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【発売中】劉慈欣『三体Ⅱ 黒暗森林』訳者・大森望氏あとがき

いよいよ昨日発売となりました! 劉慈欣『三体Ⅱ 黒暗森林』、もう手に取っていただけましたでしょうか? 今回は、第二部でも翻訳者をつとめた大森望さんのあとがきを抜粋して公開いたします!

(ちなみに、第一部のあとがきはこちらです!↓)

訳者あとがき
大森 望

 あの『三体』は、ほんのプロローグでしかなかった! 地球文明と異星文明が織りなす壮大なドラマはいよいよここからが本番。分量が前作の五割増しになっただけでなく、時間的にも空間的にも桁違いのスケールで想像力の限りを尽くす。三部作の中ではこれが最高傑作との呼び声も高く、実際、エンターテインメントとして図抜けていることはまちがいない。前作を読んで高まりきった読者の期待を裏切らないどころか、予想をはるかに超えるスリルと興奮、恐怖と絶望、歓喜とカタルシス、ロマンスとアクションを満喫させてくれる。
 ……と、思わず口上に力が入ったが、お待たせしました。劉慈欣《三体》三部作の第二作、『三体Ⅱ 黒暗森林(こくあんしんりん)』をお届けする。本書は、二〇〇八年五月に中国の重慶出版社より《中国SF基石叢書》の一冊として刊行された『三体Ⅱ 黑暗森林』の、中国語テキスト(後述)からの全訳にあたる。
 ご承知のとおり、この《三体》三部作(または《地球往時》三部作)は、全世界で累計二千九百万部以上を売る驚異的なベストセラーとなり、小説界に革命を起こした超弩級の本格SF巨篇。諸般の事情で日本では翻訳が遅れたが、二〇一九年七月、第一作の『三体』日本語版が早川書房から刊行されると、たちまち大評判となり、増刷に次ぐ増刷。発売一カ月で十二刷に達し、電子書籍と併せて十二万部という、翻訳SFの単行本としては前代未聞の数字を叩き出した。反響もすさまじく、主な活字メディアだけでも百を超える書評が出た。そのほんの一部を抜粋して紹介すると──
「この枠組みの中にありとあらゆる趣向をぶちこもうとする、その徹底したサービスぶりは尋常ではない。その点で、この作品は単に中国産のSFというだけにとどまらず、世界文学として読まれる資格を備えている」(毎日新聞、若島正氏)
「まず本作の面白さというのは、理学、工学、社会学に人間ドラマとあらゆるものが息もつかせず押し寄せてきて積み重なっていくところにあり、かつて日本で小松左京がこの技法を駆使して傑作を生みだし続けたことを彷彿(ほう ふつ)とさせる。/進むごとに広がり続けるお話が一体どれほどの大きさになるのかについては、まず間違いなく大半の人々の予想を遥(はる)かに超えることになるはずである」(共同通信、円城塔氏)
「高邁(こうまい)な物理学の知識をベースにした圧倒的なスケールの小説。中国には三国志や水滸伝などスケールが大きい物語が多い。本書はそれらに匹敵するだろう。中国は小説でも世界を支配するのか」(読売新聞、江上剛氏)
 ──という具合(ちなみにこれらの特徴は本書にもそのままあてはまる)。この『三体』は、SF作家・評論家などの投票で決まる年間ランキング「ベストSF2019」海外部門でもダントツの1位を獲得したが、その読者層はSFファン以外にも大きく広がった。ビジネス誌〈ダイヤモンド〉やカルチャー誌〈STUDIO VOICE〉が山西省にある著者の自宅に赴いてインタビューを敢行したり、科学誌〈日経サイエンス〉が「『三体』の科学」なる大特集を組んだり、ふだんはSFを扱わないような媒体もこぞって『三体』をとりあげたのがその証拠。
