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フランスの高校生が選ぶルノードー賞、アメリカの学生が選ぶゴンクール賞受賞! 第二次世界大戦中、フランスのユダヤ人家族に起こった悲劇を描く傑作長篇『ポストカード』(アンヌ・ベレスト/田中裕子訳)「訳者あとがき」公開

2023年8月2日水曜日、第二次世界大戦中、フランスに住むユダヤ人家族の、知られざる真実を描いた長篇小説『ポストカード』(アンヌ・ベレスト/田中裕子訳)を早川書房から刊行いたします。こちらのnoteでは、訳者の田中裕子さんによる「訳者あとがき」を公開いたします。

あらすじ

2003年1月、パリ。
著者アンヌ・ベレストの母のもとに差出人不明のポストカードが届けられた。メッセージ欄には、祖母の両親と妹と弟の名前だけがあった。4人は1942年にアウシュヴィッツで亡くなっていた。

誰が、なんのために60年の時を経てこのポストカードを投函したのか。調査を続けるうち、著者の母方の一族の知られざる過去が明らかになる。ロシア革命から逃がれ、東欧やパレスチナをへてパリに安住したものの、その後ナチスにより離散したユダヤ人一家と、一人だけ生き残った祖母。なぜ祖母だけが強制収容所への送還を免れ、生き延びたのか。

著者の母のもとに実際に届いたポストカードをもとにあるユダヤ人家族の苦難の歴史をひもとく、フランスの高校生が選ぶルノードー賞とアメリカの学生が選ぶゴンクール賞受賞の感動の長篇小説。

