少女は逃げ切れるのか? 世界を圧倒した長篇小説『地下鉄道』(コルソン・ホワイトヘッド、谷崎由依訳)、第一章全文公開!

ピュリッツァー賞、全米図書賞、アーサー・C・クラーク賞ほか多数の文学賞を受賞したコルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(谷崎由依訳)がついに発売されました。発売を記念し、本作の第一章「アジャリー」を特別公開いたします。

19世紀のアメリカ南部、ジョージア州。奴隷として働く農園から逃げないかと誘われた少女コーラは、一度は断るが……。

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アジャリー


 北へ逃げないかという話をシーザーに持ちかけられたとき、コーラは初め、それを断った。
 祖母が語ったことだった。ウィダの港で光溢れる午後のなかに立つまでは、コーラの祖母は海を見たことがなかった。砦の地下牢ですごしたその後の日々、水はまなうらできらめき続けた。彼女たちは地下牢に、船がやってくるまで閉じ込められた。ダホメイ族の侵略者たちはまず男たちを誘拐し、次の月夜に戻ってきて女と子どもたちを誘拐すると、二列にして鎖に繋いで海まで歩かせた。地下牢の真っ黒な戸口を見つめながら、アジャリーはその先の暗がりで父に再会できると考えた。だが生き残った村人の話によれば、終わりのない行進についていけなくなった父の頭を奴隷商人が叩き潰し、遺体を道中に置き去りにしたということだった。母は何年も前に死んでいた。
 砦までの道のりでコーラの祖母は何度か売られ、宝貝やガラスのビーズと引き替えに奴隷商の手から手へと渡った。ウィダで彼女の値段が幾らだったか知ることは難しい。というのもまとめ買いだったから。八十八の人間が、ラム酒と火薬を入れた木箱六十個と交換された。イギリス海岸における標準的な値段交渉ののちの値だった。体力のある成人男性や出産適齢期の女性は年少者より値が高く、おのおのの額を算出するのは容易ではなかった。
 ナニー号はリヴァプール港を出てから黄金海岸沿いを航行するあいだにすでに二度停泊していた。船長はその都度、別々に買い物をした。積み荷の奴隷がひとまとまりの文化を持つことを憂慮したのだ。囚人たちが共通の言葉を持てば、どんな反乱を企てるかわからない。ここは船が大西洋に乗り出す前の最後の寄港地だった。黄色い髪の二人の水夫が鼻歌を歌いつつボートを漕ぎ、アジャリーを船へと運んでいった。水夫たちの肌は骨のように白かった。
 胸が悪くなるような船艙の空気、幽閉の陰鬱、アジャリーの身体と枷で括りつけられた者たちのあげる叫び声で、彼女は気が狂いそうだった。アジャリーはまだ幼かったので、誘拐者たちもその欲求をただちに満たそうとはしなかった。しかし航海が始まって六週間経ったとき、年季の入った水夫たちにより船艙から引っ張り出されることになった。アメリカへと向かう旅の途上でアジャリーは二度自殺を試みた。一度は食べ物を拒み、二度目は溺死しようとした。だがどちらも水夫たちに邪魔だてされた。彼らは奴隷のすることや考えることはお見通しだった。海へ飛び込もうとしたときは舷縁にすらたどり着けなかった。臆病な仕草や悲しげな表情は、彼女以前に何千人もの奴隷たちに共通して見られてきたものだったから、それで悟られてしまった。隣あう奴隷たちと頭と足先、頭と足先とを繋げられ、惨めさは募るばかりだった。
 ウィダで競売に掛けられたときは離ればなれにならないよう努めたが、ほかの家族はポルトガルの貿易商に買われていった。彼らが乗ったヴィヴィリア号というフリゲート艦が次に目撃されたのは、その四カ月後、バミューダ島の十マイル沖を漂っているところだった。船内の全員に疫病が猛威を振るっていた。当局は船に火を放ち、ばらばらにして海に沈めた。コーラの祖母はその船のそんな末路を知らなかった。残りの人生のあいだずっと、従兄弟たちは北でもっと優しく寛大な主人のもと、彼女自身が従事するよりも楽な仕事をしているものと考えていた。たとえば機織りとか糸紡ぎとか、野良仕事以外のこと。空想のなかではイセイやシドゥー、それにほかの家族たちは、なんとか金を貯めて囚われの身から自身を買い出し、自由黒人となってペンシルヴェニアという街で暮らしている。かつて白人の男二人が話しているのを耳にした街だ。そうした空想物語はアジャリーの慰めになった。あまりの重荷に身体がばらばらになってしまいそうなときでも。
