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町田そのこさん「わたしはわたしを、ちゃんと愛していられただろうか?」――間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』書評を公開

先日発表となった第37回三島由紀夫賞候補作に選出されるなど、文学界を騒然とさせている衝撃の新人デビュー作『ここはすべての夜明けまえ』間宮改衣)。刊行直後に本作を読んで「しばらく他の作品を読めないくらいの衝撃を受けた」という、作家の町田そのこさんによる書評記事を、SFマガジン2024年6月号より再録します。

愛と呪いと祈りに満ちた、もうひとつの世界
町田そのこ

 本作は、第十一回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作品である。SFというジャンルであり、作中でも語られる通りひとつの家族史であり、そして家族史の書き手であるひとりの女性の、再生の物語でもある。

 舞台は、二一二三年、十月。遠い先の、未来の話だ。しかし、物語の語り手である名前の分からぬ女性は、わたしたちと同じいまこのときも生きている。だけど、わたしたちの多くが死に絶え、人類の存続すら危ぶまれている世界から、語りかけてくるのだ。

 彼女は母の命と引き換えにするように、この世に生まれてきた。愛する妻を喪った父は、妻に生き写しの彼女を溺愛するが、他の兄姉からは疎まれている。

 彼女は生きることがうまくなかった。食事はすぐに吐き戻し、夜は眠れない。体調を崩すのは日常茶飯事で、いつしか希死念慮を抱くようになる。二十五歳のときに、作中世界では認められている『自さつそち』を受けたいと父に申し出るが、しかし彼女に固執している父はそれを許さない。どころか、半永久の命を得られる『ゆう合手じゅつ』──肉体を機械化する手術を受けることを強く望む。彼女はそれを受け入れ、老いない身体を手に入れるのだ。

 血で繋がった家族、とりわけ親と子は密接な共存関係にある。『家族愛』『親子愛』などという言葉もあるが、その存在が果たして互いの幸福に繋がるかどうかは分からない。少なくとも、彼女の語る家族は、彼女を幸福にしない。父親は、妻の面影を濃く宿す彼女を占有し、搾取する。彼女は生きる権利も死ぬ権利も、命の尊厳すら、奪い去られてしまう。血を分けた他のきょうだいはその様子を嫌悪し、傍観するだけだ。

 長い命を得た彼女に家族史を書けと提案するのも父親だが、搾取する側の残酷さが描かれていてぞっとする。彼からすれば、『愛』だったのかもしれない。思い出があれば寂しくないと伝えたかったのかもしれない。しかし、誰もが彼女を置いていなくなった先で、置いていった自分たちをずっと思い返していろというのは『呪い』でしかない。外側から見ればすぐ分かることなのに、本人はちっとも気付いていないのが恐ろしい。

『愛』は『呪い』と対になっていて、どちらの面から見るかによって大きく変わる。このふたつについては、本作を読んでからずっと、考え続けた。わたしはきちんとひとを愛しているだろうか。相手に呪いの一面をちらつかせていないだろうか。愛だと信じているのは、わたしの歪んだ欲ではないだろうか? 相手に愛を強要していないだろうか? そして、わたしはわたしを、ちゃんと愛していられただろうか?

 振り返り、怖くなる。同時に安堵する。わたしはまだ、取り返しがつくかもしれない。まだ、やり直せるかもしれない。だってわたしは振り返るチャンスを貰った。

 約百年後の彼女のお喋りはタイムマシンに乗って、わたしたちの軌跡をそっと照らしてくれている。

 誰もいない、すべての夜明けまえ。彼女の前にどんな光が差し込んだだろう。その人生に喜びがあらんことを願う。

 本作を読んだ方もきっと、わたしのように朝日を眩しく眺め祈ることだと思う。夜明けを共に迎えましょう。

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』
早川書房 定価1430円(税込)
装画:北澤平祐装幀:名久井直子

本書評はSFマガジン6月号に掲載しています。