4月11日(火)発売! イタリア文学最高峰ストレーガ賞受賞作『帰れない山』著者による最新作『狼の幸せ』(パオロ・コニェッティ/飯田亮介訳)訳者あとがき公開
4月11日火曜日、早川書房から『帰れない山』著者による最新作『狼の幸せ』(パオロ・コニェッティ/飯田亮介訳)を刊行いたします。こちらのnote記事では発売に先立ち、イタリア文学翻訳家による飯田亮介氏による「訳者あとがき」を公開いたします。
訳者あとがき
大きな山のふもとに暮らす人々はなぜか優しい。これは日本でもイタリアでも変わらない。そう断言してみるのは単純に過ぎるだろうか。
美しいばかりではなく、時に非情なまでに峻厳な表情を見せる大自然。そのなかでいつでも泰然と動かぬ山々。そんな大きな存在のそばで暮らしていると、人間という生き物の小ささ、もろさ、はかなさが強く感じられて、巡りあう他人が愛しくなり、優しくなれるものなのかもしれない。
フォンターナ・フレッダの住人たちもやはり、みな優しい。
パオロ・コニェッティ(一九七八年、ミラノ生まれ)が二〇二一年に発表した本作『狼の幸せ』(原題 La felicità del lupo)の主な舞台であり、ヨーロッパアルプスはモンテ・ローザ山塊のふもとにある小さな集落、それがフォンターナ・フレッダだ。
主人公は四人。
ファウスト(四十歳)はミラノに暮らす作家。大都会の住人ではあるが、幼いころから父親に連れられ、モンテ・ローザの峰々に親しんできた。十年来のパートナーだった女性と別れたばかりで、人生をやり直すために懐かしの山に戻ってきたところだ。
バベットはフォンターナ・フレッダ唯一のレストラン〈バベットの晩餐会〉の主人。仕事の当てもなくて困っていたファウストを見かね、コックとして雇うことになる。彼女自身、十代だった八〇年代にミラノでの暮らしに飽き飽きして、山に別天地を求めてきた人間だ。フォンターナ・フレッダに根を下ろして三十五年が経ち、そろそろ新天地を夢見ている。
シルヴィア(二十七歳)はバベットの店に住み込みで働く新米ウェイトレス。若い彼女は生き方を模索して旅を重ねるうち、冬のフォンターナ・フレッダにたどり着いた。夏にはどこかアルプスの高みにある山小屋で働いてみたいと考えている。
サントルソ(五十四歳)は生まれも育ちもフォンターナ・フレッダという生粋の山男。元森林警備官(日本でいう森林官に近いが密猟の取り締まりなども行う)で、冬はスキー場で圧雪車に乗っている。何かとややこしい人間の世界よりも動物の世界のほうが好きで、最近、隣の谷まで戻ってきたと噂の狼に会える日を心待ちにしている。ちょっと気難しい性格だが、自然についての豊富な知識でファウストを魅了する。
本作は、フォンターナ・フレッダにおける彼ら四人のおよそ一年間におよぶ交流を軸に、フォンターナ・フレッダ周辺の森、氷河に面したクインティーノ・セッラ・アル・フェリク小屋(標高三五八五メートル)、さらには四千メートル峰の白い稜線にいたるまで、モンテ・ローザの四季折々の自然の表情とそこに暮らす人々の喜怒哀楽を精緻な筆で描き上げた山岳小説だ。
モンテ・ローザはイタリアとスイスの国境、大まかに言えばツェルマットの南東、マッターホルンの東隣に位置している。モンテ(Monte)という言葉がイタリア語で「山」を指すため、イタリアでもひとつの山の名前と誤解されることがままあるが、実際は主峰デュフール(四六三四メートル)をはじめとした四千メートル級の山々が連なる山塊の名だ。
アルプスでも屈指の規模を誇るゴルナー氷河など多くの氷河を擁しており、Monte Rosa という地名も、地元の古い言葉で「氷河」を指すrouja に由来し、「氷河の山」という意味であるとされている。しかし「夕陽で薔薇色に染まる様子が美しいから、薔薇(rosa)の山でモンテ・ローザ」というかつて主流だった説もなかなかに魅力的だ。