 この『三体』ブームを受けて、2019年10月には、著者の初来日も実現。ハヤカワ国際フォーラムの公開インタビューは台風19号のあおりで中止になったものの、早川書房で開かれた歓迎会では多くの日本人SF作家や翻訳者、編集者らと交流。台風通過後には、埼玉大学創立70周年記念事業・第5回リベラルアーツ連続シンポジウム「Sai-Fi:Science and Fiction SFの想像力×科学技術」に招かれ、藤崎慎吾、上田早夕里の両氏を含むパネリストたちと活発な議論を交わした。
 そんなこんなで、『三体』は2019年の日本を席巻したわけだが、冒頭に書いたとおり、その『三体』も、三部作全体のストーリーの中では、ほんの導入部に過ぎない。
 前作のあらましをこのへんで簡単に整理しておくと、始まりは文化大革命当時(1967年)の中国。若き天体物理学者の葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、理論物理学者だった父親が反革命分子として公衆の面前で殺されたことから人類に絶望。やがて、謎めいた山頂の軍事施設にスカウトされた彼女は、宇宙に向かって、あるメッセージを発信することになる。一方、2006年ごろの北京を舞台にした現代パート(およびVRゲーム『三体』パート)は、ナノマテリアル研究者の汪淼(ワン・ミャオ)が主役。世界有数の科学者たちの連続自殺という不可解な事件の背後を探ることを依頼された汪淼は、超自然的としか思えない怪現象に見舞われ、その呪い(?)から逃れるべく、タフで口の悪い警察官の史強(シー・チアン)とタッグを組み、地球規模の驚くべき陰謀に立ち向かうことになる。
 この『三体』で、三つの太陽を持つ異星文明(三体世界)とのファーストコンタクトを果たした地球は、侵略の危機にさらされる(そのため本書では、西暦にかわって、〝危機紀元〟という新たな紀年法が採用されている)。人類よりはるかに進んだ技術力を持つ三体文明の侵略艦隊は、すでに三体世界を出発し、四百数十年後には太陽系に到達する。三体文明にとっては虫けら同然の技術力しかない地球が、いったいどうやって対抗できるのか? いやしかし、虫けらには虫けらなりのしぶとさがある……というところで前作『三体』は終了。
 つづく本書では、その具体的な防衛策が描かれる。三体危機に対処すべく、国連は惑星防衛理事会(PDC)を設立。各国の総力を結集して地球防衛計画を推進する。しかし、人類のあらゆる活動は、三体文明から送り込まれた智子(ソフォン)(十一次元の陽子を改造した、原子よりも小さいスーパーコンピュータ)によって監視され、すべての情報が筒抜け。智子はさらに、人類文明の発展を阻止するため、科学の基礎研究を妨害している(〝智子の壁〟と呼ばれる)。このままでは、三体艦隊との〝終末決戦〟に敗北することは避けられない。この絶望的な状況を打開するため、前代未聞の面壁計画(ウォールフェイサー・プロジェクト)が立案される。その切り札として選ばれた四人の面壁者こそ、人類に残された最後の希望だった……。
 物語の主役は、天文学者から社会学者となり、三十代の若さで大学教授を務める羅輯(ルオ・ジー)。人間にもものにも執着せず、刹那的な快楽を求めて気楽に生きてきた男だが、葉文潔の娘・楊冬(ヤン・ドン)と高校時代に同級生だった彼は、楊冬の墓前で葉文潔と再会し、〝宇宙社会学の公理〟を伝授される。その一、生存は、文明の第一欲求である。その二、文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である。──これがすべての始まりとなって、羅輯は心ならずも、人類の命運を左右する重大な使命を担うことになる。その羅輯の相棒役として、前作からひきつづき登場するのが、もと警察官のタフな中年男、史強(通称・大史〔ダーシー〕)。前作の汪淼にかわって、今回は警護対象者である羅輯とコンビを組み、あいかわらず頼もしい活躍を見せてくれる。
