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ヒューゴー賞2作連続受賞! 『平和という名の廃墟』冬木糸一氏解説公開

アーカディ・マーティーンの『平和という名の廃墟』がハヤカワ文庫SFより発売となりました。前作(2020年度)の『帝国という名の記憶』に続いてヒューゴー賞長篇部門を受賞、そしてローカス賞SF長篇部門を受賞した本作。前作では銀河帝国を揺るがす陰謀をみごとくぐりぬけた新任大使・マヒートでしたが、今作では思いも寄らぬファーストコンタクトに巻き込まれ……!? 相棒スリー・シーグラスとのバディも復活、あらたなるミッションに挑みます。本欄では書評家・冬木糸一氏による解説を再録します。

解説

書評家 冬木糸一 

  アーカディ・マーティーンによる本作『平和という名の廃墟』 A Desolation Called Peace (2021)は、著者の長篇デビュー作『帝国という名の記憶』の続篇(ハヤカワ文庫SF)にあたる長篇である。前作は、遠未来、巨大な銀河帝国であるテイクスカラアンを舞台に、帝国の詩を重視した特殊な文化や、皇帝の継承者をめぐる陰謀を記憶の継承装置である“イマゴマシン”と絡めて描き出し、スペースオペラ×ポリティカルサスペンスな独特な読み味を堪能させてくれた。その描写と構成力は長篇デビュー作とは思えないほどで、2020年にヒューゴー賞とコンプトン・クルック賞を受賞しているが(他、ネビュラやローカス、クラーク賞などにもノミネート)、続篇となる本作もすでに2022年のヒューゴー賞、ローカス賞を受賞するなど、その評価はとどまるところを知らない。

 僕も前作の時点で著者の専門知識(ビザンツ帝国史の博士号を、別の大学で都市計画の修士号をとっている)が活かされた帝国描写などを絶賛したが、本作を読んでみれば、素晴らしかった前作もこのための準備に過ぎなかったのか……? と思うほどにおもしろい。すでにテイクスカラアンがどのような場所で、そこにどのような人々がいるのかという前提情報の共有はすんでいるから、本作では邦訳版にして約800ページもの分量をフルに使って、言葉をまるでかわすことができないエイリアンとのファーストコンタクト・政治外交という大きなテーマとがっぷり四(よ)つに組み合っている。

 本筋の解説に入る前に、前作を読んだが記憶が薄れてしまった人もいるだろうから、前作のあらすじやキャラクター、本作と関連する要素を先に紹介しておこう。

 

前作の流れを振り返る

 前作は、宇宙を支配する帝国テイクスカラアンに、採鉱ステーションのルスエルから一人の新任の大使であるマヒート・ドズマーレが派遣される場面から幕を開けた。その後、テイクスカラアン人のスリー・シーグラスがマヒートの案内役となり、皇帝の皇位継承権をめぐる陰謀や、ルスエル・ステーションと帝国の安全をめぐる政治劇を、二人を中心にして描き出していく──というのが大まかな流れだった。

 前作の読みどころのひとつは、この二人(マヒートとスリー・シーグラス)の関係性の変化にある。マヒートらルスエル・ステーションの人々は被支配者側であり、テイクスカラアン人らからは野蛮人と嘲笑される存在である。一方のスリー・シーグラスはテイクスカラアン人でありながらも野蛮人に興味津々で、マヒートのお目付け役という立場の違いこそあれど、陰謀に巻き込まれていくうちに対等な関係性を築き上げていく。

 本作にも関わってくる前作の要素としてもうひとつおさえておきたいのは、記憶の継承装置である「イマゴマシン」の存在だ。この装置は軌道上で暮らし、簡単には人口を増やすことができないルスエル・ステーションで発展したものであり(帝国には存在しない)、絶対的な権力者が存在する帝国ではこの技術の価値は計り知れない。また、マヒートはこの装置を使いイスカンダーというルスエル大使の前任者を記憶として住まわせており、この二人の軽妙なやりとりも読みどころのひとつである。

 

それに続く本作のテーマは、“ファーストコンタクト”

 話を本作に戻すと、時代的には前作からわずか数カ月後。帝国の皇帝は前作で起こった事件によって、シックス・ダイレクションからナインティーン・アッズへと移り変わり、マヒートは休みをとって故郷であるルスエル・ステーションへと帰還中になる。しかし、彼女にとってそこはもはや心安らぐ土地ではなくなってしまっている。帝国に派遣されていた際、彼女を陥れようと妨害工作をしてきた何者か(マヒートはルスエル・ステーションの評議員の誰かだと考えている)が存在するからだ。

 一方その頃帝国では、艦隊司令官のナイン・ハイビスカスが、自軍の戦闘機と操縦士たちが得体のしれないエイリアン船に溶かされる現場を目撃。この謎の存在と言葉を交わし、“ファーストコンタクト”を行える者を求め、前作主人公の一人であるスリー・シーグラスがその任にあたることになる。スリー・シーグラスはひとりでこの問題に対処するのではなく、ルスエル・ステーションへ密航のような形で向かい、相棒であるマヒートを連れ出し、二人は言語や個の概念を持っているのかすらもわからぬ相手との、停戦をかけた決死のファーストコンタクトに挑む──というのが冒頭の流れになる。