新潮社より関口英子氏の訳で刊行されているコニェッティの小説『帰れない山』と随筆集『フォンターネ 山小屋の生活』の読者は既にご存じかもしれないが、七八年生まれの作者は三十歳の時からもう十年以上、モンテ・ローザのふもとのアヤス谷ブルッソン村にあるフォンターネという集落の山小屋とミラノの自宅を行き来する生活を送っている。春から秋にかけてはフォンターネで山や森を歩いたり、薪を割ったり、畑仕事をしたり、友人たちと会ったりして過ごし、冬はミラノで、山で得た着想を元に執筆に取り組むことが多いそうだ。
フォンターネは標高約一九〇〇メートル、家はたったの四軒、住民は作者のみというごく小さな集落だが、そこから一〇〇メートルほど下ったところに三十軒ばかりの家々が集まったエストゥルというもう少し大きな集落がある。実はこのエストゥルこそ、『狼の幸せ』のフォンターナ・フレッダ(一八一五メートル)のモデルであり、Il Pranzo di Babette、すなわち〈バベットの晩餐会〉という名のレストランもエストゥルに実在している。
かつてフォンターネに暮らし始めたころ、コニェッティはまさに本作の主人公ファウストのように作家として行き詰まり、このレストランで二年ほどコックとして働いたことがあった。
つまり、『狼の幸せ』は作者の実体験が色濃く反映された小説なのだ。
二〇一七年に『帰れない山』でイタリアを代表する文学賞であるストレーガ賞を受賞し、世界的な成功を収めたコニェッティは、次は恋愛小説を書いてみたいという想いを長いこと温めてきた。ファウストとシルヴィアというふたりの主人公の物語にすることも、ふたりの恋の行方も大筋はずいぶんと前から決まっていたが、どうしても最初の一ページから先に進めず悩んでいた。
二〇二〇年一月、コニェッティはそんな悩みを〈バベットの晩餐会〉の主人バルバラ・フェーディに打ち明けた。すると「いったん仕切り直して、あなたがここのキッチンで働いていたあの冬のことから書き始めてみたら? わたしたち、ここで一緒に素敵な時間を過ごしたじゃない?」と勧められ、そのとおりにしてみると、はたして順調に筆が進みだした。最初はふたりだったはずの主人公は、バルバラをモデルにしたバベットと、やはりエストゥルで出会った山男た
ちをモデルにしたサントルソが加わり、いつの間にか四人となった。
ところが同じ二〇二〇年の三月九日から新型コロナウイルスの流行にともなうロックダウンが始まり、作者はミラノの家で長い「ステイホーム」を余儀なくされる。フォンターネの山小屋にこもるという選択もできたが、パートナーがミラノに住んでいるなど諸事情があって町に留まった。
町に住んでいても、思い立ったらいつでも愛する山々に帰れる自由を長年何よりも大切にしてきたコニェッティだから、ロックダウンの日々はさぞ息苦しいものになるだろうと思われたが、本作の執筆作業が大きな救いとなる。普段はミラノから一七〇キロ、車で二時間程度で着くのに、不意に〝帰れない山〟となってしまったモンテ・ローザへの強烈な郷愁とエストゥルの友人たちへの思慕の念が、彼の地を舞台にした物語を編むことの新たな動機となり、その作業自体が、コロナ禍の過酷な現実から彼を守る避難所(リフージョ)となったのだ。
『狼の幸せ』という題名も、ロックダウン中に書かれた物語であることを考えると、好奇心の赴くままに自由に、常に新たな土地を目指して旅を続ける狼たちの生き方への作者の特別な憧憬が感じられる。
そういった一連の背景から『狼の幸せ』はまさに「コロナ文学」と呼ぶにふさわしい小説であるように思う。
