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「日本国際賞」受賞!カタリン・カリコ博士のワクチン開発秘話

mRNA研究者のカタリン・カリコ博士が、科学技術の分野で優れた業績を挙げた科学者に贈られる「日本国際賞」の今年の受賞者に決まりました。カリコ氏はこれまでにも、日本の慶應医学賞、そしてドイツやヨーロッパ、アメリカなどの数多くの賞を受賞しており、「ノーベル生理学・医学賞の有力候補」と報じられたことも。

彼女は現在、ドイツ・ビオンテック社の上級副社長をつとめています。ハンガリー出身でアメリカ・ペンシルベニア大学で研究をしていたカリコ氏が、ドイツのバイオベンチャー企業に加わり、世界初の新型コロナワクチンの開発に貢献するまでの間には、まさに波乱万丈のさまざまなドラマがありました。

好評発売中のノンフィクション『mRNAワクチンの衝撃』(ジョー・ミラー、エズレム・テュレジ、ウール・シャヒン:著、石井健:監修、柴田さとみ、山田 文、山田美明:翻訳)から、カリコ氏にまつわるエピソードのいくつかをご紹介します。

 海を越え何千キロメートル離れた場所では、もう一人の根気強いバイオハッカーがmRNAの問題点への独自の解決策を探っていた。
 1976年、カタリン・カリコは母国ハンガリーの南部の街、セゲドの大学講師からこの分子のことを初めて教わった。興味を持ったカタリンはすぐに博士課程でこのテーマを研究することに決め、タバコの煙が立ちこめる研究所の実験室で実験を始めた。ペンシルベニア州のテンプル大学からさらに研究を進めるようオファーをもらい、そのおかげで当時まだ共産主義国だったハンガリーを逃れることができた。政府は50ドル相当を超える外貨を国外に持ち出すことを禁じていたため、カタリンは家族の自動車を900ドルで売り、夫の小遣いとあわせて1000ドル相当の現金を娘のテディベアに詰め込んで アメリカへ向かったという。
 しかしその後の20年間では、厳しい挫折を次々と経験した。    

(第4章「mRNAバイオハッカー」)

mRNAをマウスに注射してもうまく安定せず、mRNAによって「指示」した通りのタンパク質が十分に生成されない……。そうした失敗を繰り返すうちに、異動先のペンシルベニア大学では、降格か別の研究分野への移行のどちらかを選ぶよう迫られてしまいます。

そんな時、彼女の研究人生に大きな転機が巡ってきます。本書では、ドラマチックな出会いが以下のように描かれています。

 降格を選んだカタリンには、しかしすぐに運が巡ってくる。免疫学者のドリュー・ワイスマンが、国立衛生研究所であのアンソニー・ファウチのもとで働いたあと、フィラデルフィアに来ていた。1998年、二人はコピー機の順番待ちをしているときに出会う。学術誌がオンラインで簡単に読めるようになる前の時代には、コピー機はひっぱりだこだった。二人はカタリンが抱えていたmRNAの問題について語り合う。そしてmRNAを安定させ、細胞に導入したときにタンパク質を豊富につくるよう刺激できる方法をともに見つけたのだ。

(同上)

二人が発見したのは、mRNAを構成しているウリジンという物質をメチルシュードウリジンという代替物に代え、mRNAを「ステルスモード」つまり免疫系に異物と認識されないようにすることで安定性をもたらすという画期的な方法でした。

しかし、この後も苦難の道のりは続きます。2013年に日本での学会から帰国したときには、オフィスの椅子が廊下に出されていて、ほかの研究者のために部屋が空けられていたといいます。

同じ年、カリコ氏はついに、ビオンテック社のウール・シャヒンCEOと運命的な出会いを果たします。本書には、当時のビオンテック社がいかに無名であったかを示すこんなエピソードが登場します。

…2013年、オリンピックのボート選手である娘の試合を観戦するためにヨーロッパを訪れたときに、カタリンはビオンテックまで足を運んでウールに会った。(略)ウールと何時間も話をし、共通の関心事について情報交換したあと、事業に加わらないかとウールに誘われた。数カ月後、ビオンテックはカタリンを副社長としてチームに迎えると発表する。「社長は笑っていました」とカタリンは回想する。「『うちの会社にはウェブサイトすらないんだ!』って」

(同上)

mRNA研究に情熱を注ぐ「同志」と出会い、存分に研究に打ち込むことのできる環境を手にしたカリコ氏。この出会いが後に、2020年のパンデミックにおいて、かつてないスピードでのワクチン開発に結実することになったのです。

新型コロナワクチンの開発にあたった「プロジェクト・ライトスピード(光速)」は、ハンガリー出身のカリコ氏をはじめ、60カ国以上の専門家で構成されており、その半数以上が女性でした。ビオンテックの創業者であるウール・シャヒン、エズレム・テュレジ夫妻は、二人ともトルコにルーツを持っています。

多様な専門知識と多様な出自を持つメンバーが結集したこと。そこに、画期的なイノベーションを生み出す秘訣があったと著者は指摘します。

 ウールとエズレムの世界観によれば、この歴史的取り組みに携わった人々がこれほど多様なのも、何ら驚くべきことではない。二人は科学においても人生においても、いいアイデアならその出自を問わず採用することを信条としてきた。その結果、ビオンテックは華々しい成長を遂げた。(略)そこから社会が得られる教訓があるとすれば、それは、スタッフが国境の壁を越えているという点よりむしろ、会社全体が学術的・科学的・経済的境界を超越しているという点である。(略)
 ……ビオンテックという会社には、この時代において最悪のパンデミックを食い止められるほど多種多様な専門知識が浸み込んでいた。
 それこそが、重視すべき背景である。

(第10章「新たな常態」)

カリコ氏をはじめ、多様なバックグラウンドを持つ開発チームのメンバーの活躍ぶりは、ぜひ本書でお確かめください! 『mRNAワクチンの衝撃』(ジョー・ミラー、エズレム・テュレジ、ウール・シャヒン:著、石井健:監修、柴田さとみ、山田 文、山田美明:翻訳)は全国の書店で発売中です。