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東京ディズニーリゾート開園40周年に読みたい!? 『ディズニーCEOが大切にしている10のこと』4月11日発売【本文試し読み】

一番新しいディズニーランドが開園、その時

2023年4月に開園40周年を迎える東京ディズニーリゾート。世界を見渡すと、最も新しいディズニーパークは2016年にオープンした中国の上海ディズニーランドです。ディズニー史上最大級の投資額が注ぎ込まれたというこのプロジェクト、水面下で行われていたこととは――。

ウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOを2005年から15年間務め、いったん退いたものの2022年11月に電撃復帰したことで話題のロバート・アイガー。著書『ディズニーCEOが大切にしている10のこと』(ロバート・アイガー、関美和訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫は、テレビ局の雑用係だった彼がビジネスパーソンとして覚醒し、激変期のエンターテイメント業界を一気に駆け上がる過程を描いた第一級のノンフィクションです。本書から一部を編集して、試し読み公開します。

『ディズニーCEOが大切にしている10のこと』ロバート・アイガー、関美和訳、早川書房、ハヤカワ・ノンフィクション文庫

プロローグ

2016年6月、私は中国を訪れていた。この18年間で40回目、過去半年で11回目の訪問だ。今回はいよいよ、上海ディズニーランドの開園に備えた最終確認の旅になる。この時、私はウォルト・ディズニー・カンパニーの最高経営責任者(CEO)として11年目を迎え、上海ディズニーランドの開園を花道に引退するつもりだった。

ディズニーの経営はスリルと興奮の連続で、上海ディズニーランドの開園は私のキャリアの集大成になるはずだった。ちょうどいい潮時しおどきだと感じていたが、人生というものは思い通りにいかないものだ。思いがけない時にまさかということが起きる。私がいまだにディズニーを経営していることが、そのいい証拠だろう。その週に上海で起きたこともまた、もっと深い意味でまさかの出来事だった。

上海ディズニーランドの開園予定日は6月16日の木曜日。その週の月曜には、第一陣の賓客ひんきゃくが到着する予定になっていた。ディズニーの取締役と経営陣、その家族、提携企業、投資家、証券会社のアナリストといった面々がやってくる。各国のマスコミはすでに大挙してつめかけていたし、さらに多くのメディアがくるはずだ。私はその時点ですでに上海に2週間滞在していて、気力だけで走っている状態だった。1998年に候補地探しのためにはじめて中国を訪問して以来、上海ディズニーランドのプロジェクトに最初から関わってきた人間は、私しかいなかった。そして、いよいよその成果を世界にお披露目ひろめする日がすぐそこまできていた。

ウォルト・ディズニーがカリフォルニア州アナハイムにディズニーランドを建設してから61年。これまでにディズニーランドを開園した都市は他に、フロリダ州オーランド、パリ、東京、香港の4か所だ。面積の広さではオーランドのディズニーワールドが今も最大だが、上海は違う意味で別格だった。ディズニー史上最大級の投資額が、このプロジェクトに注ぎ込まれていた。

数字だけでは全貌は表せないが、その壮大さを多少は伝えられるかもしれない。建設費用は総額60億ドル。面積は963エーカー(約3.9平方キロメートル)で、アナハイムの11倍の広さになる。建設過程でこの敷地内に寝泊まりしていた作業員はおよそ1万4000名にのぼった。中国の6都市でキャストを募集し、舞台とストリートショーに出演する1000人の歌手、ダンサー、俳優を集めた。完成までの18年間に、私が会った国家主席は3人、上海市長は5人、共産党幹部の数は多すぎて覚えていない(そのうちのひとりは汚職で逮捕され、プロジェクトの交渉中に中国北部に姿を消した。そのせいで、プロジェクトが2年ほど頓挫とんざしてしまった)。

土地の確保、提携企業への利益分配、経営権について果てしない交渉を繰り返し、中国人労働者の安全確保と職場環境の整備といった深刻な問題から、開園日のテープカットといった些細ささいな問題まで細かく考えてきた。上海ディズニーランドを完成させるまでの道のりはまさに、地政学を身をもって学ぶことであり、文化的な侵略と見られないようにグローバルな事業拡大の可能性を慎重に探ってゆく作業でもあった。私はプロジェクトに関わるメンバー全員に、「本物のディズニーに忠実に、かつ中国ならではの」体験を作り出すよう、口を酸っぱくして言っていた。それが、不可能なほど難しい挑戦であることは、よくわかっていた。

