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個々の自我が失われた世界、薬や電気刺激による感覚のセルフコントロール……自己と自由を問う探究の書! 『闇の自己啓発』書評:橋本輝幸 #闇のSF読書会

4月上旬から、ハヤカワ文庫SFフェア「#闇のSF読書会」が全国主要書店で順次開催されます。

本記事では、SF書評家の橋本輝幸さんによる『闇の自己啓発』書評を公開します。『闇の自己啓発』とSFの交点とは? 「闇の自己啓発会」によるSF読書会の公開に先駆け、ぜひご一読ください!


知的探求のよろこびにあふれた探究の書

話題の読書会の書籍化

『闇の自己啓発』
江永泉、木澤佐登志、ひでシス、役所暁
書評:橋本輝幸(書評家)

本書は、私的読書会の内容を公開したウェブ記事の書籍版である。書籍化にあたって収録記事は選抜され、三つに章分けされた。内訳は闇の社会(ダークウェブ、中国)、闇の科学(AI・VR、宇宙開発)、闇の思想(反出生主義、アンチソーシャル)である。いささかセンセーショナルな取り合わせは、一部のSF読者の気を引くに違いない。実際、思考実験的な話題は豊富で「闇の科学」の章では個々の自我が失われた世界の仮定や、薬や電気刺激による感覚のセルフコントロール等が話題となる。伊藤計劃『ハーモニー』やグレッグ・イーガン「しあわせの理由」ももちろん言及される。自己と自由は本書の重要なキーワードで、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「愛はさだめ、さだめは死」をエピグラフにした江永泉の補論でも、役所暁のまえがきでも強い印象を残す。

課題書には海猫沢めろんや稲葉振一郎の著作も選ばれ、第五十一回星雲賞ノンフィクション部門候補になった著書『ダークウェブ・アンダーグラウンド』(イースト・プレス)がある木澤佐登志が、同書が課題本となった回以外でもレギュラー参加している。本書は書籍以外を話題にした雑談パートも『天気の子』を取り上げたり、「加速主義、百合、シンギュラリティ」と題していたりする。

さて「闇の自己啓発」は、一般的な自己啓発がつねに有用とは限らないという問題意識から名づけられている。しかし徹底的な反自己啓発を訴えるわけでも、良識から遠い価値観を賛美するわけでもない。参加者たちがやっているのは、オルタナティブな価値観やアイディアの遊覧旅行だ。課題書の選択や発言の一部、そして「闇」の字や商品としてのパッケージから本書はしばしば色眼鏡で見られがちだが、実際は、現在の社会経済や思想に対する閉塞感の中で、真摯に脱出口を探求する本である。収録されなかった回の課題にはウォルター・ブロック『不道徳な経済学』(ハヤカワ文庫NF)や稲葉振一郎『不平等との闘い ルソーからピケティまで』(文春新書)もあったし、本書で何度かマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』(堀之内出版)が言及されるのも象徴的だ。時代と世代のムードと、九〇年代から二〇〇〇年代のコンテンツに対してのノスタルジア。

闇の自己啓発会は、世間の息苦しさから隔離された一種のユートピアに見える。自分の知識や研究を滔々と述べても許容される。大学のゼミやサークルならいざ知らず、社会に出てからこのような機会を持つことはまれだろう。参加者同士の意見の衝突や相互批判が見られないのも大きな特徴だ。発言は個々にゆだねられていて、ゆえに孤立も逸脱も発生しない。場は常に凪いでいる。おまけに書籍ではカットされているが、時においしいケーキやパフェとともに読書会が進められているのだ。自助=セルフ・ヘルプは自己啓発の訳語のひとつでもあるし、この会といわゆる自助グループの運営には明らかに似通った点がある。例えば匿名性。(三八六ページで江永氏がたどりつく偶然も参照してほしい)

読者は同じ本を読んでもこの素敵な箱庭には入れてもらえない。近い楽しみを得たいなら、自分自身でじっくり本を読み、語り、耳を傾けるしかないのだ。本書を読んで得るべきは、知的探求の旅のよろこび、道連れのありがたみである。

※S-Fマガジン2021年4月号掲載


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