ある日、急に「ゼロ」を思いついたヨウム(『アレックスと私』より)
世界一有名な「天才」ヨウムとして知られるアレックス。そう呼ばれるようになった大きな理由は、語彙はかぎられていたものの、訓練によって学習した人間のことばを使って、ヒトとまっとうに交流できたことにあります。
しかし本書『アレックスと私』では、アレックスが訓練なしにとった「知的」な行動もたくさん紹介されています。あたらしいことばをつくり出したり、後輩に教えたり、人間をあざむいたり......。そんなエピソードの中から、今回は数にかんする訓練を受けていたアレックスが、急に「ゼロ」という概念を思いついた場面をご紹介します。
書籍の詳しい内容については、下のリンクから前回の記事をご覧ください。
数字についての訓練を新たにはじめたのは2003年の秋だったが、その時点でアレックスは数字の「1」から「6」まで知っていた。しかし、おぼえた順番は番号順ではなかった。はじめにおぼえたのは、たとえば三角形の木材を指す「スリー コーナー ウッド」の「3」と、四角い紙を指す「フォー コーナー ペーパー」の「4」だった。つぎにおぼえたのが「2」、続いて「5」と「6」、そして最後が「1」である。
今度の訓練では、アレックスが数字の意味を本当に理解しているのかどうかを確かめることにした。3歳前のヒトの子どもに4個のビー玉を見せ、「いくつ?」と聞くと、たいていの場合は正しく「4つ」と答えられる。しかし、ビー玉がたくさん入っている箱を差し出して同じ子どもに「ビー玉を4つ取って」とお願いしても、適当にわしづかみしたたくさんのビー玉を渡されるのがオチだ。言葉もそうだが、「言える」からといって「理解している」とは限らないのだ。
アレックスが数字を理解しているかどうかを確かめるために行ったテストは、わりと単純明快なものだ。たとえば、グリーンのキーを2本、ブルーのキーを4本、そしてローズ(赤)のキーを6本載せたトレーをアレックスに見せ、「4つは何色?」と聞くのだ。この場合の正解はもちろん「ブルー」だ。飽きないように数日間に分けてテストしたが、アレックスは8回の試行で正しい答えを言えた。正直なところ、私は感心した。なんて頭のいい鳥なんでしょう!
(編集部注:アレックスが「赤」を「ローズ」と呼ぶのは、発音のしやすさを考慮してそのように訓練を受けたため)
しかし、それからの2週間、アレックスはこのテストを拒否するようになってしまった。質問をしても、天井を眺めたり、トレーに載っていない物体や色のラベルを言ったり、間違ったラベルを延々と繰り返したりした。そうでなければ、私を無視して羽づくろいをした。あるときは、正解以外の知っているラベルをつぎつぎと言った。そして、水や食べ物を要求したり、しまいには「カエリタイ」とケージに戻すように言ったりした。
しかし、アレックスは突然ストライキをやめた。なぜかはわからないが、それまでの手詰まりを補ってあまりあるくらいの見事な解答をしたのだ。その日は、違う色のブロックをそれぞれ2個、3個、そして6個、トレーに載せていた。私は「3つは何色?」と聞いた。アレックスは、とても意味深に「ファイブ(5)」と答えた。それまでの彼の無関心さとは明らかに違う答え方だった。
私はもう一度「3つは何色?」と聞いた。アレックスはまた「ファイブ」と答えた。
「違うでしょ、アレックス。3つは何色?」この時点で、私はかなり戸惑っていたし、なぜ『ファイブ』と言うの? トレーには5個あるものはないのに?」と少しイライラしていた。
彼はまたしっかりとした口調で「ファイブ」と繰り返した。私は逆に意地悪をしようと思い、「わかったわ、天才ヨウムさん。5つは何色?」と質問を変えた。
アレックスは間髪入れず「ナン(none)」と答えた。
私は驚いた。本当にアレックスはわかって「ナン」と言ったのだろうか? 何年か前に、「同じ/違う」の見分けを訓練したことがあった。さまざまな色、形、素材や大きさの2つの物体を見せ、たとえば「何色が大きい?」と聞き、大きさが同じ場合は「ナン」と答えるように教えていた。そのときの学習が今回の課題に転移して、「5個のセットはない」という意味で使っているように思えた。もし本当にそうなら、アレックスは「ゼロ」という意味で「ナン」を使っていたことを意味する。
この解答が偶然でないことを確かめるために、私たちは1個のセットがないトレーを見せて「1つは何色?」、2個のセットがないトレーで「2つは何色?」という具合であと6回同じような試行をした。アレックスはそのうちの5回で正解した。間違ったのは、トレーに載っていない色の物体についてたずねたときだけだ。どうやら、彼はゼロの概念をある程度理解できていたようだ。
それにしても、最初にアレックスが「ファイブ」と答えたとき、彼の頭の中では何が起きていたのだろうか? しばらく答えることを拒否していたので、テストされることに飽きて退屈していたことは確かだろう。まるでストライキ中の2週間の間に「つまんないなあ……どうやったらおもしろくなるかなあ……わかった! トレーに載っていないことを言ってやろう!」とでも考えていたかのようだ。
学校に通う子どもや、多くの大人を見てわかるように、「退屈」というのはとても強い感情だ。そして今回の例を見てもわかるように、それは決して人間に特有の感情ではない。アレックスがこの場面で「ナン」と答えたのは、いろいろな意味で特筆すべきことだ。ひとつめには、「ゼロ」というのは非常に抽象的な概念だということがあげられる。西洋文明で「ゼロ」を意味する言葉が導入されたのも1600年代と、かなり最近のことである。ふたつめには、この場面でアレックスが「ナン」と答えるように、私たちは訓練していなかったということだ。彼は自分で考えついたのである。
私がノースウェスタン大学からトゥーソンに異動する直前に、タフツ大学哲学科のダン・デネット教授と話をする機会があった。そのとき、「グリーンのものが何もないときに、アレックスに『グリーンのもの、何?』と聞いたらどうなりますか? アレックスは『ない』と言えますか?」と聞かれた。当時、そのことを調べるのを私は少し躊躇したが、試しに1回だけやってみた。紫以外の色とりどりのおもちゃの載ったトレーをアレックスに見せ、「パープルのもの、何?」と聞いた。彼は私をじっと見て、「グレープ ホシイ」と言った。たしかに、グレープは紫色だ。
私は頭の中で「アレックスは、私の思い通りに答えないことで、私を出し抜こうとしているみたい。本当に私を出し抜こうとしているとしたら、それはかなり賢いことなのだけれど、本当にそうなのか、それとも単に間違えているだけなのかを判定するのは難しいし、裏付けようがない」と思って、本格的に調べることを諦めた。でも最終的に、アレックスは自分の力で「ナン」の意味を理解して使うことができたということになる。
この例を見た限りでは、アレックスはそのちっぽけな脳で、古代ギリシャの偉大な数学者であるアレクサンドリアのエウクレイデスですら思いつかなかった「ゼロ」の概念を考え出したようだ。このことは、音素の訓練のときに「n・u・t」を一文字ずつ発音したときと同じくらい、いや、それ以上の驚くべきことだといえる。アレックスはいったいどれだけの能力を秘めているのだろうか?
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