上海にいた私とチームのもとに、オーランドで起きた銃乱射事件のニュースが飛び込んできたのは、6月12日、日曜の夕方だった。銃撃事件の現場となったクラブは、ディズニーワールドからわずか25キロ弱の場所にあるパルスというナイトクラブだった。オーランドのディズニーワールドで働く従業員は7万人を超える。その晩銃撃された被害者の中に従業員がいないかどうかの確認を、私たちはハラハラしながら待っていた。保安部門の責任者のロン・アイデンは私たちと一緒に上海に前乗りしていたが、すぐにアメリカの
関係者たちに連絡を取りはじめた。私たちが第一報を受けたとき、オーランドはまだ夜明け前だった。上海とは13時間の時差がある。こちらの翌朝にはもっと詳しい情報がわかるはずだとロンが請け合ってくれた。

翌朝、私は朝イチで投資家との朝食会に出席し、プレゼンテーションを行なう予定になっていた。それからアメリカの朝の人気番組『グッド・モーニング・アメリカ』の司会者であるロビン・ロバーツとの長時間インタビューを収録することが決まっていた。インタビューの中で上海ディズニーランドをロビンに案内し、ロビンや番組クルーとアトラクションに乗る予定だった。その後、開園セレモニーの段取りを中国の要人たちと打ち合わせ、夜は取締役や経営陣と夕食を取り、そのあとで開園セレモニーの夜に開かれるコンサートのリハーサルを行なうことになっていた。その日あちこちに移動する私のもとに、ロンがちょくちょくやってきては最新の状況を説明してくれた。

銃乱射事件の死亡者は50人に達し、負傷者も同じくらいの人数にのぼっていることがわかった。犯人の名前はオマル・マティーンだということも知らされた。ロンの指揮下にある保安チームがデータベースを当たってみたところ、数か月前にマティーンがオーランドのマジック・キングダムを訪れていたことがわかった。さらに、銃撃の直前の週末には、ディズニー・スプリングスにあるハウス・オブ・ブルース近くの入り口の外側をウロウロしている犯人の姿が、監視カメラの映像に収められていた。

私のキャリアの中でもとりわけ背筋の寒くなるようなことがわかったのは、しばらくあとになってからだった。事件から二年後、殺人の共犯として裁かれていたマティーンの妻の裁判の中で(のちに妻は無罪になった)、犯人の当初のターゲットがディズニーワールドだったことが明らかにされた。FBI捜査官がロンにそのことを教えてくれたのだ。犯行現場で犯人の携帯電話が見つかり、電波塔の位置からその晩の犯人の足取りが判明した。FBIが足取りをたどったところ、監視カメラの映像から、犯人がハウス・オブ・ブルースの入り口付近をうろついていたことがわかった。その晩、ハウス・オブ・ブルースではヘビメタバンドのコンサートが行なわれていたため、いつもより5人も多く警官が出動し、拳銃装備で警備にあたっていた。犯人は周囲を5分ほどうろついたあと、車に戻る姿が監視カメラに収められていた。

監視カメラの映像から、マティーンがセミオートマチックのライフルと、セミオートマチックの拳銃をベビーカーの中に隠し、その上から買ったばかりの毛布をかけていたこともわかった。毛布で武器を隠し、ベビーカーを押して入り口を通り抜けるつもりだったらしいと、捜査官は言っていた。

ディズニーのパーク&リゾート部門を統括するボブ・チャペックも私と一緒に上海に前乗りしていたため、ロンが新しい情報を知らせてくれるたび、ボブと私は対応を話し合った。被害者の中に従業員がいたかどうかも心配だったが、ディズニーがターゲットになっていたことがマスコミに漏れる心配も出てきた。犯人が当初ディズニーを狙っていたことは大きなニュースになるはずだし、ディズニーファンや地域住民も動揺するに違いない。そんな緊迫した状況の中では、信頼できる仕事仲間だけとしか、極秘の情報を話し合えない。CEOとして緊急事態に直面するたび、人として尊敬できる優秀で冷静な仲間が周りにいてくれることが、何よりもありがたかった。ボブがまず最初にやったのは、ディズニーワールドの統括責任者であるジョージ・カログリディスを上海からオーランドに戻らせ、現場の人たちへの支援を強化することだった。