 もうひとりの主人公が、中国海軍の新造空母に政治委員として乗り組む(はずだった)章北海(ジャン・ベイハイ)。三代前からつづく職業軍人の家に育った生粋の軍人である彼は、新たに創設された宇宙軍にスカウトされ、敗北が確実な四百数十年後の終末決戦に備えることになる。
 というわけで、主に通信(情報)によるファーストコンタクトを描いた『三体』に対し、本書ではいよいよ、(アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』にオマージュを捧げつつ)物理的なファーストコンタクトが描かれる。ページ数が増えただけではなく、時間的にも空間的にもはるかにスケールアップ。異星艦隊の襲来、刻一刻と迫る地球滅亡の時……というあたりは「宇宙戦艦ヤマト」を彷彿とさせるし、作中に出てくる田中芳樹『銀河英雄伝説』を思わせる軍略や戦争哲学も披露される一方、変貌した未来社会の姿も見せてくれる(メインテーマとなる〝黒暗森林〟理論については、陸秋槎氏の巻末解説に詳しい)。
 しかし今回、もっとも直接的にオマージュを捧げられているのは、作中でも言及されるアイザック・アシモフの《ファウンデーション》シリーズだろう。いまから数万年後、人類が約二千五百万の惑星に広がった未来を描くこのシリーズの鍵を握るのが、天才的な頭脳と卓越した洞察力を持つ心理歴史学者ハリ・セルダン。人類の未来を独自の数学的な方法で推定し、銀河帝国の崩壊と暗黒時代の到来を予見したセルダンは、その対策として、ふたつのファウンデーションを設立する。
 葉文潔が羅輯に伝える宇宙社会学は、いわば劉慈欣版の心理歴史学。四人の面壁者をはじめとする登場人物たちは、終末決戦に備えて、それぞれ未来のヴィジョンを描くが、その中で、いったいだれが本物のハリ・セルダンなのか? という問いが本書のストーリーの隠れた縦糸になっている。
 インタビューなどで、往年の〝大きなSF〟に対する偏愛を隠さない劉慈欣だが、《三体》三部作には、クラークやアシモフに代表される黄金時代の英米SFや、小松左京に代表される草創期の日本SFのエッセンスがたっぷり詰め込まれている。こうした古めかしいタイプの本格SFは、とうの昔に時代遅れになり、二一世紀の読者には、もっと洗練された現代的なSFでなければ受け入れられない──と、ぼく個人は勝手に思い込んでいたのだが、『三体』の大ヒットがそんな固定観念を木っ端微塵に吹き飛ばしてくれた。黄金時代のSFが持つある意味で野蛮な力は、現代の読者にも強烈なインパクトを与えうる。それを証明したのが『三体』であり、『黒暗森林』『死神永生(ししんえいせい)』と続くこの三部作だろう。『三体』がSFの歴史を大きく動かしたことはまちがいない。

(中略)

 本書の翻訳作業の後半は、新型コロナウイルス禍ともろにぶつかり、テレビやネットで報じられる国内外の終末SFじみた光景が小説の内容と重なって、フィクションと現実の境目が曖昧になる気分を味わった。著者が敬愛する小松左京の『復活の日』が予言的なパンデミックSFとして脚光を浴び、ふたたびベストセラーリスト入りしたのも奇妙な偶然と言うべきか。それもまた、〝大きなSF〟の力を示す実例かもしれない。
 さて、本書の結末で危機紀元は終わりを迎えるが、物語にはまだ続きがある。『黒暗森林』をはるかに超えるものすごいスケールで展開する完結篇『三体Ⅲ 死神永生』の邦訳は、2021年の春ごろ刊行予定。面壁計画の背後で進行していた〝階梯計画〟とは? 人類を救った羅輯を待ち受ける皮肉な運命とは? 新たな主人公、程心(チェン・シン)とともに、小説はありえない加速度で飛翔する。実を言うと、三部作の中で個人的にいちばん好きなのがこの『死神永生』。21世紀最高のワイドスクリーン・バロック(波瀾万丈の壮大な本格SFを指す)ではないかと勝手に思っている。お楽しみに。

 2020年5月

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