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ホモ・デウス化を回避するプリミティブ/オルタナティブな自己変容――なぜ今、仏教なのか?

by 早川書房ノンフィクション編集部

1999年、オックスフォード大学。ジーザス・カレッジの歴史ある図書館で、ひとりの青年が博士論文に取り組んでいる。中世の兵士たちが記した自伝的文書に目を通しながらも、青年の心は別に向いていた。人生の意味とは? この世界や私自身の人生にはどうしてこれほど多くの苦しみがあるのか? 読んだ本から得られるものはすべて、手の込んだ虚構にすぎなかった。 

青年には親友がいた。ロンという名のその親友は、青年をヴィパッサナー瞑想に誘った。1年間断り続けた挙句、青年は折れた。2000年4月、青年は10日間のヴィパッサナ―講習に参加した。そしてこの10日間で「そのときまでの全人生で学んだことよりも多くを、自分自身と人間一般について学んだ」。青年は後年、瞑想による集中力と明晰さに支えられ、『サピエンス全史』という世界的ベストセラーを書き上げることになる。

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、「正義」「ポスト・トゥルース」「SF」など現代において最も重要な21のテーマを論じた『21 Lessons』(柴田裕之訳)の第21章(最終章)に「瞑想」をあてた。ハラリは毎朝2時間瞑想し、毎年1か月か2か月は長い瞑想修行に行く。

初めて瞑想講習に参加したときの驚きを、ハラリは次のように書いている。

どれほど努力しても、息が自分の鼻を出入りする実状を10秒と観察しないうちに、心がどこかへさまよいだしてしまう。私は長年、自分が人生の主人であり、自己ブランドのCEOだとばかり思い込んでいた。だが、瞑想を数時間してみただけで、自分をほとんど制御できないことがわかった。私はCEOではなく、せいぜい守衛程度のものだった。(……)それは目から鱗が落ちるような体験だった。

ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか』(熊谷淳子訳)によれば、これは一番の「瞑想あるある」であるという。

とくに幅広く見られる共通の瞑想経験が一つある。それは、心が一カ所にとどまろうとしないせいで瞑想するのが本当にむずかしいということだ。すでに見たとおり、心がさまよっているのに気づくことは、従来の自己についての考え方に異論を唱えたときブッダが言わんとしていたことをいくらか理解することでもある。CEO自己が存在するなら心はその命令に従って言われたとおり呼吸に集中するはずだからだ。

ところでハラリは『ホモ・デウス』において、テクノロジーによって身体をアップグレードした一部の人間=「ホモ・デウス」とそれ以外の人々の間に圧倒的な格差が生まれる未来図を描き、警鐘を鳴らした。

それをふまえれば、ハラリと瞑想の結節点がよりはっきりと見えてくる。瞑想とは、テクノロジーによらず生物学的な限界を超える方法である。再び、ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか』より。

人の脳は、飛びこんでくる入力にかなり反射的に反応するよう自然選択によって設計された機械だ。感覚器官からの入力に支配されるよう設計されているといってもいい。支配のかなめとなるのは入力に反応して生じる快や不快の感覚だ。もしタンハー(欲望)を介してこの感覚に対応するなら、つまり快の感覚に対しては反射的に渇望が生じるにまかせ、不快の感覚に対しては反射的に忌避が生じるにまかせるなら、まわりの世界に支配されつづけることになる。しかし感覚にただ反応するのではなく、感覚をマインドフルに観察すれば、ある程度その支配から抜けだせる。普段私たちの行動を勝手に方向づけている原因に抵抗することができ、「無為」すなわち「条件づけによらないもの」に近づくことができる。

瞑想を通じて、人間は「条件づけによらないもの」に生まれ変わる。ホモ・デウス化を回避しつつ「人間」のデフォルトを書きかえるための、プリミティブ/オルタナティブな自己変容――。

「なぜ今、仏教なのか」という問いに対する、これが(逆説的な)回答例である。とはいえ、答えはひとつとは限らない。

たとえば、昨今話題の思想潮流のひとつとして「反出生主義」が挙げられるが、仏教思想との類似性が指摘されている。哲学者の森岡正博氏は次のように述べている。

(……)輪廻をやめて、この宇宙全体から消えることを目指すのが原始仏教の根本にある考え方です。そう考えてみると、一面では原始仏教の考え方は反出生主義のようにも見える。もうどこへも生まれ変わらないということを目指すのは、出生の否定です。(『現代思想 2019年11月号 特集*反出生主義を考える』より)

ただし、仏教は完全に反出生主義ではなく、二面性を帯びている。

原始仏教には反出生主義の視点から見た場合に二面性があって、一方においては出生は否定されているが、もう一方においては出生の否定を目指す出生は肯定されている。(同上)

仏教の教えのうち、瞑想のような「自然主義的」な要素を後者に、輪廻のような「超自然的」な要素を前者に対応づけることができるだろう。そしてライトによれば、両者はシームレスにつながっている。

仏教にはこの本で取りあげてきたような「自然主義的」な側面があり、これは大学の心理学や哲学の講義にすんなりおさまる。そして仏教にはもう一つ、宗教学部のほうがしっくりくる超自然的で異国めいた側面もある。ニルヴァーナ(涅槃)に奇想天外な面があるのはまちがいない。輪廻を信じる仏教徒は、永遠にくり返される輪廻転生の輪からの解放としてニルヴァーナをとらえる。しかしこのニルヴァーナについての話──どのようにして輪廻からの脱出口を探すかという話──は、より自然主義的なニルヴァーナについての話──苦しみと安らぎのしくみについての主張──につぎめなくつづいている。そして一方の話からもう一方の話へと進む過程で、私たちはマインドフルネス瞑想を新たな目で見直し、この瞑想がいかに革命的な取り組みになりうるかを再認識できる。

ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか』は現在丸善丸の内本店の週間ベストセラーにランクインしており、この問いがアクチュアルであることを裏付けている。一切皆苦にまみれて、人は問い続ける。ハラリを読んだビジネスパーソンにも、反出生主義者にも、この問いが届けばいいと思う。


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