行鞄やらを検めた末に微笑を浮かべた。

「さあ乗れ、出発だ」

私の席は井戸掘りを依頼した実業家のハイリ氏の運転手と親方の間だった。目的地までの一時間、私たちは一言も口を利かなかった。

ボスフォラス大橋を渡るとき、私は左手の眼下に広がるイスタンブル市と、母校であるカバタシュ高校があるはずの方角に目を凝らした。ベシクタシュ近辺の馴染み深い建物を見分けようとする私に、親方が言った。

「心配するな、仕事はすぐ終わる。予備校にも間に合うさ」

どうやら母とおじはちゃんと私の事情を伝えてくれたらしい。私は嬉しくなると同時に親方を頼もしく思った。橋を渡り終えるとイスタンブル名物の交通渋滞に巻き込まれた。私たちの軽トラックが都市の外へ出られたのは、焼けつくような西日が正面から車内に差し込むころだった。

さて読者諸君、私はいま都市の外という言い方をしたけれど、どうか誤解しないでいただきたい。当時のイスタンブルの人口は、あなた方にこの話をしているいまのように1500万人ではなく、たった500万人だった。つまり、旧市街の城壁を出ると民家は目に見えて疎らに、また小さくみすぼらしくなり、代わって工場やガソリンスタンド、それにホテルがぽつんぽつんと立ち並ぶだけだったのだ。

車は延々と線路に沿って進み、日がとっぷり暮れるころになってようやく線路から外れた。数本の糸杉や墓地、ブロック塀、それにがらんとした空き地──ビュユクチェクメジェ湖を通り過ぎるとそうした光景が闇の中に垣間見えるようになった。もっとも、たいていの場合車窓の外は真っ暗闇で、いくら目を凝らしても自分がどこにいるのか見当もつかず、見えたとしても夕飯を摂る家族の姿が映し出された橙色の窓明かりや、どこかの工場のネオンライトだけだった。やがて、トラックが坂を上り終えた。つかの間、遠雷が空を照らしたが、その雷光も私たちが通ってきた無人の暗闇にまで届くことはなかった。ただときおり、どこまでも続く不毛の大地や、人の気配どころか庭木一本生えていない地所がどこから差すとも知れない光の中に浮かびあがり、すぐに暗闇に沈んでいくだけだった。

さらに長いこと走った末に、軽トラックがどことも知れない場所で停車した。周りに明かり一つ、家一軒見当たらないので、私は軽トラックが故障したのだと思った。ところがマフムト親方がこう言ったのだ。

「おい手を貸してくれ、荷物を下ろすぞ」

材木や巻き上げ機の部品、鍋や皿、縄で縛られた2組のマットレス、粗悪なビニール袋に詰め込まれた生活用品、そして掘削のための道具類。私たちはそれらを荷台から下ろしていった。

「頑張ってな、仕事がうまくいきますように」

軽トラックの運転手がそう言い残して去っていくと、自分がコールタールのような暗闇のなかに取り残されたような気がして怖かった。しかし、よく見れば、前方には稲光がちらつき、背後の空にも星々が力強く瞬いていた。なによりずっと遠くには、イスタンブルの街明かりに照らし上げられた黄色い霞のような雲が浮かんでいる。

雨に濡れた大地は水たまりだらけだったので、私たちはなるべく平らで濡れていない地面を見つけて、そこに道具一式をまとめた。

親方は軽トラックから下ろした木の支柱を使ってテントを張りはじめた。ところが、これが一向にうまくいかない。引っ張るべき縄も、打ち込むべきペグも、まるであらゆるものが心の中にでも埋もれてしまったかのように、暗闇のなかで見つからないのだ。

「そっちを持ってくれ、ちがう、こっちじゃない」

マフムト親方の声に、フクロウの鳴き声が重なった。雨は止んだみたいだし、わざわざテントを張る必要があるのかな?──そんな疑問が脳裏をかすめたが、親方には微塵の迷いもないようだった。黴臭いテント布は幾度も所定の位置からずり落ち、夜そのもののように私たちの頭上に重くのしかかった。

