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《三体》三部作にまっすぐつながる劉慈欣らしさが濃縮された一冊――劉慈欣『超新星紀元』訳者・大森望氏あとがき

 いよいよ劉慈欣の記念すべき長篇デビュー作品、『超新星紀元』発売となりました! 早くも、読了したぞ! という方はいらっしゃるでしょうか?

本欄では、本作の訳者である大森望氏によるあとがきを掲載します。 

訳者あとがき 大森 望 

  お待たせしました。《三体》三部作で世界を震撼させた中国SFの巨星・劉慈欣の記念すべき第一長篇『超新星紀元』をお届けする。

 時は現代。太陽系から八光年の距離にある恒星が超新星爆発を起こし、やがて地球に大量の放射線が降り注ぐ。その中に含まれる未知の宇宙線には、人体細胞の染色体を破壊する致命的な効果があった。一年後にも生きていられるのは、染色体に自己修復能力がある若い人類──その時点で十二歳以下の子どもたち──だけ。いまから一年後の世界では、大人たちがすべて死に絶え、人類文明は十四歳未満の子どもたちに託される。子どもしかいない"超新星紀元"の社会は、いったいどうなってしまうのか?

 日本のSF読者なら、この設定を見て、小松左京の名作短篇「お召し」を思い出すかもしれない。「お召し」は、満十二歳以上の人間がすべて消えてしまう現象を体験した子どもの手記が、それから三千年あまり経った未来で発見されるという物語だが、子どもだけの世界を描く作品ということなら、SFにかぎらず、これまでにたくさんある。ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』や、本書でも言及されるウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』を想起する人もいるだろう。SFならロバート・A・ハインライン『ルナ・ゲートの彼方』とか、漫画なら楳図かずお『漂流教室』とか、例を挙げればキリがない。

 本書『超新星紀元』は、このシンプルな設定に正面から挑み、波瀾万丈というかなんというか、作中にも登場するウルトラスーパー絶叫マシンさながらの二転三転を経て、予想もつかない地平へと読者を導く。死を覚悟した大人たちが、世界を引き継ぐことになる子どもたちのために、死に至るまでの短い猶予期間を使って必死に準備し、みずからの知識や技術を伝えようとベストを尽くす、そんな感動的な導入から、まさかこんな物語が展開することになろうとは……。

 思わず茫然とするサプライズは著者の十八番だが、ここまで大胆不敵かつ好き放題にやってのけられたのは第一長篇なればこそか。いずれにしても、《三体》三部作にまっすぐつながる劉慈欣らしさが濃縮された一冊である。

 

 あらためて本書の来歴をふりかえると、著者が『超新星紀元』(簡体字では『超新星纪元』)の第一稿を書き上げたのは一九八九年十二月のこと。当時、著者はまだ二十六歳の若さだった。その後、何度かの全面的な改稿を経て、二〇〇三年一月、作家出版社から単行本として刊行された。

 ちなみに、著者は本書に先立ち、一九八九年一月に、現実世界とネット上の仮想世界との戦争を描く近未来サイバーSFサスペンス長篇『中国2185』を書き上げているが、こちらは現在に至るまで未刊(中国語版のテキストはネット上で読める)。また、本書が出版される前年の二〇〇二年九月には、遺伝子工学によって生み出されたモンスター生物を描くSFサスペンス『魔鬼积木』(悪魔の積み木/未訳)を福建省児童出版局から上梓しているが、これはフルサイズの長篇ではなく、邦訳して二百五十枚ほどの中篇。現在は中篇版「白垩纪往事」(『老神介護』に収録されている短篇「白亜紀往事」のロングバージョン)との合本のかたちで出版されている。というわけで、商業出版されたフルサイズの長篇としては、本書『超新星紀元』が劉慈欣の第一作ということになる。

 邦訳の順序は原書刊行順と逆になったが、『超新星紀元』、『三体0 球状閃電』、『三体』とたどっていけば、劉慈欣の作家的な進化がよくわかる。『球状閃電』や『三体』と同じく、本書でも戦争が大きなテーマのひとつになり、その意味でもSF作家・劉慈欣の原点と言っていいだろう。ロシアによるウクライナ侵攻を目のあたりにした二〇二三年のいま、『超新星紀元』を読むと、また新たな感慨が湧いてくるかもしれない。

 

 原書刊行から二十年以上、初稿の完成からだと三十年以上の年月が経ち、中国をとりまく状況は一変しているが、小説の内容は(おそらく二〇〇〇年ごろの設定だと思われる作中の通信環境やIT環境、仮想世界の描写をべつにすれば)ほとんど古さを感じさせない。

 本書の英訳版が二〇一九年に刊行されたとき(翻訳は、『三体Ⅱ 黒暗森林』や『球状閃電』の英訳者であるジョエル・マーティンセンが担当している)、新たに寄稿したあとがきの中で、著者はそうした中国の変化について、以下のように語っている。三十年前には自分の住む街から北京までは列車で七時間かかったのに、あるときとつぜん(体感ではほとんど一夜にして)時速三百キロの高速鉄道が開通し、北京までの乗車時間は二時間に短縮された。しかも、そういう驚くべき変化は、(少なくとも著者の主観では)大々的に報じられることもなく、知らないうちに起きていたと言う。

 著者いわく、かつて、中国には未来という概念がなかった。きょうはきのうと同じで、あしたはきょうと同じだと、だれもが潜在意識ではそう思っていた。ところがいま、"未来的"であることが中国のもっとも顕著なイメージになり、あらゆるものが目の眩むようなスピードで変化しつつある。