犯人の携帯電話の履歴から、車に戻ったあとに犯人がオーランドのナイトクラブを検索していたことがわかった。検索で最初にあがった店まで運転して行くと、入り口前が工事中で、渋滞が起きていた。2番目にあがったのがパルスで、ここが乱射事件の現場になった。犯行の詳細が明らかになるにつれ、恐怖と被害者を悼む気持ちが高まると同時に、犯人が私たちの厳重な警備に阻まれて「自分たちが難を逃れた」ことに申し訳なくもほっとしていた。

私はよく、「仕事上で、夜も眠れなくなってしまうほどの心配事は何ですか」と聞かれる。実のところ、仕事で眠れないほど悩むことはあまりない。もともと脳のつくりがそうなっているのか、幼い頃に家庭内の混乱から自分を守るために防衛本能が発達したからなのか、長年の仕事で自制心を身につけたからなのか、そのすべての組み合わせなのかわからないが、物事がうまくいかなくてもそれほど不安を感じない性格なのだ。悪い知らせを受けても、問題解決の落とし所を探すチャンスだと考えるし、災難は力を発揮できる機会だと思うタイプだ。とはいえ、ディズニーという象徴的な企業が犯罪のターゲットになりやすいことは充分に自覚していたし、私たちがどれほど警戒を高めても、すべてに備えることができないことも、重い事実として心にのしかかっていた。

予想もしないことが起きると、人は本能的に危機の深刻さを順位づけしはじめる。そんな時には、自分の中にある「危険度センサー」に頼るしかない。深刻な危機が目の前に迫っている場合には、今やっていることをすべて中断しなければならないこともある。しかし、今すぐに対応すべき深刻な危機であっても、「ここで自分は距離を置いて一旦別のことに集中し、あとで戻ってきた方がいい」と自分に言い聞かせる場合もある。たとえ自分が「最終的な責任者」でも、その場で自分にできることがない時には、手を出さない場合もある。仲間が正しく対処してくれると信じ、自分は目の前のやるべきことに集中した方がいい。

オーランドから遠く離れた地球の裏側の上海で、私が自分に言い聞かせていたのも、まさにこれだった。上海ディズニーランドの開園は、1971年にディズニーワールドが開園して以来最も重要な出来事だった。約100年のディズニーの歴史の中で、これほどの巨額を投資し、成功するにしろ失敗するにしろ、ここまで大きな可能性を秘めたプロジェクトはなかった。私はオーランドのチームと危機対応の手順を信頼し、乱射事件を無理やり頭から締め出して、開園セレモニーの最後の詰めに気持ちを向けた。


この続きは本書でご確認ください

この記事で紹介した本の概要

『ディズニーCEOが大切にしている10のこと』
著者:ロバート・アイガー(ウォルト・ディズニー・カンパニーCEO)
訳者:関 美和
出版社:早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
発売日:2023年4月11日
税込価格:1,210円

■著者紹介:ロバート・アイガー Robert Iger
ウォルト・ディズニー・カンパニーCEO。1951年生まれ。1974年、ABCテレビ入社。スタジオ雑務の仕事から昇進を続け、41歳でABC社長に就任。ディズニーによるABC買収を経て、2000年にディズニー社長に就任。2005年よりCEO、2012年より会長。2020年2月、CEOを退任するが2022年11月に復帰。2019年タイム誌「世界で最も影響力のある100人」および「ビジネスパーソン・オブ・ザ・イヤー」に選出された。
■訳者略歴:関 美和(せき・みわ)
翻訳家。杏林大学外国語学部准教授。慶應義塾大学文学部・法学部卒業。ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経てクレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長を務めた。訳書にウィット『誰が音楽をタダにした?』(早川書房刊)、ロスリングほか『FACTFULNESS』(共訳)など多数。

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