11月2日発売『京都に咲く一輪の薔薇』(ミュリエル・バルベリ/永田千奈訳)訳者あとがき公開
11月2日に早川書房から発売される『京都に咲く一輪の薔薇』。世界中で200万部を超えるベストセラーとなった『優雅なハリネズミ』の著者ミュリエル・バルベリの14年ぶり、待望の邦訳です。
訳者あとがき
一週間でひとは変われるものだろうか。変われる、と本書を訳していて思った。そうあってほしいと切に願った。
本書は、Une rose seule, Muriel Barbery, Actes Sud, 2020 の全訳である。主人公のローズは、父の死を知り、日本にやってきた。日本人の父には一度もあったことがない。ローズの母は心に闇を抱え、自殺しており、母からも父の話を聞くことはあまりなかった。そんなローズが父の遺した家にたどりつき、父と縁のあった人たちと出会い、京都の寺をめぐり、いや正確には庭という空間に浸り、少しずつ父のことを知り、自分を見つめ直し、新たな人生へと踏み出していく。
ミュリエル・バルベリは、一九六九年モロッコ生まれ。パリ高等師範学校を卒業し、哲学教師という一面ももつ。二〇〇〇年『至福の味』(高橋利絵子訳、早川書房)で、フランス最優秀料理小説賞を受賞。続く、二〇〇六年『優雅なハリネズミ』(河村真紀子訳、早川書房)はフランスの「本屋大賞」に輝き、世界的なミリオンセラーとして記録を打ち立て、映画化もされている。この『優雅なハリネズミ』には、小津安二郎へのオマージュとして、オヅ氏という大変魅力的な東洋人男性が登場する。このとき、すでに苔寺や芭蕉への言及もあり、彼女の日本文化への愛情と理解は決して生半可なものではないことがよくわかる。その後、二〇〇八年から二〇〇九年には京都ヴィラ九条山に滞在、このときの経験が本書に大きな影響を与えたことは間違いないだろう。登場する寺院や庭園は実際に著者が何度も訪れた場所であり、名前こそ明かされていないが、いくつかの飲食店については、あの店がモデルだろうと、推測できるものもある。
さて、本書の各章の冒頭には東洋の文化人の様々な挿話が引かれている。いや、てっきり「引用」だと思い、評伝など関連書籍を調べ、念のため著者に問い合わせたところ、作者の創作であると知り、あらためてその見識の深さに感服した。というわけで、本書はあくまでもフィクションなのである。
とはいえ、典拠がはっきりしているものもあるので、以下に挙げておく。「世の中は地獄の上の花見かな」は小林一茶(一七六三- 一八二七)の句である。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」など動物を題材にした愛らしい句で知られる一茶であるが、その生涯は波乱に満ちたものであった。世の中の根底にあるのは「地獄」だと言い切り、そのうえでつかの間の美を寿(ことほ)ぐ、ある種の悟り、いや凄みが感じられる句である。いっぽう、「世の中は三日見ぬ間の桜かな」は同じく江戸時代の俳人、大島蓼太(一七一八- 一七八七)の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」がことわざとして転用されたものである。物思いにふける自分と世間、自然界との時差やずれ、ふと顔をあげたときの驚きを感じさせる俳句だ。
桜の次に咲くのは薔薇である。ケイスケが引くリルケ(一八七五- 一九二六)の詩も挙げておこう。こちらは『薔薇』という連作の一部になる。
ただ一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたひとつの薔薇。
物らの本文にとり囲まれた
かけがえのない完全な柔軟な言葉。
この花なしにどうして語れよう、
わたしたちの希望であったものを、
たえまない出発のあいまの
やさしい休止の時どきを。
(高安国世訳『リルケ詩集』岩波文庫)
ただ一輪の薔薇、すなわち娘のローズがすべての希望だったハルの想いを重ねて読んでみてほしい。
このように、本書では、江戸時代の俳人から、十九世紀のドイツの詩人へと国境を越え、言語の違いや時代を超え、詩情が共鳴しあう。本書を訳すうちに、ローズの目を通して見ることで新たな日本の魅力と出会う瞬間が一度ならずあった。ありふれたビニール傘も、ローズにしてみれば、雨粒越しに世界を眺められる透明な傘になる。高尚な禅の庭は、猫のトイレ(!)を思わせながらも、じっと見るうちに心の深淵へと導く楽譜にもなる。読んでいるうちに京都に行きたくなる読者も多いのではないだろうか。
だが、本書にあるのはガイドブックに紹介されるような観光地としての京都だけではない。庭や墓地(だからこそ、神社ではなく寺なのである)を通して、大きな時間の流れを感じさせ、死生観を問いかけてくる京都の厳格な一面も心に迫る。百年、いや千年の時間を前に、人はその命の短さを感じざるを得ず、自分は何を遺せるのかと自問する。芍薬、撫子、あやめといった花もまた儚さと永遠の繰り返しを象徴している。そこにあるのは死と詩、そして再生の物語なのだ。
新しい人生に踏み出したポールとローズのこの先も気になるところだが、本書の姉妹篇、いや父親篇とも言うべき作品「情熱の一時間(Une heure de ferveur)」が二〇二二年八月に本書同様、本国フランスのアクト・スゥッド社から刊行された。ハルの側からモードとの恋、娘への思いが京都と飛騨高山、フランスを舞台に描かれており、若き日のサヨコも登場する。こちらもぜひ日本の読者にお届けしたいと思っている。
二〇二二年九月
著者のバルベリ氏は、アンスティチュ・フランセによる「読書の秋」で今秋来日予定です。11月14日(月曜日)に名古屋大学で作家の平野啓一郎氏と対談予定、11月17日(木曜日)には、京都でサイン会を開催予定です。詳細なスケジュールは、以下のアンスティチュ・フランセのサイトからダウンロード可能です。