 劉慈欣はそこから、『超新星紀元』の第一稿を書いた三十年あまり前を回想する。出発点は、その年、出張で北京に行った夜に見た夢だった。銃剣を装着した小銃を持つ子どもたちの隊列が、歌を歌いながら、青い光に照らされた果てしない雪原をどこまでも行進していく……。冷や汗をかいて飛び起きたが、そのおそろしい光景を思い出すといまでも動悸がする。そのイメージをもとに書き上げたのが『超新星紀元』だった。以下、あとがきの一節を引用する。

「その当時、いまから三十年後の中国はこうなっているとだれかが現在の状況を予言したとしたら、SF作家であるわたしでさえ、それを信じることはむずかしかったでしょう。にもかかわらず、本書『超新星紀元』は、毎日どんどん新しくなるまっさらな世界を前にして中国の人々がどう反応するかを正確に描いています。新しい信念や土台を築く暇もなく古い信念や土台が崩れ去ってしまう時代に、中国人はいったいどう反応するか? 答えは、まったくの混乱です。正しく言えば、これは中年以上の──わたし自身のような年代の──人々の反応です。中国の新たな世代は、情報化時代に生まれたデジタル・ネイティヴとして、この新しい世界に完全に溶け込んでいます。だれかに教えてもらうまでもなくインターネットの達人となった彼らは、不可欠の外部装置としてすみやかにネットを取り込みました。彼らにとっては、これこそが世界の当然のありようであり、変化はあたりまえのものなのです。本書の中に彼らを放り込んだら、大人たちがいなくなった超新星紀元の世界に、もっとやすやすと適応することでしょう」

 しかし、本書の中では、大人たちがいなくなった世界で子どもたちが抱く孤独感──置き去りにされてしまった心細さがくりかえし強調される。『三体Ⅱ 黒暗森林』の中には、地球とのつながりが完全に断たれてしまった宇宙船のクルーたちの精神が大きく変容し、"地球人類"とはべつの存在になってしまうという描写があるが、それは本書で描かれる孤独感の発展形かもしれない。

 親から見捨てられる恐怖は、いつの時代にも、人間に永遠につきまとう恐怖だと、劉慈欣は書く。

「人類全体にとっても、それは最大の恐怖であり、文明に深く根ざした不安であり、われわれの精神生活の中で重要な位置を占めています。宇宙の果てしない闇を見つめながら、人類は存在しない保護者の手を求めて必死に手を伸ばしています。しかし、他の知的文明の存在を示すしるしは見つからない。

 つまり、人類は闇の中に残され、親の手を見つけることができずにいる寄る辺ない孤児であり、無邪気さと荒々しさの火花を散らしているあいだも、その心は恐怖と混乱に満ちているのです。……もしかしたらわたしたちは、本書に登場する子どもたちほど幸運でさえないかもしれない。なぜなら、わたしたちの学習の過程で指導してくれる人はだれもいないのだから。

 そう考えると、この小説で語られるストーリーは、ごくあたりまえのものなのです」

 

 最後に本書の翻訳についてひとこと。本書は、『三体』、『三体X 観想之宙』(宝樹)、『球状閃電』と同じく、光吉さくら、ワン・チャイ両氏が中国語テキストから翻訳した原稿をもとに、大森が仕上げの改稿を担当した。科学的な記述については例によって林哲矢氏にチェックしていただいたほか、今回は、軍事的な記述について、作家の林譲治氏に閲読をお願いし、多数の疑問点を指摘していただいた。もちろん、誤りがあれば、最終原稿をつくった大森の責任である。また、本書の刊行にあたっては、例によって、早川書房編集部の清水直樹氏と梅田麻莉絵氏、そして校正担当の永尾郁代氏にお世話になった。カバーは、おなじみの富安健一郎氏に描き下ろしていただいた。みなさんに感謝する。

 さて、劉慈欣作品の邦訳も本書で九作目(上下巻を二冊と数えると十一冊目)。フルサイズの長篇はこれですべて翻訳されたことになる。劉慈欣邦訳ラッシュもこれで一段落──かと思いきや、前述した『白亜紀往事』中篇版の邦訳を独立した単行本として刊行できることになった。白亜紀に力を合わせて驚くべき文明を築き上げていた蟻と恐竜の物語をお楽しみに。

  二〇二三年六月

『超新星紀元』
劉慈欣=著
大森望、光吉さくら、ワン・チャイ=訳
カバーイラスト/冨安健一郎
カバーデザイン/早川書房デザイン室

時は現代。太陽系から8光年の距離にあるひとつの恒星――"死星"が超新星爆発を起こし、やがて地球に大量の放射線が降り注ぐ。その中に含まれていた未知の高エネルギー宇宙線には、人体細胞の染色体を破壊する致命的な効果があることが判明。生き延びられるのは、染色体に自己修復能力がある若い人類――その時点で12歳以下の子どもたち――だけ。いまから1年後、大人たちはすべて死に絶え、人類文明は14歳未満の子どもたちに託される。子どもしかいない“超新星紀元”の社会は、いったいどうなってしまうのか? 大人たちは、残り少ない時間を使って、伝えられるかぎりのことを子どもたちに伝えようとするが……。

《三体》三部作で世界を震撼させた中国SFの巨星・劉慈欣が若き日に着想を得た、記念すべき第一長篇がついに邦訳刊行。のちの《三体》へとつながる、劉慈欣ならではの魅力が濃縮された衝撃的な黙示録。

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