 コーラの祖母が次に売られたのはその一カ月後、サリヴァン島の隔離病院でのことだった。ナニー号の積み荷として運ばれた者たちは、彼女を含め、感染していないと医師の診断が下された。せわしない交易の日がまたやってきた。おおがかりな競りが開かれるとさまざまな群衆が引き寄せられてくる。海岸沿いの北や南から、貿易商や周旋人がチャールストン港へ押しかけた。商品の瞳孔や関節、それに背骨を品定めした。性病やほかの病気の兆候にはとくに念入りになった。見物に訪れた者たちは生牡蠣や焼き玉蜀黍を囓りながら、競売屋が宙に張りあげる声を聞いていた。奴隷たちは台の上に裸で立たされた。アシャンティ族の男たちを誰が競り落とすかで諍いが起こった。アフリカのこの部族は勤勉かつ屈強なことで知られていた。石灰岩採掘場の職場主任は子ども奴隷(ピッカニニー)の一団を驚くほどの特価で買いあげた。驚嘆する群衆のなかに氷砂糖を食べる男の子がいて、コーラの祖母は、何を口に入れているんだろうと訝っていた。
 陽が沈む少し前、仲買人のひとりが彼女を二百二十六ドルで買った。その時季は若い女が多く出ていて、そうでなければもっと高値がついたはずだった。仲買人のスーツは彼女がそれまで見た服のなかでもっとも白かった。指には色石のついた指輪がひかり、彼女が成熟しているかどうか胸をつまんで確かめたとき、肌に触れた金属がひやりとした。アジャリーは烙印を押された。はじめてのことではなかったし、それで最後にもならなかった。そして足枷を付けられて、その日買われたほかの者たちと一緒に繋がれた。数珠繋ぎにされた奴隷たちは南へ向けての長い道のりをその晩出発し、交易商の馬車の後ろをよろめきながらついて歩いた。ナニー号はそのころには砂糖と煙草を山と積み、リヴァプール港への帰路にあった。船艙からは往路のような悲鳴はもう聞こえなかった。
 コーラの祖母は呪われていたと誰もが思うだろう。その後の数年間にわたり、幾度も売られ交換され、転売されたのだから。彼女を買った者たちは、じつにしばしば破産した。最初の主人は詐欺に遭った。ホイットニーの綿繰り機の二倍も速く綿と種とを選り分けると謳った装置を売りつけられたのだ。その図には説得力があったが、結局アジャリーは治安判事によって処分を命じられる財産の一部となってしまった。性急な取引のなかで、彼女は二百十八ドルで売られた。価格の低下は地元市場の事情によるものだ。水腫で死んだ主人もいた。寡婦となった彼の妻は、生まれ故郷の清潔なヨーロッパへ帰る旅費を得るために男の地所を売りに出した。アジャリーはウェールズ人の財産として三カ月をすごしたこともあったが、彼もホイストで負けた借金の形に、三人の奴隷と二匹の豚とともに彼女を手放した。万事そんなふうだった。
 アジャリーの価格は変動した。そんなに何度も売りに出されたら、周囲に注意を払うべしという教訓を抱くのも無理はない。あたらしい農園には素早く適応し、黒んぼ殺しをする者をたんに意地悪なだけの者と見分け、怠け者と働き者を、密告者と口の堅い者を見分ける術を身につけた。主人や女主人たちを意地の悪さで選別し、地所は資産と野心の程度で区別した。農園主たちはときに、慎ましやかな暮らしを送る以上のことを求めなかった。一方で地所の面積を増やす延長のように、世界を手に入れたがる男女もいた。二百四十八ドル、二百六十ドル、二百七十ドル。仕事はどこへ行っても砂糖と藍ばかり。例外として煙草の葉を丸めたこともあったが、一週間経ったところでふたたび売られた。商人たちは煙草農園主を訪ね、繁殖期の年齢にある奴隷、とくにすべての歯が揃っていて聞き分けのよいのがいないかと探した。アジャリーはもう女になっていた。だから彼女はよく売れた。