真夜中過ぎ、私たちはようやくテントを張り終え、マットレスに身を横たえた。雨を運ぶ夏雲が晴れると星が瞬きはじめた。どこかそう遠くない場所から聞こえるコオロギの鳴き声に寛ぎながら身体を伸ばすと、すぐに眠りが訪れた。


目を覚ましたとき、テント内に親方の姿はなかった。蜂のぶんぶんという羽音が聞こえている。起き上がって外へ出ると、すでに日は高く陽光に目が眩んだ。

私がいるのは高台だった。大地は左手から南東のイスタンブルへ向かって徐々に下っている。私の立っている平地の眼下には明るい緑色と黄色が点在し、いくらかのトウモロコシ畑や大麦畑、空き地、岩場、荒れ地が広がっている。平野部には小さな町の家々やモスクが見えたものの、手前の丘が視界を遮っているせいで、その広さはよく分からなかった。

マフムト親方はどこだろう? 風に乗って軍隊喇叭(らっぱ)の音が聞こえた。街の奥の方に見える鉛色の建物は、軍隊の駐屯地であるらしい。駐屯地のさらに向こうに連なる紫色の山々が目に入った瞬間、まったくの静寂が訪れて、ふいに記憶の中から世界そのものが飛び出したかのような感覚が私の身体を包み込んだ。イスタンブルとそこで暮らす皆から遠く離れた場所に立つことで、ようやく自分が自らの人生の真の主になれたような気がして、歓喜がこみ上げた。

街と駐屯地の間の平地から列車の警笛が聞こえた。目を細めるとヨーロッパ方面へ向かう列車が見えた。列車は私たちのいる高台に少しだけ近づいたかと思うとすぐに優雅にカーブして眼下の街の駅へ入っていった。

しばらくすると街の方から上ってくるマフムト親方の姿が見えた。親方は最初こそ道なりに歩いていたが、道が曲がりくねりはじめると近道とばかりに空き地や畑を突っ切ってやってきた。

「水を買いに行ってたんだ。それじゃあ、チャイを淹れてくれ」

私が小さなカセットコンロでチャイを淹れていると、昨日と同じ軽トラックに乗って雇い主のハイリ氏がやって来た。荷台には私より少し年嵩と思しき若者の姿がある。アリという名のその若者はハイリ氏のところで下働きをしていて、出発ぎりぎりになって仕事をやめてしまったゲブゼの見習いの代わりに井戸へ下りる役をこなす手はずになっていた。

マフムト親方とハイリ氏が、ゆっくりと時間をかけて高台の検分をはじめた。土が剥き出しであったり、石が転がっていたかと思えば下草が繁茂していたりするハイリ氏の地所は10ドニュム(約9200平方メートル)以上あった。そよ風に乗って途切れとぎれに聞こえる親方とハイリ氏の話し声は、2人が高台の一番向こうの端までたどり着いてもなお終わらず、そのくせ何一つ決まっていない様子だった。彼らに近寄って盗み聞きしたところではハイリ氏は繊維業を手掛けていて、この不毛の大地に生地の洗浄と染色を行う工場を作るつもりらしい。なんでも、輸出を目論む大手の既製服業者が待ち望む大工場建設には、大量の水が欠かせないのだとか。

ハイリ氏は電気も水もないこの土地をかなり安く手に入れたそうで、もし水が見つかれば私たちにはたっぷり給金を弾んでくれる予定だし、すでに知り合いの政治家の伝手でこの高台まで電線を引く準備も整っているとのことだった。あとで彼が見せてくれた青写真には、染色室や洗浄室、倉庫、それにモダンな管理棟と、さらには食堂まで備えた大工場が描かれていた。マフムト親方もハイリ氏の説明に幾分は興味をそそられたようだが、実のところ親方も、そして私も彼が確約した贈り物やご祝儀の方が気になって仕方がなかった。