さらに本作には日本人読者にとってひとつ特別な価値がある。葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景』が物語のモチーフとしても、小道具としても、極めて重要な役割を果たしているのだ。
ロックダウンのあいだ、作者は毎朝、『三十六景』のひとつを選んで観想し、時には模写もし、そこから得た着想を元に一章ずつ書き進めていった。
訳者に宛てたメールで彼はミラノでの執筆風景をこのように説明してくれた。「窓の外では、ミラノの町が人影もなく静まりかえっていて、通りを行き来するのは救急車と霊柩車ばかりでした。そして遠くにはモンテ・ローザの氷河が輝くのが見えました。つまり、本当に北斎の絵のなかにいるような気分だったんです。不動の山と、はかない浮世の暮らしを描いたあの瞑想的な傑作の風景のなかに僕はいました」
『富嶽三十六景』には富士山を背景に江戸時代後期の人々の風俗が描かれているが、「今この瞬間」を全力で生きる庶民の暮らしぶりと、そんな人間たちにはまるで無関心で、泰然自若として「いつも変わらずそこにある」山とのコントラストにコニェッティは強い印象を受け、彼もまた、モンテ・ローザを背景に今を生きる者たちの『三十六景』を書いてみたくなったのだそうだ。だから『狼の幸せ』は、以前から禅や仏教に関心を持っていたコニェッティならではの独特な感性と北斎の浮世絵との幸運な出会いから生まれた作品でもあるのだ。
三十六章+エピローグという構成も明らかに『三十六景』を意識したものだ。事実、中篇小説でありながら、一章一章がまさに一幅の絵画のようにひとつの「風景」として完結しているような印象を訳者は受けた。いったん読み終わったら、気に入った章だけ短篇小説として読み返してみるという楽しみ方もできるだろう。
なお巻末にはエストゥルの〈バベットの晩餐会〉の主人バルバラとガブリエーレというふたりの友人への献辞があるが、『フォンターネ』にも登場し、本作のサントルソのモデルにもなったエストゥルの牛飼い、ガブリエーレは二〇二一年八月に急逝している。
「この肉体は滅ぶとも──」という短い詩は、北斎の辞世の句「人魂で行く気散じや夏野原(人魂になって夏の野原に気晴らしに出かけようか)」をコニェッティがアレンジして亡き親友に捧げたものだ。あの献辞を読み、その意味を知った時、訳者は本作がモンテ・ローザの友人たちへの愛情と感謝が凝縮された一冊であることを改めて感じた。
私事になるが中部イタリア・マルケ州に暮らす訳者も十年以上前から、二千メートル峰の連なるシビッリーニ山地国立公園を四季を通じて歩き、山麓に生きる山人たちと交友を重ねてきた。
だから作者のように普段の生活圏を離れ、ひとつの避難所(リフージョ)としての山に向かいたくなる気持ちも非常によくわかる。帰ってきた、そう思える第二、第三の故郷があることの幸せ、そう思うことで生まれる心の余裕はなかなかに貴重だ。たとえそれが、また町に帰る人間のかりそめの感傷に過ぎないとしても。
北部のアルプスの氷河も四千メートル級の山々もいまだに縁がないが、作者の情景描写に耳を傾け、地形図を眺めながらその風景を思い描き、時には狼の遠吠えさえ聞きながら、一歩一歩、主人公たちとモンテ・ローザを登り、訳文を練る作業は至福のひと時だった。唐松の森や、氷河のクレバスのスノーブリッジや、白くたおやかな山稜を自分まで息を切らせて歩いたような気分になれた。いや、ある意味では、本当に歩いたのだろう。
そんな体験を日本の読者のみなさんにもお届けできたなら、訳者としてこれ以上の喜びはない。
モンテ・ローザへようこそ。
二〇二三年三月
モントットーネ村にて
■書誌情報
書名:狼の幸せ
原題:La felicità del lupo
刊行日:2023年4月11日
製本:四六判並製
ISBN:978-4-15-210227-0
定価:2640円(10%税込)