 つまり、本作のテーマは“ファーストコンタクト”だ。それも、今回帝国に現れたエイリアンらは解析可能な音素を発せず、人間の耳には耳障りな空電にしか聞こえず、言語として認識できない何らかの音を出しているだけ。つまり、言葉を持っているのか、いないのか。持っているとして、それがどのような言葉で、人間との対話が可能なのかが一切わからない相手なのである。ミリタリーSF的な文脈で考えれば、すでに攻撃されていることもあって戦うしかないが、前作にて重厚な宮廷政治劇をみせてくれた本作はその選択をすぐにはとらない。戦争に至る前にできることもある。

 はたして相手はどんな言語を持っているのか、その文法(あるとして)を解釈することは可能なのかという言語分析&コミュニケーションの模索。仮に戦争をするにして、近隣諸国の条約をできるだけ破らずに兵器を輸送することは可能なのか、攻撃で相手を殲滅することは可能なのかという戦争にあたっての外交・調査。「わからないもの」を暴力でねじ伏せて「わかりやすいもの」に変える、シンプルな解決方法に流れたい多数の人々と、「わからないもの」と粘り強く対話を続け、それをわずかであっても理解しようとする少数の勇気ある人々の対立が本作では描かれていく。

 政治劇、外交を中心に描き出してきた前作に続く作品のテーマが、「コミュニケーションがとれるかもわからぬエイリアンとのファーストコンタクト」に至るのは必然だったともいえる。言葉が通じない、異なる文化に属する人々と粘り強く交渉を試みること。それは、外交官の仕事なのだから。

 

無意識下にある階層

 ここからは、ファーストコンタクト以外の読みどころを解説していこう。たとえば、前作で関係性が恋愛的にも進展したスリー・シーグラスとマヒートだったが、二人は帝国とその支配地に住む立場に差のある人間であり、二人がそれを乗り越えようと願っていたとしても、すぐうまくまわりはじめるわけではない。たとえば本作では、二人が一緒に任務にあたる過程で、スリー・シーグラスがごくごく当たり前といった流れで、マヒートに嘔吐物の掃除をするためにいま着ている布製のジャケットを脱いで用い、その後自分たちの制服を着ればいいと提案し、マヒートを激怒させるシーンが本作にはある。

 スリー・シーグラスからすれば、そのほうが便利だからお願いした程度の感覚だが、マヒートからすればそれは自分がスリー・シーグラスよりも立場が下の存在であることを明確に意識させられた瞬間でもあった。

 そもそも、マヒートのような「野蛮人」は、スリー・シーグラスのような帝国の人間から同行を願われて、断ることなどできないのだ。世界的ベストセラーになったノンフィクション『カースト アメリカに渦巻く不満の根源』(岩波書店、2022)の中で、著者のイザベル・ウィルカーソンはアメリカの白人や黒人、アジア人の間には実質的にカースト制が存在し、支配カーストの人間は権威として振る舞うことに慣れきってしまっていて、最初から組み込まれたその優越感や立ち振る舞いを取り除くためには、かなりの意識的な努力が必要とされる事実を歴史と無数の事例を通して提示している。

 支配者-被支配者の階層を超えて対等な関係性を構築することは強い意志を持っていたとしても困難であり、本作では二人を通してその難しさと、それを乗り越える過程を描き出している。

 

無数の要素が混交した、ごった煮のおもしろさ

 スペースオペラとジョン・ル・カレのスパイ小説的な描写・プロットなど、前作からして様々な文脈が混交した作品であったが、そのごった煮の魅力は本作でも健在。たとえば、未知のエイリアンを中心においた諸外国、帝国内での調整パートはポリティカル・サスペンスとして引き続き圧巻の描写だ。エイリアンと前線で戦いを強いられている艦隊司令官のナイン・ハイビスカスに焦点があたっているパートは、ミリタリーSF的な軍事描写・思考が楽しめるし、スリー・シーグラスとマヒートがエイリアンの言語分析を行い、意思疎通を模索する様には、言語SF的なおもしろさがある。

 本作で外せない重要な要素としては、皇位継承権を持つ十一歳のエイト・アンチドート少年の成長譚としての側面がある。少年は最初から少し泣き虫なだけで聡明な人間として描かれているが、現皇帝のナインティーン・アッズやスリー・アジマス軍事大臣に政治や軍事の仕組みを教えられ、エイリアンを相手にした戦争と外交において、皇位継承者として大きな役割を果たすよう、しなやかに成長していく。多様な魅力に溢れた本作だが、個人的に一番ぐっときたのは彼のパートだった。

 

ファーストコンタクト作品の中での位置づけ

 数あるファーストコンタクトものの中で本作と傾向が近いものをあげるとするならば、言葉が通じるのかすらもわからぬ未知との格闘という観点からはファーストコンタクトの金字塔、スタニスワフ・レムの『ソラリス』(ハヤカワ文庫SF)を。相手の言語の解読していく過程とファーストコンタクトが同時進行していく過程はテッド・チャンの短篇「あなたの人生の物語」(ハヤカワ文庫SFより刊行の同題短篇集に収録)をそれぞれ彷彿とさせる。また、著者インタビューによると、エイリアン言語の探求の直接的なインスパイア元は、恒星間宇宙船に乗り込んだイエズス会の一団が異星人とファーストコンタクトを果たし、未知の言語と文化を学んでいくメアリ・ドリア・ラッセル The Sparrow(1996、未邦訳)からきているという。

 

 本作は、ファーストコンタクトや銀河帝国というおなじみのテーマ・要素と向き合い、過去の傑作群に引けをとることなく、鮮やかに現代の物語に仕上げてみせた。まだ同世界観で別人を主人公に作品を書く予定もあるそうだ。これから先、アーカディ・マーティーンがどのような世界をみせてくれるのか、楽しみでならない。


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