「神が諸君の仕事に成功を、諸君の腕に力を、その目に注意を授けてくださいますように」

別れ際に、遠征前のオスマン帝国の将軍よろしく激励の言葉を述べたハイリ氏は、軽トラックが私たちの視界から消えるまで窓から身を乗り出して手を振ってくれた。

その夜、私はマフムト親方の鼾がうるさくてなかなか寝つけず、テントの外に頭だけ出してぼんやりしていた。街明かりは見えず夜空も群青色のはずなのに、星の瞬きのせいなのか、世界は橙色に照らされているような気がした。僕らは巨大なオレンジの表面で暮らしているのかも──私はそんなことを考えながら眠ろうと努めた。それにしても、空へ飛び立って星々の光に加わるかわりに、いまその身を横たえる大地の深奥へ穿孔しようと望む私たちは、はたして正しいのだろうか?


当時、地中レーダー探査機はまだ実用化されておらず、水がどこから出るか、どこへ穴を掘るべきかを決めるのは、何千年にもわたって受け継がれてきた熟練の井戸掘り人たちの直観だけが頼りだった。マフムト親方も、口が達者な昔気質の井戸掘り人たちの修辞に満ちた口伝の数々によく通じていたものの、Y字型の金属棒を手に土地の上をあちらへこちらへ歩き回りながら祈祷を唱え、あるいは息を吹きかけたりする見せかけだけのやり方は、まったく信じていなかった。それでも自分が何千年も続いた伝統を伝える最後の世代であるという自覚はあったようで、仕事の話がはじまると偉ぶることなく、とても謙虚な態度になるのが常だった。

「土の色や湿り気、それに黒土に注意するんだ」と教えてくれたり、また別の時には私を井戸掘り人に育て上げたいとでもいうようにこう言うのだ。

「窪地とか、小石や岩がごろごろしたでこぼこの土地や黒土、それに日陰になっているような土地を観察しながら地下の水を探ってみろ。木や草が茂っている場所の土は色が濃くて湿っているだろう?そういうところに気を付けるんだ。だからって、そこにいつも水があるなんて信じ込むのもいかんがな」

親方によれば七層からなる天のように大地もまた層をなしているらしい(この話を聞いたせいで、私は星空を見上げながらも頭の下に横たわる暗黒の世界に想い馳せてしまうことが一度ならずあった)。たとえば、色の濃い黒土の二メートル下から、水一滴通さないひどく乾いた粘土質の地層が現れることもあるわけだから、水を探す場所を絞り込もうとした昔の井戸掘りの匠たちは、土や下草、虫、はては小鳥の言葉にさえ耳を傾け、大地を歩きながら足の下の岩や粘土の存在を察知しなければならなかったのだ。

昔の井戸掘り人の中には中央アジアのシャーマンよろしく超自然的な力や直観を信じたり、土の下に住む神々や精霊たちと言葉を交わそうと試みる者もいたそうだ。そして、安価に水を探り当てたいと望む者は誰でも、父であれば一笑に付したであろう迷信の数々を信じてしまうものだ。ベシクタシュ地区の一夜建ての住民たちが、庭先で同じように水を掘っているのを見かけたことがある。その家に暮らすおじさんやおばさんが、虫が這い、鶏どもが駆けまわる雑然とした裏庭のどこに穴を掘ろうかとうずくまって、病気の赤子の胸に耳を押し当てる医者のように、地面の声に耳を傾けていたものだ。

「神の思し召しがあれば、2週間で仕事は終わるだろうよ。10メートルかそこら掘り下げれば水は出るさ」

現場に着いた晩の次の朝、マフムト親方はそう言った。アリはあくまで雇い主の部下なので、親方はとくに私に親しげに振る舞った。私はそれが誇らしく、この現場の立派な一員になったような気がしたものだ。