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訳者あとがき

 本書『ポストカード』は、フランスで二〇二一年八月にグラッセ社より刊行されたLa carte postale の全訳である。
 著者のアンヌ・ベレストは、一九七九年パリ生まれの小説家・脚本家だ。本書は著者六作目の小説で、刊行直後から本国で高い評価を得ており、高校生が選ぶルノードー賞ほか多くの文学賞を受賞。フランスでもっとも権威ある文学賞のひとつ、ゴンクール賞にもノミネートされた。ジャンルはノンフィクション小説(フランス語で“roman vrai”)で、登場するのは実在する(した)人物であり、事実や史料にもとづいて構築されている。主人公は著者自身で、ほかに母で言語学者のレリア・ピカビア、父で固体力学研究者のピエール・ベレスト、妹でやはり小説家のクレール・ベレストらが登場(イザベルという地理学者の長姉もいるが、「わたしは小説には出たくない」と断ったという)。一般的なノンフィクションと同様、著者の「伝えたい」という使命感と臨場感に満ちているが、さらに本書では登場人物やエピソードに肉付けが施され、全篇に豊かな色彩、匂い、情感がもたらされている。さすがは着想力、想像力、独自の文体、知性に定評ある著者ならではの完成度だ。決してメロドラマ調ではないが、読者は登場人物たちと一緒に笑ったり、泣いたり、共感したりしながら、最後までページをめくる手が止まらなくなる。
 本書は、家族の物語だ。すべては二〇〇三年一月、母のレリアが一枚のポストカードを受け取ったことから始まった。オペラ座の写真が印刷された、ありふれたカード。裏には手書きの四つの名前。エフライム、エマ、ノエミ、ジャック。レリアの祖父母、叔母と叔父で、全員一九四二年にアウシュヴィッツで亡くなっている。ほかには何も書かれておらず、差出人の名前もない。いったい誰が、何の目的で送ってきたのか。だが謎は解明されず、カードは引き出しにしまわれて忘れられた。ところがおよそ十六年後、著者のアンヌの娘が学校でクラスメートに言われたことばをきっかけに、ポストカードの差出人の調査が始まった……。作中と同様、レリアは母ミリアムの死後、二十年以上の年月をかけてひとりで家族の歴史を調査している。エフライムとエマ夫妻の長女であり、ノエミとジャックの姉であったミリアムは、家族の話を一切しないまま、一九九五年にこの世を去った。レリアは、なぜミリアムだけが生き残ったのか、祖先の人たちはどこから来て何をしていた人たちなのかを知らなかった。そのため、ミリアムが残した写真や文章を読み解き、各地の公文書館や資料館で膨大な情報を集め、家族の歴史を再構築した。だがその調査は、ナチス占領下のフランスでミリアムが北部の占領地区から南部の自由地区に逃亡したところで中断された。その後の調査は、実の両親であるミリアムとヴィサント(画家フランシス・ピカビアの息子)の「寝室に入る」(本書三七五ページ)行為のようで、気がひけてできなかったという。後を継いだのがアンヌだ。現実でも、レリアと一緒に、あるいはひとりで、探偵事務所を訪ねたり、筆跡を分析させたり、ノルマンディー地方や南フランスを訪れたりした。本書の文章は、調査と並行して少しずつ書き進められたという。当時は、差出人が見つかるかどうかはもちろん、せっかく書いた文章を本にできるかどうかさえわからなかった。家族の歴史を明らかにしたい一心だったのだが、調査中は亡くなった彼らに後押しされる気がしていたという。さて、差出人は結局見つかったのか? 本書は推理小説ではないのでそこは大きな問題ではない。旅と同じように、大事なのは目的地よりそこにたどり着くまでの過程だ。死者は、人々に記憶され、語られることで生きつづける。
 本書は、フランスにおけるユダヤ人の物語でもある。ナチス占領下のフランスにおけるホロコースト(今はヘブライ語でショアと呼ぶべきか)は、過去にも多くの文学・映像作品に取り上げられてきた。小説ではパトリック・モディアノの作品群、本書にも登場するイレーヌ・ネミロフスキーの『フランス組曲』(本書三〇一ページ)、マルグリット・デュラスの『苦悩』、フィリップ・グランベールの『ある秘密』、ピエール・アスリーヌの『密告』、近年ではダヴィド・フェンキノスの『シャルロッテ』、映画ではルイ・マルの『さよなら子供たち』、ヴェル・ディヴ事件(本書一六八ページ)を題材にした『サラの鍵』や『黄色い星の子供たち』、さらに『ベル&セバスチャン』や『バティニョールおじさん』など枚挙にいとまがない。だが、モディアノの『1941年。パリの尋ね人』を原書で読んで以来、ホロコースト作品(とくにフランスの)に魅入られるようになった訳者から見ても、本書は稀有な魅力を持っている。登場人物をこれほど身近に感じ、自分もその場にいるかのように激しく心揺り動かされたことはこれまでなかった。原書の初読から、訳出、推敲、校正と本書を繰り返し読みながら、そのたびに感情に突き動かされてしばしば作業を中断せざるをえなくなったものだ。
 本書の背景となるナチス占領下のフランスについて、簡単に説明しておきたい。第二次世界大戦中の一九四〇年六月、フランスがドイツに敗北して独仏休戦協定が締結されると、フランス国土の北半分(占領地区)がドイツ軍に占領され、南半分(自由地区)ではヴィシーに首都を置くヴィシー政権がスタートした。両地区間には境界線が敷かれ、自由な往来ができなくなった。占領直前、北部から南部へ逃げようとする数百万人の車で、幹線道路は渋滞しつづけたという。ヴィシー政権の国家主席に就任したのは、第一次世界大戦の英雄、ペタン元帥。一方、対独運動を続けるド・ゴールは、イギリスで亡命政府の自由フランスを結成した。当初、フランス人の大半はヴィシー政権を支持した。ペタンを戦争の苦難から救ってくれた恩人とみなしていたのだ。だが実際は、ヴィシー政権はドイツ軍の傀儡政権にすぎなかった。経済、資源、労働力における対独協力が苛烈化するにつれて、徐々にレジスタンス運動が広まっていく。しかも、ヴィシー政権はユダヤ人の取り締まりを次第に強化させた。フランスにおけるユダヤ人迫害の最大の象徴が、ヴェル・ディヴ事件とドランシー収容所だ。一九四二年七月のヴェル・ディヴ事件では、パリで一万三千人のユダヤ人が一斉検挙された。そしてフランス国内で検挙されて絶滅収容所へ送られたユダヤ人総勢七万六千人の八八パーセントが、ドランシー収容所を経由している。フランスでユダヤ人迫害を率先して行なったのは、ドイツ人ではなくフランスの警察と憲兵だった。各地の県知事や市町村長も警察の指示に従った。親独民兵隊(ミリス)も、レジスタンス掃討やユダヤ人逮捕を嬉々として行なった。フランスは、決して「渋々と」ではなく「積極的に」ホロコーストに手を染めたのだ。だが戦後のフランスでこの事実に触れることは長年タブー視されており、一九八〇年代になってようやく歴史の負の遺産として後世に伝える動きが出はじめた。モーリス・パポンをはじめとするユダヤ人迫害に関与した人物たちが起訴され、殺害されたユダヤ人の遺族への補償が開始されたのもこの頃である。
 ユダヤ人とは何か。著者はこう書いている。「ユダヤ人とは、『ユダヤ人とは何か』と自問する者だ」(本書五一八ページ)。外見、言語、国籍、生活スタイル、信仰を問わず、ユダヤ人とは何か、なぜ人間が人間を迫害するのか、を考えつづけるとしたら、もしかしたらその人はすでに少しはユダヤ人なのかもしれない。

(一部略)

 二〇二三年七月

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🄫 Marie Marot(禁転載)

アンヌ・ベレスト(Anne Berest)
1979年、パリ生まれ。作家、脚本家。2010年作家デビュー。2012年に刊行した2作目の小説 Les Patriarches(未邦訳)でフロール賞とルノードー賞の最終候補に残る。2014年に刊行した『パリジェンヌのつくりかた』(共著、早川書房刊)がベストセラーになった。2021年に刊行した本書は、フランスで高校生が選ぶルノードー賞とELLE読者大賞、パリ政治学院(シアンス=ポ)学生賞を受賞し、2021年第一回アメリカの学生が選ぶゴンクール賞を受賞した。