 物事の働きを知るために、白人の学者たちがその内側を覗くことをアジャリーは知った。夜空を横切る星辰の動きや、血液中で四種の体液が配合されるその仕組み。綿花の収穫量を存分にあげるために必要な気温。アジャリーもまた自身の黒い身体について考察し、観察を重ねていた。すべての物には価値があり、その価値が変動すれば、ほかのすべてが一緒に変わる。穴の開いた瓢箪は、水の溜まる瓢箪よりも価値が劣る。鯰を捕らえた釣り針は、餌を落としてしまった釣り針よりも価値が高い。アメリカでは、人間は物だという警句がまかり通る。大洋を渡る旅に耐えられない老人に掛けるコストは削減するべきだ。強い個体群から出た若い牡鹿に、顧客はよい金を払う。子どもを捻り出す奴隷娘は造幣局のようなもので、金を生み出す金である。もしもあなたが物ならば──荷馬車とか馬とか奴隷であるなら──あなたの価値があなたの可能性を決める。彼女は場所をわきまえていた。
 行き着いた先はジョージアだった。ランドル農園の代表者がアジャリーを二百九十二ドルで買った。彼女の目の奥には以前はなかった虚無の表情があらわれており、そのせいで頭が悪いように見えたにもかかわらず。彼女は残りの人生をランドルの土地から離れなかった。何も見るもののないこの島が、彼女の故郷となった。
 コーラの祖母は三度夫を得た。老ランドル氏が奴隷を選ぶときと同様、肩幅が広く手のおおきな男を彼女は好んだが、主人と奴隷である彼女とでは、その肩と手に要求する仕事は異なっていた。二つの農園には充分な蓄えがあり、北半分には黒んぼが九十、南半分には八十五いた。アジャリーは概して好きな相手を選ぶことができた。できないときは、我慢した。
 最初の夫は玉蜀黍ウィスキーなしでは生きられなくなり、そのおおきな手のひらをやがて拳に変えるようになった。彼がフロリダの砂糖黍畑に売られ、道の遠くへ消えていったとき、アジャリーは悲しまなかった。彼女は次に南の地所の、優しい青年たちのうちから選んだ。コレラで死んでしまうまで、夫は聖書の物語を好んで語ってくれた。彼が以前仕えていた主人は、奴隷と宗教の問題について寛大な心を持っていた。アジャリーは物語や説話を楽しみ、白人たちの懸念にも一理あると感じた。救済について知ることで、アフリカ人は考えをめぐらせるようになる。哀れなハムの息子たち。最後に彼女の夫となった男は、蜂蜜を盗んだ罪で鼓膜に穴をあけられた。傷跡は膿み、痩せ衰えて死んだ。
 夫たちとのあいだに、アジャリーは五人の子どもをもうけた。どの子も皆、丸太小屋のおなじ厚板の上で産んだので、子どもが悪さをしたときにはその板を指さし、こう言った──あんたはあそこから来たんだよ、言うこと聞かないとまたあそこに戻すからね。子どもたちには従うことを学ばせた。そうすれば主人にも従うようになり、生き延びていけるだろう。子どものうち二人は高熱を出して惨めな死に方をした。男の子のひとりは遊んでいる最中に錆びた鋤で足を切り、血液に毒がまわって死んだ。一番下の子は奴隷頭に木塊で頭を叩かれ、そのまま二度と起きなかった。立て続けに起きた事故だった。だけど売り飛ばされなかったぶんマシだと、年嵩の女がアジャリーに言った。それはほんとうだった──当時ランドルが子どもを売ることはまずなかった。だから子どもがどこで、どんなふうに死ぬか知ることができた。十歳を越えて生きた娘がメイベル──コーラの母親だった。
 アジャリーは綿花畑で死んだ。大洋の荒波に砕ける波頭のように白い綿の花々が、彼女を囲んで揺れていた。あの村からの最後の生き残りが、脳にできた血栓のために畝のあいだに卒倒し、鼻からは血を流して唇は吹いた泡で覆われていた。ほかのどこでもあり得た死にかただった。自由は他人のために留保されていた。千マイル北で栄えるペンシルヴェニアという街の住人たちのために。連れ去られた晩以来、彼女は値踏みされ値踏み直されて、日々目覚めるごとにあたらしい尺度の皿に載せられてきた。自分の値を知ることだ、そうすればそれに従って、いるべき場所も知ることができる。農園の柵を越えて逃げることは、自分が存在する根源的な原理を越えて逃げること──つまり、不可能。
 それがその日曜の晩、祖母の物語がコーラにもたらした教訓だった。シーザーが地下鉄道の話を持ちかけてきたその晩に。そして彼女は断った。
 三週間後に、受け入れた。
 そのときにものを言ったのは、母親の物語だった。


(c)Colson Whitehead (c)Yui Tanizaki 禁無断転載

※本書では作品の性質、時代背景を考慮し、現在では使われていない表現を使用している箇所があります。ご了承ください。


地下鉄道

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