あくる朝、マフムト親方が井戸を掘る場所として示したのは、ハイリ氏の青写真にあった工場の建設予定地ではなく、敷地の反対側の隅だった。

マフムト親方は私の父とはまったく対照的な人物だった。父は政治的な秘密を抱えるのが半ば習慣化していたせいか、大切な仕事や心の内をけっして明かそうとはしなかった。翻ってマフムト親方は、井戸掘りに関するさまざまな考えを私と共有してくれて、「この土地は難しいぞ」などと打ち明けてくれさえした。親方のそんな態度が嬉しくてたまらず、私はいっぺんに彼が好きになった。父とは異なる親方の優しさや気安さに有頂天になっていた。だからなんの相談もなしに重大な決定を下した彼にひどく腹が立った。親方が井戸掘りの場所を決めたその日、私は自分がどれほど彼に心酔していたのか思い知らされたというわけだ。

こちらの気など知らず、マフムト親方はさっさと地面に杭を突き差してしまった。高台を長々と歩き回って熟慮を重ねた末に、どうしてこの場所が選ばれたのだろうか? この場所と他の場所の違いは? ここを懸命に掘り進めれば、本当に水が出るのだろうか? 私はマフムト親方に尋ねてみたかったが、実際にその真意を問い質すことなどできないことも承知していた。私はまだほんの子供で、親方は私の友人でも父親でもなく、上司なのだから。結局のところ、私が勝手に父親めいた頼もしさを覚えていたにすぎないのだ。

親方は杭の片側に縄を結わえつけ、縄のもう片方の隅に釘を取り付けた。

「この縄の長さは1メートルだ」

ここの土地では石壁を作れないので、井戸の壁はコンクリートで固めていくことになった。壁の厚さは20から25センチにするらしい。親方は縄をぴんと張って直径二メートルの円を描きはじめた。親方が円の形になるよう杭を打っていき、あとから私とアリが慎重にそれを抜くと、はじめて円が姿を現した。

「井戸の円は正確でないといけない。欠けがあったり曲がっていたり、でこぼこしていたら井戸の壁が重さに耐え切れず崩れちまうからな!」

私たちが穴掘りに取りかかったのは、井戸の内壁が崩落するかもしれないという話を聞かされたすぐあとだ。親方が掘り進め、私もときにはそれに加わり、アリが受け持つ手押し車に土を入れていくのだ。二人がかりでも、親方の作業に追いつくので精いっぱいだった。

「手押し車に土を盛りすぎるなよ、捨てたらすぐに戻ってこられる方がいいだろ」

アリはときたま息も絶えだえにそう漏らした。いくらも経たないうちにくたびれ、手が遅くなる見習い二人を尻目に、マフムト親方は一度も休むことなくシャベルをふるって土を井戸の縁に積んでいった。それが大きな土の山になったころ、親方はようやくシャベルを置いて井戸から出てくると、少し離れたところに立つオリーヴの木陰で煙草に火をつけた。そうやって私たちが追いつくのを待ってくれたのだ。親方の仕事の速度に追いつくには、彼が何をしているか常に気にかけながらそれに合わせて行動し、命じられたなら即座に従うべし──初日の最初の一時間で私たち二人の見習いはそう学んだのだった。

炎天下で1日中、シャベル片手に働いたせいですっかり疲労困憊した私は、日が沈むとレンズ豆のスープに匙さえつけないまま寝床に倒れ込んでしまった。手は水ぶくれだらけ、うなじも真っ赤に日焼けしていた。

「じきに慣れるさ、お坊ちゃん」

なんとか電波を拾おうと、ミニテレビと格闘する親方がそう言って慰めてくれた。私はそれまで肉体労働をしたことのないもやしっ子ではあったが、「お坊ちゃん」という呼ばれ方は不愉快ではなかった。それは、親方が私を都会育ちの教育程度の高い家庭の出だと思っていることを示していたし──つまり、親方が私に過重な仕事を割り振らずに、父親のように守ってくれるかもしれないという意味でもある──なにより彼が私に関心や親しみを覚えてくれているのが窺えたからだ。

***

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